旅立ち
女の立つ戦場は、一部で悲鳴が聞こえることを除いては、静けさを取り戻しつつあった。
虎子の後ろには白衣の男が後ろ手を組んで控えている。
白いスーツの巨漢が二人に歩み寄り、虎子の前に立つと、虎子は視線を上げる。
そして、先程より若干リラックスした表情で言った。
「後は任せたよ。アタシは面倒事が嫌いなんだ」
女は足元で動かなくなった男を指さすと、めんどくさそうに腰に手を当てた。
「わかってる。
葉巻を口にそう答えたのは、大会の管理者であるジョニーである。
ジョニー・ヴィクトル。
190㎝を超える長身、ガンマンのような帽子に上下真っ白なスーツが特徴のこの男は、大会の主催者であり裏闘技界の首領と呼ばれる男である。
ニヒルという言葉がよく似合う雰囲気と声を持ち、全身から恐ろしいほどのオーラを放っている。
男は眼前に転がる男を見下ろし、胸元から出した葉巻に火をつけると「手間かけたな」と指を鳴らした。
男の部下と思われる黒服たちは、二人の手によって倒れた者達を速やかに『処理』していく。
ジョニーは深く煙を吐き出すと、葉巻を口の端に軽く加えて言った。
「表彰式なんて気の利いたものはねぇが、『金』は後で振り込んどくぜ」
その言葉に女は不満を露わにした。
「ふん、金なんかどうでもいいんだよ。それよりもっと強い『漢』を用意しな。この程度じゃアタシを墜とすことはできないよ。それから『ベルト』だ。プロレスラーが参戦するのにチャンピオンベルトがないっていのはどういう了見だい? 金なんかよりそっちをすぐに準備しな」
「……ああ。考えとく」
若干タメのあった返答を聞いた虎子は、ニヤリと笑うと踵を返す。
その背中は既に、次なる猛者を喰らうが如く、野獣の気を放っていた。
ジョニーは虎子の背中と、瓦礫の山と化した戦場を流し見る。
「……ったく、最高の女だぜ」
口をとがらせ吐き出した煙は、輪を作り、空中で霧散する。
男は自分の手の届かぬ女の背中を見て、葉巻の端を強く噛んで苦笑いした。
※ ※ ※
後日、この騒動で会場内の王侯貴族に複数の死傷者が出ていたことが発覚した。
試合を少しでも近くで見ようと部屋を出ていたために起こった悲劇だった。
王侯貴族側が観戦ルールを守らなかったこと、決勝後の騒動は豚男の勝手な行動が発端であったこともあり、観戦者たちがジョニーを表立って責めることはなかった。
しかし、ジョニーは今後を鑑みて、裏闘技界のワンデイ・トーナメントを廃止した。
代わりに彼は裏闘技界における通常試合のシステム再構築の他、対戦希望者がジョニーを通してファイトマネーを払い、
表の世界で『リングの魔女』と呼ばれた彼女は、『裏』の世界で生ける伝説となり、その後も彼女の下には数多の挑戦状が叩きつけられることになる。
そして、彼女はその全てを『蹂躙』した。
たった一人の『漢』を除いて。
※ ※ ※
時は流れ、20✖✖年。
『人食い虎、逝く』
突如発表されたこのニュースが、裏世界を震撼させた。
鬼龍院虎子、御年『百歳』。
裏世界での『公式』戦績、約八千試合無敗。
最後の闘いは死去する前日、九十九歳と三百六十四日だったという。
彼女は百歳になるまで裏世界最強の格闘家であり、『どんな相手の攻撃でも逃げない。すべて受け切る』というそのファイトスタイルは、最期のときまで『プロレスラー』としての矜持を貫いていた。
ただ、その考えが『肉弾戦』だけでなく、『刀剣から銃火器』にまで及んでいたのは『表』のプロレスラーと多少ズレているのかもしれないが。
彼女の友人であり、戦友でもある裏闘技界の首領『ジョニー』は、突然おとずれた虎子の死について、こう語っている。
「彼女は世界で最高の闘技者であり、私の戦友だった。彼女は肉体を鍛えるのに年齢は関係ない事を教え、実践してくれた。百歳と思えぬ筋肉は、巨大なメロンサイズの鉄アレイのようであり、全身が肉の鎧に覆われていた。彼女は死の前日まで容姿以外の衰えを見せず、正直私には、彼女が何故死んだのかわからない」
ジョニーが言うように、虎子は自身の百歳の誕生日に
自宅の寝室で、布団に入り、夫・茂三の手を握ると「先に行ってるよ」と言って笑ったという。
遺書ともとれる枕元に置いてあった手紙には、こう書いてあったという。
『情熱と希望に満ちた若き闘技者が、『百歳のババア』に倒されて、誰が喜ぶんだい? あたしゃそろそろ逝くよ。次の世界が楽しみで仕方がないんだ』と。
加えて『遺産や天匠のことは全て、ジョニー、アンタに任せるからね。後は頼んだよ、アタシゃ面倒事は嫌いなんだ』と記されていた。
訃報を聞いて駆けつけたジョニーは、その手紙を読んで苦笑いせざるを得なかった。
しかし、事態は更なる急展開を迎える。
驚くべきことに、彼女の死後、夫・茂三も後を追うように亡くなったのだ。
それはもう、計ったかのようなタイミングで。
実に、虎子の死後『三十分後』のことである。
医者が虎子の死亡を確認した直後のことだった。
孫である天匠が虎子の死に「嘘だろ?」と声をあげて涙を流す中、茂三は言った。
「ほっほっほっ。それじゃ、ワシも逝こうかのぉ。婆様おらんとワシ、寂しいし。天匠、お前はあの娘を大切にするんじゃよ」
そう言って天匠に微笑みかける。
その表情は寂しさと、何かから解放されたような清々しさに満たされていた。
「え?」と驚く天匠や弟子のレスラーたちをよそに、茂三自ら虎子の隣に敷いてあった布団に入り、亡き妻の手を握る。
彼女の手はまだ温かく、やわらかかった。
「ワシは……婆さんと一緒に天国に行けるかのぉ。ま、閻魔様に聞いてみよか」
そう言って目を閉じると、虎子の横で本当に『逝った』のである。
二人の最期を看取った医師はこう言った。
「本当に信じられませんが……お二人とも『老衰』です」
これには、共に居た孫の天匠も、虎子の弟子だったレスラーたちも驚いた。
「それじゃ死にます」と言って、自然死できる人間はまずいない。
ましてや片方は昨日まで筋肉隆々の挑戦者を蹴散らし、猪肉のステーキを十枚以上かぶりついていた女だ。
医者は『毒物による自殺か?』とも考えたが、全くその気配もない。
診断の結果、二人は老衰、自然死であった。
互いの手を握り合い、布団に横たわる二人の表情は安らかで、それはそれは幸せそうであったという。
※ ※ ※
それから二年後、死者の魂が集まる『霊界』では……。
地球で施術する天匠を、温かいまなざしで『天使』茂三が見守っていた。
「ほっほっほっ。天匠は鍼灸師としても、大人としても立派に成長しとるのう・・・・・・」
静かに何度も頷き、目を細めて喜ぶ。
地上に残した唯一の心残り、『孫』の成長がそこにあった。
祖父として、これに勝る喜びはない。
天匠は微笑みながら、治療院を訪ねてくる患者を治していく。
茂三は自身の若い頃と天匠の姿を重ねながら、悲しげに笑った。
「まったく……やせ我慢しおって。死ぬほど痛かろうに」
そうつぶやくと、静かに深いため息をついた。
自分はできるだけの技術と知識を天匠に伝えたつもりだった。
しかし、二年経った今の孫の技量は、
高齢にして編み出した、天匠の痛みを緩和する技術。
しかしその術を天匠自身は使いこなせていなかった。
天匠ならすぐにマスターできると思っていた。
しかし数十年のキャリアの上に築いた技術には、術を使うだけの基盤が必要だという当然のことを、茂三は忘れていた。
自分の技術など、他の者は容易に習得できると信じて疑っていなかった。
なぜなら、かくいう茂三自身も、かつては『落伍者』の印を押された者だったからである。
しかし、今更どうすることもできはしない。
天使としての自分にできることは、今後の天匠が一皮むけるのを願うばかりである。
(どうか、ワシを追い越せよ……)
地上の孫に向かい、優しくつぶやいた茂三は表情を変え、後ろを振り返る。
「で、そっちは『片付いた』かの? 天匠は頑張っとったぞ……て」
視線の先で、ヤクザのような男が宙を舞っていた。
頭から叩きつけられて地を揺らすと、男はぐったりと動かなくなった。
見事なジャーマンスープレックスをきめた女天使は、ゆっくりと起き上がる。
顔は白髪おさげのおばあちゃん、肉体は生前以上のゴリマッチョ。
天使のしるしである白い衣は、内側からはち切れんばかりの筋肉で盛り上がっている。
女は冷めた口調で言った。
「片付けな」
「はっ!」
倒れたヤクザ風の男は、待機していた数人の天使によって何処かへ運ばれていく。
「ほっほっほっ。婆様は相変わらず容赦ないのう」
茂三は高らかに笑い、虎子を称える。
虎子はニコッと笑うと茂三に言った。
「その様子じゃ天匠は無事かい。安心したよ。それじゃ、『最後の仕事』も片付いたし、
「そうじゃのう。
茂三は差し出された虎子の手を取ると、優しく笑い、仲よく巨大な門の方へと歩いて行った。
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