桜の下で春を待つ君⑫

「じゃあ、行くとしますか」


 楓さんがドアハンドルに手をかけた。そのとき——。


「何やってんだお前! ここに居ろよ! 何の為に俺に力セーブさせたんだよ」


 火野さんが物凄い剣幕で楓さんを睨んだ。


「何言ってんの? 先ずは降りた瞬間の総攻撃をやり過ごさなきゃでしょーが。鈍ったの?」


 楓さんも火野さんを睨み返している。


(このタイミングで、喧嘩だと……!?)


「こっちの台詞だ。俺が先に降りる」


 火野さんの吐き出した煙が意志を持ったように渦巻いて、俺と楓さんを隠そうとしている。


「は? 姿も消さずに行くつもり? 真っ先に降りれば、的になるのはあんたでしょ? いくらあんたでも、呪い相手ならヤバイでしょーが!」


 楓さんが抗議するも、火野さんの体は煙に変わり始め、煙は閉められたままのドアの隙間から外へ漏れ出している。


「だから、引き付けてやるから、限界まで隠れてろって言ってんだ! 合図したら来い」


 そう言うが早いか、火野さんは車内から姿を消し、数メートル離れた道の上に突然現れた。同時に、呪いの枝が群れとなって火野さん目掛けて襲い掛かかる。槍の様に尖ったそれは凶器そのものだ、人の体なんて簡単に串刺しにされてしまう。

 でも、火野さんが枝に向かって手を翳した途端、無数のそれは瞬く間に灰となって落ちていった。枝は驚いたように引っ込もうとするも、逃げられない。ワゴン車の周囲を探っていた枝は一瞬にして大半が焼き払われてしまった。


 その様子に、楓さんはやれやれとため息を吐く。


「煙と火は切れない関係だけどさ、一度火が付いたらこれだもんなー! 本っ当、昔っから、喧嘩っ早いんだから。すぐ火花散らすとか、あいつ本当は火打石の妖怪なんじゃないの?」


「そんなに怒らなくてもいいだろ? だって、今のあれ完全に楓さんを護る為だろ。降りるとき、見たこと無いくらい優しい顔してたぞ」


「だから余計腹立つのよ! 妖怪だって下手すりゃ本当に死ぬんだから!」


「やっぱり心配なんだ。でも、ほら大丈夫そうだよ。……というか、滅茶苦茶強いな! あれでも花さんには勝てなかったのか?」


「それは……」

 楓さんは言葉を詰まらせた。けど、やがて観念したように口を開いた。

「あたしが、花ちゃんを見逃したから」


「……え?」


 思わず、驚いた顔で楓さんを見てしまった。だってその言い方だと、まるで勝てたはずの勝負を、途中で投げ出したみたいに聞こえるじゃないか。


 楓さんは、外を見たまま苦笑いしていた。


「話そうかどうか、迷ってたんだけどさ。私とあき君は、一度花ちゃんを、後一歩ってところまで追い詰めたんだ。元は人間だけど、悪霊なんて呪いの塊みたいなもんだし、あたしなら鋏で倒せた。でも、あの子が泣き出したのを見たらさ……なんかもう駄目だった」


「それは……よく思い留まってくれたな。考え直してくれたおかげで、俺は花さんに会えた」


 茶化すように笑いかけると、楓さんは薄っすらと笑った。でも、その視線はガラス越しに火野さんの姿を追っている。


「でも、今回はあの時と条件が違うからさ。あの時と違って、今の花ちゃんマジで殺る気だし、こっちは花ちゃんを除霊しないって決めてるから。……正直言うと、とかなり不利」


 横顔は、憂いを帯びていた。


「この一年。ううん、今もだけど。あたしの我儘で、あき君には、かなり無茶させちゃってるんだよ。死ぬんだったら、あたし一人で十分なのにね」


 ふと、昨日楓さんが言っていたことを思い出した。

『命懸けの仕事してるから、いつ死ぬかわからない。だから、後腐れ無い様に籍入れたくない』

 あの時は、二人が人間だと思っていたせいで、違う意味に聞こえていた。楓さんが、火野さんが死んだ後の事を考えて、自分の保身の為に吐き出したような、随分身勝手な理由に聞こえてしまっていた。でも、火野さんが長生きの妖怪なら、あの言葉の意味が変わってくる気がする。


「……楓さん達『付き合ってた』って聞いたけど。別れた理由の、『命懸けの仕事してるから、いつ死ぬかもわからない』って、まさかそれって……」


「うん。あき君を残して、死ぬのはあたし。こんな仕事してなくたってさ、あたしはただの人間だから、絶対先に死んじゃうじゃん。……それに、あたしはガサツでズボラだからさ、あき君が納得してくれるような、綺麗な死に方なんて、絶対できないと思うんだ。だって、元人間ゆうれいを平気で殺せる女だよ?」

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