第10話 運転とご褒美

 翌日の日曜日、午後17時10分頃。車の運転席でハンドルを握る俺と、助手席で外を眺める柚梪は、夕日の眩しい光に照らされながら、大通りを走っていた。


 柚梪を助手席に座らせて車を運転するのは、滅多に行く事がない外食や、仕事が休みの日にお出かけする時くらいしかない。


 大抵は食材が無くなりつつある場合、柚梪が1人で近くのスーパーへ買い出しに行くし、休みの日はお出かけよりも、家で俺に甘える方が好きだと言う。もちろん、柚梪自身お出かけが嫌いと言う訳ではない。


 よって、柚梪とこうして車に乗ってお出かけするのは約1年と半年ぶり。結婚するまでの4年間は、車の免許を取ったり、取ってばかりで怖かったから、柚梪を乗せてあげられなかったりした。


 いつもは仕事に行くから、1人で車を運転しているのだが、隣に大切な柚梪が居るとなれば重たい責任を無意識に感じてしまう。


 車は、1つ操作をミスしてしまえばすぐに事故に繋がってしまう。その、たった1つのミスで柚梪の命を奪ってしまう可能性があるからだ。当然、柚梪に限らず俺自身もそうだ。


(落ち着かねぇと。焦れば焦るほど事故に繋がる。いつも通り仕事に行く感覚で運転するんだ………)


 頭ではそう思っていても、心では違うようだ………心臓の鼓動が止まるどころか、早くなる一方だ。


 ドクン……ドクン……ドクン……


 直接耳に聞こえるほど高鳴る心臓により、ハンドルを握る俺の手には、手汗が出てき始めていた。


 ここだよレストランまでは、まだまだかなりの距離がある。最低でも、あと25分以上はかかるだろう。


 目の前の十字交差点の信号機が赤になり、停止線の手前でブレーキを踏んで車を止める。ここで、少し心を落ち着かせる余裕が出来た。


 俺はフゥゥッと長く深いため息を吐いて、心の中をリセットする。


「はぁ………、まだ半分以上あるとか………キッツ」

「大丈夫ですか? 少し、休憩します?」


 俺がそう呟くと、外を眺めていた柚梪が心配そうな顔で俺に話しかけてくる。


「いや、休憩は大丈夫だ。ただ、少しのミスで俺もそうなんだが、何より柚梪の命を奪ってしまう危険があるから、焦って上手く集中出来ねぇんだ」

「そうですね………車による事故で、色んな人や子供が命を落としているニュースをよく見ます」


 柚梪の表情は心配そうな表情から暗くなり、心から悲しんでいる感情がよく伝わってくる。


 すると、ハンドルから離し肘かけに置いた俺の左手に、柚梪は優しく右手を添えてくる。


「車は、簡単に人の命を奪ってしまう物です。でも、私は龍夜さんを信じていますから。だからこうして、龍夜さんの隣に座らせてもらってるんですよ」


 優しく上から握られた柚梪の手からは、とても安心するような暖かさが伝わってくる。その暖かさを感じている俺の心臓は、高鳴る鼓動を落ち着かせていた。


「龍夜さんも、自分を信じてください。大丈夫ですから」

「………そうだな。ありがとう、柚梪。おかげで元気出たわ」

「よかったです♪︎ じゃあ、家に帰ったら………ご褒美にキスをくださいっ♪︎」


 ニコニコと微笑みながらご褒美を要求してくる柚梪に対して、俺は「帰ったらな」と、やれやれと言わんばかりにそう言った。


 やがて、信号機が青になった事を確認し、両手でハンドルを握り、ブレーキから足を離して、徐々にアクセルを踏んで加速する。


 けど、おかげで本当に元気出た。心もいつの間にか落ち着いているし、さっきまでより気分が晴れた気がする。


 そして、真剣に前を見て運転する俺の横顔を、視線だけずらして眺める柚梪は、自然と心が暖かくなるのを感じていた。


☆☆☆


 家を出発してからおよそ40分。大通りを走行していると、俺の車線側にある『ここだよレストラン』と書かれた看板が見えてきた。


 ここだよレストランの駐車場前まで来ると、方向指示器で左に曲がると合図をだして、歩行者や自転車居ない事を確認してから、ゆっくりと駐車場の中に入った。


 空いている所に車を停車させてエンジンを切ると、車の天井についているライトのスイッチを押して明かりを灯すと、スマホを起動させ時間を確認する。


「17時40分か。少し混むかと思って早めに出たけど、思った以上にスラスラ進んだな」


 俺が2年前まで仕事から帰ってくる時、さっきまで通って来た大通りの7割ほど通っていたのだが、この時間帯はよく車が混んでいる事が多いのを知っていた。


 しかし、今日は日曜日で仕事が休み。通勤している人達が少ないから、混む事なくここまで来る事が出来たのだろう。


「予約の時間まで、あと20分ありますね。見た感じでは、彩音ちゃん達もまだ来ていないようですし」


 現在、ここだよレストランの駐車場に止まっている車は、俺のを合わせて合計6台しか止まっていない。


 皆で移動をするなら、必ず父さんの最大7人乗りの大型車で来る。そして、温泉旅館に行った時から父さんは車を変えていない。今この駐車場に、父さんの車がないと言う事は、まだ彩音達は到着していない証拠だ。


「仕方ない。少し、車の中で待つとするか」

「じゃあ、龍夜さん………家に帰ってからのご褒美を今くださいっ♪︎」

「えぇ? 今?」


 すると、柚梪はライトのスイッチを切って外から中が見えにくくする。


「大丈夫です。建物の後ろですから、大通りからは見えませんし、止まっている車の中に居る人は誰も居ませんから」

「いや、そう言う問題?」


 柚梪はシートベルトを外すと、腰から上を少しだけ俺に寄せて、顎を前に出しながら唇を差し出してくる。


「ほら、早くしないと………彩音ちゃん達や他の人が入って来て見られちゃうかもですよ?」

「家に帰ってからって言う選択肢はどこ行った?」

「むぅ、早くぅ………今欲しいんですぅ!」

「はぁ………分かったよ。少しだけだからな?」


 可愛いくだだこねる柚梪に押し負けてしまい、俺は差し出された柚梪の唇に、3秒ほどの短い口付けをしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る