出会い

「う・・・・・・、こ、ここは・・・・・・?」


 少女は静かに目を開ける。

 ぼやける視界の先に何かの影が見て取れたが、木漏れ日が差し込んできたので、一瞬目を強く閉じた。

 

 意識が朦朧として、何が起こったのか思い出せない。

 それなのに、なぜかとても体が軽い。

 それになんだか、首から頭の後ろに掛けて柔らかく、そして温かい。


「あれ? 私・・・・・・」

「気が付いたかい?」

 目に飛び込む木漏れ日をさえぎるように、大きな影が少女の顔の上に現れた。


「え・・・・・・?」

 少女がゆっくりと目を開けると、視界の中で見たことのないお婆さんが優しく笑っていた。


「どうやら大丈夫そうだねぇ」

 虎子は静かに少女の頭を撫でる。

 優しく、気持ちを落ち着かせるように。

 少女は気持ちいいやら状況が分からないやらで、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 初対面にもかかわらず、不思議と怖さを感じない。

 

「えと、あの・・・・・・?」

 ゆっくり体を起こすと、体の上で静かに布がずれる。

 その時、少女は自分の体の上に、見たことのないローブが掛けてあることに気付いた。

「おやおや。無理しなさんな」

 

 ローブを優しくかけなおしてやると、虎子は言った。

「どこか痛むかい?」

 虎子の言葉に少女は自分の体を少し見回す。

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 そして申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

 

 少しウェーブがかった真っ赤な髪が、腰のあたりまで垂れていた。

 髪と同じ赤い瞳が可愛い小さな顔。

 しかし、引き締まった腹筋と鍛えられた四肢の肉体が、彼女が普通の少女ではないことを物語っていた。

 そして、何より彼女が『戦う女の子』であることを示す証拠。

 それは額から脛に至るまで、全身に刻まれた無数の傷痕だった。


「そうかい。それは良かったねぇ」

 礼儀正しい少女。虎子はこの世界での最初の出会いが彼女であったことに感謝した。


「あの、私・・・・・・あ、いえ、あなたは・・・・・・?」

 まだ頭の中の混乱が収まらないのか、少女は静かに周囲を見回し、虎子に尋ねる。

 よく見ると、虎子の向こうにもう一人、誰かが杖を突いて立っている。

 白いモンペ姿に腹巻き。この世界では滅多に見ることのないスタイルだ。

(誰……?)

 恐らくこのおばあさんの夫だろう、と少女は考える。

 しかし、この人たちが何者なのかは、全くわからなかった。

 

 少女の熱視線を受ける茂三は、虎子の少し後方で、少女とは反対の方を向いて遠くの木々を眺めている。

「ほっほっほっ。お前さん、なんか知らんが大きな蛇に喰われかけとったんじゃよ。服もボロボロでな」

「えっ?」

 茂三に言われ、少女はそっとローブをめくり、自分の衣服がボロボロになっていることを知る。

 破れた衣服の合間から下着が露になっているのに気付き、恥ずかしそうにローブを手繰り寄せた。

 と同時に、茂三の言葉でゆっくりと淡い記憶が、ぼんやりとした少女の脳裏に描かれていく。

(……蛇?)

 数秒後、記憶の数珠が繋がるように、自分の身に何が起こったのかを思いだす。

 その瞬間、全身を悪寒が走り抜け、一気に血の気が引くのを感じた。


「・・・・・・そうだわ! お二人とも逃げてください! ここは危険です!」

 心の底から湧き上がる恐怖を押さえ込み、慌てて立ち上がる少女。

 しかし虎子はニコニコと笑いながら動かず、茂三は振り向こうともしない。

 

 (……あれ?)

 慌てて立ち上がったうえに、遥か彼方を指差した少女は、二人が微動だにせず、さらに小鳥のさえずりが聞こえてくる状況に拍子抜けする。

 まるで何事もない状況下で、自分一人が夢でも見て勘違いしたかのような空気だ。


 それに合わせるかのように、肌の上をローブがずり落ちたのを見て、慌てて体を隠す。

 同時に虎子は後ろを見て、茂三が覗いてないのを確認する。

 

「あの……私、何か変なこと言いました?」

 あまりの静けさに、自分が妄言を吐いてしまったのではないかと不安になり、思わず茂三に問いかける。

 

「いんや?お前さんは間違まちごうとらんよ?」

 そう言った茂三は、ずっと彼方の方角を眺めたまま、腹巻きから無造作にキセルを取り出す。

 何かを煙管に詰め、火を付ける。大きく吸い込むと『うはぁーっ』と煙を吐き出した。

 見たことのない煙草の道具。その煙が何故か薄碧いのが気になるが、何故か危険を察した少女はあえて尋ねないことにした。

 

「大丈夫さね。はもう倒したからねぇ」

 虎子は慌てることもなく淡々とした口調で語る。その表情は変わることも揺らぐこともない。


「た、倒した!?」

 事も無げに言う虎子に、少女の思考はついていけていない。


 (え? ちょっと待って! S災害級モンスターのキラーアナコンダを? このお二人が?)

 少女の混乱する頭に、茂三が更に情報を投げ込む。

「あと、なんじゃ。赤いクマさんやら、角やら牙やらが生えた二足歩行のデカい豚もおったぞい」

 茂三の言葉に思わず少女の顔が青ざめる。

 

「それは『ブラッドベアー』に『キングオーク』です! 見つかったら殺されちゃう! あいつらは単体でも村や町程度なら簡単に滅ぼしてしまう知能と力をもってるんです!」


「ん? そうなんかの? そこに転がしとるんじゃが・・・・・・」

 茂三のキセルが少女の背後を指し示す。

 

「え?」

 少女は促されるまま肩越しに背後を振り返り、「ひっ!」と悲鳴を上げた。


 そこには、首を落とされ、血抜き中のキラーアナコンダ、頭を潰されたブラッドベアーが横たわり、その向こうでキングオークが倒れていた。

 しかも、豚の首はあらぬ方向にねじ曲がり、奇妙なシルエットを醸し出している。

 

 息絶えている熊も豚も、種族の中では最大級の魔物で、その全長はゆうに五メートルを超える。

 先程は気づかなかったが、よく見ると絶え間なく溢れ出るアナコンダの血によって、少し大きめの血だまり――否、池ができていた。

 

 鉄臭いにおいが鼻に微妙な刺激を与え、少女の胸の中は気持ち悪さにもやもやした。

 少女は恐怖のために思わず仰け反り、胸から上がってきたものを抑えるように口に手を当てる。


「大丈夫じゃよ。もう死んどる」

 カンラカンラと笑う茂三。


「嘘・・・・・・!」

 少女はへたり込むと腰が抜けてしまった。


 自分は確かに『冒険者』としては未熟かもしれない。

 それでも十歳の新人デビューから五年間、どこのパーティにも属さずソロで頑張ってきた。

 死ぬ思いで魔物と戦って、最下位のFランクからDランクまで上がった。

 

 思い上がる気など毛頭ないが、そんな自分では手も足も出なかった怪物たちが、目の前で高齢者に殺されている。

 その驚くべき状況に、脳がついていかない。

 

 通常の魔物は、体内または体表にある『コア』とも呼ばれる魔石を破壊すれば倒せると言われている。

 だが、このアナコンダやブラッドベアーは、見たところ体内に魔石は残ったままのようだ。

 つまり、に殺されている。

 

 直径数メートルはあるアナコンダの首は何かで一刀両断され、クマの頭は潰されている。

 更に言うなら、オークキングの首は捻り上げられて絶命していた。

 周囲を見るに二人の他に人は居ない。

 つまり、このご老人たちが、自分を守りながらこの魔物たちを『破壊』したのだ。

 アナコンダはともかく、少なくとも残りの2体はで。

 

 長く気色悪い舌をはみ出させ、蛇の首が転がされているのを改めて見た途端、先程の恐怖がよみがえり、呼吸をするのも忘れるほど体が震えはじめる。

 体が拘縮を起こしたように、ギュッと嫌な感じと共に体の中心に向かって締まっていく。

 その背中に、虎子の手が優しく添えられた。

「もう大丈夫だよ」

 虎子はそのまま怯える少女の肩を優しく抱く。

 少女も浅く息をしながら体を両腕で抑え込み、すがるように虎子に身を寄せ、その胸に顔を押し付ける。

 

 温かく力強い手が少女を包み込むと、凍てついた心が溶かされていくように少女の両目から涙が溢れた。

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