予備裁判官・虎子出陣

「あ!? 何でこの俺が地獄なんかに行かなきゃなんねーんだ! 認めねーぞ俺ぁ!」


 霊たちが居並ぶフロアの最奥に、その列はあった。

 殺人犯や悪を善とする悪霊の並ぶ列。

 実体こそ持たないが、霊は前世の経験を持ってここに来ているため、その人間性が諸に出る。

 

 その列では、見るからにヤクザ風の男が担当の天使に絡んでいた。

 当然体は透けているが、その霊の持つ体格は屈強な筋肉質で、いかにもな人相をしている。

 この男が大声で怒鳴り始めたのは、つい今しがたの話である。

 

 先ほどまで身長二メートルを超える屈強な男性天使が担当者として立っていたのだが、その時までの列は比較的静かであった。

 その天使は背中に巨大な剣を背負っており、悪霊にとっては禍々しいほどの強いオーラを放っていたからだ。

 ところがその後、交代で入った優しそうな眼鏡っ娘天使が来た途端、この状況である。


「うう……そう言われましても、あなたは前世で殺人、強姦、麻薬の密売および強盗までやって、最後は車で逃走中に事故して死亡してるじゃないですか……どこに救われる要素があるんです?」

 半泣きで『天使の書』に目を通し、勇気を振り絞って反論する。

 しかし、それは『暖簾に腕押し』どころか『火に油』。

「ああっ!? そんなこと知らねーぞ俺ぁ! 俺が人を殺したっつーんなら、証拠もってこいや証拠!」

「ですから、この書が全ての証拠ですぅ……」

「ああっ⁉ こんなもん証拠じゃねーよ! 物的証拠はあんのかコラぁ!」

 質の悪い言いがかり。

 自分が死んだ事には気づいており、ここがどんなところか大体わかっているにもかかわらず、とにかく難癖をつける。

 そして、隙あらばなんとか突破口を見つけようとしているのだ。

 

 先ほどの茂三の『魂の叫び』と同じく、彼らの叫びも霊的なものであるが、周囲にはその叫びが違う意味でいた。

 その影響力を感じたのか、後ろに並んでいた者まで声を上げ始める。

「そうだそうだ! 証拠を出せよ!」

「そんな本なんか信じられるか!」

「俺たちは地獄なんか行かねぇぞ!」


 彼らは実体がないために、天使を襲うことはできない。

 彼らにできるのは威嚇すること、脅迫することなど言葉による攻撃だけだ。

 

 しかし、人は声だけでも追い詰められるように、その悪霊たちの声は天使の心を追い詰めていく。

 先頭の男を見て天使がか弱いと感じたのか、それまで黙っていた周囲の者までが一緒になって喚きだした。


「うう……皆さん……静かにしてくださいぃ……」


 泣き出しそうな声で制止しようとする天使。

 手を前に伸ばし、落ち着けと指示を出すが、当然聞こうとするはずもなく。

 他の列の天使も何人か加勢に入り、なだめようとするが、もはや手が付けられない。


 眼鏡っ娘天使・ルミエルは半泣きで目を伏せ、男達の嵐のような怒号に耐える。


(もう嫌ですぅ……)

 ルミエルの涙がぽたりと地面に落ちた時、突如として霊たちが声を、いや、動きを止めた。

 いつのまにか周囲の天使たちもその動きを止めている。

 

「……?」

 ルミエルは伏せていた顔をゆっくりと上げる。

 視界に飛び込んできたのは、列に並んでいた全ての霊が後ろを振り向き、立ち尽くしている姿。


(一体何が……?)

 ルミエルは涙を拭き、霊たちが向いている方向を確認する。

 男達の視線、その先には、真っ白な衣を着た、天使としては珍しい見た目の高齢者が二人。


「やれやれ……騒々しいねぇ。これだから節操のない男は嫌いだよ」

「ちっとは大人しくできんもんかのぉ。まあ、できんからこんなことになっとるんじゃが。さて……」

 茂三がシルヴィにもらった十手杖で軽く床を突く。

 床にコンッという音が響いた次の瞬間、男たちの視界から二人が消えた。


(消えた……?)


 ふいに消えた二人。

 当然ルミエルも同様にその姿を見失う。

 一瞬、魔法かと考えたが、転移した形跡もなければ、天へ引き上げられたわけでもない。


「一体どこに……」

「ここじゃよ」


 呆然としていたルミエルの右側に突如として現れた茂三。

 ルミエルは思わず「きゃぁっ!」と驚きの声をあげる。

 列の男達もそれは同様で、「いつのまに?」「どうやって?」と呟いている者が複数いた。


「ほっほっほっ。いやいや驚かせてすまんのう。可愛い眼鏡っ子のお嬢さんが困っておったから、つい……の。もうちぃとゆっくり動けばよかったかな」

「え、え?」

 茂三の言っていることが理解できず、戸惑うルミエル。

「まあ、あたしが来たからにはもう大丈夫さね。こいつらは全員黙らせてやるからね。安心をし」

「ええっ⁉」

 さらに左後ろから、不意にポンと肩を叩かれ、再び驚きの声をあげた。

(この天使たちはどなたですかぁ⁉)

 見たことのない新しい(古い?)天使。

 高齢の見た目に関わらず、その纏う空気は圧倒的な存在感を放っている。

 声の主であるお婆さんの身長は150cmほど。

 頭部は常人より少々大きく見えるが、それはおそらく大量の白髪を左右で編み込んだ三つ編みのせいだろう。

 顔自体はそんなに大きく見えないが、明らかに高齢者。

 といっても、ぱっと見は七十代後半ぐらいだろうか。

 だが問題はそこではない。

 問題は『首から下』だ。本来ゆったりとした作りだったはずの天使の衣は、内側から異常な筋肉量ではち切れんばかりに押し広げられ、ゆったりなのは手首だけだ。

 真っ白なスカートの下は流石に分からないが、何故か大腿部辺りがボコボコと外側に隆起している。


「あの、あなた方は……」

 恐る恐る尋ねるルミエル。とりあえず味方の使のようなので、勇気を出して口を開く。

 虎子と茂三はルミエルの方を見て言った。


「アタシかい? アタシゃ、虎子だよ」

「ワシは茂三。しがない鍼灸師のじじいじゃよ。茂爺しげじいとでも呼んでおくれ」


「虎子さん、と、茂三さん・・・・・・?」

 想像を超えた方法で現れた二人組に、ルミエルの頭がまだ追い付かない。


「こっからはアタシ達が引き受けるよ」

 そう言って、虎子はルミエルの前に割り込むと、ヤクザの霊『矢区座太郎やくざたろう』の前に立った。


 矢区座は虎子の顔に自らの顔を近づけ、ガンを飛ばす。


「おうコラババア。テメェなに途中から入って来てんだ!」

「いい大人がわめくんじゃないよ。そんなに騒ぎたいなら地獄で騒ぎな」

 

 虎子の返しに矢区座はコメカミをヒクつかせる。

「んだとコラ……‼」

「何だい? いっちょ前に文句があるってのかい? こんだけの罪を重ねておきながら、シラを切ろうってんだから大したタマだよ。子供でも自分がやったことが悪いかどうかなんて判るさね。それともあんた……ガキ以下なのかい?」

 虎子は手元の資料に目を通し、あまりの嫌気に苦虫をかみつぶしたような面になる。そして時々呆れたように「うわっ・・・・・・」と嫌そうな声を漏らした。

 

 その表情にも当然挑発の意味があるのだが、それは見事に太郎の感情を逆なでする。

「テメェ……ぶっ殺されてぇのか」

「体なしのわめくしか能の無い奴は黙ってな。それとも何かい?『肉体』があれば……アタシを殺せるってのかい?」


 身を乗り出し、顔を近づける男を虎子が鋭く睨み返す。

 それは冷たく、怒れる猛獣のような視線。

 目が合った瞬間、太郎は全身が引き裂かれるような恐怖に襲われる。

 また、その背後にいた者たちもまた、その霊に突き刺さるような影響を感じていた。


 だが、男は元ヤクザである。

 ヤクザはナメられたら終わりの稼業。これだけ挑発されては後には引けない。


「上等じゃねぇか。『体』がありゃあ、テメェなんざすぐに殺してやるよ」

「面白いじゃないか。だったらやってみな。もしアタシに勝てば……そうさね。地獄行きの代わりに、地上へ送り返してやるよ」

 勝手に話を進める虎子。


「ちょ、ちょっと虎子さん!? それって……!?」

「マズくないですか!?」

 シルヴィとルミエルが慌てて声を上げた。


『天使と悪霊の『決闘』』

 方法はたった1つ。仮の肉体を持った悪霊と、天使との対決。

 過去にも前例があり、禁忌ではない。

 だが、これは対決である以上、天使が負けることも考えられる。もしそうなれば重犯罪者が若い肉体をもって蘇るという重大事件なのだ。

 しかも、その者は地上では確実に死んでいる。日本人なら火葬まで済んでいるだろう。

 そんな戸籍もない、名前もない重犯罪者を天から地上へ送ることになるのだ。


 通常はいう事を効かない悪霊に仮の肉体を与えても、対決などしない。

 悪霊が天使を傷つけても、地獄送りになるまで戦って制圧するだけだ。

 しかし、虎子はその様な方式を望まなかった。

 

「そんなことを勝手に決めて、大丈夫なんですか!? もし負けたら……」

 

 不安におびえるルミエルの肩を、ため息をついたシルヴィがそっと撫でる。

「お任せしましょう。このお二人なら大丈夫です」

 二人の横で、茂三は「そうそう、心配することぁない。大丈夫じゃ」と静かに頷いた。


 思わぬ申し出に、男は不敵な笑みを浮かべる。

「ほう、二言はねぇだろうな。あとで嘘でしたってのはナシだぜ」

「天使が嘘つくもんかね。ほら、『体』を受け取りな!」


 虎子は目の前に置かれた『仮復活』と書かれた赤いボタンを押す。


 ポチッ、という音が響く。


 次の瞬間、太郎の霊が光に包まれ、若き日の力強い肉体が現れた。


「おう……マジか。こりゃあすげえ」


 光が収まるとそこには、いかにも『これまで多くの人を殺めてきた』と言わんばかりの風体の男が現れた。


『矢区座太郎』。主に素手で人殺しを重ねてきた元・格闘家(兼・殺し屋)である。

 その男が現役の頃の力をもって、突如虎子に襲い掛かった。

「‼」

 無言の襲撃。

 殺し屋はいちいち「死ね!」などと叫ぶことはしない。

 動作が遅れ、隙を作ることになるからだ。

 その拳は中指を前にずらした一本拳。その軌道はまっすぐに虎子の頭部の急所を捕らえる。


 男の拳が虎子に触れたと思われた瞬間、太郎は宙に舞った。いや、弾き飛ばされた。

 

 男の拳は虎子の額で粉砕、カウンターで顔面に拳を撃ち込まれる。

 男の顔は陥没し、首はねじ切れんばかりに後方を向き、そのまま高速で吹き飛ぶ。

 肉体を持った矢区座は、列に並ぶ霊たちの間をすり抜け、後方の謎の石で作られた壁に激突。

 衝撃で崩れた壁のがれきの下敷きになってしまった。


 振りぬかれた虎子の拳。

 一撃必殺の制裁劇を見た霊たちの中に、声をあげる者は誰もいなかった。

 天使たちも口を開け、棒立ちになっている。

 シルヴィも目を見張り、茂三だけがニコニコと笑っている。


 虎子は拳についた血をピッと振るい弾くと、周囲の天使に言った。

 

「アレを地獄に放り込みな!」

 周囲の天使は「ハッ!」と新人の虎子に思わず敬礼してしまう。

 

 まさに今、虎子から発せられたオーラは、司令官と錯覚させるほどのものだった。

 そして彼らはがれきの中から男を掘り出し、どこかへと連れて行く。


 列に並ぶ霊たち、その一人が虎子に再び視線を向けたかと思うと、突如ガタガタと震えだした。

「あ……ああっ! 思い出した! あのババア、『キラータイガー』じゃねーか!」

 虎子を指さし、魔王に出会った村人のような表情で怯えだす。

「キラータイガー?」

「バカ野郎! 知らねえのか! 『虎子』だよ! 鬼龍院虎子!」

「鬼龍院……虎子……まさかっ! 『死神・虎子』かっ!」

「ばかな……あの『鬼ババア』が何でここに!」

「嘘だ! なんであの『悪魔の虎』が天使やってんだ!」

「『人喰い虎』がいるなんて聞いてねーぞ! うわぁ終わったあああぁぁぁ!」

 男達が突如として恐怖のあまり叫び始める。

 中には泣き出し、必死に命乞いをするものまで現れる。死んでいるのだが。


 霊たちの叫びを聞いた茂三は、少しだけ憐れみの目を虎子に向ける。

「婆様……散々な言われようじゃのぉ。ま、全然否定できんけど」

 

 シルヴィは霊たちの反応に脳が付いていかず、目をぱちくりさせた。

「何……? 何が起きてるの?」

 さっきまで自分に怒声と罵声を浴びせてきた男たちの、嘘のような泣き顔。

 『恐怖に怯え逃げまどう男達』というこれまで見たことのない光景に困惑する。


 ルミエルに至ってはただ呆然とするばかりだ。


「じゃあ、『続き』といこうかねぇ……」

 虎子はニヤリと笑って再びボタンを押す。


 列に並ぶ男たちの体が次々に光り、肉体が与えられていく。


「うわっ! やめろ! 死にたくない!」

「よせ! 地獄にでもなんでも行くから!」

「うぁあああ! 助けてくれえ!」

 この後の自分の生き地獄を想像し、肉体が与えられるだけで叫ぶ男達。

 裏の世界の者なら知らぬものはいない最凶最悪のビッグネーム『トラコ』。

 彼らは死んでいるにも関わらず、今、再び『死』を強く感じていた。


 虎子は肉体を得た男達を手招きして言った。


「さあ……文句があるやつは全員かかってきな。アタシに勝ったら天国でも地上でも、自由に送ってやるからさ」

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