霊たちの進路

「鬼龍院茂三様、虎子様ですね?」

 突然の呼びかけに、二人は首がねじ切れんばかりの勢いで振りかえった。

 

(いつの間に・・・・・・? このアタシが全く気配に気づかないなんて・・・・・・!?)

 虎子の全身に緊張が走ったが、声をかけた女性は優しく笑って言った。


「驚かせて申し訳ありません。私は『シルヴィ』と申しまして、この『霊界』に来られた皆様を案内している者です。皆様の知識で言うと、『天使』というものです」

「天使・・・・・・」


 茂三があっけに取られ棒立ちとなる横で、虎子は驚きの行動に出ていた。

 静かに片足で跪き、胸に手を当てて敬服したのだ。

「ば、婆様?」

(あの婆様が自ら膝をついた?)

 普段見ることのない虎子の姿に、慌てる茂三。


 何があったのか理解が追い付かない。

 これまでどんな王侯貴族にも決してへりくだらなかった傲慢の塊が、敬意を示している。

 これは茂三の中で『一大衝撃』イベントであった。

(槍でも振って来るんじゃなかろうか?)

 筒抜けなのは承知の上。しかしそれでも呟かずにはいられなかった。

 

 そんな夫をよそに、虎子は顔をあげることもなく言った。

「天使シルヴィ様。初めまして。鬼龍院虎子と申します。お会いできて光栄です」

(「様!?」)

 茂三は敬称を付けた虎子の言葉にさらに驚いた。

 

 生前は『人食い虎』と呼ばれ、裏の世界では恐れられた虎子。

 その人生は戦いに明け暮れており、リングを降りると心の中にむなしさを感じ始めた時期があった。

 そして多くの悲しい経験を経て、人生に対する疑問を感じることもあった。

 

 そんな中、晩年に虎子は聖書・聖典を読みはじめ、敬虔なクリスチャンとしての信仰を持ち始めていた。

 

 虎子は強き者との戦いは好むものの、人を無意味に傷つけることも、殺めることも好まなかった。

 彼女の生涯はひたすらに強さを求めたが、それはただ生きていくため、家族を守るため、人々に勇気と目標を与えるために、彼女は己を鍛え抜き、戦い続けたのである。


 さらに言えば、彼女は『リングの外で命を狙われた時』以外、敵を殺めた事はない。

 あの辛い『事故』が起きた時でさえも、虎子は故意に人を殺めることをしなかった。


『リングの上において、プロレスの技は人殺しの道具ではない』

 それが彼女の信念であり、矜持なのだ。

 

 茂三は理解の追い付かぬ状況に対応しようと虎子に問いかける。

「婆様はこの『天使』さんを知っとるんか?」

「いや、お会いしたのは初めてさ。だけど、『知ってる』のさ。この方は『神様の使者』さね」

 虎子は尊敬のまなざしでシルヴィを見上げる。


「神様・・・・・・」

 茂三は驚いたように天使シルヴィを見つめた。

 

 若き日の虎子に負けず劣らずの容姿。そしてまさにという名がぴったりの雰囲気。

 昔の歌で『天国は良いとこで、オネエサンはみんな綺麗だ』という歌があったが、確かになるほど・・・・・・と感心していた。

 

「爺様、あとで話があるんだがねぇ……‼」

「ひいっ!」

 茂三の駄々漏れの心の声に、虎子は跪いた状態から茂三を睨む。

 鋭いプレッシャーと腹の底に響くような重い声が茂三の心に突き刺さった。


 シルヴィは二人のやり取りを見てくすくすと笑う。

「お顔をあげてください、虎子さん。私は『神様』ではありません。私はあなたたちに選択肢を与えるために来た『使者』ですから」

 虎子はシルヴィの顔を見上げると、静かに頷き、立ち上がった。


「選択肢?」

 茂三は虎子の横に立つと、眉間を寄せ、目を細める。


「はい。手元の資料、『天使の書』によりますと・・・・・・あなた方は地球で生きておられた間、故意に大きな罪を犯すこともなく、家族を愛し、家族を守るために戦い続けた事がよくわかります」

 シルヴィは一冊の書を開き、目を通していく。

 

「ええ。でもそのせいで娘夫婦を失くしてしまいましたけどね」

 『あの事故』を思いだした虎子は、拳を握りしめ、苦しそうに下を向く。

 茂三は虎子に触れることこそ叶わないが、透明の体が重なるほどそばに寄り、感触の無い彼女の肩を抱いた。


 一人娘の『天歌』は、虎子と茂三が四十を過ぎて授かった子供だった。

 娘を授かった時は、目に入れても痛くない程に二人とも嬉しかった。

 そして天匠もまた、天歌が三十を超えて授かった子であり、二人のたった一人の孫であった。

 だからこそ、娘とその伴侶を守れなかった自分たちを赦せなかった。


「……心中お察しいたします。ですが、天歌さんがここへいらしたとき、『お二人の娘として生きられた時間は、本当に幸せだった』とおっしゃっていましたよ」

 シルヴィはそう言って、優しく微笑んだ。


「……ッ‼」

「……ッ!?」


 その言葉を聞いた茂三と虎子は、心を震わせ、泣いた。

 涙腺など無いはずなのに、実体のない涙が、確かに目から溢れた。

 目を閉じ、歯を食いしばって嗚咽を耐えた。


 娘夫婦は『事故』で死んだ。

 国道を走行中、謎の暴走車に巻き込まれてのことだった。

 運転をしていた夫は即死。

 天歌は後部座席で、我が子天匠を守るように覆いかぶさり、抱きかかえ、息絶えていた。


 その後、ジョニーの協力によって、警察とは別に独自の調査が行われた。

 そしてその事故が『裏の世界』の者の仕業であることが判明する。

 

 虎子と茂三は娘夫婦の突然の訃報に絶望しかけたが、『天歌が命懸けで守った天匠だけは守らなければ・・・・・・』と、涙を拭いて立ち上がった。

 虎子はジョニーの情報をもとに、諸悪の根源を立つべく事故を起こした組織のアジトに潜入。

 数百人の構成員を物ともせず、一晩でこれを壊滅させた。

 だが、その夜も虎子の手による死者はなく、『後始末』をジョニーが引き受けた。

 

 この事件の後に虎子とジョニーは協力し、裏の世界に『宣戦布告』する。


『この虎子の『命』と、『裏世界最強』の名が欲しいなら、正面からかかってこい。誰の挑戦でも受けてやる!』と。

 

 また、裏世界の首領・ジョニーの手によって、『自分を介して挑んだ正式な闘いでなければ、トラコの『裏世界最強』の称号は他の者に移ることを認めない。その名が永遠に動く事はない』との声明が発表された。


 ジョニー・ヴィクトル。かつての裏世界最強の闘技者であり、現在の裏闘技界の首領である。

 彼は闘技者人生のピークだった頃、虎子にストリートファイトで敗れ、それ以来、虎子と茂三の無二の親友となった。


 そして、そのジョニーと彼の家族が、今は天匠を裏世界から守っている。

 

 虎子たちは、天歌夫婦が『悲しみのうちに死んだ』と思っていた。

 こんな闘いに明け暮れ、裏の世界で強さを求めた自分の娘に生まれたばっかりに。

 きっと母である自分を恨み、死んでいったと思っていた。


 だが、彼女たちは恨んでなどいなかった。

 

『二人の娘として生きられた時間は、本当に幸せだった』

 娘のその一言が、虎子を永い苦しみから解放してくれたのだった。


 しばらく虎子は茂三の胸で泣き続けた。

 茂三もまた、声をあげることなく肩を震わせ、涙を流し続けた。



 しばしの後。

 虎子は茂三から静かに離れると「すみませんでしたねぇ」と笑った。

 

 二人の気持ちが落ち着いたのを感じて、シルヴィは言った。

「いえ。それでは、虎子様、茂三様。お二人には『上』より2つの選択肢が与えられました。これはあなたがたの意志が尊重されます」

 シルヴィの優しくも力強い言葉が二人の心をとらえる。

 二人は静かに頷いた。

 

「あちらをご覧ください」

 シルヴィは霊たちが並ぶ列を掌で指す。


「彼らは地上で亡くなった霊たちです。彼らは義にかなった方々で、この後、神様から完全な肉体をいただいて復活し、神様の近くに行って安息を得ます」


 虎子と茂三は彼らの顔を見つめる。

 確かに、彼らは静かに並んでいたが、よく見ると、その顔は笑顔に見えた。


「次はあちらをご覧ください」

 シルヴィは別の方角にある列を指した。


 そこには怒りと悔恨の情にさいなまれた者たちがおり、その表情は暗く、悲しみに満ちていた。

「彼らは地上で故意の殺人や姦淫などの『重罪』を犯し、悔い改めなかった者たちです」


 茂三と虎子は彼らを見た。

 そして、彼らの表情には怯えがあることに気付いた。


「何をそんなに怖がっとるんじゃ……?」

 茂三がぽそりとつぶやくと、シルヴィは真顔で言った。


「彼らはこの後、『地獄』へ向かう人たちです」


「……ッ‼」

 茂三の霊に戦慄が走った。


(聞いたことがある。現世で故意に重罪を犯したものは、来世で地獄に落ちると。その苦しみは未来永劫続き、火と硫黄の池に落とされるような苦しみを、永遠にわたって受ける……と)

 

 無限に続く地獄への片道切符。

 もし、あそこに一度並んだなら、もう取り返しがつかない。


「やはり簡単には救われんのじゃのう」

「その通りです」

 シルヴィの言葉に茂三は我に返る。

「彼らはもう救われません。悔い改めの時を逸したからです」

 その言葉は威厳に満ちており、茂三と虎子の心に重く響いた。


「これらの状況を見ていただいた上で、あなたがたに与える選択肢は次の2つです」

「はい」

 虎子と茂三は声を合わせ、静かに頷いた。


「1つ目。あなた方は不必要に人を殺さず、家族を守るために戦い、可能な限り良い働きをしました。そこで、あなた方は天国へ行き、神様の下で平安を受けるというチャンスがあります」

「チャンス?」

 シルヴィの言葉に茂三が反応する。

「はい。あなたがたはこの後、法廷に立たされて、裁きを受けます。そして、そこで確定したら天国へ行くことができるのです」

「なるほど……」

 茂三は横目で虎子を見るが、妻の顔に動揺の色は見えなかった。

 どうやらこの辺りはなんとなく知っていたらしい。

「もう1つは?」


 シルヴィは手元の資料に目を落とす。

「2つ目。あなたがたはこの『霊界』で、神様から与えられた肉体を得て、『天使』となって働きます。天使は神の使いとして、その命令に従うことが義務付けられますが、仕事以外は各々の自由意志によって生活することが許されます」

「つまり、天使として神様の会社で働くみたいなもんかの?」

「概ねその認識で合っています。罪になるような行動は天使としてできませんが、業務時間以外は自由に生活していただくことができます」


 シルヴィの説明に何かを感じた虎子は、ここで口を開く。

「アタシたちもシルヴィ様のような肉体をいただくのですか?」

「そうなります。ただし、その体は地上で生活していた不完全なものとは違い、天使は地上での人間の体より『神様に近い体』を得ることになります。そしてもし、あなたがたが天使の働きを終え、天へ行くことを望むときが来たら、その時は完全な不老不死の体を得ることができます」

「なるほど・・・・・・」

 虎子は悩んだ。

 もし天国へ行くことを選べば、すぐにでも天歌たちに会える。

 それはきっと、素晴らしい再開が待っている事だろう。

 だが・・・・・・。


「どうされますか?」

 シルヴィの言葉に、虎子と茂三は静かに目を合わせる。


 その時、茂三は『はっ!』と何かを察し、強く目を見開いて震えはじめた。

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