野獣と眼鏡

 決勝戦、激しい戦いの末に虎子の優勝が決定した瞬間、この手の大会によくありがちな騒動が起きた。

 

 対戦相手が与する組織の長が、力づくの行動に出たのである。

 

 『勝負あり!』の声がかかった瞬間、闘技場の観客席から無数の銃口が虎子に向けられた。

 

 闘技場はコロッセオのように観客席が闘技者を取り囲む造り。

 場外からの無数の銃口は、おのずと選手を見下ろす放射状となる。

 

 表の世界ではありえないが、ここは弱肉強食の『裏』の世界。

 力ある者がなりふり構わず欲しいものを手に入れようとするこの行為を、観衆もこの大会のプロモーターも敢えて黙って見守っている。

 無論、王侯貴族たちが余裕なのは、特別にあしらえた防弾ガラスの向こうで眺めているからではあるが。

 

 選手が闘技場に入るとき、所属する組織は観客席で周囲を囲み、中で戦う二人を見守る。

 とは言っても、虎子サイドにはメガネをかけた白衣の男が独りだけ。

 男の年の頃は虎子より少し上だろうか。

 その風貌はぼさぼさ頭の黒髪に瓶底メガネ、ひょろりとした長身。

 虎子が勝利を手にしても、ガッツポーズどころか笑顔一つ浮かべることもなく、無言でそこに佇んでいる。

 少し猫背気味に見えるその様子からは、まったく覇気を感じさせなかった。

 

 一方、反対側のリングサイドでは、豚のような体型の男が怒りのオーラを放っていた。

 男の右手が挙がると、幾つもの銃口が闘技場の中心にいる虎子へ向けられる。

 その内の数本が、虎子サイドにいた白衣の男に至近距離で突きつけられた。


 銃口を鋭く見据えるも微動だにしない虎子の様子に、男は勝利を確信する。

「どうだい? ミス・トラコ。これからでも我が組織に降る気はないかね? 我々は君を最高の待遇で迎える準備ができている」

 男はいやらしさと怒りが混在する笑みを浮かべ、脅迫まがいの勧誘で口説く。

 だが、虎子の表情に変化は無かった。

 

 無数の銃口が四方八方から闘技場の中央に向けられているため、どう動こうと逃げる場所はない。

 決勝の舞台は石畳のフロア。

 遮るものは何もなく、決勝戦の激しい戦いによって床は何か所も砕け、無数の巨石や瓦礫が散乱している。


 虎子は声の主にゆっくりと視線を向けると、蔑むように言った。

「フン。自分で戦うこともできない『負け豚』が、偉そうに何言ってんだい? 顔洗って出直すんだね」

 冷静を装う男のコメカミに、ピクリ、と青筋が浮き上がり、声の調子に怒りが込められる。

「残念だよ、ミス・トラコ。もう少し賢い人物かと思っていたが、どうやらお別れの時間のようだ」

 挙げられた手が下ろされようとしたその時だった。


「いけませんねぇ」

 突如として横から挟まれた声に、視線が集中した。

「彼女の脳は筋肉ですから。賢いという言葉は脳で物事を考える『人間』に使うものです」

 その言葉に、虎子の視線も声の主へ向けられる。

「虎子さんもいけませんよ。クソまみれの豚に言葉は通じません。煽っても面倒なだけです」

「何だと!?」

 男のコメカミに更なる青筋が浮かび上がった。


「ほら、そうやってすぐに怒る。だから……家畜ブタだって言ってるんです。少なくともここは、『人間』の来るところですよ?」

 白衣男の言葉を聞いて、虎子が薄ら笑いを浮かべる。

「あぁ、そうみたいだねぇ……アタシが間違ってたわ。豚には屠殺場がお似合いだ」

 女がそう言った瞬間、わなわなと震える男の手が、勢いよく振り下ろされる。

 

「撃てえぇ!」

 男が声をあげ、銃口が闘技場の中央目掛けて一斉に火を噴いた。


 轟音が響き渡り、観客が一斉に目を見張る。

 その視線の先には拳を振り上げた女の姿。

 

 瞬時に拳を地面に叩き込み、足元の岩盤を砕いて跳ね上げさせる。

 無数の銃弾は岩と砂埃で標的を見失う。

 打ち上げられた岩により弾丸は跳弾と化し、壁や床、さらに狙撃手と観客席のガラスに突き刺さった。

 

 驚いた女性達の悲鳴があちらこちらで聞こえ、闘技場周囲は一瞬にして地獄の戦場と化した。

 

 虎子は空中の石を足場にして、驚くべき速さで銃を向けた殺し屋ハンターの元へ飛ぶ。

 その身体が着地すると同時に、滑るように銃の下を搔い潜り、狙撃手を次々と素手で破壊していく。


 虎子の接近に気付いた銃が火を噴くが、虎子は動じず両腕を拡げる。

 

 次の瞬間、彼女の体と身に纏う戦闘服コスチュームは気の力で銃弾を弾く鋼鉄の鎧と化した。

 『鋼気功』と呼ばれる技術。

 呼吸の操作で気を操り、身体を鋼のように変化させる武道の技。

 達人が行うそれは、銃弾をいとも簡単に弾き返す肉体と化し、虎子のソレは身に纏う全てに効果を及ぼす。

 

 弾丸は肉体に触れるも、金属音を立てて火花を散らすのみで、鋼鉄の女を下がらせるには至らない。

 弾丸を撃ち尽くした者はナイフを以て襲い掛かるが、そのナイフもまた、彼女の皮膚に傷をつけるには至らなかった。


 ゆっくりと伸ばされた美しい手が男の顔を掴み、軽くひねると、男は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 

 虎子が冷めた目でむくろを見下ろす。

 ふと、いつの間にか会場から銃声が完全に消えたことに気付いた。

 残る気配にゆっくりと虎子が顔を向けると、舞い上がった土ぼこりの中から姿を現した白衣男が飄々と言った。


「あ、虎子さん。こっちは片付きましたよ」

 そう言って軽く手を振る。

 何とも力ない軽い笑顔。

 だが、その足元には無数のハンターが切り裂かれた銃と共に転がっていた。


「バカなっ……たった二人相手に全滅だとっ……⁉」

 豚男の顔に動揺の色が拡がる。

 手足が震え、腰が抜けたようにしりもちをつく。

 それを見た女は鼻で笑い、冷たい目で男を見下した。


「言っただろ? 豚には屠殺場がお似合いだってね」

 そう言った女の指がゴキゴキと音をたてて軽く動いた。

 その指の動きに男は自らの死を予感する。

 背中に冷たいものが走り抜け、頭を握りつぶされるイメージが脳裏によぎった。

 

「このバケモノが! 貴様さえ居なければ俺が王だったのだ!」

 考えるより早く、懐の銃を抜き、引き金を引く。

 しかしその弾は吸い込まれるように虎子の掌中へと収まると、握りつぶされ、開いた掌から形を変えて地に落ちた。


「あんたが『王』? 自分で戦わない『腰抜け』が、偉そうな事言うんじゃないよ!」


 虎子は右拳を引き、大きく振りかぶる。

 「ひっ‼」と声を上げて硬直した男の顔面に、鈍器の如き拳が叩き込まれ、骨が激しく砕ける音のみが会場に響き渡った。


 

 この瞬間、女の優勝が『確定』。

 しかし女には歓喜の笑みもガッツポーズもない。

 

 その瞳は次の獲物を見据えるのみ。

 歩く姿から放たれるのは圧倒的な存在感。

 

 王侯貴族はこの姿を見て、この女には金も権力も通用しないことを察する。


 鬼龍院虎子。

 最後のワンデイトーナメントの覇者は、過去最高の傷痕を裏世界に残した。

 

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