1/7日目 晩餐会

「お待ちしておりました。鬼龍院茂三様、虎子様、そしてお孫様のミリア様ですね」

 

 巨大な屋敷の門。

 三人を迎えたのは、ファウンテン侯爵家の執事長である。

 百八十を超える長身、優しい笑顔、整えられたグレイヘアーに同色の髭のナイスミドル。洗練された佇まいと全身艶のある黒一色の執事服がよく似合っていた。

 

 

 『風雲の刃』戦の後、玉座の間へと戻った虎子たちに、クルスト王から食事の誘いがあった。 しかし虎子が「また今度でいいかい?」と断ったのだ。

 どうやら今日は『城の中での食事』という堅苦しい雰囲気が嫌だったようだ。

 

 ところが、一連の流れを見ていたファウンテンが「それでは、今夜はぜひ我が家にお越しください。命の恩人にぜひ恩返しを」申し出た。

 ファウンテンたちには世話になっている手前、流石に断ることもできず、虎子たちは「それなら頼もうかね」と了承した。


 

 虎子たちは約束の時間まで街を散策し、ファウンテンの屋敷を目指す。

 屋敷に向かう途中、高い壁が延々と続き、屋敷がどこにもないと探していたが、この長い壁の向こうが全てファウンテンの屋敷の敷地だったことに驚かされた。

 

 柵のようになった門の先には、手入れの行き届いた広大な庭園と、巨大な屋敷が二棟。それに、体育館のような施設も見える。

 門には表札などはなく、水晶玉のような魔道具が埋め込まれていた。


 ミリアによると、訪問者はこの魔道具にギルドカードで触れると、家の中に情報が届き、連絡が行くという。

 壁から半分顔を出している水晶玉に触れること数秒。

 

 いつの間にか門の向こうに、執事長が現れたのである。


 魔道具により巨大な門を開放した執事長は、深々と頭を下げて言った。

「いらっしゃいませ。私はセバスと申します。この度は、あるじを助けていただき、心から御礼申し上げます」


「ほっほっほっ。なんのなんの。通りかかった船じゃて。セバス殿、頭をあげてくだされ。ワシらこそ馬車に乗せていただいた上、色々と助けていただきましたでの」

「そうさね。おかげでいいトレーニングもできたってもんだ!」

「お心遣い、感謝いたします」

 セバスは優しく微笑むと、手前の屋敷を掌で示して言った。

「さ、こちらへどうぞ。主がお待ちです」

 セバスは門からまっすぐ屋敷へと伸びた道を、三人の前に立って歩きはじめる。


 通路の左右に植えられた美しい花が、三人を迎えた。

 そして、驚いたことに花はうっすらと光を放ち始めたのである。


「おお、これは……」

「綺麗だねぇ」

 初めて見る光景に、茂三と虎子は驚きと感動の声を上げる。


 セバスは静かに振り返ると言った。

「驚かれましたか? こちらの花は『ルミナスフラワー』といいます。『光の花』と呼ばれておりまして、近くに人が来ると、日中にためこんだ光を放つ習性があるのです。栽培が非常に難しく、熟練の庭師でなければ花を咲かせることはできません」


「見事なものじゃ……」

「まるでアタシたちを歓迎してくれているようだねぇ」

 自然と茂三と虎子は手を繋ぎ、ゆっくりとセバスの後に続く。

 ミリアはそんな二人の後ろ姿を楽しそうに眺めつつ、庭園を堪能する。


 ルミナスフラワーの光は、茂三たちが近くに来ると明るさを増し、過ぎ去るとその光を消した。

 「不思議な花……」

 ミリアはルミナスフラワーに触れようと近づくと、セバスに優しく止められた。


「ミリア様、この花の光には魔力が含まれてございます。花や茎、葉に至るまで、魔力を吸収する習性があるのです。普段は空気中の魔力や魔素を緩やかに吸収しますが、触れられますと、知らぬ間に魔力枯渇を起こしますので、あまり近づかれない方がよろしいかと」


 それを聞いたミリアはパッと指を引っ込めると、触ることを諦めて眺めるだけにとどめた。


「それから……この庭園には侵入者防止のため、至る所に罠が仕掛けてございます。お屋敷を出入りなさいます場合は、正門より屋敷に続きますこの道をお通りくださいませ」

 セバスはニコリと笑いながら庭園を掌で示す。

 一見、美しい庭園にしか見えないが、『お金持ちを守るための要塞』だと考えると、何が仕掛けてあるかわからない。

 ミリアはセバスの言葉を心に刻んだ。

 

 門から二十メートルほど進んだとき、ミリアは一瞬何かを感じ取ると、表情を険しくさせ、屋敷の『ある部屋』を見た。


 三階建ての屋敷。正面から見て二階の一番右端の部屋。そこから感じた僅かな視線。

 つい先日死の淵まで経験し、ヘルメイズから生還したミリアの研ぎ澄まされた感覚は、自分に向けられる『気』に非常に敏感になっていた。


 ミリアの視線が窓に向くと、その気配は消えた。

 ミリアは静かに茂三と虎子に視線を戻す。

 すると、虎子と茂三は二人ともミリアの方を肩越しで見つつ、にこやかに微笑んで静かに頷いた。


 まるで、「心配するな」と言っているように。


 虎子は視線をセバスの背中に戻すと、心の中でミリアの成長を喜んだ。

 敵の気配や視線に気づくことは、スナイパーにとっては必須の条件。

 接近戦よりも中・遠距離を得意とするスナイパーが、敵の気配に気づかなければ、死に直結する。

 仮に向けられるものが『殺気』だとわからなくても、視線や気配に敏感であるだけで、身を守ることもできるのだ。

 そして、敵の気配を感じられるようになると、訓練によって自身の気配を消すことができるようにもなる。

 潜伏スキルとは違う、訓練された技術による『気殺けさつ』である。

 ミリアは確実に、その領域に近づき始めていた。


 虎子はそのようなミリアの成長を心の中で喜ぶとともに、先の妙な視線を心の片隅に置いた。



「いらっしゃいませ」

 屋敷の巨大な扉が開かれると、そこにはファウンテンと妻、娘のアリア、そして三人のメイドと一人の執事見習いが並んで待っていた。


「虎子様!」

 アリアは虎子の姿を見ると、挨拶よりも先に駆けて虎子に抱きついた。


「おお、アリア。元気だったかい?」

「虎子様、まだ数時間ぶりですわ」

 そう言って目を合わせて笑い合う二人。


 ファウンテンは笑顔でため息をつくとアリアをたしなめる。

「アリア。虎子殿に会えて嬉しい気持ちはわかるが……」

「あっ。申し訳ありません」


 アリアは慌てて虎子から離れると、美しいカーテシーで改めて挨拶をした。


 続いてファウンテンの妻『フェアリス』が三人に挨拶する。

 侯爵の妻として、いかにも穏やかで品のよさそうな空気を纏っている。

 軸のしっかりとしたカーテシーは、彼女の美しさをさらに引き立てた。

(なるほど。よく訓練されておる。ここにおる人間は幼少期からしっかりとした教育がなされておる様じゃて)


 茂三はうんうん、と好々爺の表情で頷く。

 そしてアリアから視線を動かし、メイドの方を見た。その時だった。

 これまで線のように細かった目が『クワッ!』と強く見開かれる。


「アタシは鬼龍院虎子だよ。こっちは孫娘のミリア。で、これが連れ合い……」

 そこまで言って、虎子は茂三の姿が隣にないことに気付く。


 茂三はファウンテンの後方に控えていたメイド三人の前に、音もなく移動していた。


「ワシは茂三じゃよ! どうじゃな美しいメイドのお嬢さん方、ワシ特製の眼鏡を掛けてみんか? 美肌効果、リラックス効果、索敵機能まで……」

 もんぺの中から眼鏡を取り出したところで、苦笑いしていたメイドの一人が「あ……」と声を漏らす。

 茂三の背後に、ゆらりと影が現れる。

 

 ゴキュッ……メキッ‼

 次の瞬間、茂三の首は一瞬で虎子に締め上げられ、おかしな方向にひねられる。

 

 そしてそのまま、虎子の腕の中で力なく崩れ落ちた。

 しかし、意識が途切れても眼鏡を落とさなかったのは茂三らしい。

 

「あの……」

 メイドの一人が頬を引き攣らせたまま虎子に声をかけると、虎子は言った。

「ああ、迷惑かけたね。このジジイは若くて可愛い女を見かけるとすぐに眼鏡を掛けさせたがるんだ。まったく困ったもんだよ。憧れの『メイド服』だからって鼻の下延ばして……‼」


 茂三を担ぎ、ブツブツとつぶやく虎子。

 ミリアとアリアはヘルメイズでの出来事を思い出し「あはは……」と苦笑いしながら白目の茂三を見送った。



 その後、食事専用の広間に案内され、豪華な食事が振る舞われた。

 貴族の作法を知らない虎子とミリアだったが、茂三は何故か完璧な食事マナーを披露した。


 虎子は大量のステーキをナイフとフォークで雑に切り分け、次々と口に放り込んでいく。

 ミリアは茂三の真似をしながら、マナーを少しでも身に付けようと必死だった。


 ファウンテンは馬車生活の際、虎子の食生活を見ていたので、全く気に留めなかった。

 アリアとフェアリスも温かい目で見守っている。


「ミリアお嬢様、少しだけお手伝いいたしましょう」

 セバスは困っているミリアの横に立ち、そっと食べ方を手ほどきした。

 ミリアは感謝を伝え、静かに食事を楽しんだ。

 それ以上に、お嬢様と呼ばれたことに顔が真っ赤になった。

 

 セバスがそばにいると、誰もが不思議と心が落ち着き、緊張感も心地よいものに変わった。

 心地よい空間。

 セバスの近くにいるだけで、それは出来上がっていく。

 超一流の執事の証ともいえるだろう。


 食事が進むにつれて、次第に虎子の食べる量が加速していく。

 虎子の手によって、次々と空になる皿。

 ステーキに至っては、もう何枚消えたかわからない。

 メイドが皿を下げるより早く、空になった皿が積み上げられていく。


 虎子が大食いであることは事前に知らされており、メイド三人娘も最初は笑顔で見守っていたが、その表情は次第に大食い選手権の選手を見るファンのような色を帯びてきた。


 そんな中、表面上は笑顔なものの、一人だけ虎子の姿を訝しむ者がいた。


 ファウンテン直属の執事見習い・キース。

 王侯貴族専属執事養成学校をトップクラスの成績で卒業した彼は、ファウンテンのスカウトでここに来た。

 卒業して半年。数々の来賓を見てきたが、そんな中でも特に歓迎を受けていた虎子の食事風景は、彼の理解を越えていた。

 

 ……下品だ‼


 切る度に飛び散る肉汁、大きな口に容赦なく放り込まれる肉の塊。パンパンに膨れ上がった頬と、絶えず続く咀嚼音は、無邪気な年齢の子供が焼き肉食べ放題で見せるそれに近い。


 これらの全てが、貴族だけを見てきたキースにはストレスだった。


 キースは知らないが、虎子がヘルメイズで見せた食べ方に比べれば、実はこの状況はまだマシな方だった。

 あの時は自ら屠った魔獣をその場で捌き、素手で引き千切って生のまま食べていたのだから。

 口の周りも掌も、魔物の血だらけになったその様相は、初見の者には日本の伝承にある『山姥やまんば』を連想させるほどの恐怖映像であった。

 修羅場をくぐってきた騎士団の面々でさえ、初めはその姿に身震いした。

 

(いくら恩人とはいえ……この御仁は何者だ? 品性のかけらもない!)


 虎子に対し、負の感情が芽生えたところで、キースは首を小さく振った。

 ――こちらの方々は主人の命の恩人。この程度でこのような感情の乱れは執事としてふさわしくない。

 そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。


 だが、この後も虎子はキースの想像を超えてくる。

「ファウンテン殿、はあるかい?」

「もちろん、ご用意しておりますよ」


 身分も関係なく、まるで友達のように振舞う老婆は、持っていたナイフとフォークを離すと、ふぅと満足げに息を吐く。

 ファウンテンが右手を挙げると、扉が開き、メイドが黒い瓶を持って現われた。


「ご所望の品はこちらですかな?」

「ああ、ソレさね」


 瓶にはラベルにこの国の文字で『危険・虎子専用』とだけ書いてあった。

 他には何も記載されていない。

 ワイングラスに注がれたのは真っ赤な液体。

 まるで血のようである。


 その様子を見ていたアリアは、「まさか、それ……!」と顔を引きつらせる。

 

 茂三はその表情を見て言った。

「お察しの通り、キラーアナコンダの生血じゃよ。婆様は食事の後にいつも飲んどるからのう」

「やっぱりですのね……」

 引き攣ったままのアリアの横から顔を出した別のメイドは、テーブルの上に小さな魔導具を置き、「失礼いたします」といってそれに触れた。

 魔導具から淡い光が漏れると、心なしか場の空気が軽くなったように感じる。

 

「魔石による魔導具、空気清浄機でございます。キラーアナコンダの血には強い匂いと毒素、魔素が多く含まれておりますので、室内で飲まれる際にはこちらをご利用ください」

「すまないね」

 そう言って、虎子はキラーアナコンダの血を一気に飲み干した。

 ふぅっと大きく息をつく。

 美味いものを飲み干したあとには自然と溜め息が出てしまう。

「キクねえ。やっぱりこれが今のところ一番さね」

 まるで麻薬中毒者のように、虎子は恍惚とした表情を浮かべると、再びふぅ……と深いため息をついた。

 その度に魔導具の放つ光が強くなった。


 キラーアナコンダの生血を平然と飲む虎子に、キースやメイド達は言葉を失い、その『猛毒耐性』に驚愕した。

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