桜邸は化物屋敷⑤

「頭きた! いくら神様でも、やっていい事と悪い事あると思うんだけど!」


 花さんの姿が見えない事に、少なからず傷心していた俺は、突然楓さんがブチ切れた事に驚いて、ギョッとして振り返った。


「何あの感じ! 突然出てきて引っ掻き回してどういうつもり!? 指輪用意してくれるって聞いたから、てっきり味方してくれてるのかと思ったのに。白鳥君の視力を奪うって何考えてんの!」


(視力を奪う? でも、目が見えなくなった訳じゃないし……)


「楓さん、どういう事?」


 首を傾げると、楓さんはムッとした顔のまま俺を見た。


「まだ仮説だけど、さっき金紅様が白鳥君に近づいた時、妖術で白鳥君と花ちゃんの縁に干渉したんだと思う。じゃないと、なんで白鳥君が花ちゃんを見つけられないのか説明が付かない」


「でもそれって、花さんの力が弱くなってるから見えないって、さっき雷さんが……」


「あの言い方、何か引っ掛かるんだよね。実際金紅様は、花ちゃんが桜の神の力を使ったから、白鳥君に触れられたって言ってたけど、その力のおかげで白鳥君が花ちゃんを見つけられたとは言ってないのよ。もしかすると、なんじゃない?」


 楓さんがそう言うと、火野さんはどこか納得したように頷いた。


「確かに、もし桜の力で万人に姿を見せられるなら、誰も見つけられなかったっていうのはおかしな話だ。白鳥が桜花を見つけた、ただ一人の一般人だったから、桜花は白鳥に惚れた訳だしな」


「やっぱり、桜の神の力が無くても、白鳥君は赤い糸の力で花ちゃんを見つけられたんだよ。だから、どんなに弱い存在になったって、なんだ」


 二人の話を頭の中で整理する。

 理由は分からないけど、雷さんが俺を目隠ししているせいで、俺は花さんが見えなくなっているらしい。


「じゃあ、もしかして、雷さんを説得できれば、俺はまた花さんを見つけてあげられるのか?」


「金紅様を説得できればね……。でも、一体どうしてこんな事したんだろ。よく嫌味は言うけど、こんな酷い事する神様じゃなかったのに。……神として愛を試してるとか?」


「その割には、かなり殺気立ってたけど?」


 指摘すると、楓さんは苦い顔をした。どうやら、本当に心当たりが無いようだ。


(雷さんの動機がわからない。知らないうちに、何か天罰落とされるようなことしちゃったのかな……)


 悩んでいると、火野さんが新しい煙草を取り出しながら声をかけてきた。


「考えるだけ無駄だ。神なんてそんなもんだからな。特に元が妖怪の奴は、気まぐれで自分勝手で、手が付けられん」


「火野さんだって妖怪じゃないですか」


 指摘すると、火野さんはまさに妖怪らしい意地悪そうな笑みを浮かべた。


「まあな。特に俺は危険な祟り神だからな。自分勝手に動くし、依怙贔屓えこひいきするし、他の神からも嫌われるくらい陰惨だ。そんな俺が睨んだところ、あいつ今回は完全に妖怪として私怨で動いてるぞ」


「……金紅様にしては、やたら自分が神様だって強調してると思ったけど、私怨で動いてるなら納得だわ。どうにか自分を正当化しようと必死な訳ね」


「あくまで、勘だ。だが、そうじゃなきゃ、慎重なあいつがこうも大胆な嫌がらせをするのは納得いかねぇ。性悪妖怪の本性丸出しで、ほとんど自暴自棄になってやがる。……その理由までは分からんがな」


「……でも俺、雷さんに恨まれる心当たり、本当に無いんですけど」


 これは本当にそう思っている。なんでこんな事になってるのか、全然わからない。


「妖怪が怒る理由って、人には理解できない滅茶苦茶なものだったりするんだよね。種が違うから当然っちゃ当然なんだけど……」


 楓さんは溜め息を吐いて、申し訳なさそうな顔で俺を見た。


「うちの神様が迷惑かけて本当にごめんね。あたしの力じゃ、とても金紅様のかけた妖術を解いてあげられないや……」


 珍しく楓さんが弱音を吐いた。でも、相手が楓さんの家の神様なら、しょうがない気もする。自分の上司、言わば社長みたいなもんだろうし。

 俺なんて、前の職場じゃ先輩にすら頭が上がらなかった。


「楓さんのせいじゃないよ。というか、楓さんに解けないなら、誰にも解けないよ」


 何とか元気付けようと笑ってみたけど、どうも弱弱しい感じになってしまった。虚勢を張ってるってバレてるかな。内心焦っていると、火野さんが落ち込んでいる楓さんの背中を叩いたのが見えた。


「楓、何もできない訳じゃないだろ。できる事をやってやれ」


「そうね」


 楓さんは、病衣のポケットから携帯用のソーイングセットを取り出した。小さな針と糸を取り出すと、慣れた手つきで糸を針に通した。


(凄い。あんな小さい穴に一発で通した)


 ガサツでズボラを自称しながら(実際そうだけど)、こういう器用な一面がある人だ。素直に感心していると、楓さんは俺に手を出すよう促してきた。


「霊媒師は神様の力が無いと役立たずだからさ、力を貸してもらえない時の為に、それなりに悪知恵を働かせる訳よ。結界とか、大掛かりなことはできないけどさ」


 俺の小指に糸の端を巻きつけながら、楓さんは話してくれた。


「大きな仕事の前に、仕事道具を祈祷するんだけど、鋏や針が折れちゃったり、糸が無くなったりすると困るからさ、それなりの数用意するんだよ。それでも数が足りなくなったりするんだけど、上手くいけば少しだけ残せるの。そういうのを取って置いて、こういう時使うんだ」


「ジジイがあの絡新婦の嫌う式神を作れたのも、この手を使ったからだろうな。あいつはあれでも、かなり腕が立つ霊媒師だ」


「師匠、全盛期は最強とか言われてたらしいし」


 ふと、雷さんが嫌っていたあの式神を思い出した。花さんを苦しめていた、あの化け物みたいな式神は、相当な手間をかけて作られたものらしい。でも、あれが負けても蔦美は全然悔しそうじゃなかった。むしろ、清々しい気分とでも言いたげな笑みを浮かべていた。あいつの真意は今も分からない。


 でも、それより、今は別の事の方が気になる。

「神様の力を借りた道具を取っておくって、そんな保存食みたいな感じでいいのか? もっとなんか、神々しい感じかと思ってたんだけど」


 あれだけ雷さんが、霊媒師は神の力が無いと何もできない、みたいなことを言っていたのに、こんな抜け道があったのは衝撃的だった。


「だって、神様だって四六時中霊媒師の頼み聞くの大変じゃん? 時間を決めて、できる限り纏めてお願いしておいた方が、どっちにとっても楽でしょ?」


「それ、なんて働き方改革……」


(そういえば、転職どうしよう。何も進めてないや……)


 俺がぼんやりと嫌な現実に目を向けてしまっている間も、楓さんは着々と作業を進めていた。小指に結び付けた糸の反対側を、俺の向かいへと持って行った。すると、糸の先が何もない所に吸い込まれて消えてしまったように見えた。


「今、花ちゃんの指に糸を巻いているところ。それで、仕上げにこの針を輪に通して、結んで終わり」


 糸を結び終えたらしく、楓さんは針と糸をソーイングセットに戻した。

 ふと指に視線を向けて、思わず首を傾げた。


「あれ?」


 さっき糸を結んだはずの指から、糸が消えていたのだ。


「楓さん、糸が——」


 そう俺が口を開いた時だった。


「雪二さん!」


 凛とした鈴の音の様な、懐かしい声が聞こえた。


「花さん?」


「雪二さん! ここです。私は、ここにいます」


 彼女の顔は見えない。でも、確かにここにいるんだと、安堵した。目の前にいるのは俺が知る花さんで、ちゃんと帰って来てくれたんだ。


「今はこれが精一杯だけどね」


 そう言って笑う楓さんに俺達は、ほぼ同時に、

「ありがとう楓さん」

「ありがとうございます」

 感謝の言葉を贈っていた。


 これで、ようやく花さんと自由に話ができる。聞きたいことは沢山あった。でもまずは、花さんが本当に怪我をしてないのか知りたい。


「花さん、大丈夫だった? 痛いところはない?」 


「大丈夫です! 雪二さんが引っ張ってくれたおかげで、こうして戻ってこれました!」


 楓さんから教えて貰った返答と同じだ。本当にそうなら、安心なんだけど……。


「ずっと河原にいたの?」


「あの川を覗くと、雪二さんのお姿が見えたんです。だから、雪二さんが何をされているか、ずっと見守っていました」


「それ、ほぼストーか——」

 火野さんが何か言いかけたけど、楓さんが火野さんの足を踏んで黙らせていた。あまり気にしない事にして、花さんの話に耳を傾けた。


「それに、あそこにいれば、いつかお爺さんになった雪二さんがこちらに来られた時、手を引いて差し上げられますもの」


「やっぱり、そうだったんだ」


 花さんは、また俺を待っていてくれようとしたみたいだった。花さんをこっちに呼び戻せてよかった。また何十年も待たせるなんて、俺にはとても耐えられない。

 いや、そうじゃないな。俺が耐えられなかったんだ。


「恥ずかしいけど、俺はさ、花さんよりずっと寂しがり屋だから、ちょっと離れるだけでもこんなに寂しかった。もし花さんがここにいたら何て言うんだろうとか、最近はずっと考えてた。君の事、もっと知りたかったんだ」


「私も、雪二さんの事を知りたくて、ずっとお姿を追っていました。でも本当の事を言うと、ずっと寂しかったんです」


 やっと、花さんの本音を聞けたような気がした。あの短い間でも、花さんが俺を心配させない様に振舞っていた事には気付いていた。

 抱きしめたい気持ちになったけれど、今はそれも叶わない。それでも、俺は花さんへと手を伸ばしてしまっていた。


 すると、手を伸ばした先に薄っすらと白い何かが浮かび上がった。男の俺と比べると、あまりにも細くて、小さな手。薬指には、俺が贈った指輪をはめてくれていた。その指の先は擦り剥けていて、爪は痛々しくひび割れている。


「やっぱり、怪我してないだなんて、俺を気遣って嘘を付いていたんじゃないか」


 両手で、ギュッと握りしめた。まだ、彼女の顔は見えない。でも、左手は確かに俺の手の中にある。両手で包み込んで、花さんの痛みが無くなるように、目を瞑ってただ強く願った。


「凄い……あれだけの怪我がもう治ってく」


 楓さんの声が遠くで聞こえて、また目を開けると、花さんが傷めた手は完全に治っているように見えた。


「花さん……。よかった。桜の神様のおかげだね」


「あ、いえ……今のは、ゆ、雪二さんのおかげで……」


 花さんは、どこか口ごもった様な声でそう教えてくれた。


「あ~あ。花ちゃん耳まで真っ赤になっちゃった。白鳥君って、意外とプレイボーイだったりする?」


 楓さんがニヤニヤしながら俺達の方を見ていたので、俺は思わず花さんのいる方を凝視してしまった。でも、やっぱり花さんの顔は見えなかった。見えるのは、彼女の左手だけだ。それでも、なんの気配も感じられないよりは遥かにマシだ。


「お前、なかなか霊媒の才能あるな」


 そう声をかけてきた火野さんは、珍しく感心したような顔をしていた。


「そういえば、就職先探してんだろ? 事務所うちに来るか?」


「あき君!?」


 驚いたのは俺だけじゃなくて、むしろ楓さんは飛び上がる程驚いていた。


「何言ってんの!? 霊媒師なんてクソブラック稼業、白鳥君にさせられる訳ないでしょ!」


 楓さんが慌てても、火野さんは尚も俺の事をジッと見ていた。


「あの性悪蜘蛛に、おまえの根性を見せつけてやりたいと思わねぇか?」


 そう言われて、雷さんが怒っている事情を知るには、少しでも近づいた方がいいんじゃないかという気がしてきた。というか、距離的にも事務所の下にいるんだし……。


「絶対駄目だって! どんなに危険かあき君だってわかってるでしょ?」


「考えてみろ。桜の化身と結び付いた一般人を放置する方が危険だろ。協会に囲われる前に、うちで保護した方が安全だ。それに、ちょうど雑用係を探していたところだろ?」


「確かに、そうだけど……」


 二人は言い争っていたけど、事務所に入るか入らないかの前に、一つどうしても確認したい事があったので、質問を投げかけた。


「霊媒師って、幽霊見えるんだよな?」


 そう聞くと、二人は言い争いを止め、驚いたような、なんとも間の抜けた表情で顔を見合わせた。


「そりゃ、まあ、そういう仕事だし」


 楓さんに、「何言ってんの。当然でしょ」って顔で見られたけど、大きな決断をする前には、最終確認は大事だろ。


「霊媒師の研修受けたら、花さんの事見えるようになる?」


「研修……?」


 真面目に聞いたのに、火野さんは噴き出した。楓さんは口を押えて絶句してしまったけど、どこか噴き出すのを堪えているようにも見えた。


「だって、少しでも可能性を高めたいんだ! 恋人がいるのに、どんな表情をしてるかとか、髪型を変えたとか、どんな服を着てるかとか、何も! わからないんだぞ! 寂しいじゃないか!」


 もちろん、やる気だってある。どんなに本気か見せてやろうじゃないか!


「元ブラック社員舐めんな! 有給返上して二十四時間働いてやるぞ!」


 必死に叫ぶと、火野さんは片手で頭を押さえながら大笑いして、楓さんも遂にお腹を抱えて笑い出した。


「わかった、わかった。あたしが退院したら、こき使うからそのつもりでいて。でも、流石に定時上がりにしようよ。あたしも帰りたいし」


「有給返上も勘弁しろ。俺だって休みたい」


 何がツボに嵌まったのか、二人はまだ笑っていた。でも、内定決まったってことだよな?


「よし! 気が変わらない内に契約書くれ!」


 でも俺が立ち上がると、花さんの手が俺の裾を掴んで引き留めた。


「雪二さん……でも私、雪二さんが危ない所に行くのは嫌です」


 心配そうに俺を引き留めてくれた花さん。でも、俺が働くのは君の為でもあるんだ。

 どうにか説得できないか、口を開こうとしたとき、楓さんが提案を投げてきた。


「大丈夫。危険な事は絶対させないから。それでも嫌なら、職場にいてくれば? 今の花ちゃん、守り神の化身なんでしょ?」


「そうします!」


(ちょっと待ってくれ!)


「今、憑いてくればって言った? 参観日みたいなノリで言ってるけど、取り憑くってこと!?」


「はい。雪二さんの肩をお借りしますね。前より弱くなってしまいましたが、大丈夫です。私が雪二さんをお守りします!」


 花さんがそう言うと、桜の木が枝を伸ばしてきた。


(それ、まだ使えるんだ!?)


「た、頼もしい~」


 口を滑らすと、花さんが笑ったような気配がした。

 ちょっとだけ身構えたけど、花さんがいいならそれでいいかって気持ちになる。彼女を祟り神にさせないためにも、できるだけの事はしてあげたいし。


 少しだけ遠い目をすると、いつの間にか近づいてきていた火野さんが俺の肩を叩いた。まさか、慰めてくれてるんだろうか。そう思っていると、彼はもう片方も叩いた。


「丈夫そうだな」


「まさかの強度チェック!?」


 思わず声に出すと火野さんは、

「人間の肩は二つある訳だ。その内一つくらい、快く貸してやれよ」

 そう言ってまた俺の肩をバシバシ叩いた。


「火野さん、肩ってその為に二つある訳じゃないんですよ……」

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