何より大切な質問
「どうした? 爺様」
虎子はあまりにも深刻そうな茂三の表情を見ると、心配そうに茂三の様子をうかがった。
「婆様……ワシはどうしても確認しておかなければならん事に……気付いたよ」
茂三は実体のない唇を噛みしめ、拳は強く握り込まれている。
よほど大切なことに気付いてしまったのだろう。
クリスチャンとしての精神など何も持たぬ茂三だったからこそ、気づくこともあるかもしれない。
出会って80年以上。
苦楽を共にし、全てを見せてくれた夫。
自分のわがままに文句ひとつ言わず、戦わせてくれた寛大な人。
そして、死にいたるまで
自分とは違い、死後の世界のことなど知る由もなかったはずなのに。
――今こそ、この人に報いる時なのかもしれない。
虎子の心に温かいものが満ちてくる。
それは、『夫への愛』というにふさわしい感情だった。
触れえぬ手に触れながら、虎子は察したように言った。
「爺様。アタシはアンタの妻だ。アタシはアンタに付いていく。八十年ずっと支えてくれたアンタの決定に、アタシは従うよ」
その言葉に、顔を伏していた茂三が視線を上げる。
そこには優しく、美しい妻が微笑んでいた。
「婆様……‼」
妻の優しき言葉に勇気づけられた茂三は、凜とした表情でシルヴィを見る。
「シルヴィ殿。2つお尋ねしても良いじゃろうか?」
「……何なりと、どうぞ」
穏やかで威厳のあるシルヴィの言葉に、茂三は息をのむ。
そして意を決したように口を開く。
「1つめじゃ。ワシらの娘夫婦、天歌と宗司は、天国へ行けたのか?」
真剣な目が、シルヴィの瞳をまっすぐに見つめる。
シルヴィはその視線を受け止め、静かで優しい笑顔で言った。
「はい。彼らは今、天で安息を得ています。そして、そこからお二方をずっと見ていました」
「……そうか。……そうか……」
シルヴィの言葉に、茂三の肩が再び震えた。
(……やっぱりねぇ)
虎子は茂三の顔を見ることもなく、目を閉じて微笑んだ。
娘夫婦のことを誰よりも大切にしていた夫が、そのことを絶対に聞くだろうと確信していた。
先ほどのシルヴィの説明からは、天歌たちがここに来た時の状況しか分からなかったからだ。
そして、娘夫婦が無事天国へ行けたという事実が、虎子にも心の慰めとなった。
しかし同時に、ここで虎子の心の中に、1つの疑問が沸き起こる。
茂三が「どうしても聞いておかなければならない」と言った質問。
虎子は茂三が、娘夫婦のことを聞くのだと思っていた。これは正解だった。
だが、それは『1つ目の質問』で完結してしまった。
では、心の中で言葉に変換することもなく、あれほど思い詰め、最後に聴く質問とは一体……?
「あともうひとつ。こちらは
何より大切――⁉
娘夫婦の安否より、大切ということなのだろうか?
これまでになく真剣そのものである茂三の横顔を見ると、虎子の心にも緊張が走る。
心の声にも出ぬ、『本心』とも言うべき質問。
この質問と回答いかんでは、この後の永遠の人生が大きく変わるかもしれない。
茂三はちらりと虎子を見ると、小さく頷く。
それに応えるように、虎子も頷いた。
茂三は胸を張り、シルヴィにハッキリとこう言った。
「『天』に、『眼鏡っ娘』は
『おるかっ……おるかっ……おるかっ……‼』と、どこまでも茂三の声がこだまする。
フロア上で列に並んで歩いていた全ての霊が、足を止め、茂三の方を見た。
天使たちも一様に視線を向けている。
それほどまでに、腹の底から、否、心の底からの『魂の叫び』だったのだ。
この質問にはさすがのシルヴィも予想外だったようで、茂三に問い返した。
「め、眼鏡っ娘……ですか?」
「応!」
大学の応援団の如き、腹の底からの即答。
その声には微塵の迷いも感じられない。
「あ……えーっと……」
シルヴィは茂三からの無言の圧力に、どう応えるべきかと目を泳がせている。
虎子は夫のあまりのアホさ加減に地面に突っ伏していた。
(そうだった……こういう人だった……‼)
シルヴィは困ったように笑うと言った。
「えーっと、神様がおられる『天』には……眼鏡っ娘はいませんね。先程も申し上げた通り、完全な体を得て……」
「婆さん、天使になろう」
シルヴィの言葉を最後まで聞かず断言する茂三。
これで呆気にとられたのは虎子とシルヴィ。
「え?」
「はい?」
「天使になると言ったんじゃ。天使になって、世界中からやって来る『眼鏡っ娘』のために働こう」
「じ、爺様、何を……?」
虎子は茂三の意見に一瞬付いていけなかった。
シルヴィも困惑した表情を見せている。
「シルヴィ殿。この霊界の『天使』は、眼鏡がかけられるのか?」
「え? あ、はい。視力を矯正するようなタイプのモノではありませんが、悪を看破したり、霊の本質を見抜くために使用する特別な眼鏡が与えられます。仕事中は主にその眼鏡をかけて仕事を……」
「決まりじゃな!」
まさに即断即決。微塵の迷いもない鶴の一声。
サムズアップし、最高の笑顔を見せる茂三。
虎子は夫の決断の理由に呆然としていたが、直ぐに我に返る。
そして心の中で笑いながらつぶやいた。
(天歌……アンタに会いに行くのは、もう少し先になりそうだよ)
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