桜の下で春を待つ君③

 スーパーのオードブルが並んだテーブルを囲んで、歓迎会が始まった。どちらかというと、コミュニケーションは消極的な方だったので、こういう機会を設けてもらうのは、なんだか照れ臭い感じがした。


「白鳥雪二です。よろしくお願いします。就活中の元サラリーマンです」

 大家さんに紹介され、俺は簡単な挨拶をして頭を下げた。


火野ひの秋成あきなりです。よろしく」

 すぐに挨拶を返してくれたのは、胡散臭い笑顔を貼り付けたオールバックの男だった。歳は、三十代後半から四十代くらいだろうか。片時も煙草を手放せないのか、ずっと燻らせている。問題は、煙草の吸い方がチンピラっぽい事と、時折見せる眼光がとても堅気とは思えないような迫力で怖い事。絶対に怒らせないよう、要注意だ。


鈴木すずきあたるっス。最近は競馬にはまってるっス。よろしくー」

 軽薄そうな笑みを浮かべて、そう挨拶したのは二十代前半くらいの青年。俺よりちょっとだけ若いのかなって印象だ。短めの金髪の隙間から、両耳に付けられた沢山のピアスが見える。彼を見た瞬間頭に浮かんだのは、遊び人という言葉だった。


「えっと、流れ的にあたしも言った方がいい感じ? 大家の楓でーす。よろしく。じゃあ、自己紹介が終わったところで、カンパーイ!」

 楓さんの合図で俺達はグラスを鳴らした。久しぶりに飲むビールは爽やかな苦みを伴って喉を潤していく。


「ただ酒最高!」

 鈴木君は早々にグラスを開けてビールをおかわりしている。まだ一杯目とはいえ、ペース配分が心配になる。

 

「鈴木君、少しは加減しときなよ」

 

「楓さんに言われたくないっスよ。少しは火野さんを見習って、勤務態度改めたらどうっスか?」


 そういえば、火野さんは乾杯の素振りだけしたものの、ビールに口を付けていない。この後夜勤でもあるのかな。俺の視線に気づいたのか、火野さんはまた胡散臭い笑顔を向けてきた。


「飲まない主義なんです。どうぞお構いなく」

 なんか怖い。酔うと暴れたりするんだろうか……。 


 改めて、そっとテーブルを囲む人達を見回した。楓さんと、火野さんと、鈴木君。歓迎会を開いてくれたのは嬉しいけれど……。


(……桜の下にいた、あの子はいないのか)


「でも、なんでこんな化け物屋敷に来ちゃったんスか?」

 鈴木君が何やら妙な言葉を口にした。


「化け物屋敷?」


 そう聞き返すと、楓さんが噎せ返った。その様子を見ていた火野さんは、「嘘だろ!?」と驚いた顔で俺を見る。本当に驚いているのか、あの胡散臭い笑顔が剥がれている。


「こいつ……いや、楓さんから何も聞いていないんですか? 本当に?」


「えー。楓さんも人が悪いっスね。あの子の事を内緒にするなんて、人柱でも立てるつもりなんスか?」


 どこか焦った様子の火野さんに、苦笑いしている鈴木君。


「あの、冗談ですよね? まさか、家賃が超安いのって、立地が不便だからとかじゃなくて……ゆ、幽霊が出るからですか?」


 二人ともきっと、俺をからかっているんだろう。そう思って笑おうとしたけど、笑顔が引き攣ってしまった。


「笑い事じゃないですよ。家具の位置が変わったり、知らない女の声が聞こえたりしませんでした?」


 ふと、昼間の出来事を思い出した。目を放した隙に片付けられた荷物。疲れのせいで、自分で片付けた事を忘れてしまったのかと思っていたけど、やっぱりそんな事は無かったんだ。


「でも今の所、荷物を片付けてくれてありがとうって印象しかないんですが……」


「荷物が片付けられた? 荒らされた、の間違いではなく?」


「いや、凄い綺麗に片付けてくれましたよ。大きな家具とかあったのに、元居た部屋と同じような位置に置いてくれてあったし。DVDの配置も完璧で、まるで前の部屋がそのまま再現されたみたいですよ。荷物から目を放したのは、ほんのちょっとの時間だったんですけど……」


 それを聞いた途端、2人は顔を真っ青にして見合わせた。


「ちょっと、ちょっと、ちょっと! かなり気に入られちゃってるじゃないっスか! 初日から荷物全部整理するとか、気合入りまくりじゃないっスか!」


「それも前の部屋と同じ位置に片付けたとなると、内見した日から気に入られていた可能性は大いにありえます。ええ、かなりマズイですね。ひょっとすると、もう既に誰か呪いの被害にあっているかもしれません。……一体、白鳥君の何がそんなに気に入ったんですかね」


(……今、呪いって言った?)


「あの、幽霊ってそんなにヤバイ奴なんですか? 呪いってどんな?」


「確か同業者含めて過去に何人か、死にかけてるっスよね?」


「最初の被害者に至っては、殺されてますよ」


 火野さんと鈴木君の視線が、楓さんに注がれた。楓さんは、気まずそうにそっと部屋を出て行った。逃げるんじゃない!


「ちょっと! ここがそんなに危ないなんて聞いてないですよ! こんな所にいて、あの子は大丈夫なんですか?」


「あの子? 誰っスか?」


「ほら、もう一人入居者がいるだろ。なんというか、桜の似合う女の子が」


「桜が似合う?」


 火野さんが神妙な面持ちで、

「桜の下にいた女を見たのか?」

 と、聞いてきた。

 

「え、はい。内見の時に見かけて、てっきりここの入居者だと思ったんですが……」


「あいつ、一番肝心な事を説明し忘れたのか?」

 火野さんが舌打ちした。何かキレるような事あっただろうか。というか、敬語が……。


「だが、お前が桜花を見たっていうなら、お前が体験した霊障にも全て説明が付く。道理で、こうも気に入られるはずだ」


 火野さんが難しい顔をして眉根を抑えた。その様子に、鈴木君はハッとして俺の顔を見た。


「マジっスか? 見たんスか?」


「……なんだよ、そんな。人を幽霊みたいに……彼女に失礼じゃないか」


 二人は深いため息をついた。火野さんは新しい煙草に火をつけ、鈴木君は携帯を弄り始めた。


「……そのやたら長い間は何ですか? 俺そんなに変な事言ってます?」


 最後は不安で声を震わせながら、俺は質問を絞り出した。すると二人は、酷く憐れんだ目を俺に向けてきた。


「本当に、何も知らずに来ちゃったんスね……ご愁傷様っス」


「面倒な女には、関わらない方が身のためなんですが……心の底から同情します」


「そんな酷い言いよう!? 彼女が何したっていうんです?」


 二人はしばらくの間、「いい加減察しろ」とでも言いたげな顔をしていたが、やがて口を揃えて、

 「それが悪霊ちゃん」

 「桜邸の怪奇現象の正体ですよ。いくら彼女が君に尽くそうと、所詮は悪霊。悪い事はいいません。生半可な気持ちで彼女に近づかない方がいいですよ。最悪死にます」

 こともあろうに、俺の初恋の相手を悪霊呼ばわりしたのだった。


「いや、冗談にしてもそれは……俺はまだあの子の事よく知らないし、いきなり悪霊だから近寄るなって言われても……」

 

(二人とも、冗談でも言っていい事と悪いことがあるだろ!)

 内心悪態を吐いていたが、口に出して言う勇気はなかった。


「女なんて星の数だけいるんだし、何も悪霊に執着すること無いんじゃないっスか? 童貞臭っスよ」

 

 その一言が決定的だった。溜まりに溜まったフラストレーションが大爆発を起こした。


「は? いい加減にしろよ!」

 

 あいにく、からかわれるのには慣れていない。久しぶりに飲んだ酒が回っていたのも悪かった。とにかく無性に腹が立って、気付けば大声で叫んでいた。


「いくらなんでも酷いじゃないか! 悪霊だとかやめておけとか! 二人ともあの子の笑顔見た事ないのかよ? めっちゃくちゃ可愛いんだからな!」


「ちょっおい! 静かにしろ! 聞こえる!」


 火野さんが僕の口を抑えようと、身を乗り出してきた。びっくりして火野さんの手を掴んで押し返そうとしたら、ビール瓶が倒れてテーブルの上は大惨事になった。

 鈴木君の笑い声が部屋中に響き渡る。そりゃ、いい大人二人がテーブル越しに取っ組み合うのは、恰好の笑いのネタかもしれないけど!


「まさか白鳥さん、童貞なんスか」


(そっちかよ!)


「いい加減張っ倒すぞ! 童貞の何が悪いんだよ!」


「しまった」


 突然、火野さんの手から力が抜けた。何事かと思って火野さんの顔を見れば、その視線は、ビールの海に溺れている煙草に向けられていた。さっき俺に掴みかかったとき、吸っていた煙草をテーブルの上に投げ出してしまったらしい。


「おい! 逃げろすず——」


 火野さんが言い終わらないうちに、鈴木君が椅子から転げ落ちた。


「鈴木君!?」


 鈴木君は床の上で白目を向いて倒れている。


「飲み過ぎたのか?」


 でも、彼の異様な様子がその考えを拭い去った。

 彼は、白目を向きながら床でのたうち回るようにして笑っている。しかもその口からは、時折赤く染まった花びらを吐き出していた。


「どうした! 何があった!」


 鈴木君を抱きかかえ、揺さぶってみるも返事はない。


「俺としたことが……。クソッ! お前、絶対そこを動くなよ!」

 

 何が起こったのか焦る俺とは反対に、火野さんは事情を把握しているらしく、俺にそう指示して部屋を出て行った。一人残された俺は突然の事にしばらく茫然としていたが、爆笑しながら手足を好き勝手暴れさせている鈴木君を見ていると、どうにか看病してやらなきゃと我に返った。しかし、何をどうしていいかわからないので、とりあえず、頭を打たないように抱きかかえてやるのが一番のような気がした。


「あんなに怒っていらっしゃったのに、情けをかけてあげるなんて。雪二さんは優しい人ですね」


 耳元で女の声が聞こえた。それなのに、振り返っても誰もいない。部屋を見回していると、地響きのような音をさせながら楓さんが階段を下りてダイニングに駆け込んできた。


「どいて」


 楓さんは鈴木君の鳩尾辺りに手を置いて、ぐっと力をいれた。その途端、鈴木君は大きくむせかえり、意識を取り戻した。楓さんはその顔を覗き込み、安堵のため息をついた。


「血色が戻ったね。もう大丈夫」


 それから、妙に緊迫した表情で俺を見た。


「な、なんですか?」


 すると、楓さんは、普通ならこの場では絶対に言わないような質問をさらりと口にした。

「白鳥君、彼女いる?」


「今は、いませんけど」

(……嘘です。本当はずっといません)


「だよね! よかった!」


「おい!」

(こいつら、さっきから失礼にも程があるだろ!)


 楓さんは俺を無視して独り言を続けた。


「いやー、昼間のあの暴走は何事かと思ったけど、花ちゃんの中で白鳥君への好感度があまりにも急に上がっちゃったからっていうなら、納得だわ」


「いや、何のこと? 花ちゃんの好感度って何?」


「白鳥君、もうあの子を見つけてあげてたんだね」

 そう一人で納得して満足そうに笑うと、楓さんは鈴木君の肩を叩いた。


「立てる? あき君の分も大至急荷物を纏めて。明日の朝までここに帰って来られないから」


 鈴木君はふらふらと立ち上がり、

「痛ってー! 俺が何したってんだよー!」

 悪態をつきながら、よろよろと部屋を出て行った。


「ちょっと! 何が起きてるんですか? ちゃんと説明してくださいよ!」


 混乱のあまり上ずった声が出た。半分涙目になりながら楓さんに詰め寄り、状況の説明を求めると、遅れて廊下から顔を出した火野さんに両肩を掴まれて引きはがされた。


「白鳥君、落ち着いて聞いてください。信じられないかもしれないけど、君が気になっている女性は、非常に性の悪い幽霊だ。名前は桜花。恋を知らずに死んだ彼女は、死後運命の人を捜し求め、その度に惨劇を引き起こしてきた。そして彼女は今、君にとんでもない好意を抱いている」


「突然で悪いけど、明日の朝までこの屋敷から出ないで。外に出たら殺されるから」


「は!? そんな、急に言われても困るけど!」


「本っ当にごめん。順を追って説明するつもりだったのに、そんな暇なくなっちゃった……とにかく、後は若い者同士、あの子と沢山お話をして、お互い知り合ってみたらいいんじゃないかな!」


 楓さんが早口にそう捲くし立てると。火野さんはため息をついた。


「本っ当に、お前は昔っから、行き当たりばったりだな! せめて、しでかした事は隠さずちゃんと共有しろって、前から言ってんだろうが」


「あの、さっきから口調崩れてません?」

 指摘すると、火野さんがわざとらしく咳払いをした。


「あー……私達がいると、かえって彼女の機嫌を損ねてしまいます。新手のお見合いだと思って、趣味でも共有してみたらどうですか? 性格はアレでも、顔だけみれば可憐なお嬢さんですし」


「あの、お話する自信が無い場合は、どうしたらいいんでしょうか?」


「あぁ? あの悪霊に釣られて来たんだろ? 逃がしてやりたいのは山々だが、こうなったからには腹を決めろ。あいつもお前に気があるんだから、精々楽しませてやれよ。惚れてんだろ?」


「あ、やっぱりそっちが素の話し方なんですね」


 無理だとか、逃げたいとか、色々口から飛び出そうとしていたけど、絞り出せた言葉はこれだけだった。

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