第35話 管理人は春陽の父親だった

誰もいない静かな廊下を歩く2つの足音が交差する。


〈なんで、社長は会社に戻ってきたんだろ…もしかして、私の事、心配して…〉


高鳴る心音と熱く火照ってきた体の平常心を必死に保ち、私は社長の顔を上手く

見ることができずにいた。



〈あの時、俺は何をしようとしていた?〉

さっきの出来事が春陽はるきの脳裏に浮かんでいた。

萌衣の唇に触れようとしていた己の行動が不甲斐なく恥ずかしく思った

春陽はるきは萌衣の視界から顔を背け、横を向いたその頬は少しだけ照れていた。


「ああ、社長、交流会はどうでしたか? 私はてっきり今夜は戻って来ないのかと

思ってましたよ。はっはっ…」


〈口を開けば、こんな憎まれ口を差すような言葉しか思いつかない私は本当に

情けない…〉


「ああ、つまんなかったわ」

変な動揺も見せずに春陽はるきは普通にサラッと答える。


意外な答えに思わず萌衣はあっけにとられていた。


「まだ、お前をイジメる方がマシだわ」

そう言って春陽はるきは萌衣に視線を向け、ニヤリと笑う。


「なによ、それ。あ、もしかして、社長、昔、母にイジメられていたとか?

ああ、なるほど、それでいつも私のこと、イジメて楽しんでたんですね」


春陽はるきに対してズバズバと言える萌衣の口調が雪子に似ている。


萌衣の表情も仕草も春陽はるきの目には雪子と重なって見えていた。

まるで若い時の雪子が戻ってきたみたいに、春陽はるきは自然体で

いられる感覚を萌衣にも感じていたのだ。


「まあ、それはちょっとだけあるかもな」

春陽はるきが冗談交じりに言い返す。


「え?」


「ジョーダンだよ、バーカ」


「なんか、社長…40すぎのオッサンには見えないですね」


「はあ?」


「大人になれない子供みたい (笑)。きっと、甘やかされて

育てられたんでしょうね」


「お前も同じだろ」


「まあ…はい。確かに…何不自由なく甘やかされてましたね」


「同罪だ(笑)。ユキも康介さんもお前の事、溺愛してたからな」


「え?」


「っていうか、俺は社長だぞ。さっきからため口ばっか言いやがって」


「あ、そうでした。すっかり、忘れてました」


「はあ?」


「なんか、社長のムカつく言葉や態度見てたら言いたくなって…すみません」


「……」

春陽はるきの視線が萌衣を見つめると、ふぅーっと新しい風が

吹き込んできたみたいに春陽はるきは過去を思い起こしていた。


春陽はるきの回想が入る】


まだ初々しい高校生の頃だった。些細なことで言い合う2人の光景。

2人とは春陽はるきと雪子だ。周りにはクラスメート達のザワザワした

声が混ざり合っている。

『なんか、ハルってむかつくー。いつも上から目線だし、全ての物が

自分の物だって勘違いしてるでしょ?』

そう言い放つのは隣にいる雪子だ。

『当然だ。俺は社長になる男だぞ。お前こそ可愛くねーな、俺のこと好きなら

好きだって言えよ。特別に俺の女にしてやってもいいぜ』

『はい? 誰が好きだって? 何時何分何秒に言ったのよ!』

『好き好き好きってオーラが顔に出てるぞ。俺がモテるんで妬いてんだろ』

『バッ…バッカじゃないの!! 自惚うぬぼれないでよ。ハルのことなんか

これっぽっちも好きじゃないわよ』

雪子は人差し指と親指をくっつけ0《ゼロ》という素振りで言って見せた。


春陽はるきの回想が終わり、現在 へ。2人(春陽と萌衣)がいる

会社の廊下へと情景が戻る】



昔の事を思い出し「ふっ」と綻びを見せた春陽はるきの笑みに

思わず萌衣の心はドキッと揺れていた。




春陽はるき社長の意外な一面を見た気がした。


気づけば萌衣と春陽はるきは会社の玄関を出ていて、春陽はるき

セキュリティロックを施錠する。


「ここで待ってろ。車を回して来る」

そう言って、春陽はるきは駐車場へと向かった。



私は春陽はるき社長の遠くなる背中を見つめていた。


〈昔…遠い昔…私と春陽はるき社長は会ったことがあったのかなあ……〉


〈でも残念なことに、私は全然覚えてない…。多分、それは記憶にないくらい

私はかなり幼かったんだと思う…〉




暫くして、車のライトが近づいてきた。春陽はるき社長が運転する

黒の乗用車は私の目の前で止まり、クラクションを2回ほど鳴らし、

私に向けて合図を送った。


私はすぐさま後部座席に乗り込んだ。車内は広く綺麗に保たれた座席に

私は申し訳なさそうに深く腰を預けて座る。


ルームミラーに映る春陽はるきの視線が萌衣を気にしながら、

車は方向指示機を点滅させ走行していった。


「ふっ(笑)。助手席に乗らないんだ」


「一応…」

〈助手席に乗れるほど肝っ玉 座ってないもので…〉


「…っていうか、社長、運転できたんですね」


「お前はバカにしてんのか」


「…いや、だっていつも運転手さんが運転してるから…」


「プライベートまで運転手を雇うほどリッチな暮らしをしてないんでね」


〈どの口が言ってる。年収数百億円も稼いでいる男がよく言うよ…〉



―――っていうか、春陽はるき社長は私が住んでるマンションを

   知っているのだろうか……。私に家の場所を聞いて来ないし、、、、、


それにしても、初めて行く場所のわりには手慣れた操作で運転している。

道順もあってる……ような気がする。

私は窓越しに映る黒景色にポツポツと現れる街灯の光を呆然と見つめていた。



こんな真夜中に走る車はほとんどなくスムーズに走行している。


そして、いつの間にか車は自宅マンションに到着していた。


「おい、着いたぞ」


車はマンションに沿って横停車する。


「え? うそ?」


目の前に映る外観はまさしく私が住むマンションだった。


〈な、なんで?〉


ああ、そうか。住所、履歴書に書いたんだ。でも、、それだけで普通、覚えてる?


私は首を傾けながら車を降りる。


その後から春陽はるきも運転席から降りてきた。


「あ、社長、もうここでいいですよ」


「久しぶりに管理人の顔でも見ていくか」


「え? あ、もしかして管理人さんと知り合いですか?」


そう言いながら2人はマンション内へと入って行く。

広い空間でできたオシャレなエントランスの出入り口付近には観葉植物がある。

何度、この空間を通ってもちょっと贅沢な気分になり、正直 癒される。


「あ、でも社長、こんな時間ですし管理人さんもきっと寝てますよ」


「……いや、あの人は起きてるよ」


「え?」


管理人の藤城が物音を聞いて管理人室から出てきた。


「津山さん、お帰りなさい。あまりに遅かったんで心配してましたよ」


「え? 管理人さん、起きてたんですか」


「ええ、一応…。連絡もなかったですし」


「お前も遅くなるなら連絡くらい入れろよな」

春陽はるきが萌衣に視線を向けて言った。


「あ、すみません…」


藤城の視線が春陽はるきに向く。


春陽はるき、会社の方はどうだ。最近、こっちの方に顔を見せなかったが…」


「ええ、経営は上手くいってる。最近、忙しくて…。父さんも元気そうで

よかったです」


え、お父さん? 萌衣は驚いた表情をしていた。


そして話の流れからして、マンションの管理人さんが春陽はるき社長のお父さんであることや道に迷うことなくマンションまで来た事を推測すると、このマンションも春陽はるき社長が所有する不動産の一つだとようやく私は気づいたのだった。


「母さんとは会ってるのか?」


「……いえ」

春陽はるきは首を横に振る。


「管理人さんって社長のお父さんなんですか?」


「ああ…」

春陽はるきが小さく呟いた。


「あれ、津山さんに話してなかったかね」

藤城が少し鈍く言葉を濁しながら言った。


「聞いてませんよ」


「別に言うことでもないだろ」

相変わらず春陽はるきの口調はツンケンしている。


「まあ、そうですけど…」


「じゃ、俺、帰るわ」


「あ、はい」


春陽はるきの背中を引き止めるように「あ、社長…」と萌衣が声をかける。


春陽はるきは立ち止まり、再び萌衣に視線を向ける。


「あの…送ってくれてありがとうございました」


「お前…今日は仕事休め」


その言葉は、萌衣の体を気遣っての春陽はるきの優しさだった。


「え、でも…今日は大きな接待がありますし」

「ああ…。まあ、夕方からだし俺一人でも大丈夫だ」

「でも…」

「そんな疲れた顔で来られたら迷惑だ。じゃあな、ゆっくり休めよ」


そう言って、春陽はるきは足を進めて行くとマンションを後にした。


「社長…」

私は春陽はるき社長の姿が見えなくなるまで呆然と立ち尽くしていた。



「ほう、春陽はるきも従業員の心配ができるようになったかい」

萌衣の隣から藤城が言った。


「あの…私、石倉雪子の娘なんです。春陽はるき社長と同級生だった

石倉雪子を覚えてますか?」


私は管理人さんに聞いてみた。何か話を聞ければいいと少し期待もしていた。


「え…ああ…ごめんね。あの頃、私も仕事、仕事で忙しくてね、息子にも無関心

で妻に任せっきりにしてたんだよ…。息子も自分の事、何にも話さなかったから…

覚えてないんだよ…すまない」


「そうだったんですか…」


期待外れの答えに収獲ナシ。でも、春陽はるき社長の性格が上から目線で人を

見下し俺様的アピールで自分を表現していたことが何となくわかった気がした。

母はそんな春陽はるき社長の性格を誰よりもずっとずっと前からわかっていたんだ。


悔しいけど、母には勝てないと思った……


「管理人さん、おやすみなさい」


「はい、おやすみ」



私はエレベーターの上向きボタンを押すと、開扉したエレベーターへと乗り込んだ。



エレベーターの壁際にもたれかかった私は天を仰いでいた。


背中から伝わる側壁はなんだかとても冷たくて、春陽はるき社長を

好きだという想いが身体中から溢れ出し泣けてきた。



それでもエレベーターはどんどん上昇していく。



目的地の階に辿り着くまでは止まることなく上り進んでいったのだったーーー。




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