桜の下で春を待つ君②
「ねぇねぇ、具体的にここの何が良かったのか教えてくれない?」
楓さんに聞かれた時、
「桜の下にいたあの子とお近付きになりたいから」なんて正直に話せるはずもなく、
「えっと、レトロでお洒落な感じの建物が好きで」なんてもっともらしい事を言って誤魔化してしまった。
楓さんは、
「あ~そういうのもあるか。うーん、それもいいけど、折角だからここに住んだら、桜の木も見て欲しいな。毎朝や夕方の日課にどう? 何か新しい発見があるかも~なんて……」
そんな変な事を言っていた。
(そんなにあの木を見てもらいたいのか?)
前の職場に盆栽を自慢する人がいたけど、それと同じような感じで見てもらいたいのかもしれない。何しろ、あれだけ大きな桜の木だ、手入れはとても大変だろう。それに、桜邸を象徴する場所と言っていたから、もしかしたら、何か伝承でもあるのかもしれない。だから余計思い入れ深いのかな。
帰り際、何かに気付いた大家さんが俺を呼び止めた。
「ちょっとごめんね」
そう言って、右手の人差し指と中指で俺の肩をサッと撫でた。
「花弁が付いてた」
そう言って楓さんは笑ったけど、肩を撫でるとき、一瞬人が変わったような気迫を感じた気がする。
(中々、癖が強い人だな)
—————
それから数日後、俺は荷物を纏めて桜邸に引っ越した。
「お世話になります」
菓子折りを差し出すと、楓さんは待ってましたとばかりにそれを受け取った。
「はいはい。じゃあ、最初に言った通り、白鳥君の部屋はそこね。何か困ったことがあったら呼んで」
俺の部屋は前に住んでいた部屋とは比べ物にならない大きさで、何より印象的なのは屋敷の庭に面した掃き出し窓があることだった。
「元々は、応接室だったらしいんだよね。でも、今はこの通り何もないから、好きに使って」
「本当に、こんな良い部屋使っていいんですか?」
「いいよ。この部屋一番人気無いから」
そう言われて、思わず首を捻った。一階の間取りを見たけれど、やっぱり一番大きくて、しかも庭が見える部屋はここだけだ。それなのに人気が無いなんて、他の入居者はみんな遠慮がちだな。
「そうだ。他の人達に挨拶したいんですけど」
「んー、夜に白鳥君の歓迎会やるから、その時でいい? 今日、平日だし」
「あ、はい……」
「朝から大変だったろうし、ある程度荷解きしたら夜に備えて休みなよ~」
楓さんは、手をひらひらとさせて部屋を出て行った。それを見送ると、俺はまた荷物の整理に取り掛かった。
「えっと、前の部屋と同じ感じで、これはそこで、あれはそこで……あとは」
独り言を呟きながら、家具の大体の配置を決めた。でもまずは、寝る所から作ろうかな。
「組み立て式の家具って、運ぶのにはいいけど、組み立てがな~……あっ」
パイプベッドを組み立てていると、勢い余って壁にぶつけてしまった。慌てて、壁の模様に沿って指をなぞってみる。幸い大事には至らなかったけど、真新しい壁紙を傷付けないよう気を付けないと……。
(……あれ?)
そういえば、古い洋館のはずなのに、この部屋はまるで新築のような綺麗さだ。ドアも窓も、まるでつい最近取り付けられたみたいに傷や汚れがまるでない。
そういえば、去年改修工事をしたとか言っていた気がする。そうなると、こんな良い部屋を選ばなかった他の住人がどんな人なのか、尚更に気になってしょうがない。もしかすると、他の部屋もこんな感じでリフォームされたのかもしれないけど……。
特に気にしない事にして、パイプベッドの組み立てを再開させる。悪戦苦闘しつつも、なんとか組み立て、壁に付けるように設置した。
「あとは、段ボールか。面倒臭いけど」
小物や服を雑に詰め込んでしまったので、何がどこにあるかまるでわからない。横着すると碌なことが無い。せめて必需品だけは分けておくべきだったと後悔した。
(もし、こんなズボラなところをあの子に見られたら恥ずかしいな)
そう思いながら必死に片付けていると、携帯電話が鳴り響いたのでやむを得ず作業を中断した。
「白鳥!」
電話の相手は、退職した職場の元上司からだった。引継ぎに不備はなかったはずだけど……。話を聞いてみれば、俺の代わりに入った新人がバックレてしまったらしい。それで業務に支障がでているというが……それ、俺は関係ないだろ!
そう叫びたくなったけど、深呼吸をして冷静になる。まあ、新人が辞めたくなっても無理はない。だって、俺も嫌になって辞めたんだし。というか、問題はこいつだよ。新人が逃げたからって、俺にかけてくるなよ。俺はもう会社辞めたんだぞ?
「いいから、今から来い」
「そんな無茶苦茶な」
前から思っていたけど、この人本当に話が通じない。俺が思っている以上に、とんでもなく非常識な人なんじゃないか?
「お前がちゃんと後輩指導できなかったせいだろ! お前の責任だ! お前が——」
突然、元上司の声が途切れた。
「あれ? もしもし?」
電波が悪いとか、そんな切れ方ではなかった。耳を澄ますと、酷いノイズの合間に、電話の向こうで元同僚達のどよめきが聞こえる。それに混ざって、人の叫び声のようなものが聞こえてきた。まさか、あの元上司、病気とかで倒れたのか?
「もしもし? もしもし!」
嫌いな奴でも、何かあったんじゃないかと心配になる。電話に向かって叫び続けていると、
「もしもし」
ノイズが止んで、聞き覚えのない女性の声が聞こえた。バックレた後輩の代わりに入った別の新人だろうか?
「もしもし! 何かあったんですか? 大丈夫ですか?」
「何もありません。元の職場は、私がなんとかしますから。雪二さんはゆっくり休んでいてください」
この新人、やけに自身たっぷりじゃないか? 頼もしいけど。
「そう? じゃあ、後はよろしくお願いします」
「はい。お引っ越し、お疲れ様です」
直後、電話がプツリと切れた。ただ、切れる寸前、ノイズに混ざって、やけに大きな音が聞こえたような気がした。まるで、大勢の悲鳴のような……。
「……あれ? そういえばあの新人、何で俺の名前知ってるんだ? あの上司が何か言ったのか? でも、引っ越すって決めたのは仕事辞めた後なのに、何でその事まで知ってたんだろう……」
首を傾げ、少しだけ考えたけど、まるでわからない。
「まあ、いいか。」
今やることは荷物の片付けだ。職場の事はあの妙に頼りがいがある新人に任せよう。
(荷物整理、一日で終わればいいけど)
腕まくりしながら振り向いた途端、俺は腰を抜かしてしまった。
あれだけ沢山あった段ボールの山が、忽然として消えたのだ。
いや、正確には、中の荷物が全て綺麗に取り出され、前の部屋と同じ様に設置されていた。特に、映画のDVDコレクションは、汚れなどが取り除かれた綺麗な状態で、名前順に棚に収められていた……。
「え……俺、いつの間にこんな片付けたんだ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます