第29話 春陽の記憶 2

それから春陽はるきは葵に内緒で度々、雪子の病室を訪れていた。

時間帯は康介が仕事に行っている頃の昼間ばかりだった。

お互いに結婚し子供がいる身で、大人になった春陽はるきと雪子はそれぞれの

家族が大事だったし、恋愛感情というよりも特別な同級生で親友として接していた。

春陽はるきも久しぶりに会った雪子と気まずいまま音信不通になるのは嫌だったのだったし、互いにすれ違ったままの気持ちを封印し友達として話すことで雪子も春陽はるきも救われた気持ちになっていた。


『ねぇ、ハル…、もしも、私が先に死んだら萌衣のこと頼んでもいいかな?』

『何言ってんだよ。お前には康介さんという立派な旦那がいるだろ』

『うん。そうなんだけど…。10年後、20年後のことなんてわかんないじゃん。だからさ、萌衣が大人になった時、仕事もなくフラフラ、ぶらぶらしてたらハルの会社で雇って欲しいんだ』

『今からそんな先のこと考えてどうすんだよ』

『私に似てたらさ、それもありうるかな、と不安になる時があるんだ』

『お前、何もないの?』

『うん。ない。やりたいことも夢もない。専業主婦なんて肩書で康ちゃんに養って

もらってる身だ』

『別にそれでいいんじゃね? 女がバリバリ仕事できるヤツなら男の立場

ねーだろ』

『でも、私にも何かやりたいことがあれば退屈を持て余すこともない』

『それ、めちゃくちゃ贅沢だぞ』

『わかってるんだけどさ…』

 春陽はるきの視線が俯く雪子を見ている。

『そのうち、お前にも何か見つかるんじゃねーの』

『!!』

 雪子は顔を上げ、春陽はるきに視線を向ける。

『でも…一生、見つからないかもしれないじゃん』

『わかったよ。じゃ、萌衣が大人になってまだ俺の会社が生きてりゃ雇ってやる。

ただし保障はねーぞ』

『ありがとう、ハル』

『お前も母親の顔になってきたな』

『そりゃ、子供産んだからね。不思議な感覚だよ。子供の力ってすごいね』

『ああ、そうだな』

 春陽はるきは優しい笑みを浮かべる。

『ねぇ、ハル…』

『—―ん?』

『きっとハルの会社は大丈夫だよ。安泰。私が保障する。ちゃんと生きてるよ』

『っんだよ、そりゃ。いい加減だな』

『いい加減じゃないよ。ホントのことだよ。ハルならどんな不況でも立て直せる気が

する』

『だといいけど…』

『ハルは頭いいもんね。きっと、大丈夫だ。それで、その時はハルが会社を

引き継いでバリバリ社長していると私は思うよ』

『お前は相変わらずだな…たまに思考回路がメチャクチャに飛んでる(笑)』

『そうかな? 昔より少しだけ大人になったのかも…』

『フッ(笑)。今はあまのじゃくもいないみたいだ』

『え?』

『あ、そういや覚えてるか…』

『ん?』

『俺、高校の卒業式の時に告ってフラれたんだよな、、、。お前、嫌いって言ってたくせに次の日にはケロッとした顔で俺に話かけてくるしさ…。もしかして、俺の気待ちはリセットされた? …とか、思って、結構、キツかった、、、』

『ああ、そんなこともあったね(笑)』

『…いや、小学校の時からお前にずっと好きだって言ってんのにフラれ続けてきたんだよな。俺、あん時、結構ショックでさ、あの頃、夜も眠れんかった。でも、まあ、過去のことだ』

『え、マジで? まだ根に持ってるの。あ、あの時はさハルは女子の中じゃ

アイドル並みに人気が高かったからさ。ハルとは普通にしゃべってる方が楽だ』

『まあ…それは俺も一理あるかも』

〈…だからかもしれない。ハルと普通に友達としてしゃべってると、私の心も穏やかに落ち着いてあまのじゃくも眠っているみたい〉

 

その3日後、萌衣の心拍数も安定してきて、検査結果に異常はなく雪子は萌衣を

連れて退院して行った。



 春陽はるきと雪子はそれ以降会うことはなかった。


 そして、雪子が絵本作家という夢を見つけ活躍していたことはすぐに

 春陽はるきの耳にも入り、密かに雪子が描いた絵本を買ってデスクの

 一番下の引き出しにしまっていたのだった。

 雪子もまた春陽はるきが掲載された雑誌は必ず買って大事に持っていた。

 印象深い記事は切り抜いて絵本【あまのじゃくの恋】の中に知らず

 知らずの間に挟んでいたことさえも雪子は忘れていたのだった。



 子供の成長と共に歳月が流れても雪子と春陽はるきは互いの活躍を応援して

 いたのだ。【あまのじゃくの恋】を最後に雪子が死んだことは萌衣に聞くまで

 春陽はるきは知らなかった。


 

 萌衣に雪子の死を聞いたその夜、春陽はるきは社長室にこもり、

 込み上げてくる涙を拭っていた。

  

 その日、春陽はるきの心に叶わなかった初恋に終止符ピリオード

 刻まれた。


 そして春陽はるきは一番大切な親友を亡くした――――ーーー。




〈お前との約束だったな……。萌衣は俺に任せろ。会社がある限り萌衣の面倒は

俺が見てやる……〉



それが、萌衣を採用した理由だったーーー。


春陽はるきは後継者として会社を任されるようになってからは、会社を立て直す為に仕事に生きてきた。

そのせいで家族との間に溝が出来始めていた。春陽はるきは父親としてはあまりいい父親ではなかった。家族に寂しい想いもさせた。

そのうち家族ともすれ違い、葵と離婚しても息子とは定期的に会っていた。

そして、翔流かけるが19歳になり家を出て『一人暮らしがしたい』という

息子に春陽はるきはマンションの一室を貸す。

時々は様子を見に行っていた春陽はるきだったが、その1年後に翔流かけるは事故に遭い病院に運ばれたが頭を強打し、出血もひどく戻って来ることはなかった。その後、萌衣がその部屋を借りていたことは春陽はるきもまだ知らなかった。暫くは春陽はるきの心にポツリと穴があいて目の前の霧が消えることはなかった。それ以来、春陽はるきは人が変ったように冷酷で厳しく上から目線で物を言うようになる。社員達はそれでも春陽はるきの言うことには絶対的に服従してきた。女子社員達は春陽はるきのビジュアルに惹かれ平気で一夜を共にする。

春陽はるきの言葉に『NO』はない。『YES』しかない。

絶対的王様のオーラが女に選択肢など与えないのだ。だから、女は服従しかない。

それでも女達は遊びでもいいから春陽はるきに抱かれたいと洗脳されモテ遊ばれても満足するほど優越感に浸っていた。愛がなくても男女は身体を重ねることはできるのだ。互いにさらけ出した男女の肉体美は欲求を満たすためだけのものだ。

それもいいだろう。男は本気じゃなくても女を抱ける。女もまたイケメン男の前なら

平気でその肉体美を見せる。春陽はるきの周りにいる女性達は美人ばかりだ。

春陽はるきは美人でスタイルがいい女しか抱かない。


社長の肩書と性欲にまみれた夜に包まれながら春陽はるきは荒れた生活を繰り

返していた。



―――が、そんな時、春陽はるきの前に萌衣が現れた。


春陽はるきは何もできない萌衣の頭の悪さにイライラしつつも、秘書として雪子の遺伝子を受け継いだ萌衣を傍に置くことで心に空いた穴を埋めようとしていたのかもしれない。



ふとした瞬間、春陽はるきの視線に萌衣と雪子の姿が重なって映る。


『……』



だけど雪子の幻はすぐに消えていったーー。





そして、春陽はるきは現実に引き戻されたのだった―――――ーーー。




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