第46話 もう過去の私じゃない
母親として、娘を守ると言う強い意志が柚梪を動かす。振り下ろされた柚梪の手のひらは、夏奈の頬に命中し公園内とその周辺に風船が割れたような音が鳴り響いた。
ほぼ無意識だったとは言えと、柚梪は自分自身の手で姉を叩いたと言う事実に自分で驚く。
「はぁ………はぁ………はぁ………」
ただ腕を振り上げ、勢い良く振り下ろすだけの行動なのに、柚梪は息を切らしていた。そして、夏奈の頬を叩いた手のひらを静かに見つめる。
一方、頬を強く叩たかれた夏奈は、ゆっくりと顔を上げ始める。
「………やったわね」
「………!」
夏奈がとんでもなく低い声に反応した柚梪は、自分の手のひらから即座に視線を夏奈へと移す。
夏奈から放たれる雰囲気がさらに重くなる。まるで、太陽に熱された道路からでる陽炎のように、柚梪からは辺りが歪んで見えた。
パッと見ただけで分かる。とんでもなくお怒りと言う事が。
「手を出したわね………それも、姉である私にっ! なんの才能もない出来損ないの分際で、私の肌に傷を付けやがって………!!」
鬼のような表情を浮かべて怒声を上げる夏奈に、柚梪は怖じけづいてしまう。
元々育った環境によって、柚梪は目上の人に逆らえない、逆らってはいけないと強くしつけされてきた。また、逆らった場合の罰を受けた事も見た事もある。
親からしつけられた事はそう簡単には体から抜けない。記憶として忘れていたとしても、体が覚えているのだから。
(怖い………怖いよぉ………)
そして、柚梪の目にはほんのりと涙が浮かび上がってくる。力も上手く入らず、立っているのが精一杯。
そんな時、柚梪のスカートをギュッと握り締めている雪の姿が目に入る。雪もまた涙目になりながらも、夏奈から視線を離さない。
まだ幼い雪が、母親の後ろに隠れようとせず少しでも抗おうとしているのだ。それに比べて柚梪は、完全に怖じけづいてしまっている。
そんなの、母親失格だ………。
その時、怖じけづいていた柚梪が意志を固める。グッと拳を握り締め、溢れそうな涙を腕で拭き取り夏奈に鋭い視線を向けた。
「私はもう………過去の私じゃないんですっ! 甘く見ないでいただきたいです!」
そして柚梪はなんの躊躇もなく言い張った。
「だから、出来損ないの分際でごちゃごちゃ喋んなって言ってんのよ」
対して夏奈は柚梪の態度により怒りが込み上げてくる。それでも柚梪は折れない。
「確かに私は出来損ないですよ………お父様からも認めて貰えず、ずっと姉様の後を追いかけているばかりでした。けど、そんな私を愛してくれる人が居るんです!」
「………うるさい」
「お父様に捨てられ絶望していた所を助けてください、たくさんの愛を注いで貰って、私の人生を変えてくれた!」
「………うるさいっ!」
「今の私は、愛する旦那さんの妻であり………もう間宮寺家との縁は完全に切っています! 新しい家庭を築いて幸せに暮らしている私と、有り余るお金をただひたすら使って遊び散らかしている姉様は………」
柚梪は一呼吸を間に挟んでから、夏奈に対して渾身の言葉をぶつける………!
「まるで………『出来損ないな過去の私』じゃないですか」
「………っ!!!」
柚梪が放ったその言葉に、完全にぶちギレた夏奈。怒りのままに身を任せ、足元に転がっていた中くらいの石を握り持ち上げる。
「クソ女がぁぁぁぁぁ!!!!!」
そして夏奈は、一切の躊躇もなく握り締め石を大きく振り上げ、柚梪に向かって投げる姿勢をとり始めたのだ。
「………!? 雪っ!」
それを見た柚梪は、とっさにしゃがみ込み雪を抱き締め守りに入る。体全身で雪を覆い隠し、雪が姿を見せぬように強く抱く。
そして、夏奈の握られた石が放たれてる………はずだった。
「はーい、ストップストップ」
誰かが夏奈の背後から、振り上げられた夏奈の腕を掴んで石を投げる事を阻止する。
「それ以上やったら、取り返しのつかない事になるかもよ? それに、お兄ちゃんが黙っていないだろうからね♪」
その聞き覚えのある声と言葉に、柚梪は顔を上げて即座に振り返る。そして夏奈は、掴まれた腕を強引に引き離し同じく振り返る。
そこに立っていたのは、遅れてやって来た彩音だった。
「彩音………ちゃん」
「ごめんね、遅くなっちゃって。まさかこーんな事になってたなんて。でも、私だけじゃないんだよ?」
彩音は柚梪に向かってウィンクをすると、彩音の背後からさらにもう1人誰かがやって来る………。
「おいテメェ、誰の妻に危害加えようとしてんだ?」
とてつもなく低い声で、辺りが凍てつくような殺気を身に纏った1人の男とは、この俺だった。俺を見た夏奈は、「チッ」も舌打ちをする。
「はっ、クソ女の旦那かよ。やってらんねーわ」
夏奈はそう言い残すと、状況が悪くなったせいか公園の出入口目指して走って行った。いわゆる逃走だ。
「なによ。状況が悪くなったからってしっぽ巻いて逃げて行ったし。あんたの方がクソ女にふさわしいもんねーっ! べーーーっだ!」
走って去って行く夏奈に向かってそう言う彩音。
そして俺は、しゃがみ込む柚梪に向かって駆け足で近寄る。
「柚梪、雪………大丈夫だったか?」
「た、龍夜さん………」
俺の顔を見た柚梪は、ポロポロと涙を流し始める。そして雪は俺の足にしがみついてくる。涙を流す柚梪は、スカートの上から膝を地べたにつけて、俺の胸へと身体を寄せてきた。
「龍夜さん………龍夜……さん………うぅぅ」
「柚梪………怖かっただろうに。よく頑張ったな」
俺は優しく柚梪を抱きしめ、背中を撫でる。そのまま柚梪は外である事を忘れて泣き崩れてしまう。
「なんとか間に合ったようでよかった。危うく柚梪ちゃんに石を投げられる所だった………電話がかかってきてなかったら、私どうしたらよかった事か」
俺と柚梪の様子を少し離れた位置から見ていた彩音は、ホッと一安心していた。
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