マッチはもったいない

 虎子が馬車を引きはじめてから、およそ六時間が経過した。

 さすがに馬ほど早くはないものの、その体力は騎士団の想像をはるかに超えていた。

 だが、これまで止まることなく歩き続けた虎子は、広々とした場所に来たところで、急に足を止めた。


 魔物が現れた時も足を止めることがなかっただけに、心配に思ったファウンテンは馬車を降りて虎子に話しかけた。

「虎子殿、何かありましたか?」

 虎子はじっと空を眺める。

 

 3つの大きな月はまだ見えるものの、ゆっくりと星々の明るさが空に溶け込んでいく。

 薄明かりが差し、夜が明け始めているのがわかった。


 虎子はファウンテンに顔を向ける。

「そろそろ、飯にしてもいいかい? そういえば昨晩は食い損ねたんだったわ」

 虎子の言葉に一瞬驚いたファウンテンは、すぐに返答する。

「ええ。もちろんですとも!」

 長い夜を抜け、一行はようやく食事を摂ることにした。


 

 騎士団は馬車を囲むように、思い思いに場所を決めて座る。

 各々の次元収納袋からパンや干し肉を取り出し、かじり始めた。水は皮袋に詰めて持ち歩いている。


 その時、部隊の回復役こと神官レマはミリアが何かを作っているのに気付き、鬼龍院一家に歩み寄った。


「あのう、何をなさってるんですか?」

 乾いた木を集め、組み上げているミリアに声をかけた。

 後ろからのレマの声にミリアは振り向く。

「焚き火の準備です。茂三おじいちゃんが鍋を食べたいっていうから」

「え? 鍋⁉」


 レマの喉がごくりとなった。

 遠征で慣れてはいるものの、ソドゴラムから数日間、干し肉と固いパンを繰り返した体は、正直まともな食事を欲しがっていた。

 そこに『鍋』という甘美な響きは、あまりに強烈すぎる。


「おじいちゃん、準備できたよ~」

 ミリアが茂三に声をかけると、茂三が手ぶらでやってきた。

「これでいいの?」

 そういったミリアが指す場所には、積み上げた枯れ木の山、そしてその横には自然に倒れた幹の直径が50センチほどの枯れ木があった。


「ほっほっ。ありがとのう。年寄りには重量物は酷じゃて」

 茂三は倒木の前に立つと、右手を腹巻から抜いた。

 次の瞬間、木の幹から枝が落ち、1メートル分ほどの幹が音もなく輪切りになって転がった。


「えぇっ⁉」

 レマの脳が目の前の事象を処理できず、裏返った声が出てしまった。

 咄嗟に恥ずかしくなったレマは慌てて口をふさぐ。


「ほっほっほっ。なに、驚くこともない。ちょっと素手で丸太を斬っただけじゃて」

「す、素手で丸太を?」

「これくらいは常識じゃよ」


 そんなバカな! そういいかけた言葉をレマは何とか飲み込んだ。

 なぜなら彼は昨晩回復魔法を使い、魔法を杖で斬っていた大魔法使いであることを思い出したからだった。

 それ故に、目の前で起きた事が信じられない。

 静かに深く呼吸し、冷静に状況を分析する。


(今のは風魔法? 光魔法? ううん、茂三様は「素手で斬った」と言われたわ。どういうこと? 魔力の残滓もオーラも感じなかった・・・・・・まさか無詠唱の新魔法?)


 茂三は戸惑うレマを見て微笑む。

「勉強熱心じゃの、お嬢さん」

 そう言って茂三は丸太を左手の指先で掴んで起こす。

 長さ1メートル50センチほどの丸太は、まるで発泡スチロールのように軽々と立ち上がった。


「へっ?」

 茂三の丸太起こしを見たレマは、さらに気の抜けた声を出してしまった。

 今度は、もう口を塞ぐことをしなかった。

 

 その様子を見た隊員たちが何事かと思い、ぞろぞろと集まってくる。

 ファウンテン親子もその輪に加わった。


 ミリアと虎子はニコニコと茂三を見守る。

 茂三はレマに言った。


「では迷えるお嬢さんに質問じゃ。この直径50センチほどの丸太を切断するのに、一番早い方法は何じゃ?」

 突然の質問に戸惑うレマ。自身にできる最速の答えを考える。

「私でしたら、風魔法で斬る・・・・・・と思います」


 茂三はレマの答えを聞いた後、頷いて他の隊員に言った。

「その方法なら、詠唱から発動、丸太を斬るところまで3秒くらいか。他の者はどうじゃ?」


 その問いに、ライネルが答えた。

「自分でしたら、剣で斬るのが最速になります」


 なるほどのぉ。と茂三は頷くと言った。

「他にはどうじゃ?」

 リータは自分は槍で斬るしかない、格闘士のローレンスはオーラを纏っての斬撃なら・・・・・・と答えた。


 茂三は彼らの答えにうんうんと頷くと、丸太に向かって立った。

「ワシならこうじゃ」

 茂三は丸太の側面をコンっとノックする。

 次の瞬間、バランスを崩した丸太は倒れた。

 十センチの等間隔の輪切りになって。

 

 そこにいた虎子を除く全員の、全身から冷たい汗が噴き出した。

 そして隊員の半数が、その一瞬についていけなかった。


 フェネル、リータ、ライネル、そしてローレンスの四人は、その技をかろうじて視覚に捕らえた。

 正直に言えば、見えたわけではない。ただ、一瞬だけ『手刀の動作らしき残像』が見えたのだ。


 一瞬の内で放たれた超高速の左右の手刀。

 下の方を斬るための屈伸すら速すぎて見えない程である。


 オーラも、魔法も使わず、ただその技量のみで丸太をバウムクーヘンのように切り裂き、残像が残るほどの速さで元の姿勢に戻る。


 茂三はフェネル達の表情を見て悪戯っぽく笑う。

「さすがにここまでスピードを落とせば見えるか」

(――――ッ‼)


 この瞬間、茂三は隊員たちの心を虜にした。


 

 茂三の一芸に度肝を抜かれたあと、ミリアは茂三に言った。

「おじいちゃん、丸太を斬ってどうするの? 火は魔法で起こす?」


 その言葉に茂三は乾いた枝と枯葉、自身が斬った丸太を手に取り、座って言った。

「焚き火用の火起こしは・・・・・・こうじゃっ!」


 丸太を両足で挟んで固定、枯葉を載せてその上で枝を両手で高速回転。

 茂三の超絶技巧により、あっという間に枯葉に火が付いた。


 おおっ! という感嘆の声が上がる。茂三はちょっと嬉しそうだ。

 

 フェネルは顎の下に手を当てて言った。

「確かにこの方法なら魔力も使わず、敵の魔力探索にも引っかかりませんね! 流石です茂三様!」

「そっか! すごいよおじいちゃん!」

 ミリアも納得し、茂三を称える。


 だが、肝心の茂三はとぼけた顔で「違う違う」と手を振った。


「ではどうして、こんな原始的な方法で?」

 皆は一様に不思議に思った。


 茂三はあっけらかんと言った。

「だってワシ、炎とか雷とか、攻撃魔法使えんし」


 ピウゥゥウ……。

 皆の思考が停止し、木枯らしが吹き抜け、茂三の起こした火が消える。


 

 次の瞬間、一同の仰天が山中にこだました。

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