叶えたい夢

 劇団フェニックスの舞台を観に行くたびに、代表の杉田さんから声をかけられるようになった。

 もはやただの挨拶代わりだと思うが、「稽古場に遊びにおいでよ」と言われるたびに、「まだ中学生ですから」と貴志くんが断わっている。


「相変わらずガードが固いなあ。でも、もう高校生になったんだよね?」

 杉田さんはニヤリと笑い、貴志くんをあおるようなことを言う。


 最近は、わたしを誘うというより、貴志くんをからかって遊んでる気がする。

 性質たちの悪い大人だ。


 貴志くんはぐぬぬと唸り、どうやって断るか考えている。

 その隙に杉田さんはわたしに話しかけてきた。


萌音もねに聞いたけど、彼の小説が原作の漫画、売れてるんだって? もしかしたらそのうちアニメ化されるんじゃない?」


「そうなるといいんですけど」


「あれぇ? 人ごとなんだ」


「……どういう意味ですか?」


「そのアニメに声優として参加したいとは思わないの?」


「そんなこと、考えたこともないです」


「じゃあ考えてみなよ。今度、親御さんと一緒に見学においで。来る日が決まったら萌音に伝えてくれればいいから」


 杉田さんはいつものようにひらひらと手を振り、去っていった。


「あいつ、なんだって? ちゃんと断った?」

「……んー、ちょっと考えてみる」

「どうしたの、急に。葵ちゃん?」


 アニメに声優として参加するなんて突拍子もない話だ。

 だけど、もしそれが可能なら――


「貴志くんの書いた小説の登場人物になれる……」


 この瞬間、わたしに叶えたい夢が生まれた。



 ***


 母に「稽古場に見学に行きたいから一緒に行って」と頼んだら、「面白そうね」とすっかり乗り気だ。

 

 わたしたちは萌音ちゃんに書いてもらった地図を見ながら、自転車で稽古場に向かった。

 大通りから外れ、住宅街を抜けると、2階建ての古そうな建物があった。


「ここで合ってるわよね?」

 母が地図と見比べている。

「だと思うよ」

 建物の前に自転車を止め、中に入った。


 薄暗い廊下にごちゃごちゃと物が置かれている。

(稽古場はどこだろう。上かな?)

 階段を上ろうとしたとき、突き当たりのドアの向こうから声が聞こえた。


 そっとドアを開けると、もわっとした空気が押し寄せてきた。音漏れがしないように部屋を閉め切っているのだろう。

 思ったより広い部屋で、中には大勢の人がいた。


(萌音ちゃんは……)


 わたしがきょろきょろしていると、ジャージ姿で床に座っていた萌音ちゃんが手招きしてくれた。

 こそこそと近づくと、「ここに座って」と小さな声でパイプ椅子を勧めてくれた。


 部屋の中央では、役者さんたちが台本を片手に動いている。


「そこ、動きが違うだろ!」

 杉田さんは普段と違う厳しい声で指示を出していた。


(「葵、見て。西島アキラがいるわ」)

 テレビに出ている俳優さんがいると、母がひそかに興奮している。


 稽古が終わると、杉田さんは母と挨拶を交わし「やっと来たな」とわたしに言った。


「じゃあ、行くか」

「どこに?」


 このまま家に帰るつもりだったのに、なぜかフェニックスと提携しているというプロダクションに連れていかれた。


 大きな自社ビルの中には、声優の養成所やスタジオなどもあり、見たことのある声優さんが通りかかったりする。杉田さんの説明を聞きながら、わたしと母はキャッキャとはしゃいでいた。


 ひと通り見学が終わると、ビルの最上階に連れていかれ、プロダクションの社長さんに引き合わされた。

(ただの見学なのに社長さんって!) 


 社長さんは渋い俳優のような外見で、声も素敵だった。話しかけられた母が乙女のように恥じらっている。

(お母さん、イケオジに弱いんだよねぇ)


 雑談をした後、イケオジの社長さんから台本を渡された。


「この役のセリフを読んでみてくれる? 他のセリフは杉田くんが読むから」


「こ、これは……名作と名高い『魔女の初恋』!」


 変だなとは思ったけど、好きなアニメの台本だったので飛びついてしまった。


 わたしの下手くそなセリフに、杉田さんが七色の声で合わせてくれる。

(なにこれ、楽しい!)

 セリフの掛け合いなんて初めてやったけど、相手が上手だとこんなに気持ち良いものなんだ。


「……ほお……ふんふん。じゃあ次はこっちね」

 面白がって、次々と台本を渡すイケオジ社長。


 見学に来ただけなのにずいぶんサービス旺盛な会社だなあ、などと感心していたら、いつのまにか母も交えて面接のようなやり取りになった。


 イケオジ社長と杉田さんの巧みな話術に引き込まれた結果、わたしは声優プロダクション・ヴォイスと専属マネジメント契約を結ぶことになった。


 母の希望もあり、高校を卒業するまでは活動を控える予定だが、ボイストレーニングと演技トレーニングはなるべく受けるようにと言われた。



 *


 そして今、機嫌を損ねた恋人へのフォローをしている。

 せっかく部屋に来てるのに、さっきから貴志くんは拗ねたようにそっぽを向いている。


「そんなに怒らないでよ」


「べつに怒ってないけど」


「貴志くんに相談せずに決めたのは悪かったけど、その場の勢いに押されたっていうか、お母さんもすっかりその気になっちゃって、誰も止める人がいなかったの」


「まったく……杉田さんの紹介なら大丈夫だろうけど、ホイホイ契約なんてしたら危ないんだからね!」


「うん。ごめんね。許してくれる?」

 

 スリスリと身体を寄せると、「しょうがないなあ」と抱きしめてくれた。

 後ろから抱っこされた状態で話を続ける。


「でも、どうして急に? 前は杉田さんに誘われても興味なさそうだったのに」

 

「実は、杉田さんに言われたの。貴志くんの小説がアニメ化されたら、声優として参加したいと思わないのって。そんなこと考えたこともなかったんだけど、貴志くんの小説の登場人物になれるかもって思ったら、じっとしてられなくなっちゃって」


「でも、アニメ化の話なんてきてないよ?」


「わかってる。もしもの話だから。でも、今からちゃんと勉強しておけば、オーディションくらいは受けられるって言われて、やってみたいと思ったの」


「そうだったんだ……ごめんね、気がつかなくて。考えてみたら、葵ちゃんの行動の原動力って、いつも僕だもんね」


「そ、そう言われると恥ずかしいけど」


「ちょっとこっち向いて」


「やだ」


「やだじゃない。今、絶対可愛い顔してるから見せて」

 貴志くんが無理やり振り向かせる。


「もう……」

「ほら、やっぱり可愛い」

「やだって言ったのに」

「うん。ごめんね」


 おでことおでこをくっつける。

 クスクスと笑いながら何度も口づけを交わした。

 



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