桜邸は化物屋敷⑩

「今日は寒いですね。なので、その……無理なさらないでくださいね」


 花さんはそう言いながら、今朝俺にマフラーを巻いてくれた。訓練の成果か、最近はぼんやりと花さんの輪郭が見え始めている。

 でもさ、まだ見えないんだよ。今朝君がどんな顔でマフラーを巻いてくれたのか。俺は照れて耳まで熱いくらいだったのに!


「いいかげん、雷さんと話をさせろー!!」


 春から雷さんの夏雲宝石店には、何度も足を運んでいた。その度、「雷は不在です」「接客中なので、また後程お越しください」って、店員達に門前払いされたけど、当の雷さんは店の奥でこっちを見ながら意地悪い笑みを浮かべていた。居留守使うならせめて隠れろよ!


 だから、今日は俺も本気を出すことにした。有給をとって、朝から雷さんの店の前に居座ること四時間。店を訪れる人、二階の事務所を訪れる人みんなに怪訝な顔をされたけど、俺は諦めないからな!

 当然、こんな恥ずかしい事に花さんを巻き込むことはできないので、一緒に居ようとするのを説得して楓さんに任せてきた。


 楓さんは申し訳なさそうにしてたけど、悪いのは上司かみさまだから気にしないで欲しい。上司の機嫌を損ねるのは誰だって嫌だし、楓さんにしてみたら雷さんかみさまの機嫌を損ねるのは致命的だから仕方ない。むしろ、こんなマズイ状況なのに味方してくれて感謝すら感じる。


 粘った甲斐あって、今日はみんなの応援にようやく応えられそうだ。遂に店の奥から雷さんを引き摺り出してやったぞ!


「これはこれは、白鳥さんじゃないですか。奥様そっちのけで、寒空の下私をストーキングですか?」


「質の悪い冗談はやめて、いい加減理由を教えてくださいよ。雷さんが俺の視力を奪った事は分かってるんですよ!」


「……本当、楓ちゃんは敵に回すと厄介ですね」


 問い詰めると、雷さんはやれやれと笑った。


「それとあなた……」


 雷さんの金色の眼が俺を見据えた。


「力尽くではなく、あくまで説得でやめさせようとするんですね。他の流派に告げ口すれば、喜んで手を貸してくれたでしょうに」


「しませんよ! そんなことしたら、楓さん達に迷惑かかるじゃないですか。それに一応、雷さんは花さんを呼び戻してくれた恩人だから、できることなら話し合いで解決したいです」


(前から思ってたけど、自分本位過ぎやしないか? 神になりたがった癖に、秋葉家には迷惑かけまくるし。いつか見放されても知らないぞ)


 そんなことを考えていると、雷さんは溜息を吐いて顔を背けた。


「あくまでも、話し合いをご所望ですか。本当に、反吐が出るくらいのお人好しですね、あなた。自分を害したものですら、分かり合おうとするその姿勢。殺されかけた相手でも、自分自身の恋心に気付けば、受け入れて救おうとするその強さ。もっとも、あなたがそういう人間だから、花さんは成仏できたんでしょうけど……」


 雷さんの口から零れるのは刺々しい言葉だ。相変わらず、不気味な作り笑いも浮かべたままだし。でも、何故か今日は雷さんが纏っている、人を寄せ付けないような雰囲気が薄れている。

 

 (もしかしたら、今日は理由だけでも教えて貰えるかもしれない)

 

 期待を込めて、俺は言葉を紡いだ。


「雷さんが花さんの手助けをしたのって、やっぱり、未練を晴らしてあげたいって気持ちがあったからですよね? 慎重な雷さんが、あんな大胆な事したのは、花さんを応援してくれていたからじゃないですか?」


 雷さんの肩がピクッと動いた。でも、俺の方を見ようとはしなかった。


「当然じゃないですか。私、縁結びの神ですよ? どんなに危険な悪霊であろうと、赤い糸が繋がる相手を手繰り寄せるくらいは簡単です。運命の人が現世にいなくても、あの世から呼び出す事だって、できるんですから」


 平成生まれの俺は、昭和を生きていない。

「もしかして、雷さんは俺が俺になる前の魂を呼ぼうとしたんですか?」


「勘がいいですね。赤い糸というのは、魂の結び付きです。でも、転生の期間は魂によって違いますから、生きている間に赤い糸の相手と出会えるとは限りません。楓ちゃんがあの作戦を立てたのは、糸の感覚から、白鳥さんが生きているという確信を持ったからでしょうけど」


 そう言って、雷さんは肩を震わせ、苦笑した。


「……今回ばかりは、楓ちゃんに良い所取られちゃいましたね。ベストは尽くしたはず……いえ、尽くそうとはしたんですけど。……結局、あの時代に花さんをあなたに会わせてあげる事ができませんでした」


(縁結びの神様が、縁結びに失敗した?)


「雷さんが俺を恨んでるのって、魂だった俺が、雷さんの糸を掴まなかったからですか?」


「あら、そう考えちゃうんですか?」


 雷さんが驚いたような顔で俺を見た。金色の目を丸くしていて、いつもの掴み所のない彼女の姿が嘘のように思えた。

 でも、雷さんはすぐにハッとしてまた顔を背けた。


「あなたは本当に、どこまでもお人好しですね。無自覚のうちに私の仕事を妨害したかどうかは、ご心配なく。私はただ、一匹の妖怪として嫉妬しているだけですから」


「嫉妬? まさか俺の視力を奪ったのって、それが理由!?」


 思わず雷さんに詰め寄ろうとした、その時——店の奥から騒々しい何かが飛び出して、俺の前に立ち塞がった。


「紅姉ぇええ!」


 それは、散々俺を門前払いした店員の一人だった。随分と背の低い彼女は、真っ赤な髪に一房の白い髪が混ざった派手な見た目だ。


「おいこら人間、これ以上紅姉の事困らせたら、この赤井あかいそうが取って喰うからな!」


 飛び出してくるなり、彼女は俺を睨んで「シャー」っと威嚇した。この口振りから、たぶん人間じゃない。


「困らされてるのは俺なんだけど!?」


 反論すると、また店の奥から人影が現れた。真っ白い髪に一房の赤い髪が混ざったこの女性は、俺を邪魔する店員のもう片方。


白井しろいろうも助太刀しますよ。警察を呼びます」


「妖怪なのに、人間の権力に頼るのか!?」


「あなたのしている事は、営業妨害ですから」


 威嚇をする赤井さんと、携帯電話を構えた白井さんに、ジリジリと雷さんとの距離が引き離される。


(折角のチャンスなのに!)


 白井さんの指が通話ボタンに触れたその瞬間——灰色の煙が店員二人を包み込んだ(雷さんは咄嗟に避けたようだ)。


「ギャーなにこれけむい!」

「なんですかこれ! タバコ臭い!」


 突然の事に様子を伺っていると、煙の中から大柄の男がヌウっと姿を現した。胡散臭い笑みを浮かべた男の手には、白井さんの携帯電話が握られていた。

「すみませんねぇ。子供がいたずら電話したみたいで。よく言って聞かせますから」

 彼は適当な嘘を並べて通報理由を誤魔化し、通話を乱暴に切ってしまった。


「あ、携帯! 私の携帯返してください!」


 悲鳴を上げる店員の方を振り向きもせず、後ろに放り投げられた携帯電話は、ガシャンと無情な音を立てた。


「あー! 楼ちゃんの携帯壊れた~!」

「しゅ、修理費用は事務所に請求しますから!」


 騒ぐ二人は、まだ煙から逃れられずにいるみたいだ。

 いくら営業スマイルを浮かべていても、火野さんは火野さんだから、やる事がチンピラなんだよなぁ。


(でもあの顔、久しぶりに見たな……)


 どうも火野さんは何かを誤魔化すとき、胡散臭い笑顔を浮かべる癖があるようだ。初めて会った時こんな感じだったのは、自分が妖怪だと悟られないように気を遣っていた所為らしい。

 

 火野さんは俺を見つけるなり、その営業スマイルを止めて不機嫌を隠さず舌打ちした。


「警察沙汰は勘弁しろ。これ以上お前に何かあれば、耐えられん!」


(えっ火野さん、俺の事滅茶苦茶心配してくれてる!?)


「楓が!」


 ハッとして上を見上げれば、事務所から尋常じゃない殺気が立ち上っていた。ベッタリと窓に貼りついた手は、間違いなく花さんの左手だ。もし楓さんの制止が無ければ、とっくに雷さんへ呪いが飛んでいたに違いない……。


「あらら。これ以上白鳥さんにちょっかい出したら、絶対に殺すって目ですね、あれ。折角守り神になったのに、性格は悪霊のままですか」


 雷さんは事務所の窓を見てケラケラ笑っている。


「雷さん、これ以上花さんを挑発しないでください! 花さんに雷さんを傷付けさせたくないんです!」


「そこは普通、私を心配するところだと思うんですが……このバカップルときたら」


 雷さんは深い溜息を吐いた。でも、俺だって必死だったから、ニュアンスの違いは許して欲しい。というか、俺と花さんはそこまでバカップルじゃないよな?


「馬鹿ではあるだろ」


 火野さんにも溜息を吐かれた。


「あんたと楓さんも大概だからな!」


 というか、なんでこんなに妖怪に溜息吐かれなきゃいけないんだよ。溜息吐きたいのは俺だよ! なんで恋人との仲を縁結びの神様に嫉妬されて、姿が見えない状態で半年近く過ごさなきゃいけないんだよ! それに、嫉妬するくらいなら、なんで花さんを呼び戻したりなんて……あれ?


「雷さんもしかして、俺がいつか花さんに愛想を尽かすとか思ってます?」


 事務所を見上げていた雷さんの顔から、作り笑いが消えた。


「まさか、図星ですか? 俺が花さんと離縁する所が見たくて、その為だけに花さんを呼び戻して、俺の視力を奪ったんですか?」


 雷さんは、不気味なくらいゆっくり俺の方を向いた。その金色の目には、計り知れないほどの怒りを湛えていた。人形の様に整った顔にはバキバキとひびが入り、中から大きな蜘蛛の目が覗いている。


 その形相に思わず息を呑んだ俺に向かって、雷さんが指先から毒液を飛ばすのと、火野さんが火球を放ってそれを相殺したのは、ほぼ同時だった。


「おうおう、たかが嫉妬で神の座手放すつもりか? 縁結びの神が、聞いて呆れるぜ。……頭を冷やせよ、金紅様?」


 雷さんは我に返ったように両手で顔を押さえ、長い溜息を吐いた。


「忌々しい男。醜悪な正体を晒した悪霊を受け入れるなんて! あなたがそんなだから、だから、私は、あの子に嫉妬してしまった……」


「紅姉ごめん!」

「すみません紅姉」


 いつの間にか、煙から脱出した店員二人組が雷さんを案じて囲っている。

 

「いつまで見てんだよ! 帰れよ人間!」

「さっさと帰りなさい! 本当に警察呼びますよ!」


 二人の言う通り、ここは一度引いた方がいいかもしれない。でも、この状態の雷さんを放置して大丈夫なのか? できるだけ平和に話し合いで解決しようと思ったのに、もしかすると俺は、とんでもないことをしてしまったんじゃないか?


「白鳥さん、楓ちゃんがあなたを怖がる理由、ようやくわかった気がします」


 顔を押さえたまま、雷さんが呟いた。


「春まで」


 指の隙間から、恨めしそうな金色の目が覗いた。


「あなたが春まであの子を見限らなければ、あなたに掛けた呪いを解きます」

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