第32話 子供みたいな仕返し

「明日は祝日で休みだぁ~っ、ぐっすり眠れるぞぉ」


 暗くなった空の下。仕事が終わって我が家に帰って来た俺は、車に鍵をかけてぐっと両腕を空に向かって伸ばした。


 家の玄関を開けて家の中へ入ると、ちょうど柚梪が脱衣室から出て来る所で、バッタリと鉢合わせする。


「あっ、龍夜さん。おかえりなさい」

「あぁ、ただいま。何してたの?」


 エプロンを着用した柚梪。そのエプロンと服の下からでも分かるほど、お腹に宿した赤ちゃんが育っていて、お腹が膨らんでいる。


 俺の質問に対して、柚梪は少し苦笑いをしながら小さな声で呟く。


「実は………お昼にすごく眠たくなっちゃって、起きたらすでに夕方だったので夕食の支度と、お風呂掃除を………」

「はぁ………。柚梪、お腹も大きくなってきたし………お風呂掃除は俺がやるって言ったはずだろ?」

「すみません………お仕事で疲れてると思ったから、龍夜さんがすぐに入れるようにしときたくて」


 その気遣いはとても嬉しいが、柚梪は妊娠しておよそ5ヶ月は経過している。


 お腹もだいぶ大きくなって、動きずらくなる上、体力もある程度使う。無理に動くなった言ってたのに、おそらく朝は掃除でもしたのだろう。


 だからお昼に疲れの影響で眠たくなったのだと思う。確実とは言えないが………。


「お昼ご飯は?」

「食べてない………です」

「全く。赤ちゃんに栄養を送るため、少なくても3食は取らないと………」

「すみません………」


 視線を下に向けて、しょんぼりとした表情になる柚梪。たとえ1食あたり食べる量が少なくても、栄養を取らないといけない。


 妊娠中の女性は貧血になりやすく………またビタミンや鉄分などの栄養をより多く消費する。


 妊娠中に貧血で倒れる人や、体が重くなったり頭痛がしたりする人も少なくないとか。


「妊娠も中盤辺りだから、そこの所は本当に気をつけてもらわないと………心配になる」

「はい………分かりました」


 俺は靴を脱いで家の廊下に上がると、しょんぼりとする柚梪の背中を優しく撫でて慰める。


「今日の夕食は何かな?」

「カレーを煮込んでいる最中なので………」

「なら、あとは俺がやっとく。柚梪は座って待ってて」

「えっ? でも………」

「ダメだ。座ってて」


 柚梪は自分でやろうとするが、どうしてもダメと言う俺に渋々頭を縦にふった。


 リビングにて、柚梪は食卓の椅子に座り、俺は柚梪が途中まで作っていたカレーを煮込む。


「はいよ」

「ありがとうございます」

「まぁ、俺が作った訳じゃないけどな」


 完成したカレーをお皿に炊いた白米と一緒に乗せて、スプーンも一緒に柚梪の前へカレーを差し出す。


 柚梪の隣に俺は座って、お互いに肩を並べながら食事を始める。


「そうだ、柚梪」

「あ~………はい?」


 スプーンでひとすくいしたカレーを、口を開いて食べようとしていた柚梪は、カレーを口に含む前に手を止めて俺の方に視線を向けてくる。


「明日は祝日だし、そろそろ産婦人科に行ってみようか」

「………どうしてですか?」

「ん? 性別が分かるんじゃねぇかなって」

「………!!」


 その言葉を聞いたとたん、柚梪の目はキラキラと輝きを放つが、その後天井に視線を向けながら、スプーンを持っていない方の手の指で顎に触れる。


「でも、祝日だったら開いてないんじゃないですか?」

「いや、実はそうでもないぞ。祝日で休む所もあれば、開いてる所もあるからな。この前行った産婦人科はお昼までなら開いてるらしいぞ」

「そうなんですか………知りませんでした」


 ここ最近の病院等は、祝日でも患者さんを診察する所が多く、休んでいる所は少ない。


 ただ、やはり医師や看護師さん達もずっと動ける訳ではないから、休みを取らなければならない事から、土日や祝日は午前だけや、午後から夕方まで病院を開ける所がほとんどのようだ。


「仕事の休憩中にちょっと調べてな。明日なら、朝の10時~お昼の14時までは開いてるみたいなんだ」

「分かりました。やっと、性別が分かる日が来たんですね。待ちくたびれましたよ」


 柚梪は持っていたスプーンをお皿の上に置いて、自分のお腹の上に手を乗せる。


「この子は女の子ですね」

「だから、なんでそう言いきれるんだよ………」

「言ってるじゃないですか! 感じるんですよ。お腹の中に居る子供は女の子だぞって」


 柚梪は妊娠した後、ずっと同じような事を言って『お腹の中の子供は女の子』と言い張っているんだ。


 柚梪いわく、感じると言うよりも………体がそう言ってるらしい。


「まぁ、ともあれ………明日で男の子か女の子かどうかが分かるからな。俺も楽しみになってきた」

「えへへっ、そうですね♪︎ 龍夜さん。早くカレー食べないと冷めてしまいますから、食べちゃいましょ♪︎」

「柚梪を食べちゃうの?」

「ち~が~い~ま~すぅ~。カレーって言ったじゃないですか。もうっ」


 プクゥと頬を膨らませながら目を細めて見つめてくる柚梪。しかし、俺はあえてそんな柚梪をスルーしてカレーを食べ始める。


 その俺の姿に、片方だけ膨らませていた頬をやがて両方の頬を膨らませた柚梪は、置いていたスプーンを手に持ち乗っていたカレーを瞬時にパクッと食べる。


 スプーンが空になったとたん、柚梪は俺のお皿に乗っているカレーのルウだけを取ってまたもや口の中にパクッと入れたのだ。


「あっ!? ルウだけ取っていきやがった!?」

「イジワルする龍夜さんが悪いんですっ」


 モグモグと口を動かしながら、そっぽを向いて言う柚梪に、俺は同じ事をやり返す。


「んんっ!? わらしのルウ!?」

「口にカレーを含んだまま喋るんじゃねぇよ」


 俺はそう言った後、柚梪から奪ったカレーのルウを口に入れて食べる。

 

 お互いにルウを食べ終わって飲み込むと、俺と柚梪は視線を合わせる。10秒ほど沈黙が続いた後、俺と柚梪はクスクスと笑いだす。


「あーあ………何やってんだろ。マジで。子供みてぇだな」

「うふふっ、子供っぽい仕返しをする龍夜さん、可愛いですっ」

「いーや………柚梪の方が可愛いねっ!」


 こうして俺達は、結局食事がまともに進まず………気がつけばカレーはとっくに冷めていた。

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