2/7日目 脅迫

 虎子たちがファウンテン邸に泊まったその夜、一陣の風が庭のルミナスフラワーを揺らした。


 一部の花が光を放ち、屋敷から門までの道を照らす。

 しかしそこに人影はなく、花はただ静かに月を仰いでいた。


 

 虎子たちがクルスト入りして二日目。

 早朝、キースは業務の一環で、門まで手紙や新聞を取りに行った。


 荷受け箱には新聞やファウンテン宛の多くの手紙が詰められている。

 いつものように確認していくと、その中に、キース宛の手紙が入っていた。

 

 見覚えのない筆跡。ご丁寧に封蝋まで押してある。

 嫌な予感を感じた青年は、その場で封を切った。

 

 中には白い紙が一枚だけ。

 そこにはこう書いてあった。

 『お前の妹を見張っている。今日の午後一時、指定の場所まで一人で来い』

 手紙の続きには、場所が手書きの地図入りで記されている。

 

 キースの全身に緊張が走った。

 ――妹の『エリイ』は病弱で、何度も入退院を繰り返し、現在は王立の病院で療養中のはずだ。

 ということは、妹の病院の中に、この手紙の主が潜り込んでいるのか?

 それとも、まさか病院のスタッフ?

 いや、外部からの監視?

 

 次々と浮かび上がる不安要素。

 何れにせよ、今もどこかで自分を見ているのだろう。

 迂闊な真似をすれば、その瞬間に妹の身に何かが起こる可能性がある。

 

 ――執事長に相談すべきか?

 いや、ダメだ。もし屋敷内に内通者がいた場合、その瞬間に妹が危ない。

 ジェスチャーでもダメだ。自分は屋敷内の暗号しか知らない。

 念話も厳しい。屋敷内で魔力の動きがあれば、内通者にバレる可能性がある。

 とりあえず、この『手紙』が屋敷の人間に見つかってはまずい。

 指定の時間と場所は覚えた。

 あとは……!


 キースは手紙を目線まで持ち上げると、静かにその手紙を魔法の炎で焼いた。

 一度だけ頷くと、その他の手紙を袋に入れて、屋敷に戻った。


 キースは執務室に手紙一式を置き、足早に部屋を出る。

 そして指定された場所に向かった。



(この辺りのはずだ……)

 焦りが背中を濡らし、鼓動は速いままだった。

 クルスト王国の街は、大通りとその周辺は賑やかなものの、ひとたび奥の通りに入れば多くの民家が立ち並び、最奥にはスラム街が現れる。

 スラム街には、貧しく、生活もままならない者達が多く集まり、一部のボランティアによって食事が提供されていた。

 このボランティアの多くは、貴族からの派遣である。

 ボランティアの功績が認められると、かかる必要経費や様々な特典を、国から得ることができる。

 

 しかし、キースはこの『ボランティア活動』が苦手だった。

 かつては自分自身もこの列に並び、配給を受ける側だったのだ。

 

 幼い頃はありがたかったが、食事を提供する側が『ある意味仕事』でこれをやっていると分かると、どうしても心の中で落ち着かないものがあった。

 無論、中には完全にボランティアで行っている者もいる。

 ファウンテンは一切の経費請求を行わず、国からの特典を断り、ただ純粋にボランティアとして屋敷の者を送っていた。

 実は、ファウンテン自身が配給の列対応をしたこともある。

 

 キースは家を失くした者や食事を提供するボランティアたちを横目に見ながら、更に奥へと進んで行った。


 そして、指定された場所に辿り着いた瞬間、背後から喉元に何かを突きつけられる。

「動くな」

 重く低い声で、仮面の奥から響く声。

 喉に当てられたものは黒塗りの刃。液体が塗られており、恐らくは毒物。


(いつの間に……‼)

 キースは『索敵』を使いながらここまで来た。

 執事学校で身に着けた索敵スキルは、シーフのスキル『潜伏』をも見破ることができる。

 『潜伏スキル』は自身や仲間を透明にし、匂いも消す。

 しかし、魔力の動きや気配は消すことができない。

 

 それに対し、もう1つの『潜伏』は、他者にかけることはできない。

 しかし姿や匂いだけでなく、魔力も気配も消す、というものだ。

 そして、そのスキルを持つ者は主として『暗殺者アサシン』である。


「少しでもおかしな動きを見せれば、仲間がお前の妹を殺す」

 その声に慈悲はない。

 恐ろしく冷たい声がキースの心臓に響いた。

(やはり、仲間がいるのか……)


 キースは腕を下げ、背後の人物に言った。

「何が目的だ。僕を狙ったのにはがあるんだろう」

「フン、察しがいいな。流石はファウンテンの執事見習いだ」

「早く要件を言え」

「要求を出すのは俺達だ。少し黙るんだな」

 影から更に2名の仮面が現れる。

 

 3対1。いや、病院に潜伏する者を入れればもっとか。

 状況はかなり絶望的だ。


「キース。お前には我々の手となって『雷凰』を盗んできてもらおう」

「なっ……⁉」

 

『雷凰』

 ファウンテンがソドゴラムで入手した、名工エストが作ったと言われる『刀』である。

 その刀は雷の魔力を纏い、刃でその力を増幅させる。

 しかし、雷魔法を使える者以外が手にすると、使い手自身が負傷すると言われ、非常に使い手を選ぶシロモノだった。


 雷魔法を使える者は少なくない。

 しかし、雷凰を扱えるほどの高い雷系魔力を持つ者は稀だ。

 

 そして、クルスト一族は雷系の魔力を扱うのを最も得意としている。

 

 『雷凰』は現在ファウンテンが屋敷に持ち帰り、管理している。

 まだ実物を見た事はないが、執事長からそのように聴かされていた。


「そんなことが、できると思って……」

「いや、してもらおう」

 キースが抵抗を示そうとした瞬間、黒ずくめの一人が魔法鏡を取り出し見せた。

 そこにはベッドで横たわる妹と、その横に立つ黒ずくめの姿。

 そして、その現場は既に、

 

「ッ⁉」

「解ったか。お前の妹は既に、我々の手の内にある。変装魔法で姿を変えた仲間が、お前の妹を退院させた。ファウンテンの屋敷で療養させることになったと言ってな」

「貴様らッ……‼」

 キースの怒りが沸点を越えようとしていた。

 

「キース、お前は我々に逆らうことは出来ん。もしおかしな動きを見せれば、お前の妹はこの世の地獄を味わい、死ぬことになるだろう」

「妹には手を出すな! 妹に何かあったら、俺はファウンテン様に報告して貴様らを滅ぼしてやる!」

「それはできぬさ。お前は妹を愛している。ファウンテンが情報を掴み、それから我らを探しても、見つけるまでどのくらいかかる? そしてその間、貴様の妹が我々の慰み者にされる、と知れば……な」

「……ッ‼」

 全身が怒りに震えた。

 握りしめる拳、噛みしめる唇から血が滴る。


「安心しろ。貴様が妙な動きを見せず、我々に屋敷の状況を報告すれば妹に手出しはしない。そして無事に雷凰を我々に渡せば、妹は無事に返すことを約束しよう」

 無論、こんな輩を信用できるはずがない。

 しかし、この状況に抗う術を持っていない自身を呪った。

 

 キースは強く目を瞑ると、呼吸を落ち着けた。

「分かった。『雷凰』をどうすればいいんだ?」

「それについては追って連絡する。貴様は我々の言うとおりにしていればいい。その方法は……」


 キースに小声で指示を出すと、男達は四方の闇に姿を消した。

 そして反響する袋小路に、声が響いた。


「失望、させるなよ。キース」



 その後、キースはその他の所用を済ませ、屋敷に戻った。

 元々表情が前向きでないキースは、作り笑いが上手くなった。

 いつものように表情をコントロールしながら、淡々と執務をこなしていく。


 そんな中、執事長に呼ばれた時には正直焦った。

 しかし、ただの所用だと分かると心の中で安堵した。


 キースは、男達に1つのペンダントを持たされた。

 シャツの内側に入れてあるそれは、用の魔導具。

 常に身に着け、ファウンテンたちの動きに異常がないことを確認するものだった。


 盗『撮』用のモノになると、サイズが大掛かりになり、映像を送る魔力を飛ばすのに大量の魔力が必要になる。そうなれば執事長や騎士団に一瞬で悟られる可能性が高い。

 そのために盗聴用の、ごく少量の魔力で使える魔導具が選ばれた。

 

 このため、キースを含む周囲の声は筒抜けとなる。

 風呂の間もトイレの時間も、全て聞かれる。無論、仕事に関してもだ。

 

 キースは上司たちとの接触を、極力避けるように努めるしかなかった。

 

 この魔導具は、キースの体表に流れる魔力を使用して動くため、外した瞬間にペンダントは止まる。

 つまり、ペンダントを外せば、その時点で妹の命が危機に瀕する。

 

 自分が死ねば、妹は助かるだろうかと考えたこともある。

 しかし、相手はおそらくガディ一家。

 他者を蹂躙することに罪悪感を持たぬ集団。

 つまり、自分が死ねばその瞬間、妹は確実に地獄を見ることになる。


(すみません、ファウンテン様……)

 妹を守るために。そのような大義名分で自分を正当化しようとする。

 しかし同時に、自分達を我が子のように受け入れてくれたファウンテンに対する罪悪感が、猛烈に心を支配した。


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