憂鬱なバレンタイン 3

 バレンタイン当日。

 授業が終わると急いで家に帰り、ちょっとだけおめかしした。

 紙袋にデパートで買ったチョコとラッピングした手作りのチョコを入れて家を出る。


 もう心臓がバクバクしはじめた。静まれ、わたしの心臓!


 貴志くんの部屋のドアをコンコンと叩くと、「はい」と中から声が聞こえた。


「あ、葵ですけど――」

「葵ちゃん!?」

 すぐに扉が開く。

「どうしたの? なんか、久しぶりだね」


 貴志くんの嬉しそうな顔を見て勇気が出た。


「ちょっと渡したい物があって」

「そうなの? よかったら上がって」

「うん」


 貴志くんの部屋に上がるのは結果発表の日以来だ。


「何か飲む?」

「あ、そのまえにこれ――」


 チョコを渡そうとして、テーブルの上に置いてある紙袋が目に入った。有名な高級チョコレートブランドのロゴが入っている。


「あれ、どうしたの?」


 貴志くんがわたしの視線の先を見て、

「編集のみなみさんにもらったんだ。普段は電話やメールでやりとりしてるんだけど、今日は直接会ったから」


「そうなんだ……南さんって女の人?」


「うん。バベル文庫編集部のひとで、色々なレーベルで自分が発掘した作家をデビューさせてる凄いひとなんだ。南さんの指摘でかなり加筆や修正が入るけど、絶対面白くなるはずだから期待してて。やっぱりプロのひとは違うね」


 ズキン、と胸の奥が痛んだ。

 貴志くんは当たり前のことを言っただけなのに。


 何か言わなきゃ。

 わたしは無理やり笑顔を浮かべた。


「良かったね。なかなかプロのひとの意見なんて聞けないんだから、たくさんアドバイスしてもらわないと」


「そうだね。あのお菓子、南さんのお薦めだから一緒に食べようよ」


「……ううん。わたし、やっぱり帰る」


「なんで? ゆっくりしていきなよ。そういえば、渡す物があるって言ってたよね」

 

 貴志くんに言われ、思わず後ろ手に紙袋を隠した。


「べつに、そんな大した物じゃな――」


 突然、涙がこぼれ落ちた。

 貴志くんがひゅっと息を呑む。


「葵ちゃん……」

「なんでもない。ほんとにもう帰るから」

「ちょっと待って」

「離して!」


 泣き顔を見られたくないのに、腕をつかまれてるから顔をそむけることしかできない。


「離してよぉ、うぅ……」

「わかった。わかったから、ちょっとここに座って」


 そのまま手を引かれ、クッションに座らせられた。


「どうしたの? 何かあった? ……もしかして、僕のせい? 何か嫌なこと言ったなら教えて。知らないうちに傷つけたなら謝りたい。どうして泣いてるの?」


 優しくされると、よけいに涙が止まらなくなる。

 わたしは、しゃくり上げながら、胸の奥にしまっておいた不安や不満を全部ぶちまけた。


「だって、バレンタインだから、せっかくチョコ作ってきたのに、あんな高いチョコもらってるし、デビューが決まってから、いっつも忙しそうだし、ぷ、プロのひとがいるなら、わたしなんか、もう、い、いらないよね」


「そんなわけないだろ。葵ちゃんは僕にとって大事なひとなんだから」


「大事って、どういう意味で?」


「どういうって……」

 貴志くんは言葉に詰まった。


 答えられないの?


 もう、いい。もう、全部終わらせてしまおう。


「好きなの。貴志くんのことが大好きなの!」


 半分やけになったような告白。

 驚いて目を見張る貴志くんに、張り裂けそうな想いを伝えた。


「ずっと好きだったの。貴志くんが助けてくれたあの日から。貴志くんの夢を叶えるのが、いつのまにかわたしの夢になってた。小説家としてデビューできることになって、本当に良かったと思ってるのに、寂しくてたまらない。こんなんじゃダメだよね。だから、この気持ちも終わりにした方がいいのかなって」


 ああ、わたし、何を言ってるんだろう。

 こんなこと言うはずじゃなかったのに。


 だけど、気持ちを吐き出すのが止まらない。


「9歳も年下だと女性として見られないかな? でも、妹みたいな扱いはもう嫌なの。貴志くん、わたしのことどう思ってる?」


 貴志くんの目を見つめた。

 わたしの大好きな綺麗な瞳。

 もしかしたら、こんなに近くで見られるのもこれが最後かもしれない。


 しばらく沈黙したあと、貴志くんが言った。


「ごめん」


 一瞬、目の前が真っ暗になった。


 ところが、


「先に言わせてごめん! 僕だって好きだよ」


「うそ……」


「嘘じゃない。確かに年だって離れてるし、そもそも葵ちゃんはまだ中学生なんだから、こんなこと言っちゃいけないのかもしれない。だけど、ずっとそばで応援してくれて、励ましてくれて、葵ちゃんのおかげでここまでこられたんだ。こんな素敵な女の子、好きにならないわけないだろ」


 貴志くんはわたしの手を強く握った。


「大好きだよ、葵ちゃん」


 急な展開に頭が追いつかなくてクラクラする。

 あんなやけっぱちな告白が上手くいくとは思わなかった。

 

「わたしたち、両想いなの?」

「うん、そうだよ」


 貴志くんがふふっと微笑んだ。

 初めて見るような甘い視線にドキドキする。


「あ、あんまり見ないで。今、ひどい顔してるから」

「そんなことないよ。そうだ、ちょっと待ってて」


 貴志くんはタオルをお湯で濡らして、わたしの顔を優しく拭いてくれた。


「……ありがと」

「うん」


 なんか調子狂っちゃう。いつもと違って積極的っていうか、すごく甘やかされてる気がする。両想いだとこれが普通なのかな。


 戸惑いながらも、貴志くんの優しさに甘えるのが心地よかった。






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