憂鬱なバレンタイン
受賞後、書籍化に向けての準備で貴志くんは忙しくなった。
投稿したものをそのまま本にするんじゃなくて、修正したり話を追加したりしなくちゃいけないらしい。
(どんなイラストになるんだろう。楽しみだなあ)
貴志くんはイキイキと仕事をしている。やっと夢が叶ったんだから、そりゃあ嬉しいよね。良かった。本当に良かった。
本気でそう思ってるのに、なぜか胸のあたりがスースーする。
もう、わたしが編集の真似事をしなくても本物の編集さんがついてるし、これからはもっとたくさんの読者が応援してくれる。
変だな。あんなに応援してたのに……やっとデビューできて、わたしだってすごく嬉しいのに、どうしてこんなに寂しいんだろう。
庭のベンチでお喋りしてても、貴志くんはスマホを気にしてうわの空。
わかってる。しょうがないよね、忙しいんだもん。
「ごめんね、葵ちゃん」
そう言いながら、慌てて部屋に戻る貴志くんを何度か見送ったあと、わたしは庭で彼を待つのをやめた。
***
「ねえ、明日チョコ買いに行こうよ」
茉莉花に言われて、わたしはうぬぬとうめいた。
あさってはバレンタイン。デパ地下や催事場では、有名パティシエの高級チョコや今だけ限定のチョコがよりどりみどりだ。
小学生の頃は、お母さんが買ってきてくれてたけど、中学生になってからは茉莉花と一緒に買いに行くようになった。
もちろん、わたしもチョコレートは好きだけど、今はタイミングが……。
「どうしたの? 今年は貴志くんにあげるんだってはりきってたのに」
「……最近、貴志くんと会ってないから」
「喧嘩でもしたの?」
「違うけど、今はちょっと気まずいっていうか……」
「なんか知んないけど、チョコあげて仲直りすれば? あ、どうせなら手作りにする?」
「いや、絶対買った方が美味しいでしょ」
「それもそっか。まあ、貴志くんなら喜びそうな気もするけど」
***
次の日、わたしと茉莉花はデパートで開催しているバレンタインフェアに行った。
甘い香りが漂う会場で、大勢の女性たちが真剣にチョコを選んでいる。
「よーし、行くぞー!」
「おー!」
目を輝かせて突進していく茉莉花の後を追う。
濃厚なチョコの香りを嗅ぎながら試食を繰り返していると、いくらチョコ好きでもおかしくなってくる。
「うぅ、口の中が甘くて味がよくわかんない」
「しょっぱいのが食べたい」
わたしたちは持参したお茶を飲み干し、口の中がさっぱりしたところで再び突撃した。
(貴志くんのも一応買っておこうかな。渡せるかどうかわかんないけど……)
かなり悩んで、小さなハート型チョコの詰め合わせを買った。可愛い缶に入ってるから、もしかしたらこれも使ってもらえるかも。
あとは、お母さんに頼まれてた生チョコと、わたしの好きなオレンジのオランジェット。
わたしも茉莉花もお目当てのチョコを買えてご機嫌だ。
「茉莉花は誰にあげるの?」
「お父さんと弟。あたしとお母さんが好きなやつも何個か買った」
「本命チョコは?」
「今は本命いないもん」
「サッカー部の杉田くんはどうなったの?」
「彼、見た目はいいんだけど、話してみたらつまんなかったの」
「そっかあ。でも、見た目が良くて話が面白い男子なんて、あんまりいないんじゃない?」
「あたしの周りでは小太郎くらいかもね」
ここで重松くんの名まえが出るとは思わなかった。
「もしかして茉莉花――」
「げっ、違うからね! 変な誤解しないでよ。それに、葵だっていい加減わかってるんでしょ? 小太郎の気持ち」
「う、それは……」
わかってるっていうか、クラスの友だちに言われて初めて気づいたんだよね。
ある日、ふと誰かが言った。
「重松くんて、違うクラスなのにいっつもいるよね」
「葵がいるからね」
「へ? 違うよ。柴田くんがいるからでしょ」
「鈍いなあ、葵は」
「ほんとほんと。重松くん、かわいそう。ほら、今もチラチラこっち見てる」
「バレバレだよねー」
「ええっ!?」
ということがあった。
だけど、それからもわたしは気づかない振りをしている。ずるいかも知れないけど、わたしが好きなのは貴志くんだけだから。
「小太郎のやつ、片思いこじらせちゃってるから告白するタイミングが
「前から思ってたけど、茉莉花ってなんか重松くんに甘くない?」
「だって、いじりがいがあって面白いんだもん。一応言っとくけど、恋愛感情はまったくないから」
何か言われるまでは放っておけばいいよと言われて、わたしはうなずくしかなかった。
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