【傷だらけの銃姫編】新しい世界・ノア
霊界での二年間、虎子たちは職務を全うしながら、自室で異常なほどの研鑽を重ねた。
それは数多の人間の人生を見てきた天使から見ても、遙かに常軌を逸したものであり、血が滲む、否、血の質が変わるほどのものであった。
そして新たに『後任』の天使も決まり、今日、二人は『新しい世界』へ旅立つ。
茂三は霊界の水晶モニターから、地球にいる孫の姿を笑顔で眺めていた。
天匠は仏壇に手を合わせ、写真の中の自分達に向けて言葉をかけてくれている。
「まさかワシらが天使として働き、これから別の世界に行くなんて思ってもなかろうのう」
可愛い孫の顔を見ながら、しみじみと一人語りする。
思えばあっという間の二年間だった。
霊界に来た時も驚いたが、天使として働くことになり、予備裁判官として毎日悪霊を張り倒してきた。
気の合う同僚四人に加え、たくさんの天使たちと時間を共にした。
様々な世界から来た天使たちとの交流はとても刺激的で、地球では経験できないものばかりだった。
霊の中には、肉体が死にかけているために霊だけがこちらに来てしまい、結果として色々あって地上に帰っていった霊もいた。
他にも新しく天使に召された霊、虎子たちを見つけるやいなや勝負を挑んでくる霊などもおり、毎日が慌ただしく過ぎていった。
そんな中、天匠の事を毎日のように、茂三はこのモニターで見守っていた。
孫の頑張る姿は不思議と自身の活力となった。
しかし、この光景ともこれでしばらくお別れになる。
モニターで見た孫の最後の姿は、患者である美里を治すために、白衣を着て治療院の施術室に向かう後ろ姿だった。
「二年で立派な背中になったのう・・・・・・。頑張るんじゃよ、天匠」
自然と頬が緩み、目を細める。
あとの見守りは天国の娘夫婦に任せるとするか・・・・・・と安堵の息を漏らすと、茂三は立ち上がった。
茂三は後ろを振り返り、愛する妻、虎子を見る。
「そっちは『片付いた』かの? 天匠は頑張っとったぞ……って」
直後、穏やかな空気を打ち破るように、地が揺れ、真後ろで何者かが地面に突き刺さる。
仮の肉体を受けた悪霊に『ジャーマンスープレックス』をキメた虎子は、ゆっくりと立ち上がる。
「こいつも地獄に送り込んどきな!」
虎子が声をあげると、男は地面から顔が抜けぬまま、クタッと力なく崩れた。
その出で立ちに、茂三は思った。
(こっちも二年で『立派』になったのう・・・・・・)
二年前と比べ、更に強靭に発達した筋肉、そして尋常でないオーラ。
もちろん通常のトレーニングだけではこうはならない。
あらゆる筋肉を動かす際、その時に大きな負荷をかける『
元々虎子はこのようなトレーニングを地上でも行っていた。
ただし、イメージトレーニングで。
だがそのイメージは現実に影響を及ぼすほどリアルで、虎子の筋肉が悲鳴を上げるほどに強力な負荷をイメージして己を苛め抜いていた。
この度、魔法により細胞レベルで負荷をかけた腕や脚は、以前より遙かに筋肉の密度を増し、スカートと大きめのローブでなければその筋肉を覆い隠すことはできなかった。
いったい誰がこの女性を百歳『超』だと思うだろうか。
倒れたやくざ風の男は、いつものように数人の天使によって何処かへ運ばれていく。
「ほっほっほっ。婆様は相変わらず容赦ないのう。じゃが、見事な投げじゃった」
茂三は高らかに笑い、虎子を称える。
虎子はニコッと笑うと茂三に言った。
「その様子じゃ天匠は無事かい。安心したよ。それじゃ、最後の仕事も片付いたし、
よいしょっと、サンドバッグ風の鞄を左肩にかけ、静かに右手を差し出す。
「そうじゃのう。新しい世界への永い旅行じゃて」
茂三は虎子の手を取ると、仲よく巨大な門の方へと歩いて行った。
※ ※ ※
「お待ちしておりました。茂三様、虎子様」
巨大な門の前で、シルヴィは虎子と茂三を笑顔で迎える。
その美しい顔には、茂三特製の眼鏡が掛けられている。
「おお、シルヴィちゃん。やっぱりお前さんは眼鏡がよう
「あんたと会えるのもこれが最後かと思うと、寂しくなるねぇ」
虎子の言葉に少ししんみりとした空気が辺りを包む。
旅立ちの門出にはちょっと似合わない雰囲気だ。
シルヴィは穏やかに微笑む。
「ありがとうございます茂三様、虎子様。でも最後ではありませんよ。確かにお二人がこれから召される新しい世界『ノア』は、地球人よりも遙かに寿命が長い国ですが、お二人の寿命が尽きて、時が来ればまたお会いすることができます」
「やれやれ。これから新しい土地に足を踏み入れようって時に、もう寿命の話かい。まあ、何百年か後に・・・・・・また会えることを楽しみにしてるよ」
「私もです。虎子様」
そう言って虎子はシルヴィを優しく抱きしめた。
「では・・・・・・間もなくお時間です」
笑顔の中で少し寂し気な眼をして、シルヴィは静かに手を離す。
「皆さんとのお別れはもう済ませましたか?」
「ああ、問題ないさね」
「餞別ももらったしのぅ」
そう言ってポンと腹巻を叩く茂三。
その腹巻にはシルヴィがくれた十手が差してある。
「このキセルも大事にするぞい」
茂三はシルヴィのくれたキセルを口に咥えた。
このキセルもシルヴィがくれたもの。
ある約束を守ることを条件に、この世界の金属で作ってくれたものだった。
「本当に体には気を付けてくださいね」
茂三の気配りにシルヴィは笑顔を作ると、数秒ほど軽く瞳を閉じ、真剣な面持ちで言った。
「茂三様、虎子様、この門の先が『転移の空間』となっております。この門をくぐりますと、『ノア』のどこかにお二人は移動いたします。そこが『お二人を必要とする場所』・・・・・・お二人の新しい人生の始まる場所でございます」
寂しげに笑うシルヴィ。
幾つもの出会いと別れを繰り返したはずなのに、今回はシルヴィにとっても少しだけ特別なものになっている。
「あんたには世話になったねぇ。ジョーゼフ様にもよろしく言っといてくれるかい?」
「……はい。必ず」
「シルヴィちゃんは絶対眼鏡の方が似合うとるとワシは思うから、今度会うときまで眼鏡かけとってくれよ」
「はい。茂三様がプレゼントしてくださったこの眼鏡、ずっと大切にします。この眼鏡を通して、霊界から見守ってますね」
「ほっほっほっ。こりゃあ長生きせにゃいかんのう」
茂三は嬉しそうに高笑いする。だが、それもやはり、どこか寂しげな表情ではあった。
門の入り口の輝きが増す。
光の向こうは見ることができないが、あの奥に新しい世界が待っている。
シルヴィは初めて出会った時のように優しく微笑んだ。
「それでは、お時間です。良い旅を。茂三様、虎子様」
「達者でのう、シルヴィちゃん。それじゃあ婆様、行こうかの」
「そうだねぇ」
茂三は虎子の手を取り、ゆっくりと門に入って行く。
シルヴィがその背中を見つめていると、姿が消える間際、虎子はちらっと振り返り、楽しそうに口を開いた。
「そういえば、レイファイがアンタのこと気になってるって言ってたよ」
「えっ!? レイファイ様が!? ちょ、ちょっとそこのとこ詳しく・・・・・・‼」
「女は度胸だよ! シルヴィ!」
「ちょっ! 虎・・・・・・」
シルヴィの慌てふためいた声が最後に聞こえるのを楽しみながら、右手を天高く突き上げた虎子は、光の中に消えた。
※ ※ ※
遠のいていた意識が戻った茂三は、静かに目を開ける。
「のう、婆様」
「何だい?」
「目の前に・・・・・・何が見える?」
「・・・・・・たぶん今夜の晩飯さね」
「食えるんかの? これ」
「食わんと『喰われる』よ」
『ノア』と呼ばれた新しい世界。
二人が到着したのは、どこかの山の奥深く。
見渡す限りの木々。
地球では樹齢千年と言われてもおかしくないようなサイズの木も多く散見される。
あまりの空気の良さに思わず深呼吸の一つでもしたくなるところだが、それはちょっと後回しになりそうである。
二人が目を開けた先に・・・・・・巨大な魔物がいた。
『キラーアナコンダ』。
『ヘルメイズ』と呼ばれる、ノアで最も凶悪な場所の1つ『死の森』に生息する蛇の魔物である。
その全長はゆうに五十メートルを越え、首をもたげれば森の木々よりも高い位置に到達する。
非常に固い鱗に覆われており、そんじょそこらの剣では刃も立たない。
大きく広がる口は
その巨大な蛇が、首をもたげて虎子と茂三を睨みつけていた。
「シルヴィちゃんは、ワシらが『必要な場所』に行くとか言うとったが・・・・・・?」
「御心は解らんさね。とりあえずこの蛇の前に来ることが『必要』なんだろ」
大蛇は突然現れた二人に対し警戒したのか、その動きを止めた。
そして一瞬、蛇の目が何かを気にするように別の所を見る。
視線の先に倒れていたのは・・・・・・血まみれの少女。
それを二人は見逃さなかった。
狩りかけた『餌』を確認し、すぐに蛇は二人に視線をもどす。
だが、そこには既に二人の姿は無い。
「婆様!」
「はいよ!」
少女側にいた虎子が超高速タックルで瞬間移動、数十メートル先の少女を抱きかかえる。
慌てた蛇は巨大な首を振り回し、
さらに、蛇が自らの頭上に違和感を覚えた瞬間だった。
「気づくのが遅いのぅ」
ズブッ‼
蛇の脳内に、得物が刺さる時の重く鈍い音が響き渡った。
次の瞬間、蛇の視界は暗転する。
高くもたげた首が力なく崩れ落ちた。
倒れた蛇は木々をなぎ倒し、その動きを止めた。
茂三は空中で回転すると、蛇の頭に再び着地した。
蛇の頭部に刺さっているのは白い十手。魔力を流すと伸縮自在な茂三の愛器であり、天でシルヴィに「杖代わりに」と贈られたものだった。
「ほっほっほっ。図体はデカいが、急所は地球のモノと一緒か」
そういって柄を掴むとゆっくりと引き抜く。
その長さはゆうに二メートルを超えていた。
「本当に『魔導具』は便利じゃて」
魔力を調整し、本来の短い十手の長さに戻す。
さらに十手に着いた血を一振りで払い飛ばす・・・・・・だけのはずだったのだが、一瞬遅れて強振の衝撃で木が数本ほど斬り倒された。
(な、なんじゃ?)
自分のせいだと認識するのが遅れ、一瞬呆然とするも、茂三は笑って流すことにした。
(シルヴィちゃん、これは本当に『杖代わり』なんかのう?)
茂三のことを「お爺ちゃん」と慕っていたシルヴィ。
彼女のプレゼントは、思ったよりも強力そうである。
「おっと、いかん!」
はっ! と何かを思いだしたように茂三は周囲の気を探る。
そして、次の瞬間には虎子の気を目掛けて駆け出した。
「しっかりしな! 死ぬんじゃないよ!」
虎子は自分の気を少女に流し込み、傷口に集中させ止血を行う。
少女の体内に意識を集中させ、破れている血管を気で塞いでいく。
繊細でデリケートな作業。
こういう作業は脳筋な虎子の得意分野ではない。
だが、あきらめるわけにはいかなかった。
少女の意識は戻らない。だが、幸い脈も、呼吸もある。
虎子は全神経を集中させ、少女の回復に全力を注ぐ。
遠くで巨大な地響きが起きると、虎子たちのいる場所が軽く揺れた。
木々から鳥たちが一斉に飛び立ち、一つの気が消失したのを感じる。
あとは、茂三が来るまでこの娘の命を守らなければならない。
「すぐに治してやるからね! 気合い入れるんだよ!」
瀕死の少女に根性論を唱える虎子。
だが、その目には一点の曇りも迷いもなかった。
必ず自分の声は届く。
そう信じてやまなかった。
ゴフッと少女が吐血し、その身が軽く跳ね、痙攣する。
(ちっ! 全身が砕けて内臓も潰れてる! やっぱり回復魔法ってのを習っとくんだったかね!?)
さらに『気』を送り込むも、少女の体温が少しずつ下がるのを感じる。
内臓にも気を集中させ、その機能が停止するのを防ぐ。
「逝かせないからね! 頑張りな!」
虎子が送り込む気を更に上げていく。
焦りの混じった汗が少女に落ちた時、背後から現れたシワシワの手が少女に置かれた。
「よう頑張ったな、嬢ちゃん」
茂三の手から光が放たれ、少女を包み込む。
服こそ元には戻らないものの、光の中で少女の傷はみるみるふさがり、血色は回復し、呼吸は静かに安定した。
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