第35話 陣痛

「龍夜さんっ、おかえりなさい♪︎」

「おう、今日も疲れたわぁ………」


 仕事から帰って来たある日の事。リビングに入った俺をキッチンで料理をしている最中の柚梪が声をかけてくれる。


 すっかり大きくなったお腹を片手で撫でながら、空いた方の手でグツグツと煮物を作っていた。


「柚梪………また無理して料理を」

「別に、無理なんかしてませんよ。今日はなんだか好調なんです♪︎ まぁ、お風呂は洗えてないんですけど」

「じゃあ、俺がやってくる」

「ありがとうございます」


 俺は上着を脱いで椅子に引っ掻けると、リビングからお風呂場まで向かう。


「よし、もう少しで出来るかな………んっ? また蹴ったの? 今日の雪は元気だねぇ~♪︎」


 グツグツと煮物を煮詰めていると、柚梪のお腹の中にいる雪が足でお腹の内側を軽く蹴った。


 その感覚に柚梪は、ニコニコと微笑みながら自分のお腹を撫で続ける。今日は何かと雪が蹴ってくるみたいで、非常に元気が良いらしい。


「お皿っと………」


 柚梪は食器棚からお皿やスプーンなどの食器を取り出し、2人分の煮物やご飯をついだ。


 柚梪が食卓に料理を並べていると、お風呂掃除を終えた俺がちょうど戻ってくる。リビングに入る事で、煮物特有の香りが漂い、非常に食欲をそそる。


 食卓に座った俺と柚梪は、さっそく食事を始める。


「龍夜さん。聞いてください♪︎ 今日は雪がとても元気なんですよ♪︎」

「そうなのか?」

「はいっ♪︎ 今日だけで15回以上はお腹を蹴ってるんですよ♪︎」

「そうか………」


 柚梪が作ってくれた美味しい煮物をパクパクと食べながら、俺は何かを考え込むかのように煮物をじっと見つめる。


 その様子を見た柚梪は、首を45°くらい傾げる。


「龍夜さん? どうかしましたか?」

「えっ? あぁ、いや………別に」


 心配そうな声で問いかけてくる柚梪に、俺は少し焦りながら返事をする。


「ほら、お喋りするのもいいんだけどさ………せっかく柚梪が作ってくれた煮物が冷めちまったら勿体無いだろ?」

「あっ! そうですね………私、また自分の事ばかりを」

「いいんだよ。ほら、冷めない間に食べてしまおうか」


 なんとか整える事が出来た俺は、柚梪と一緒に適度な会話を挟みつつ、料理が冷めない間に食べる。


 食後は柚梪をソファに座らせて、俺が食器などを全て洗って片付ける。


「あっ………」


 ソファに座ったお腹を撫でていた柚梪は、ふと声を漏らしてじっとお腹を見つめる。


 そんな柚梪に、食器を全て洗い終わって片付けが済んだ俺は、「どうした?」と言いながら柚梪の隣へ歩み寄る。


 ドスッとソファに腰を下ろした俺は、柚梪と肩をくっつけた。


「また雪が、お腹の中を蹴ったんですよ」

「うーん、もしかしたら………もう近いのかも」

「近い………ですか?」

「そう。出産だよ」

「………!!」


 その言葉を聞いた柚梪は、パッと目を見開く。


「もしかしたらだけど、雪がお腹から出る準備をしてるのかも」


 赤ちゃんの中には、足で蹴って外に出るための合図を出す赤ちゃんも居るらしい。


 柚梪も妊娠してかなりの月日が経過した。いつ産まれてもおかしくないのだ。


「今日………陣痛が、来るんでしょうか?」

「いや、それは分からない。けど………もうすぐだって事なのは確かだと思う」


 現在時刻は20時7分。車で10分程度の距離にある大病院はとっくに閉まっているが、非常事態の場合は電話さえかければ対応してくれる。


 もしかしたら、今日産まれてくるかもしれない。もちろん、明日の可能性だってある。


「とりあえず………お風呂が沸いたみたいだから、ささっと入ってくるわ。鍵は開けとくから、万が一何かあったら言いに来て」

「はいっ………」


 俺はそう言うと、リビングから脱衣室へ向かった。


 いつ産まれてか分からない以上、出来る事は先に………早めに済ませとくべきだと判断。およそ5分くらいであがるのが目安か。


 俺が脱衣室へ向かった後、柚梪は再びお腹を見つめながら優しく撫でる。


「いつ産まれてもおかしくない………」


 柚梪はそあ呟くと同時に、胸のドキドキが止まらず緊張が体全身に走り渡る。


 いつ産まれてもおかしくないと言う訳で、別に今日必ず産まれる訳でもない。なのに、柚梪は胸の鼓動が収まるどころか、高鳴っていくばかり。


「ちょっと………緊張してたら、お手洗い行きたくなってきた………」


 柚梪はそっとソファから立ち上がると、壁やテーブルに手を添えながら慎重にリビングから出ていく。


 脱衣室の隣にあるトイレへ向かい、脱衣室の前を通ったその瞬間だった………


「あうっ!?」


 柚梪は座り込んでしまうほどの激痛に襲われ、お腹を両手で包み込むかのように抑えて、足がピタリと止まってしまう。


 皮膚が裂けるような強烈な痛みに、柚梪は身動きが全く取れなかった。柚梪のお腹から雪が外に出ようしている………つまり、陣痛だ。


「うぐっ!? 陣、痛………龍夜さん、龍夜……さぁん」


 柚梪は小声で俺の名前を呼ぶが、当然聞こえるはずがない。柚梪は激痛に耐えながらも、ゆっくりと脱衣室へ向かい、扉を開き中へ入る。


「龍夜………さん」

「おわっ!? 柚梪、どうした………!?」


 突然背後のモザイク式の透明ガラス扉の向こうに現れた柚梪の姿にビックリする俺。


 柚梪は力を振り絞って俺に陣痛が来た事を伝えようとする。


「龍夜さん………うっ!? 陣痛が………」

「はぁ!? 陣痛っ!?!?」


 俺はその言葉に慌ててその場に立ち上がる。しかし、なんと言う事だろうか………。まさか、今来てしまうとは。


「タイミングぅ!! 今シャンプーを髪につけた所なんだけどぉ!?」


 俺は急いでシャワーで頭につけたシャンプーを洗い流した………。



☆お知らせ☆

・少々私の都合上、物語の投稿頻度が極端に落ちてしまう事を皆様にお伝えいたします。大変ご迷惑をおかけしますが、投稿自体は続けていくつもりですので、お待ち頂ければと思います。

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