ミリア

「落ち着いたかい?」

 ひとしきり泣いた後、少女は頷いて虎子の腕の中で息を整えた。

 まだ少し肩で息をしているが、上下する肩の動きは次第に緩やかになってきた。


「はい・・・・・・大丈夫だと思います」

 借りたローブを体に巻き直し、虎子と茂三の目を見ると少女は優しく笑った。


「なんじゃったらワシの胸も貸すぞい?」

「あ、大丈夫です」

 腕を拡げる茂三の思いは空振りし、しょんぼりと項垂れる。

 その仕草に少女はクスリと微笑んだ。

 笑顔は可愛いが、フラれた茂三は少し寂しそうである。

 

「助けてくださってありがとうございます。自己紹介が遅れてすみません。私はミリア。ミリア・・・・・・クリスティア。クルスト王国ギルド所属の冒険者です」

 『クリスティア』、の部分を、なぜかミリアはゆっくりと、ためらうように言った。


?」

 虎子は日本で言うところの姓と思われる『クリスティア』に、一瞬だけ眉をひそめ、不思議そうな顔をする。

 そして少し考えたように軽く首を傾げると、また元の表情に戻った。

 

 その様子を見た茂三が、不思議そうに問う。

「どうした? 婆様」

「いや、何でもないさね」


(まさか・・・・・・ね)

 虎子は何かを振り払うように、静かに目を閉じると首を軽く振る。

 彼女に最初に触れた時に感じたもの。それについて、今は考えないようにした。

 

 その様子を見たミリアは、少し寂しそうに笑って言った。

「クリスティアは・・・・・・私のいた孤児院に預けられた子が授かる姓なんです。クルスト王国の孤児院。だから、クリスティア」

「ああ・・・・・・ね」

 何かに納得したように頷く虎子。


「アタシの名は鬼龍院虎子。虎子と呼んどくれよ」

「ワシは鬼龍院茂三。茂ちゃんって呼んでいいぞい」

 虎子に続けて自己紹介する茂三。

 その表情は先ほどの気落ちした様子は微塵もなく、まるで飲み屋で女の子に自身を売り込む時のような軽さである。

 

「なにが茂ちゃんだい。 可愛い女を見るとすぐに鼻の下を伸ばすんだから」

 虎子のツッコミに苦笑するミリアを見て、茂三は慌てて伸びた鼻の下を元に戻す。

 

 仕切り直すように咳払いをすると、茂三はミリアに視線を向けた。

「で、そのミリアちゃんはどうしてあんな蛇に襲われとったんかの? 魔物狩りかい?」

「いえ、そうではんですが・・・・・・」

 茂三の問いに、ミリアは気まずそうにうつむいてしまった。

 

 虎子はため息をつくと言った。

「ったく、爺様はデリカシーがなくていけないね。女には聞き方ってもんがあるだろ?」

 虎子はミリアの手を優しく取って言った。


「ミリアちゃん、話したくなければ無理に話す必要はないからね。実を言うとね、アタシ達はさっきこの世界に来たばかりの転生者なのさ」

 その言葉にミリアは驚いたように顔を上げた。

「転生者? 別の世界から来たという意味ですか?」

「ああ、そうさ。だからここがどこかも知らないし、右も左もわからない。この世界で人に会ったのもあんたが初めてさ。だから、もしよかったら、アタシ達を助けてくれると嬉しいんだけどねぇ」

 虎子はまるで親が子供をなだめるように話す。

 

 ミリアは『転生者』という言葉に驚きつつも、心に引っかかる言葉を思わず口にした。

「助ける? こんなに強いのに?」

 後ろに転がる魔物三体。Aランク冒険者でも苦戦どころか全滅しかねない相手を難なく葬る実力で、助けるというのはいささか理解ができなかった。


 虎子は視線を逸らすことなく、ミリアを見て言葉を続ける。

「そうさね。あたしらは腕っぷしはあっても、この世界のことは何も知らないからねぇ。どこに行けばいいのか、何をしたら生活できるのか、本当に何も知らないんだ。で、どうだい? アタシ達はミリアちゃんを守るから、ミリアちゃんはアタシ達を助けてくれないかい?」

 明らかに対等とは言えないほどの好条件だとミリアは思ったが、虎子の笑顔にミリアもつられて笑い、「はい」と頷いた。

 ミリアの表情が少し穏やかになったのを見て、茂三も目を細めて笑顔を見せた。

 

 それからゆっくりと、虎子と茂三の優しさにほだされるように、ミリアは少しずつ自分のことを話しはじめた。


 ミリアが話した内容は、以下のような事だった。


・ここはクルスト王国領内の、『ヘルメイズ』と呼ばれる世界最悪の危険地帯の一つ。

・この地は『魔素』と呼ばれる魔力を含んだ特殊な気が発生しており、魔法や魔道具での転移ができない。

・先程の蛇に遭遇し、弓を使って応戦したが、歯が立たず、尾ではたかれて瀕死に陥っていた。

・ヘルメイズから出るためには山を下り、街道に出る必要がある。街道をまっすぐ下れば、クルスト王国に出ることができる。

・クルスト王国には冒険者ギルドがあり、そこで冒険者として登録をすれば、倒した魔物をギルドに売って生活することが可能である。


「今の状況でお話しできることはこのぐらいかと。もし、クルスト王国まで、その時またお伝えできると思います」

 そう言って、ミリアは困ったように笑った。

 

 ここはヘルメイズのど真ん中。通常であれば、生きて帰ることは不可能。

 ましてや今はもう夕方で、日が落ち始めている。

 森の中で夜になれば、更に方向感覚が曖昧になって道に迷う上、魔物の動きが活発・狂暴化する。

 その日没まであとわずか。


 ミリアは最後の夕暮れをしみじみと見つめる。

 わずか15年の短い人生だった。今回は偶然この二人のおかげで助かったけど、夜になれば魔物が押し寄せてくる。

 そうなれば、きっと・・・・・・。


(『あの人』に、もう一度会ってお礼を言いたかった。でも、もう無理かな……?)

 そう思うと泣けてきた。

 夕日が目に差し込むのを理由にして、そっと涙を腕で拭いた。


 だが、同じ夕日を眺めながら呑気な者二名。

「綺麗な夕日じゃのぉ、婆様。この世界の夕日も捨てたもんじゃないわい」

「そうだねぇ。天匠にも見せてやりたいねぇ」


 ミリアはニコニコと夕日を見つめる二人に、申し訳なさそうに言った。

「あ、あのぅ・・・・・・なんでそんなに平気なんですか? もうすぐ死ぬかもしれないのに」

「死ぬ? 誰がじゃ?」

 茂三が不思議そうに問い返し、ミリアが困った様子で答える。

「え? それは私たちですけど・・・・・・」

 

 すると茂三はカッカッカッと高笑いし、虎子を見て言った。

「まあ、この程度の動物の群れなら、どうという事はあるまいて。婆様がおるしの」

「ど、動物?」

「夜はこいつらが山のように現れるんだろう? 嬉しいじゃないか。わざわざ血抜きしておびき寄せてるんだ。楽しませてもらわなきゃねぇ」


「えっ? 血抜き? おびき寄せ・・・・・・はっ!?」


 ミリアは慌てたようにアナコンダの死骸を見る。

 斬り口から流れ出る血の勢いはだいぶ収まったものの、血は流れ続けていた。

 池のような血だまりから、徐々に鉄臭いにおいが周囲に広がっている。


 サーッと全身から血の気が引いていくのを感じた。全身に冷たいものを感じる。

 動物は血の匂いに引き寄せられて現れることが多い。

 そしてそれは、魔物も例外ではない。

 弱っている魔物を殺し、その死骸を喰らうためだ。

 弱肉強食の食物連鎖は、この世界でも当然のことだった。

 

 夕焼けの時間は短い。

 あっという間に太陽は沈み、周囲が暗くなり始める。

 

 遠くから徐々に魔物たちの雄たけびが聞こえ始め、近くに気配を感じ始める。

 ミリアの体は無意識に震え、顎が軽い痙攣をはじめるが、パンッ!と自らの顔を叩き気持ちを落ち着かせる。

 そして自分の体に何か残っていないかと体のあちこちを触って探す。


(何か、何か武器は……⁉)

 周囲も見まわしたが、見つけることができたのは中古の木弓と折れた矢だけだった。

 ミリアはぐっと唇を噛みしめると声を震わせながら言った。

 「ごめんなさい・・・・・・私、お二人を守ることができません」

 うつむき、強い視線をわずかに落とす。

 しかし、虎子は「安心しな」と言って笑い、ミリアの頭を撫でる。

 

「なあに、心配は要らんよ。ワシがミリアちゃんを守ってあげよう」

 茂三は腹巻から十手を抜くと、ポン、とミリアの背中を叩いた。


「茂三さん・・・・・・」

 茂三の手が触れると、ミリアの震えは不思議と収まり、不思議な安心感が体に広がる。

 ミリアはまだ恐怖を感じつつも、むりやり少し口の端をあげながら笑顔を作り、こくりと頷いた。


「じゃが、その代わり・・・・・・」

「その代わり?」

「ワシのこと『お爺ちゃん』って呼んでもらえるかの?」

 十手を肩に乗せながら、白い歯を見せてニコリと笑う茂三。


 ミリアはつられて笑うと、頬に残った涙を拭く。

「うん、茂三おじいちゃん。よろしくね」

 その目には、もう不安は残されていなかった。


 茂三のことを信頼し、命を託した笑顔。

 その瞳にはどこか強さと美しさがあった。

 

 茂三はその目に懐かしい感覚を覚える。

 自分に全幅の信頼を置いてくれた幼き日の愛娘。

 その面影と一瞬重なり、一瞬思い出に意識を奪われた。

 

 少し照れたようにミリアに背を向けて笑う。

「こりゃあ長生きせにゃいけんのう」

 よほどうれしかったのか、ツルツルの頭をコリコリと指で掻く。

 その様子にミリアも嬉しそうに目を細める。

 

 

 日が落ち、静寂が広がる中、魔物のおびただしい雄たけびは、確実に三人との距離を縮めていた。


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