百寿超えたら異世界行脚!
花菱 泰里
プロローグ
「自分で戦わない腰抜けが、偉そうな事言うんじゃないよ!」
女は拳を振り上げ、眼前で銃を構えた男の顔に叩き込む。
「怪物・・・・・・が・・・・・・‼」
拳に骨の砕ける感触が伝わり、鈍器で潰れたような音が会場に響く。
打撃のめり込んだ顔が一瞬痙攣すると、男は力なく崩れ落ちた。
19××年。
戦後、行き場のない心が熱く燃えていた時代。
裏闘技界史上最大の、血で血を洗うイベントが行われていた。
『裏闘技界・世界一決定戦』。
世界中のあらゆる王族、貴族、権力者たちが見守るそれは、十年に一度行われる『裏』の祭典。
剣士、殺し屋、格闘家・・・・・・数多のジャンルの強豪が一堂に会し、覇権を争うワンデイトーナメント。
表の世界では知られることのない、真の強者を決める場所。
参加者は表の世界で『強すぎて忌避された』者達。
あまりの力にその世界を追放された真の強者。
ルールはたった1つ。
『決められた時に二人が闘技場に入り、最後に立っていた者が勝ち』
与えられるのは『裏世界最強』の称号と、莫大な賞金。
この『武器の使用』すらも認められる生死を賭けた戦いで、突然現れた一人の日本人女性が優勝した。
二十歳そこそこの若さ、今大会では最年少。
その美貌と整った容姿は、参加女性陣のなかでも群を抜いており、トーナメントの開始時から王侯貴族の間で注目を浴びた。
そのため、彼女を自らの愛人に召し抱えたいと多くの者達が考えた。
だが、そんな思いは試合が進むごとに、聴衆の意識から消えることになる。
彼女の鍛え上げられた鋼鉄の肉体は、銃弾を弾き、刃を握りつぶし、放たれる『気』は空を裂いた。
彼女の前で武器を失った者は素手で襲い掛かり、彼女に直接触れる者は皆、頭から地にめり込む結果となった。
幾多の屍の上に君臨した女王の名は『鬼龍院虎子』。
この時を境に『人食い虎』と呼ばれることになる『プロレスラー』である。
彼女の優勝が決定した瞬間、決勝で敗れた者を擁した組織の長が彼女を抹殺しようとした。
幾つもの銃口が闘技場の中心にいる彼女へ向けられる。
銃口を見据えるも微動だにしない虎子の様子に、組織は勝利を確信する。
「撃てえ!」
男は声をあげ、銃口が闘技場の中央目掛けて一斉に火を噴いた。
しかし、女の心は動じなかった。
瞬時に拳を地面に叩き込み、床石を砕き、跳ね上げさせる。
銃弾は岩と砂埃で標的を見失い、跳弾となって壁や床、そして狙撃手と観客に突き刺さった。
彼女は空中の岩を足場にして、銃を向けた殺し屋の元へ飛ぶ。
床に着地すると同時に、音もなく銃の下を搔い潜り、狙撃手を素手で破壊していく。
虎子の接近に気付いた銃が火を噴くが、虎子はひと呼吸して手を拡げる。
「『鋼気功』」
彼女の呟きが終わると、彼女の体は気の力で銃弾を弾く鋼鉄の皮膚と化す。
弾丸は金属音を立てて火花を散らすのみで、虎子を下がらせるには至らない。
弾丸を撃ち尽くしたハンターはナイフを以て襲い掛かるが、そのナイフもまた、彼女の皮膚に傷をつけることはできなかった。
美しい手が男の顔を掴み、軽くひねると、男はぐったりと動かなくなった。
「このバケモノが! 貴様さえ居なければ俺が王だったのだ!」
ライフルを女に向け、組織の長が引き金を引く。
しかしその弾は吸い込まれるように虎子の掌中へと収まると、握りつぶされ、開いた掌から形を変えて地に落ちた。
「あんたが『王』? ふざけんじゃないよ。自分で戦わない腰抜けが、偉そうな事言うんじゃないよ!」
虎子は右拳を引き、大きく振りかぶる。
「ひっ‼」と硬直した男の顔面に、矢のような勢いの拳が叩き込まれ、骨が激しく砕ける音のみが会場に響き渡った。
虎子の下に黒服の男達が駆け寄る。
虎子は崩れ落ち、動かなくなった男を掴み上げると「後は任せたよ。アタシは面倒事が嫌いなんだ」と大会の管理者、ジョニーの前に放った。
男は眼前に転がる男を見下ろし、胸元から出した葉巻に火をつけると「ああ、手間かけたな」といって指を鳴らす。
男の部下と思われる黒服は、虎子の手によって倒れた者達を速やかに処理していった。
「表彰式なんて気の利いたものはねぇが、『金』は後で振り込んどくぜ」
「ふん、金なんかどうでもいいんだよ。それよりもっと強い『漢』を用意しな。この程度じゃアタシを墜とすことはできないよ」
虎子はそういって笑うと踵を返す。
その背中は既に、次なる猛者を喰らうが如く、野獣の気を放っていた。
ジョニーは虎子の背中と、廃墟と化した会場を見回す。
「ったく、最高の女だぜ」
口をとがらせ吐き出した煙は、輪を作り、空中で霧散する。
男は手の届かぬ女の背中を見て、葉巻の端を噛んで苦笑いした。
この時の銃撃後、会場にいた王侯貴族の中に多数の死傷者が出たことが判明。
そのためジョニーは、今後の被害を鑑みて裏闘技界のワンデイ・トーナメントを廃止した。
さらに裏闘技界における通常試合の他、対戦希望者がジョニーを通してファイトマネーを払い、虎子(王者)に挑戦できるシステムを作り上げた。
表の世界で『リングの魔女』と呼ばれた彼女は、この瞬間『裏』の世界で生ける伝説となり、その後も彼女の下には数多の挑戦状が叩きつけられることになる。
そして彼女はその全てを蹂躙した。
たった一人の『漢』を除いて。
※ ※ ※
時は流れ、20××年。
『人食い虎、逝く』
突如発表されたこのニュースが、裏世界を震撼させた。
鬼龍院虎子、御年『百歳』。
裏世界での公式戦績、約八千試合無敗。
最後の闘いは死去する前日、九十九歳と三百六十四日だったという。
彼女は百歳になるまで裏世界最強の格闘家であり、『どんな相手の攻撃でも受け切る』というそのファイトスタイルは、最期のときまで『プロレスラー』としての矜持を貫いていた。
彼女の友人であり、戦友でもある裏闘技界の首領『ジョニー』は、突然おとずれた虎子の死について、こう語っている。
「彼女は世界で最高の闘技者であり、私の戦友だった。彼女は肉体を鍛えるのに年齢は関係ない事を教え、実践してくれた。百歳と思えぬ筋肉は、巨大なメロンサイズの鉄アレイのようであり、全身が肉の鎧に覆われていた。彼女は死の前日まで外見以外の衰えを見せず、正直私には、彼女が何故死んだのかわからない」
ジョニーが言うように、虎子は自身の百歳の誕生日に
自宅の寝室で、布団に入り、夫茂三の手を握ると「先に行ってるよ」と笑ったという。
遺書ともとれる枕元に置いてあった手紙には、こう書いてあったという。
「情熱と希望に満ちた若き闘技者が、『百歳のババア』に倒されて、誰が喜ぶんだい? あたしゃそろそろ逝くよ。次の世界が楽しみなんだ」
加えて『遺産のことや天匠のことは全て、ジョニー、アンタに任せるからね。後は頼んだよ、アタシゃ面倒事は嫌いなんだ』と記されていた。
訃報を聞いて駆けつけたジョニーは、その手紙を読んで苦笑いせざるを得なかった。
しかし、事態は更に急展開を迎える。
驚くべきことに、彼女の死後、夫・茂三も後を追うように亡くなったのだ。
それはもう、計ったかのようなタイミングで。
実に、虎子の死後『三十分後』のことである。
医者が虎子の死亡を確認した直後のことだった。
孫である天匠が「嘘だろ?」と声をあげて涙を流す中、茂三は虎子の死を見届けて言った。
「ほっほっほっ。それじゃ、ワシも逝こうかのぉ。婆様おらんとワシ、寂しいし」
「え?」と驚く天匠やレスラーの弟子たちをよそに、茂三自らも隣に敷いてあった布団に入り、亡き妻の手を握る。その手はまだ温かく、やわらかかった。
「ワシは・・・・・・婆さんと一緒に天国に行けるかのぉ。ま、閻魔様に聞いてみよか」
そう言って目を閉じると、虎子の横で本当に『逝った』のである。
二人の最期を看取った医師はこう言った。
「信じられませんが・・・・・・お二人とも『老衰』です」
これには、共に居た孫の天匠も、虎子の弟子だったレスラーたちも驚いた。
「それじゃ死にます」と言って、自然死できる人間はまずいない。
ましてや昨日まで筋肉隆々の挑戦者を蹴散らし、猪肉のステーキを十枚以上かぶりついていた女がだ。
医者は『毒物による自殺か?』とも考えたが、全くその気配もない。
診断の結果、二人は老衰、自然死であった。
互いの手を握り合い、布団に横たわる二人の表情は安らかで、それはそれは幸せそうであったという。
※ ※ ※
それから二年後、死者の魂が集まる『霊界』では・・・・・・
地球で施術する天匠を、温かいまなざしで『天使』茂三が見守っていた。
「ほっほっほっ。天匠は鍼灸師としても、大人としても立派に成長しとるのう・・・・・・」
静かに何度も頷き、目を細めて喜ぶ。
地上に残した唯一の心残り、『孫』の成長がそこにあった。
祖父として、これに勝る喜びはない。
満足した茂三は後ろを振り返る。
「そっちは『片付いた』かの? 天匠は頑張っとったぞ」
その問いかけの直後、ヤクザのような風貌をした男が弧を描き、頭から地面に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
見事なジャーマンスープレックスをきめた女天使は、ゆっくりと起き上がる。
顔はおばあちゃん、肉体は生前以上のゴリマッチョ。天使のしるしである白い衣は、内側からはち切れんばかりの筋肉で盛り上がっている。
女は冷めた口調で言った。
「片付けな」
「はっ!」
倒れたヤクザ風の男は、待機していた数人の天使によって何処かへ運ばれていく。
「ほっほっほっ。婆様は相変わらず容赦ないのう」
茂三は高らかに笑い、虎子を称える。
虎子はニコッと笑うと茂三に言った。
「その様子じゃ天匠は無事かい。安心したよ。それじゃ、最後の仕事も片付いたし、行こうかね」
「そうじゃのう。
茂三は差し出された虎子の手を取ると、優しく笑い、仲よく巨大な門の方へと歩いて行った。
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