進むべき道

「おじいちゃんお帰り!」

 

 ミリアの熱い抱擁をうけ、「うひょひょひょ」と茂三は鼻の下を延ばす。

 ミリアはぎゅっと腕に力を込めると、耳元で「ありがとう」と囁いた。

 

 茂三は軽くミリアの背中に手を回すと、ポンポンと軽く叩く。


「爺様はだねぇ。孫の前では優しいんだから」

 腕を組み、仁王立ちの虎子は苦笑いしながら茂三を出迎える。


「ほっほっほっ。いくら孫を苦しめた輩が相手でも、孫本人が相手を殺すことを望んでおらんでの。……婆様かてそうじゃろ?」

 悪戯っ子が次のイタズラを仲間に確認するような目で、茂三は笑った。


「ふん、まあね。解ってるじゃないか」

 虎子は少しだけ照れくさそうに口の端を上げた。

 

 ゲラウトはフロントスープレックスにより顔面から落された事による『頸椎損傷』を負っていた。

 だが、言い換えればそれだけだ。

 頚椎損傷も地球であれば大事に至るところだが、この世界には魔法がある。

 回復部隊の回復魔法により、ゲラウトは一命を取り留めていた。もちろん、元通り動くこともできる。


「本当に優しい子だよ」

 虎子は嬉しそうに目を細めるミリアの頭を撫でた。


 もし、ミリアがでスティールを撃っていたなら、虎子も茂三も迷わず残りの四人を屠っていただろう。

 それはもう、回復が不可能なほどに。


 しかし、ミリアは『ゴム弾模擬弾』でスティールを気絶させ、勝利を収めた。


 本人は「間違えた」と言っていたが、ゴム弾と実弾では重さが違う。

 プロのスナイパーとして生計を立てるミリアに、その様なミスはあるはずがない。

 

 ましてには、実弾が装填された銃がホルスターに収められているのだ。


 つまり、これは意志表明。

 自分は憎いとは思っても、『殺す気はない』――と。

 

 裏の世界で生きてきた茂三と虎子は、そのメッセージを驚くほど的確に受け取っていた。

 互いに話し合うことも、目配せすらすることもなく。

 

 結果、五人とも命は助かったのだが……。

 無論、生き残ったとて、彼らには敗者として地獄が待っている。

 

 特に、茂三の怒りに触れたヘイトだけは、他の四人と少しだけいた。


 

 茂三を小さな拍手で向かえたイリアス王は、滾る血を抑えながら茂三に声をかける。

「見事なでした、茂三殿」

「ほっほっほっ。流石にお主には『見えた』か」

「超速の居合……あれほどの速さは見たことがありません」


 イリアスの言い回しに茂三は笑いながら応える。

「かつてのお主以外には……かな?」

「いえいえ。そんなことは」


 ニヤリと笑う二人の視線が混じり合い、空気が一瞬張り詰める。

 互いにいつでも剣を抜ける。そんな緊張感が漂った。

 しかし、先に視線をそらしたのは茂三だった。


「その手にゃ乗らんよ。頭ではりたいと思うとるかもしれんが、それは『今』ではない。ワインの飲み過ぎと、修行不足で訛っとるその体じゃ、ワシも面白うないしの」

 茂三の鋭い笑い目にイリアスは一瞬体をこわばらせると、目を閉じて小さく息を吐く。


「……確かに」

 茂三とイリアスの視線が再び重なり、同時に二人の口の端が上がる。

 互いが無言で相手の強さを称えた瞬間だった。


 だが、ここに一人、プライドを刺激された者がいた。

「では、自分ではいかがでしょうか?」

 白い王子服と腰に刀。金髪碧眼に長身。さらに美貌も兼ね備えた十七歳の若き王子が、茂三の前に立った。


「ライアル?」

「父上、申し訳ありません。出過ぎたマネをお許しください」

 イリアスは自分の呼びかけに振り返らぬ息子の背を見て、この意志が『本物』であることを感じ取る。

 

 ライアルは茂三に言った。

「茂三先生。先程の術・・・・・・感服いたしました」

「ほっほっほっ。世事や前置はよい。ワシに何の用じゃ?」

「単刀直入に申し上げます。私と手合わせをお願いできませんでしょうか?」


 茂三はライアルを見つめ、静かに言った。

「……断る」

 

 一瞬の沈黙の後、ライアルは茂三に問う。

「理由をお聞かせ願えますか?」

 目指す剣の先にある『姿』。

 どうしてもなりたい境地へ辿り着くために、ライアルは食い下がる。

 

 刀に手を掛け、どうしても戦いたいという空気を出し続けるのを見て、静かに茂三はライアルの手を取った。

「先生?」

 戸惑うライアルに茂三は掌を開くように指示し、そしてじっと見つめた。

 

「良き手じゃ。この手を見れば、おぬしがどれだけの間、剣に情熱を込め、絶え間なく修練を積んできたのがようわかる」

 

 ライアルは沈黙を保ったまま茂三の言葉に耳を傾けた。

「じゃが、王子よ、そなたは多くの魔物を斬ってきたかもしれんが、『人』を斬ったことが無かろう」

「!?」

 ライアルは一瞬大きく目を見開く。

 茂三は手を離さぬままま言葉を紡いだ。

「どんな理由であれ、人を殺めた者からは独特の『血の匂い』がするもんじゃよ。そういう『気』が体に染みつく。じゃが、そなたからは人の血の匂いがせぬ。じゃから……ワシの剣を学ぶことは許可できんよ」


 ライアルは言葉が見つからなかった。

 王子として生まれ、修行のため多くの魔物討伐に参加した。高位の魔物や竜も討伐したことがある。

 だが、山賊・盗賊の討伐には参加したことがなく、『人』を斬ったことがなかった。

 

 理由は一つ、王がそれを許さなかった。

 

 山賊、盗賊は魔物とは違う。

 人間同士の戦いであれば、まず狙うのは多くの場合『指揮官』だ。

 ライアルが隊に参入すれば、基本的にライアルが指揮官となり、最も狙われる立ち位置になる。

 たとえ指揮官でなくとも、それは同じ事。

 前線であろうと何であろうと『王子』が部隊にいることが万が一発覚すれば、敵の目標はライアルへ一点集中することになるだろう。

 だからこそ、家臣の反対もあり、対人戦の最前線に出ることはなかった。

 

 それ故に、対人戦での経験は、訓練と大会でしか積んだことがなかった。

 それで強さは十分に示せるから、と。


 しかしそれを、茂三は掌から見抜いた。


 ライアルは言葉に詰まったが、勇気をもって茂三に問う。

「それでは、人を斬ればあなたと手合わせができますか?」

 その瞳は悔しさと己の未熟さを呪うような重さを持っていた。


「ほっほっほっ。焦るでない。人を斬ることがそんな単純ではないことぐらい、そなた自身が分かっておろう」

「……」

 心の中を見透かすような茂三の目。

 それは深い闇の色で、そしてとても澄んでいた。


「王子よ、ここでそなたが王としての役割を引き続き学ぶも良し。戦場の前線に立って兵の気持ちを学ぶも良し。じゃが、そなたの父が外で戦い英雄となったように、此処にいる限りは自身の『命』を賭してその刀を振るうことはできんじゃろう。民の勇気と旗になることは出来てもな」

 その言葉に異議を唱えるものはいなかった。

 歴代の国王が皆、国民のために魔王と闘い、剣を振るってきたことを知っていたからである。


「守られた環境にいる限り、民の現実と苦難を知ることは出来んのじゃ」

「……」

「自分で選びなさい。平和な国を守るため、まっすぐに王としての道を行くか。一時でも王子としての立場を捨て、弱き者を知るために野へ出て剣を振るうか。父のようになりたくば、同じような経験を積むのが一番じゃとワシは思うがの。ワシの剣を知るのはその後でええ」

(自分で……選ぶ)

 ライアルは茂三の掌から、自分の手を静かに引くと、胸に手を当て頭を下げた。


「ありがとうございました。茂三先生」

「ほっほっほっ。なんもなんも。頑張りなさい」


 そう言って踵を返した茂三。杖を突きながら静かにミリアたちの方に歩みを進める。



 ライアルは茂三から伝わってくる気を感じ取っていた。

 

 茂三の『気』。

 本来は争いを好まずも、闘い、殺めてきた者。

 その冷たく優しい『気』との出会いは、王子として生きてきたライアルに大きな衝撃を与えた。

 

「それにのう……お主にワシの剣は似合わんよ」

 振り返ることなく、茂三は寂しそうにつぶやいた。

 

 その言葉は誰の耳に届くこともなく、静かに虚空に消えた。


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