気の弱いヒーロー

 貴志たかしくんがバイトをしているコンビニは、スミレ荘から歩いて2分くらいのところにあるので、わたしもしょっちゅう買い物に来る。

 今日も店内をうろうろしていると、最近バイトに入った金髪くんの声が聞こえた。


美作みまさかさん、表のゴミ箱汚かったっすよー」

「じゃあ、ちょっと掃除してくるからレジお願い」

「ういっす」


(ちょっと、金髪くん! その言葉使いなんとかしなさい! それに、貴志くんにやらせないで自分で掃除しなさいよね)


 わたしが心の中でプンプンと怒っていると、金髪くんがこっちを見た。

 あれ? なんか笑われた気がする。気のせいかな。


 店長さんは小太りの優しそうなおじさんだ。貴志くんは真面目だから信用されてるみたい。小説が売れなかったら社員にしてくれないかな。

 

 昔はコンビニで漫画も雑誌も立ち読みできたらしいけど、今は店内の品物を見て回るくらいしか時間をつぶす方法がない。


「もっと働く貴志くんを見たいのになあ」

 わたしがそう言うと、お母さんがどん引きした。


「やだ。葵ったら、どんだけ貴志くんのこと好きなのよ。一歩間違えたらストーカーだから、気をつけなきゃ駄目よ」


「ち、違う! そういうんじゃなくて、心配なの! 貴志くん気が弱いから、バイト先でいじめられたり、お客さんにクレームつけられたりしてないかなって」


「彼もいい大人なんだから大丈夫よ。それにしても、貴志くんはいい人だけど甲斐性かいしょうがないから心配だわ。葵、貧乏暮らしに耐えられる?」


「だから、そんなんじゃないってば! もうっ、これだからおばちゃんは」


「ひどぉい。年の割にはきれいだって言われるのに」


「それ、嬉しいの?」


「この歳になると、褒め言葉なら何でも嬉しいのよ」


 お父さんとお母さんが離婚して、わたしたちはスミレ荘に引っ越してきた。

 養育費はきちんともらってるはずだけど、お母さんは「お金は多い方がいいから」と仕事をがんばっている。

 再婚は考えてないって言うし、わたしも今の生活が気に入ってるけど、男の人が家にいないと怖い目にあうこともある。



 ***


 あれは、すみれ荘に引っ越してきてすぐのことだ。


 夕方、ひとりで留守番をしていると、ドアをコンコンと叩く音がした。最初は無視するつもりだったけど、何度かノックされて不安になった。


 もしかしたら大家さんかも。

 お母さんに何かあったのかもしれない。


 わたしはドア越しに返事をした。


「どなたですか?」

「すみませーん。近所のものなんですけどぉ」


 恐る恐るドアを開けると、やけにニコニコしているおじさんが立っていた。


「こんにちは」 

「……こんにちは」

「近くの新聞屋の者なんですけど、お父さんかお母さんはいる?」

「えっと、ちょっと出かけてます」


 お父さんがここに住んでないことは黙っていた。

 女だけだとわかったら危ないから、表札にも苗字しか書いてない。


「そうなんだ」

 ジロジロと部屋の中を見られて、ドアを開けなきゃよかったと後悔した。


「新聞とってる?」

「いえ」

「だったら、遊園地のチケットあげるからお母さんに頼んでよ」


 チケットは欲しかったけど、このおじさんからは貰いたくなかった。

「知らない人から何かもらっちゃ駄目だって言われてるから」


 わたしがドアを閉めようとすると、おじさんは素早くドアの隙間に足を入れた。


 え、なんで? やだやだ、怖いよぉ。


「そう言わないで。可愛いタオルもあるよ」

「いらないってば」


 これじゃあドアを閉めることもできない。

 どうしたらいいの。助けて、お母さん!


 するとそのとき、

「な、なにをしてるんですか」

 おじさんの背後から弱々しい声が聞こえた。


 おじさんが後ずさると、お隣の貴志くんの姿が見えた。貴志くんは震える声で言った。


「あ、あぱ、アパート内での迷惑行為は禁じられています。ふ、不法侵入で訴えられたくなければやめてくだしゃい!」


 あ、かんだ。


「いや、そんな大げさな。まいったなあ。通報とかしないでくださいね」

 おじさんは大ごとになるのを恐れたのか、ヘラヘラ笑いながら去っていった。


 おじさんがいなくなると、生まれたての仔馬のように足をガクガクさせ、貴志くんはその場にしゃがみ込んだ。


「はぁあああ」


 長い大きなため息。

 わたしは部屋の外に出て、貴志くんに声をかけた。


「だいじょうぶ?」


 貴志くんは顔を上げて、わたしに言った。


「大丈夫じゃないよぉ。窓を開けてたら葵ちゃんの声が聞こえてきてハラハラしちゃったよ。ダメでしょ、簡単にドアを開けちゃあ」


「ごめんなさい。近所の人ならいいかと思ったの」


「悪いことを考えてる人は、すぐに名乗らないから気をつけて。お母さんと宅配便以外は開けないほうがいいよ」


「うん、わかった」


「……まあ、何ごともなくてよかった」


 貴志くんは困ったような笑顔を浮かべると、わたしの頭をポンポンと優しく叩いた。

「じゃあね。気をつけるんだよ」


 よろよろしながら去っていく後ろ姿が、不思議とカッコよく見えた。






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