第36話 新しい命の誕生

 頭に乗せただけの雫のようなシャンプーを即座に洗い流し、柚梪には廊下に出てもらうよう頼んだ。すごく苦しそうで申し訳なかったのだが、裸をみられる訳にもいかない。


 俺は髪が濡れていながらも、脱いだ私服をもう一度履きなおし、タオルで髪を拭きながら脱衣室から廊下へ出る。


 脱衣室から出ると、階段に座って苦しそうにお腹をかかえる柚梪の姿があった。


「柚梪、もう少しだけ耐えてくれっ」

「ぐぅぅ………っ」


 俺はリビングへと駆け足で向かい、リビングに入ったすぐ隣にある棚に設置された電話の受話器を片手で掴み、近くにある大きな病院の電話番号を打ち込む。


 受話器を片耳に寄せて待つ事数秒、看護師さんらしき女性の人が電話に出てくれた。


「はい、こちらキクト大病院です。どうされましたか?」

「もしもし? 初めてして、如月と申します! あの、嫁に陣痛が来たみたいで………」

「陣痛ですか!? 分かりましたっ、出産の準備をしておきます。車はお持ちですか?」

「はい、家からならだいたい10~15分程度で着きますので!」

「かしこまりました。出来るだけ、急いで来てくださいね。お待ちしております」


 電話が終了して、受話器を元に戻す。そして、すぐに柚梪の元へと駆け寄り、柚梪の体を支える。


「柚梪、病院に電話してきたからすぐに行くぞ。もう少しだけ頑張ってくれ」

「龍夜さぁん………」


 柚梪は俺に体を寄せて少しずつ一緒に歩き出す。俺も柚梪も瞬時に履けるサンダルを着用し、玄関から外へ。


 玄関の鍵を締め、柚梪を助手席へ座らせシートベルトをつける。運転席へ乗り込んだ俺は、すぐにエンジンを起動、外は暗いためライトをつけて発進。


 暗くなった外の道路を走る中、隣からは柚梪の苦しそうな声が聞こえてくる。その声が聞こえるたびに、早く病院へ連れてかねば………と言う焦りが出てくる。


 しかし、だからと言って運転を急いでしまうと、それこそ事故に繋がりかねない。柚梪にはとにかく痛みに耐えてもらう他ない。


 運転する事約12分。目的地の大病院へ到着した。駐車場に入ると病院の出入り口に運搬用のベットと、3人の看護師さんが待機しているのが見えた。


「柚梪! 着いたぞっ、もう少しだ!」


 柚梪に声をかけながら、病院の出入り口前まで車を移動させ、柚梪が乗っている助手席が看護師さん達の待っている方向に向くよう車を止めた。


「如月様ですね! お待ちしておりました」


 俺はエンジンをつけたまま運転席から外に出て、急いで助手席の扉を開く。


 そして、3人の看護師さんから支えられながら、柚梪は運転用ベットの上に寝転がり、病院の中へ運ばれて行った。


「旦那様の方は、車を空いている場所にお止めになられた後、待機する場所へご案内いたしますので」

「はい………」


 残った1人の看護師さんにそう言われて、俺は運転席へ戻り、病院の出入り口から近くの場所に車を止める。


 そして、看護師さんに案内されながら病院の中へ入り、分娩室の前にある椅子に座らされて待つ事に。


 病院によっては、出産中の奥さんの側に居合わせる事が出来る所もあるが、ここの病院ではダメらしい。


「柚梪………頑張ってくれ」


 俺が今出来る事は、心から応援する事だけ。


「あぁっ………!? うぅっ………」

「………! 柚梪っ」


 時々、分娩室の中から柚梪の痛々しい声が聞こえてくる。そのたびに俺は、分娩室の方へ視線を向けて椅子から立ち上がってしまう。


 他に、俺になにか出来る事はないのか………?


 拳を強く握り締めるが、いくら考えても俺に出来る事はただ2つ。応援する事と待つ事のみ。


「ぐぅぅぅ………っ!」


 聞こえる。柚梪の声が聞こえる。頑張っているだ………新しい命を産むために死闘を繰り広げている。


 椅子に再び座った俺は、膝に肘をついて両手を合わせ、指を交互に絡み合わせる。


 そして目を閉じて呟く………。


「頑張って………柚梪っ」 


☆☆☆


 柚梪が分娩室に入ってから何分過ぎたのか分からない。苦しむ柚梪を早く病院へ送り届ける事で頭がいっぱいで、家と車の鍵に財布以外全て置いてきてしまった。


 まだそれほど時間は経ってはいないはず。けど、ほんの30秒でも1分とお同じくらい長く感じる。


 病院のロビーへ行けば、自動販売機がある。そこで飲み物を買う事は出来るが、柚梪が苦しい中頑張っているのに、俺は飲み物を飲んで一息つくなど出来るはずがない。


「また聞こえきた………」


 再び手術室から柚梪の声が聞こえてきて、俺の胸も同時に痛くなる。


「あぁぁぁ………っ!?」


 そして、俺が聞いてきた柚梪の声の中で一番大きな声が聞こえた。その声に俺は強く拳を握り締めるが、次に聞こえてきた声で、俺はとてつもない解放感に包まれるのだった。


「うえ~んっ、うえ~んっ、うえ~ん………」

「………っ!!!」


 それは、赤ちゃんが泣き叫ぶ声。聞き間違えなどではない。正真正銘、赤ちゃんの泣き声だった。


 産まれた………俺と柚梪の間に出来た………赤ちゃんと言う名の命が………!


 すると、分娩室の扉が開いて男性の医師さんが「お待たせしました。どうぞお入りください」と言って、俺を分娩室の中へ入れてくれる。


 分娩室の奥へ入ると、手術台の上に息を荒げながらフカフカの毛布に包まれた赤ちゃんを抱いた柚梪が寝転がっていた。


「柚梪っ!!」


 俺はすぐに柚梪の側駆け寄った。


「龍夜さん………見てください。産まれ………ましたよ。雪が………♪︎」

「あぁ………本当に良く頑張ったな………本当に………頑張ったな。うぅっ」

「もうっ………龍夜さんってば。泣き顔なんて似合わないですよ。でも………ありがとうございます」


 俺は無事に赤ちゃんである如月雪を出産した柚梪を、優しく抱きしめる。それと同時、俺の目からは涙が止まらねぇんだ。

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