第26話 柚梪を支える

 モニターに映る小さな受精卵。医師が何度も何度も拡大する事でようやく見る事が出来たその命に、柚梪は泣きそうになっていた。


 嬉しさのあまり涙を流さぬよう、必死に右手で口元を押さえて堪えるその姿に、俺や医師さんは微笑む。


 そんな柚梪の肩をポンポンっと2回軽く叩き、俺は柚梪のすぐ隣へと歩み寄る。


「よかったな、柚梪。大切に育てて行こうじゃないか」


 優しくそう問いかけると、柚梪はポロッと涙を1粒流し、少し震えた声で「………はいっ」と返事を返してくれた。


「とても仲が良いんですね。見ていてとても微笑ましいですよ」

「あはは、ありがとうございます」


 医師さんも俺と柚梪のやり取りに微笑み、ティッシュを1枚取って柚梪に手渡した。


「では、話を戻しましょう。柚梪さんは今後、過度な運動はされず、食事も出来るだけ栄養の取れる物にするよう心がけてください」


 柚梪がティッシュで涙を拭き取った事を確認した医師は、妊娠をしている柚梪に対して話を始めた。


「妊娠中は、栄養をたくさん使いますし、体力も必要になってくるでしょう。体が重く感じたりした場合は、迷わず休んでくださいね」

「はいっ、分かりました」

「お腹が大きくなると、行動も制限されて来ますから、必要な道具を揃えにお出かけとかへ行かれる場合は、今のうちに行かれてください」

「外出する際は、出来るだけ早めに………っと」


 柚梪は正面から説明を聞き、俺は出来るだけ簡略化させてスマホのメモアプリに書き込んだ。


 一通りの説明を受けた後、柚梪がある質問を医師に問いかける。


「あのっ、1つ質問なんですけど………赤ちゃんの性別っていつ分かるんでしょうか?」

「そうですねぇ………人にもよりますけど、一般的には妊娠してから12~15週間目くらいですかねぇ」

「そ、そうですか………」


 柚梪は早く性別を知りたそうにしていたが、そう簡単分かるものではないと言う事に、少し残念そうな表情になる。


「では、1ヶ月ほど様子を見てからまた来られてください。定期的に状態を確認しますので。性別も分かり次第、その時に教えましょう」

「分かりました。ありがとうございます」


 そして、医師から帰りの許可が出た為、俺と柚梪はその部屋を後にした。


☆☆☆


 それから数十分後、無事に終わった俺と柚梪は産婦人科を出て家へと帰宅する為、車の中に乗っていた。


「とりあえず柚梪、何度も言うかもだけど………辛い時や何かあった時はすぐに言えよ。じゃないと助けてやれねぇから」

「はいっ。頼りにしてます♪︎」


 俺が側に居る時は、すぐに対応が出来るが………仕事などで家を離れている時は、少しでも時間を必要としてしまう。


 少しでも早く駆けつける為に、柚梪にはそれなりに言い聞かせておくとしよう。


「なんだか………不思議な気分ですね」

「………? 何がだ?」


 短い沈黙の後、柚梪は正面の景色を眺めながらポロッと呟くようにそう言った。


「あんなに無能だとか、使えないだとか言われてた私が………新しい命を授かるようになるなんて、今でも夢なんじゃないかって、少し疑っちゃってる私が居るんです」

「………」


 俺は正面を向いて車を運転しつつ、柚梪の話を聞いて黙り込んでいた。


『この無能めが! 何回言えば理解するんだっ!! 使えない娘が』

『真矢はあたしより頭が悪いし、稼げない。お父様の機嫌を損ねるだけのお荷物よ』

『もうお前にはうんざりだ、真矢よ。視界に入るたびにイライラが出てきて仕方ない』

『あーあ、こんなにボロボロになっちゃってw もはや女として見れないじゃないww』


 柚梪の脳内には、過去に受けた様々な言葉。


 少しでも父親に認められたく、自分なりに工夫して頑張ってみるが、失敗がたくさん続き逆に怒らせてしまう。


 才能に溢れたお姉さんには、常に見下されており、腹立つ事があればすぐに暴言を吐いてくる。


 現在、柚梪の父親は牢獄から釈放されているものの、資金を全て柚梪のお姉さんに持って行かれ、どこで何をしているのか分からない。


 そしてお姉さんも、金庫にある資金を全て持ってどこかへ消えている。


 辛くて苦しい過去の記憶が蘇った柚梪だが、その表情はなぜか微笑んでいた。


(私には、龍夜さんが居る。今の私がこうして命を授かる事が出来たのも、全て龍夜さんのおかげ)


 柚梪は正面の景色から、俺の顔に視線を向けると、小さな声でポロッと呟く。


「龍夜さんが、私を守ってくれている。だから、今の私が居るんですよ………龍夜さんっ」

「………ん? 何か言ったか?」

「いいえっ、何でもないです♪︎」


 ニコニコと微笑む柚梪。一体何を言ったのかは教えてくれなかったが、その笑顔からは………信頼と期待の気持ちが伝わって来た。


 俺と柚梪は、今日を境に新婚夫婦から………父親と母親になる為の準備を進め始める。


 いつか産まれてくる赤ちゃんの為に、これからも俺は、柚梪を大切にし………心の底から愛を注いで支えていかなければならない。


 柚梪が安心して、赤ちゃんを育てられるように………な。

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