第2話【霊界編】② 夫の選択

「選択肢?」

 茂三は虎子の横に立つと、眉間を寄せ、目を細める。


「はい。手元の資料、『天使の書』によりますと・・・・・・あなた方は地球で生きておられた間、故意に大きな罪を犯すこともなく、家族を愛し、家族を守るために戦い続けた事がよくわかります」

 シルヴィは一冊の書を開き、目を通していく。

 

「ええ。でもそのせいで娘夫婦を失くしてしまいましたけどね」

 

 『あの事故』を思いだした虎子は拳を握りしめ、苦しそうに下を向く。

 

 茂三は虎子に触れることこそ叶わないが、透明の体が重なるほどそばに寄り、彼女の肩を抱いた。


 一人娘の天歌は、虎子と茂三が四十を過ぎて授かった子供だった。

 娘を授かった時は、目に入れても痛くない程に二人とも嬉しかった。

 そして天匠もまた、天歌が三十を超えて授かった子であり、二人のたった一人の孫であった。

 だからこそ、娘とその伴侶を守れなかった自分たちを赦せなかった。


「・・・・・・心中お察しいたします。ですが、あのお二人は数十年前にここへいらしたとき、『お二人の娘として生きられた時間は、本当に幸せだった』と言っておられましたよ」

 シルヴィアはそう言って哀悼の意を示すと、優しく微笑んだ。


「・・・・・・ッ‼」

「・・・・・・ッ!?」


 その言葉を聞いた茂三と虎子は、心を震わせ、泣いた。

 涙腺など無いはずなのに、実体のない涙が、確かに目から溢れた。

 目を閉じ、歯を食いしばって嗚咽を耐えた。


 娘夫婦は『事故』で死んだ。

 国道を走行中、謎の暴走車に巻き込まれてのことだった。

 運転をしていた夫は即死。

 天歌は後部座席で、我が子天匠を守るように抱きかかえ、息絶えていた。


 その後、ジョニーの協力によって、警察とは別に調査が行われた。

 そしてその事故が『裏の世界』の者の仕業であることが判明した。

 

 虎子と茂三は突然の訃報に絶望しかけたが、『天歌が命懸けで守った天匠だけは守らなければ・・・・・・』と、涙を拭いて立ち上がった。

 虎子はジョニーの情報をもとに、事故を起こした組織のアジトに潜入、数百人の構成員を物ともせず、一晩でこれを壊滅させた。

 だが、その夜も死者はなく、『後始末』をジョニーが引き受けた。

 

 後に虎子とジョニーは協力し、裏の世界に『宣戦布告』する。


『この虎子の『命』と、『裏世界最強』の名が欲しいなら、正面からかかってこい。誰の挑戦でも受けてやる』と。

 

 また、裏世界の首領・ジョニーの手によって、『自分を介して挑んだ正式な闘いでなければ、トラコの『裏世界最強』の称号は他の者に移ることを認めない。その名が永遠に動く事はない』との声明が発表された。


 ジョニー・ヴィクトル。かつての裏世界最強の格闘家であり、現在の裏闘技界の首領である。

 彼は格闘家人生のピークだった頃、虎子にストリートファイトで敗れ、それ以来、虎子と茂三の無二の親友となったのである。


 そして、そのジョニーとその家族が、今は天匠を守っている。

 

 虎子たちは、天歌夫婦は悲しみのうちに死んだと思っていた。

 こんな闘いに明け暮れ、裏の世界で強さを求めた自分の娘に生まれたばっかりに。

 自分を恨み、死んでいったと思っていた。


 だが、彼女たちは恨んでなどいなかった。

『二人の娘として生きられた時間は、本当に幸せだった』

 と言ってくれていたのだ。

 短いその一言が、虎子の心を、およそ二十五年の苦しみから解放してくれた。


 しばらく虎子は茂三の胸で泣き続けた。

 茂三もまた、声をあげることなく肩を震わせ、涙を流し続けた。



 しばしの後。

 二人の気持ちが落ち着いたのを感じて、シルヴィは言った。


「虎子さん、茂三さん。お二人には『上』より2つの選択肢が与えられました。これはあなたがたの意志が尊重されます」


「・・・・・・」


「あちらをご覧ください」

 シルヴィは霊たちが並ぶ列を掌で指す。


「彼らは地上で亡くなった霊たちです。彼らは義にかなった方々で、この後、神様から完全な肉体をいただいて復活し、神様の近くに行って安息を得ます」


 虎子と茂三は彼らの顔を見つめる。

 確かに、彼らは静かに並んでいたが、よく見ると、その顔は笑顔に見えた。


「次はあちらをご覧ください」

 シルヴィは別の方角にある列を指した。


 そこには怒りと悔恨の情にさいなまれた者たちがおり、その表情は暗く、悲しみに満ちていた。

「彼らは地上で故意の殺人や姦淫などの『重罪』を犯し、悔い改めなかった者たちです」


 茂三と虎子は涙を拭き、彼らを見た。

 そして、彼らの表情には怯えがあることに気付いた。


「何をそんなに怖がっとるんじゃ・・・・・・?」

 茂三がぽそりとつぶやくと、シルヴィは真顔で言った。


「彼らはこの後、『地獄』へ向かう人たちです」


「・・・・・・ッ‼」

 茂三の霊に戦慄が走った。


(聞いたことがある。現世で故意に重罪を犯したものは、来世で地獄に落ちると。その苦しみは未来永劫続き、火と硫黄の池に落とされるような苦しみを、永遠にわたって受ける・・・・・・と)

 

 無限に続く地獄への片道切符。

 もし、あそこに一度並んだなら、もう取り返しがつかない。


「やはり簡単には救われんのじゃのう」

「その通りです」

 シルヴィの言葉に茂三は我に返る。

「彼らはもう救われません。彼らは自ら、悔い改めの時を逸したからです」

 その言葉は明確で、茂三と虎子の心に重く響いた。


「これらの状況を見ていただいた上で、あなたがたに与える選択肢は次の二つです」

「「はい」」

 虎子と茂三は声を合わせ、静かに頷いた。


「①。あなた方は義に適った人生を送りました。不必要に人を殺さず、家族を守るために戦い、可能な限り良い働きをしました。そこで、あなた方は天国へ行き、神様の下で平安を受けるというチャンスがあります」

「チャンス?」

「はい。あなたがたはこの後、法廷に立たされて、裁きを受けます。そして、そこで確定したら天国へ行くことができるのです」

「なるほど・・・・・・」


 茂三は横目で虎子を見るが、妻の顔に動揺の色は見えなかった。どうやらこの辺りはなんとなく知っていたらしい。

「もう1つは?」


 シルヴィは手元の資料に目を落とす。

「②。あなたがたはこの『霊界』で、神様から与えられた肉体を得て、天使となって働きます。この霊が肉体を得ることを『復活』と呼びます。天使は神の使いとして、その命令に従うことが義務付けられますが、仕事以外は各々の自由意志によって生活することが許されます」

「つまり、天使として神様の会社で働くみたいなもんかの?」

「概ねその認識で合っています。罪になるような行動は天使として行うことはできませんが、業務時間以外は自由に生活していただくことができます」


 シルヴィの説明に何かを感じた虎子は、ここで口を開く。

「アタシたちもシルヴィ様のような肉体をいただくのですか?」

「そうなります。ですが、地上で生活していた不完全なものとは違い、天使は地上での人間の体より『神様に近い体』を得ることになります。そしてもし、あなたがたが天使の働きを終え、天へ行くことを望むときが来たら、その時は完全な不老不死の体を得ることができます」

「なるほど・・・・・・」

 虎子は悩んだ。

 もし①を選べば、天歌たちに会える。きっと素晴らしい再開が待っている事だろう。

 だが・・・・・・。


「どうされますか?」

 シルヴィの言葉に、寅子と茂三は静かに目を合わせる。


 その時、茂三は『はっ!』と何かを察したような表情になり、強く目を見開く。

「どうした? 爺様」


「婆様・・・・・・ワシはどうしても確認しておかなければならん事に・・・・・・気付いたよ」

 それはあまりにも深刻な表情。

 唇を噛みしめ、拳は強く握り込まれている。


 触れぬ手に触れながら、虎子は察したように言った。

「爺様。アタシはアンタの妻だ。アタシはアンタに付いていく。八十年ずっと支えてくれたアンタの決定に、アタシは従うよ」


 その言葉に、顔を伏していた茂三が目をあげた。そこには優しく、美しい妻が優しく微笑んでいた。

「婆様・・・・・・」

 

 妻の優しき言葉に勇気づけられた茂三は、凜とした表情でシルヴィを見る。

「シルヴィ殿。2つお尋ねしても良いじゃろうか?」

「・・・・・・何なりと、どうぞ」

 シルヴィの言葉に茂三は息をのむ。そして意を決したように言った。

「1つ目だ。ワシらの娘夫婦、天歌と宗司は、天国へ行けたのか?」

 真剣な目が、シルヴィの瞳をまっすぐに見つめる。


 シルヴィはその視線を受け止め、静かで優しい笑顔で言った。

「はい。彼らは今、天で安息を得ています。そして、そこからお二方をずっと見ていました」

「・・・・・・そうか。・・・・・・そうか・・・・・・」

 シルヴィの言葉に、茂三の肩が再び震えた。


(・・・・・・やっぱりねぇ)

 寅子は茂三の顔を見ることもなく目を閉じて微笑んだ。

 娘夫婦のことを誰よりも大切にしていた夫が、そのことを絶対に聞くだろうと確信していた。

 そして、娘夫婦が無事天国へ行けたことも、虎子の心の慰めとなった。


 しかし同時に、ここで虎子の心の中に、1つの疑問が起こる。


 茂三がどうしても聞いておかなければならない質問。

 虎子は娘夫婦のことを聞くのだと思っていた。だが、それは『1つ目の質問』で完結してしまった。

 

 では、心の中で言葉に変換することもなく、あれほど思い詰め、最後に聴く質問とは一体・・・・・・?


 「あともうひとつ。こちらは何より大切な質問じゃ」

 真剣そのものである茂三の横顔を見ると、虎子の心にも緊張が走る。

 この質問と回答いかんでは、この後の永遠の人生が大きく変わるかもしれないのだ。


 茂三はちらりと寅子を見ると、小さく頷いた。それに応えるように、寅子も頷く。

 茂三は胸を張り、シルヴィにハッキリとこう言った。

 

「『天』に、『眼鏡っ娘』は居るかっ!?」


『おるかっ・・・・・・おるかっ・・・・・・おるかっ・・・・・・』と、どこまでも茂三の声がこだまする。


 並んで歩いていた全ての霊が、足を止め、茂三の方を見た。天使たちも一様に視線を向けている。

 それほどまでに、腹の底から、否、心の底からの『魂の叫び』だったのだ。

 

 この質問にはさすがのシルヴィも予想外だったようで、茂三に問い返した。

「め、眼鏡っ娘・・・・・・ですか?」

 

「応!」

 大学の応援団の如き腹の底からの即答。その声には微塵の迷いも感じられない。


「あ・・・・・・えーっと・・・・・・」

 シルヴィは茂三からの無言の圧力に、どう応えるべきかと目を泳がせている。


 虎子は夫のあまりのアホさ加減に地面に突っ伏していた。

(そうだった・・・・・・こういう人だった・・・・・・)


 シルヴィは困ったように笑うと言った。

「神様がおられる『天』には・・・・・・眼鏡っ娘はいませんね。先程も申し上げた通り、完全な体を得て・・・・・・」

「婆さん、天使になろう」

「え?」

「はい?」

「天使になると言ったんじゃ。天使になって、世界中からやって来る『眼鏡っ娘』のために働こう」

「じ、爺様、何を・・・・・・?」

 虎子は茂三の意見に一瞬付いていけなかった。

 シルヴィも困惑した表情を見せている。


「シルヴィ殿。この霊界の『天使』は、眼鏡がかけられるのか?」

「え? あ、はい。視力を矯正するようなタイプのモノではありませんが、悪を看破したり、霊の本質を見抜くために使用する特別な眼鏡が与えられます。仕事中は主にその眼鏡をかけて仕事を・・・・・・」

「決まりじゃな! ワシらは天使になる!」 

 まさに即断即決、微塵の迷いもない鶴の一声。


 虎子は夫の天使志望の理由に呆然としていたが、直ぐに我に返る。そして心の中で笑いながらつぶやいた。


 (天歌・・・・・・アンタに会いに行くのはもう少し先になりそうだよ)


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