第28話 春陽の記憶 1

 今から二十年ほど前―――。

 

同窓会から数カ月が経った頃、雪子と康介は結婚し すぐに子供ができた。

その子供が萌衣である。一方、春陽はるきも当時 成り行きで付き合った葵と

できちゃった結婚をする。


雪子と春陽はるきは互いに『もう二度と会わないだろう』と思っていた

矢先だった。


たまたま取引先の仕事が早く済んだ春陽はるきはその帰りに

葵を見舞うために病院に立ち寄ったのだ。

出産後、一週間は病院で看護師の指導の元、母子のケアを含めカウンセリングも

行われる。仕事の都合でなかなか病院に行けなかった春陽はるきが病院へ

訪れたのは産後3日目の事だった。


春陽はるきは足早にビップルームへと足を運ぶ。

一日の部屋代は何十万もする最高級の部屋だ。

退院までの間、専用看護師のケアと婦人科エースの医師が約束されている。

こんな待遇、特上の金持ちだけが味わえる有意義な時間のはずだ。

例え成り行きのできちゃった結婚だとしても、春陽はるきは妻になった

葵とその子供にだけは不自由をさせない為に春陽はるきなりの精一杯の

配慮でもあった。


――だがその日、春陽はるきが葵の病室に入ると、いつもより物静かで

綺麗に片付けられた部屋には葵の姿はななかった。

『え…』

そして、何が起こったのかわからずも、春陽はるきは廊下に出て辺りを

キョロキョロと伺いながら通り歩く看護婦を引き止めた。


『すみません。藤城葵はどこに? 部屋にいなかったみたいなんですけど』


『ああ、藤城さんでしたら2人部屋に変わりましたよ』


『え?』


『藤城さん、旦那様にはご自分が連絡するからと言っていましたけど…』


『ああ、そうですか。すみません、、仕事が忙しかったから

忘れていました。それで、部屋はどこに…?』


『2階の205号室です。本日から坊ちゃまもママと過ごせる時間が増えて

良かったですね』


『ありがとうございます』


春陽はるきが軽く頭を下げると、看護婦はニッコリと笑みを浮かべ会釈を

交わした後、その場を離れて行った。


春陽はるきは急いで2階の205号室へと向かう。

〈勝ってに部屋を変えて、葵は何を考えてるんだ〉




春陽はるきが乗ったエレベーターが2階で止まると、すぐにドアが開き

春陽はるきが出てきた。


『205、205、2…』


春陽はるきは一つ一つ部屋番号を確認しながら廊下を進んで行く。

個人情報もあって今は部屋の前に名前を出していない人もいる。

それは名前を貼り出すか、貼り出さないかは本人の自由となっている世の中、

病院側も入院した際に看護婦から直接聞く指示を仰いでいる。

芸能人や政治家婦人、会社の社長夫人などに多く、その他一般人でも名前を

伏せているケースもある。



205—―


春陽はるきが部屋を見つけ近づいて行くと、女のしゃべり声が廊下まで

漏れていた。一人は葵。もう一人は聞き覚えのある声だった――。

そして、女達の声に混ざり男の声もしていた。


春陽はるきはイラ立つようにガッとドアを開ける。


『おい、葵、お前、何勝手に部屋を変えてるんだよ!!』

その瞬間、春陽はるきの視線の先に雪と康介の姿が飛び込んできた。

雪は赤ちゃんを抱きかかえている。


そして、葵も赤ちゃんを抱いている。


『驚いた? ごめんね、勝手に部屋変えて』


『…いや、別に…』


『だって、あの部屋、広くてさ。話し相手もいないし…』


『ホント、葵ちゃんは贅沢だよ』

雪が笑顔で言った。


『驚いたな…。でも、なんでユキが…』


『雪ちゃんは昨日、出産だったんだってさ。偶然、廊下で会ってね。

隣のベット誰もいないっていうから部屋変えてもらっちゃったの。

電話したんだけど、春陽はるき忙しくて繋がらなかったんだよ』


『あ、わりぃ。ここんとこ接待だの設計トラブルだのって振り回されっぱなしで…』


『だと思った。パパは仕事ばっかしだねー、かけるー』

葵は抱きかかえている赤ちゃんに甘えた声でしゃべりかける。


『……ごめん』

春陽はるきは照れくさそうに俯く。


『ぷっ』

思わず雪子は吹き出した。


『…!?』

春陽はるきの視線が雪に向く。


『ごめん。だってさ…。ハルもパパになると変わるんだね』


『っるせーよ』


『忙しいみたいだな、春陽はるき

康介が立ち上がり春陽はるきの方へ体を向ける。


『先輩、ご無沙汰しています』


『お前の所は男の子だって? ウチは女の子だ。可愛いだろ』

康介は赤ちゃんの頬に人差指を当てツンツンしている。


『先輩、鼻の下伸びてるっスよ』


『もう、康ちゃん、今、眠ったとこなのに起こさないでよ』

小さく雪が囁いた。

『ごめん…』


『名前、何て言うんっスか?』

春陽はるきが康介に視線を向けて聞く。


萌衣めいだ。可愛い名前だろ。お前のとこは?』


ぶにながれると書いて、翔流かけるです」


『そうか…お前に似て男前になる顔をしている』


『なんッスかあ、それ…』


『ホント、女の子たくさん泣かせそう(笑)』

雪が横から茶化し入れる。


『あのなぁ…』


そして,4人がいる空間の中には確実に時間ときは流れていた。


お互い大人になりそれぞれ違うパートナーと結婚し、子供ができても

雪はユキで、春陽はるきはハルのままだった。



それから一週間が立ち、雪子よりも1日早く出産した葵が退院を迎えた。

春陽はるきは荷物を整理している。葵の腕の中では翔流かけるが眠っている。


『雪子ちゃんは、明日、退院できるの?』


『んー、もう少し先になるみたい』


『へ?』


『なんかね、赤ちゃんの心拍数が安定しなくてさ、検査で安定したら

退院できるんだって』


『そうなんだ…。お大事にね』


『ありがと、葵ちゃん』


『今日、先輩は? 来ないのか、、、』

春陽はるきが言った。


『仕事で遅くなるって…』


『そうか…。元気でな、、』


『ハルもね』


『ああ…』


〈ユキは笑っていた。不安な思いを隠してずっと笑顔で笑っていた〉




何もできない春陽はるきは雪子に背中を向け静かにドアを閉める―――ーー。
















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