桜邸は化物屋敷㉔
「迷宮が拡大し続けて世界を呑みこむ!?」
「そうだ! 雷殿があの忌々しい悪霊を呼び込んだあと、我の体とあの世をまた糸で繋げたのだ。あの糸には、執念とも、怨念とも形容し難い悪い念が込められ、呪いの塊と化している。あれが悪霊を呼び入れる所為で、我が体内と屋敷内には邪鬼が溢れかえった。だが、あれさえ切れれば異界は消える。だから婿殿、皆の為、世界の為に糸を切ってくれ!」
「神様! どうして異界なんて出してしまったんですか!」
花さんが問い詰めると、桜の神様は唸った。
「雷殿があの嫌な悪霊を急に引っ張り出した所為だ。あれにビックリして、思わず……」
「そんなキュウリに驚いた猫みたいな理由で!?」
思わずそう言うと、神様はムッとした声で言い返してきた。
「しょうがないだろう! あれは、我にとってもトラウマなのだ! 婿殿の脚をうっかり床に挟んでしまうくらいには、怖かったのだ! とにかく花を守らなければと、大慌てだったのだ! それに、すぐに異界を元に戻そうとしたが、できなかった……」
異界・迷宮桜邸を作った直後、桜の木の内側から神様を蝕む邪鬼に、異界のコントロールを奪われてしまったそうだ。
「とはいえ、迂闊だったのは認めよう。こうなる予感はあったのだが、弱点には勝てないのが妖怪の
髪切りが最初の糸を切る前、既に悪霊は桜の木の根まで糸を登って来ていたらしい。命日が近付くにつれて大きくなる呪いの力に備え、桜の神様は、敢えてあの世の瘴気を取り込み、力を蓄える事で、糸を登ってくる敵の侵入を防いでいた。だから雷さんが屋敷に入り込む直前までは、悪霊が這い出して来なかったようだ。
「なら、どうして一言、私にご相談くださらなかったのですか! 神様の言葉を伝えるのが、私のお仕事なのに!」
「俺からも言わせてください! もし俺が手を離していたら、花さんはあんな邪鬼だらけの危ない所に、一人で放り出されていた事になるんですよ! それに、俺に糸を切らせる為に連れてきたって、花さんを餌にして俺を釣ろうとしたって事ですよね? 酷いじゃないですか! それから、早く花さんを自由にしてあげてください。左手に押し込めるって可哀想じゃないですか!」
「お、お前達、まずは我の話を最後まで聞け! 怒るかどうかはその後だ」
桜の神様は咳払いした。
「我はな、これが雷殿が婿殿に向ける悪い念を断ち切る、良い機会だと思ったのだ。命日に雷殿が来る事は予想していた。だからこの機会に、膿を出し切らせてお前達と仲直りさせようと思ったのだ」
【生きる活力を与える力】。それを望まれ神となった桜の妖怪は、人間にも妖怪にも寛大だ。だから、二度と帰って来ない人への想い、俺への恨みを抱え、苦しい思いをしている雷さんを、放って置くことができなかったそうだ。
「それに、大切なお前達に、縁結びの神の怨念が向くのは見ていて辛い。そこで婿殿には、あの糸を切って貰おうと思った。雷殿は、活力を分け与える事だけが我の取柄と笑ったが、この力の神髄を分かっていないようだ。共に、目に物見せてくれようぞ!」
桜の神は何やら企んで笑っているが、活力を与える事が呪いの籠った糸を切る事にどう繋がるのか、今一ピンと来ない。顔に出てしまったのか、桜の神は「やれやれ」と溜息を吐いた。
「良いか婿殿。活力を与えるとは、傷心を癒す力でもあるのだ。あの糸は、雷殿が長年抱いていた負の感情の塊だ。捨てるに捨てられない、清算できない思いの結晶だ。だがしかし、雷殿が糸を紡いだ時、我の力で、心に溜まっていた膿を全てあの糸に封じ込めた。今はまだ雷殿と縁が繋がっているが、あの糸を断つ事さえできれば、雷殿はようやく恨みから解き放たれ、自由になれるのだ」
桜の神は、俺に一振りの鉈を差し出した。
「髪切り殿と取引してな、我の体の一部を食わせる代わりに、牙を一本貰ったのだ。それを加工して、鉈にしておいた。縁結びの神ですら切れぬ悪縁も、これならば断てるだろう」
「楓さんは、髪切りにあなたを齧らせなかったって言ってたけど……」
「髪切りと楓殿が約束した後、条件を追加させて貰ったのだ」
妖怪との取引は、破る事のできない絶対の約束だ。破ったら死と同等の罰が下る。何か大きな力が働くらしく、どんなに強い妖怪でも、この罰からは逃れられない
だけど、これには抜け道がある。それが、条件の追加だそうだ。
髪切りと楓さんは、【髪を切らせてあげる代わりに、桜を傷付けずに糸を切る契約】を交わした。その後に、木の内側に入り込んだ髪切りと桜の神様は追加で契約した。その内容は【桜の木は髪切りの生え変わる刃と交換する場合のみ、木の一部を切り取って良い】というものだ。
「悪いが、これは楓殿には秘密にさせて貰ったぞ! 【糸を婿殿に切らせる】、この計画が楓殿に知られたら、『危険だ』という理由で絶対に阻止されてしまうからな! それに、髪切りは我を傷付けない代わりに、楓殿の髪をバッサリ切り落とせる権利を得ていた。追加の条件が知られれば、我は火野殿に燃やされてしまうだろう……今後とも、他言無用で頼むぞ!」
かんらかんらと笑う神様は、特に悪びれる様子もなくそう言い切った。
「そういう訳で我は、力を振り絞ってお前達を連れてきた。だがもう、我は枝を動かせぬ。酷く疲れた。考えてみれば、枝葉を動かすのは風の仕事だろう? 美しいだけの我に、巣食う邪鬼を追い出すなど、野蛮な事などできぬ。だからこそ、婿殿には何が何でも糸を断って貰わなくては困る」
「さあ」と、神様は俺に鉈を取るよう促した。
糸を切らなければいけないと、頭では分かっている。だけど、俺にも思う所がある。
雷さんの
糸を断つ事で雷さんが救われるなら、俺はそれに協力したい。
だけど……雷さんは、想い人が消えた原因である俺を恨んでいる。そんな俺が、彼女の抱えていた想いを断っていいのか?
「婿殿は、ずっと思い違いをしている」
鉈を見つめる俺を諭すように、神様は言葉を続けた。
「雷殿の想い人は、もうずっと昔に亡くなっているのだ。確かに、転生を経て結ばれる者もいるが、雷殿の場合は違うだろう。雷殿が求めているのは、自分の正体がバレたその時に、自分を否定しなかった想い人だ。ずっと、叶わなかった夢を見続けているのだ。我に言わせれば、その夢から覚まさせてやるのが、想い人の半分を貰った雪二殿の役目だ」
「……雷さんの事が大好きな奴を知ってるんだ。そいつは、ちゃらんぽらんなダメ人間だったけど、雷さんの為に、凄い努力をして、命懸けで彼女を救おうとした。俺はそいつの為にも、雷さんを助けたい」
「婿殿にならできる。そして、我の力を信じよ!」
決意を固め、鉈を手に取った。
「糸の場所に、案内してください」
神様はドアを指差した。
「髪切り殿の開けた穴がある。邪鬼を避け、糸を切るのにうってつけの場所へと繋がっている」
頷いてドアに近寄ると、誰かに袖を引っ張られた。
「これ、放さんか。花はここで我と一緒にいろ。お前が力を使えば、糸の呪いで我らは祟り神になってしまう。婿殿に任せておけば良い」
花さんは何も言わず、ただ、俺の袖を握り絞めていた。
「大丈夫だよ。さっき俺が枝を呼んでも、指輪には傷が付かなかった。呪いは、花さんが枝を出した時だけ影響するみたいだ。だから、花さんはここから俺に力を貸してくれる?」
「案ずるな! さっきとは違い、今は我がいる。力を振るう事で生命力が削がれる問題は、我が何とかしよう。我は活力を与える神なるぞ! 生命力の補助は我に任せ、花は婿殿が枝を使えるよう、全力で力を貸してやれば良い」
「え? 生命力を何とかしてくださるのは、ありがたいけど、そんな事をして大丈夫なんですか? さっき、俺達が邪鬼を倒したから、ようやく出て来られたって言ってたけど……」
「心配無用。こうして花の姿を借りている間、その問題は解決する。我と花は別の思念を持っているが、化身である花は我の分身と言っても過言ではない。婿殿が花を想う気持ちは、信仰となり、我に力を与えるのだ。つまり——婿殿が枝を放つ回数に、上限は無くなった!」
「へ?」
思わず間抜けな声が出た。
「このバカップルめ! わっはっは!」
俺は顔が熱くなって、思わず俯いてしまった。
「っ……」
俺の袖を掴んでいた左手に力が籠った。
「え、枝は駄目でも、お守りする力は良いですよね?」
花さんの声が震えている。もしかして、照れてるのかな?
「あぁ、あれか! あれなら良いだろう」
神様の許しを得て、花さんは俺の胸の辺りに手を翳した。
皮膚の上で何かがザワザワと動く気配がして、なんだかこそばゆい。
「どんな時も、雪二さんのお傍にいます」
「ありがとう。頼もしいよ」
花さんの手を撫でると、名残惜しそうに離れていく。
大丈夫。きっと戻って来るよ。
ドアを開くと、狭いけれど歩いて通れる位の道ができていた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
手を振りながら、薄暗いトンネルへと足を踏み入れた。
さて、仕事か。今日は雑用じゃなくて戦闘だけど……。
戦う霊媒師としては、初出勤だな。
初仕事で世界を救うって、一体どんなデビュー戦だよ。
桜の神が言っていた通り、トンネルの中には邪鬼がいなかった。
出口は皮で隠されていて、それを少しずらして外の様子を伺う。
トンネルは、天井の無い広場に繋がっていた。広さは、映画館のシアター位。広場の中央には金色に光る糸があって、照明の代わりになって周りを照らしている。糸は床を突き抜けて下へと伸びているようで、その周りには、糸を登ってきたばかりの悪霊たちが這いつくばって蠢いている。彼らの周りでは、黒っぽい霧の様なものが形を作り、邪鬼となって、悪霊と共に壁を這い上がっていく。
(世界を救う為の戦いか……こんな時、映画のヒーローなら何て言うかな?)
少しだけ考えたけど、やっぱり止めた。
だって、別に世界を救うのが目的じゃないんだから。
あの悪霊達に恨みがある訳でもない、邪鬼が憎い訳でもない。相手が誰であろうと、何であろうと、傷付けるのは好きじゃない。
でも、やらなきゃいけない時がある。それが、今ってだけだ。
雷さんの為に、鈴木君の為に、そして何より——花さんの為に。
花さんが好きになってくれた、ただの白鳥雪二として、この戦いに決着を付けよう。
木の皮を剥がし、指輪を構える。
「よし、やるぞ!」
全力で放つ枝は床を覆う怪異達を薙ぎ払う。壁を這う者すら逃さずに、糸以外の邪魔者には悲鳴を上げる隙も与えず、赤い霧の露とへ変え、あの世へと送り還した。
桜の神様が言っていた通り。どんなに枝を暴れさせても、眩暈も痛みも全く感じない。血の匂いが切り離せない物騒な恋だけど、これが俺と花さんの在り方だ。
トンネルから床へ飛び降りる。「ビチャッ」という水が跳ねる音と、濃い鉄の匂いがした。怯まず鉈を構え、糸を睨む。
俺の気配を感じてか、それとも、一度は自分を切断した髪切りの気配を感じてか、糸はムクムクと膨らみ始めた。上と下へと伸びた自身を回収し、三メートルは優に超える大きな光の球へと変化した。
一気に距離を詰め、光の球へと鉈を振り下ろす。
しかし、球から伸びた脚に蹴り飛ばされ、斬撃を防がれた。
球は金色に光る絡新婦へと姿を変えた。
なるほど。確かにこれは、雷さんの想いが籠った呪いの塊だ。
三百年という長い時間、帰らぬ人を待ち続けたあなたが募らせた想いの結晶。
「決着を付けよう、雷さん!」
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