桜邸は化物屋敷⑪

「金紅様の逆ギレ、凄かったらしいね」


 花さんを止めるのに疲れ果てていた楓さんは、げんなりした顔でそう言った。あの状態の花さんを任せてしまってごめん……。


「もうちょっとオブラートに包めなかったんスか? 金紅さんって、プライド高いし繊細なんスから」


 鈴木君は、ジトッとした目を俺に向けてきた。

 確かにちょっと言い過ぎたかもしれないけど、俺と花さんは雷さんの嫉妬に振り回されているんだから、言い方に棘が出てもしょうがなくない? というか、雷さんの言葉はずっと刺々しいんだし、まさかあんな事になるなんて、思ってなかったんだよ! それに、なんで俺は鈴木君に怒られなきゃいけないんだ……。



 事務所の業務終了を待ってから、俺は楓さん達を居酒屋に誘った。鈴木君まで相談に乗ってくれるとは思わなかったけど、たぶんタダ酒目当てだろう。そうじゃなきゃ、親しい友達からの相談にも金を要求するような男だ。


「ところで、花ちゃんはいつまで拗ねてるのかな~?」


 楓さんの視線が俺の隣に注がれた。必要だったとはいえ、半日も花さんを放置してしまった事を怒っているんだろうか? 気のせいか、肩に置かれた手がいつもより重いし、掴まれる力も強い気がする。


「拗ねてません。危ないから一緒にいさせてくださいってお願いしたのに、置いて行かれてしまった事なんて、まっったく気にしてません」


 怒ってるよね? 言い方に棘を感じるよ……。俺が戦えれば、花さんに心配かけなくて済むのかな。


「金紅さん、花ちゃんに嫉妬してるんスよね? なんでそんな事になったんスか?」


「俺も聞きたい……」


 鈴木君の疑問と全く同じ疑問を俺も抱いてるよ。でも、本当に知らないんだって。だから、そんなにジトっとした目を向けないでほしい。


「あき君からも状況は聞いたけど、もう和解は無理そうだね。それに、白鳥君と花ちゃんが離縁する所が見たいとか、縁結びの神様の癖に矛盾してるじゃん。なんでそんなに二人にこだわるのかな~」


「楓、あれはもう神の座なんてどうでもいいのかもしれねぇぞ。完全に自暴自棄になってやがる。幸いまだ神として振舞ってはいるが、秋葉家が切り捨てられるのは時間の問題だと思うぜ。そうなる前に、いっそ新しい神を見繕ってあいつを灰にするのはどうだ?」


「それは駄目だって! お爺ちゃんが言ってた、神になった理由が分かればなんとかなるかもしれないじゃん!」


「どうだかな……。散々嗅ぎ回ったが、何も出やしねぇ。こうなったら、あのコバンザメの蜘蛛共を締め上げてみるか?」


「……手荒なのも駄目だよ。うん、駄目」


 今一瞬迷わなかったか? 


 でも、楓さんと火野さんを困らせている原因を作ってしまったのは俺だ。本当にごめん。 雷さんの嫌がらせには、いつも溜息が出る。


「雷さん、まるで俺に嫌がらせするために神様になったみたいだな。やっぱり、生まれる前の俺の魂が何か粗相したとか……雷さんは、嫉妬してるだけって言ってたけどさ」


 みんなの目が一斉に俺に向けられた。俺今、なんか変な事言った?


「嫌がらせの為に神になった? 流石にそれはないだろ。お前、双子なんだろ? だから、あいつとは何の繋がりもないはずだ」


 双子だと、何か問題あるのか?

 そう思っていると、楓さんが説明を始めてくれた。


「輪廻転生の為には、いつも一定の数の魂が必要みたい。でも、あの世に戻らない魂もいるでしょ? 例えば、魂が妖怪に捕われた場合や、現世を彷徨い続けている場合とか。欠落した魂の数を埋めるには、作るしかない。その方法の一つが—— 一つの魂を二つに分けて、双子を作る事なんだって」


「え、じゃあ俺と兄貴の魂って、生まれたばかりなの?」


「そうなるかな。半分に別れた魂は、時間をかけて肉体を動かせるだけの力を取り戻すんだってさ。再生した魂には、元になった魂の縁は引き継がれない。だから生まれた魂と元になった魂は、全くの別ものなの」


 ふと、楓さんは何か閃いたみたいに火野さんの顔を見た。


「あれ、待って。白鳥兄弟の元になった魂となら、金紅様と何か繋がりが——」


「そんなに難しい事じゃないっスよ!」


 楓さんが話してる途中なのに、鈴木くんがビールを空けたジョッキをテーブルに叩きつけたせいで遮られてしまった。どうしたんだ鈴木君? 何か思いついたのか?


「金紅さん、きっと白鳥さんの事好きなんスよ!」


「は?」


「だって、どう考えてもそうでしょ? 白鳥さんが振り向かないから、ちょっかい掛けてるんじゃないっスか? だから花ちゃんに嫉妬してるんス!」


 鈴木君は身を乗り出して、俺のビールを奪うとグッとあおった。


「確かに雷さんが俺の事を好きなら、花さんに嫉妬するのもおかしくない? ちょっ痛い痛い、花さん、肩が痛いよ」


「でも白鳥君、今日殺されかけたんだよね? あ、花ちゃんにも殺されかけたんだっけ?」


 そういえば、そうだった。今じゃそんな事も懐かしいけどね。


「何ニヤニヤしてんスか? はぁ……白鳥さんの何がそんなに金紅さんを惹き付けるんスかね……。俺だって、これでも色々努力してんのに」


 鈴木君、今日はやけに食いつくな。面白がってるのか? 珍しく、今日はイヤホンも耳に入れていない。いつも競馬実況に耳を澄ませて会議で生返事してるのに……。なんとなく彼の耳を見ていたら、沢山のピアスが目に入った。


「前から思ってたけどさ、鈴木君って、ピアスにこだわりでもあるの? 結構な量付けてるよね?」


 なんとなく、そんな事を口走ってしまった。彼の事だから、きっと冗談交じりに軽く返してくるんだろうけど。


 だけど、彼は突然硬直したかと思うと、少しだけ目を泳がせた。


「……別に、特別意味とかないっスよ。適当に良さげなの買って付けてるだけなんで」


 その間を不思議に思ったのは、俺だけじゃなかった。楓さんと火野さんが目配せしている。二人とも面白がってるな。


「へぇ。結構値が張りそうなのに。競馬以外にもちゃんとお金使うんだ~」


「去年成人祝いに楓がくれてやった時計は、速攻で質に入れた癖に、そのピアスはよっぽど大切らしいな?」


「俺のピアスは別にどうでもいいじゃないっスか! 俺がどこで何買おうと勝手でしょ!?」


 あからさまに焦った鈴木君が、そう声を張り上げた時だった。


「あ、鈴木さん!」


 声のする方を見て、思わず固まってしまった。だってそこに立っていたのは、雷さんの所の店員二人組、赤井さんと白井さんだったから……。


「奏ちゃん、よくみれば楓ちゃんの事務所の面々もいますよ」


「本当だ! 紅姉泣かせた馬鹿男と、楼ちゃんの携帯壊した馬鹿煙がいる! 楼ちゃんどうする? 取って喰う?」


「いけません。悔しいですが、ここは様子見です。だって、ここで戦闘になったら紅姉に怒られてしまいますよ」


 俺は殺されかけたのに、俺が雷さんを泣かせた事になってるのか……。


 それより、この面子の中で一番最初に鈴木君の名前が出るのはどうしてなんだ? 鈴木君を個人的に知ってるとか?


「う~ん、まあ、しょうがないか。今日はお店の宣伝だけにしとこ」


「そうしましょう。さ、鈴木さんこちらのチラシをどうぞ。新しいピアスを入荷しましたので、どうぞまたお越しください」


「紅姉が対応できる時間も教えとこうか?」


 そう言って、二人は鈴木君にチラシを渡した。それを火野さんがどこか感心したように見ている。


「……なんだコバンザメども。人間の事はどうでもいい癖に、ちゃんと顧客の顔は覚えてるのか。なかなかやるな」


 火褒めてるのか貶してるのか分からない感想に、赤井さんはムッとして威嚇してきた。


「うっさいな馬鹿煙! ウチらはイソウロウグモだ! 魚類とクモ類の見分けも付かないとか、バーカ! バーカ!」


「たぶん、そういう意味じゃなかったと思いますよ。それに、訂正しておきますけど、私共二人は紅姉みたいに人間の顔を覚えるのは全く得意じゃないので、顧客の顔なんて全く分かりません!」

「そーだそーだ! 人間の顔なんて覚えられる訳ないだろ!」


 二人して自慢気にキリって顔してるけど、訂正しない方が優秀な感じ出てたんだよな……。


「でも鈴木さんは別です。紅姉と同じ色の金髪なので、それで判別できます!」


 自然と、店員二人を除く全員の目が鈴木君に集まったのを感じた。普段の軽率さは鳴りを潜め、鈴木君は借りてきた猫みたいに大人しい。耳まで真っ赤になった彼を見ていて、ふと邪な推理を閃いてしまった。


 雷さんは宝石店の店長で、お客さんの相手をすることもある。

 鈴木君はピアスを雷さんの所で買っている。宝石店のピアスなんて、かなり値が張るはずなのに、借金までして彼はピアスを買い漁っているらしい。しかも、金紅さんが接客対応できる時に……。


「……鈴木君さ、今日やたら金紅さんが俺の事好きなんじゃないかって、突っかかってきたけど、もしかして……」


「……金髪も種類あるじゃん? 金紅様のは地毛だけど、それと全く同じカラーに染めてるの、偶然かと思ってたんだけど、まさか……」


 楓さんの指摘に頷いてしまう。あくまで客と店員だもんな。一日何人客が来るか知らないけど、少しでも印象を残したかったのか。


「つまり、お前はあの絡新婦と親しくなりたいが為に、髪まで染めてピアス買ってたって事か?」

「鈴木さんは、金紅さんに恋をされていたんですね!」


 火野さんと花さんの追撃に、今まで沈黙していた鈴木君が遂にテーブルを叩いた。怒った? いや、そうでもないみたいだな。


「……路地裏」


「え、何?」


 楓さんが聞き返すと、鈴木君はムキになったように叫び出した。


「金紅さんは! 路地裏でボコられてた俺を助けてくれたんスよ! 場所が偶然金紅さんのお店の裏だったから、喧嘩が煩いってキレただけだったんスけど……でも、あん時のあの人が目に焼き付いて離れねぇだけっス」


(……マジか。そりゃ、雷さんが俺に突っかかってくるのは全然面白くないよな……)


「もしかして、バイトでもいいから雇ってくれって頼み込んできたのもそれが理由? うちの事務所、金紅様と関係あるもんね……」


 鈴木君はもう何も言わず、体育座りをして両腕に顔を埋めてしまった。これはもう、正解と変わらない……。鈴木君、今は正社員なんだけど、前は見習い兼バイトだったもんな。だから、俺にとっては先輩なんだよな。


「では、私共わたくしどもはこれで」

「明日は定休日だから楽しんじゃうぞ~。紅姉も気晴らしに来ればよかったのにな~」


 鈴木君が撃沈するきっかけを作った二人は、何事も無かったかのように店の奥に消えて行こうとする。実際に撃沈させたのは俺達だったけどね!


「あ、待って待って」


 楓さんが何かを思い付いたらしく、二人を呼び止めた。


「うちの旦那が楼ちゃんの携帯ぶっ壊したらしいじゃん? お詫びに今日は奢らせてよ」


 手を合わせて申し訳なさそうな顔を作った楓さんがそう提案したけど、怪しすぎじゃない?


「はあ? 絶対何か企んでるじゃん! やだよ!」


「え? 全然、何も、本当に、企んでないってば!」


 ほら、絶対何か企んでる。流石に赤井さんも気付いたらしい。警戒した顔で後退りしている。でも、白井さんの考えは違ったようだ。


「待ってください奏ちゃん。私共は紅姉かみに仕える妖怪です。楓ちゃんは現人神とはいえ、所詮は人間。人間如きの策で私共がどうにかなるはず絶っ対ないですよ。ここは敢えて策に乗り、気持ちよく奢らせてあげましょう」


「そっか! そういう事なら、奢られてやってもいいぞ! 持て成せ人間」


(あー……やっちまったな)


 案の定、楓さんは店員さんからビールを受け取ると、目にも止まらぬ早業で何かのお呪いを混入し、それを呷った二人は数秒後にはもうぐでんぐでんに酔っぱらっていた。


「鬼の力を封じる神便鬼毒、の劣化版ね。毒は無いけど、どんな妖怪もこの呪いが込められた酒を飲めばこの通り酔い潰れるの。あ、でも人間も飲んじゃ駄目だからね。劣化版だから酔っちゃうし、何の効能もないから」


「……これ、ちゃんと取り締まった方がいい呪いじゃないか? 犯罪の匂いがする」


「誰でも簡単に使える訳じゃないから大丈夫、大丈夫」


 俺が楓さんにジトっとした目を向けている間にも、酔っぱらった妖怪達は好き勝手に話したり、食事を始めていた。


「美味しい~人間の事はあんま好きじゃないけど、人間の食べ物は好きだよ」

「このお酒っていうのも、悪くないですよね~」


「ささ、どんどん飲み食いしちゃって~。で、更にあたしがお話聞いたげる。仕事の愚痴でもなんでもいいよ~。金紅さんの事とか、ね? 溜まってる物ぜーんぶ吐き出しちゃって」


 なるほど、それが狙いか。でも、この妖怪達だって、一応は雷さんかみさまの使いみたいだし、流石にこれ以上醜態晒す事は……。


「紅姉はね、恋に一途で健気な蜘蛛なんだよ」

「ある人間を心の底から愛していたんです」


 おっと、まさかの大収穫か?


「でもね、こいつが生まれたせいで、紅姉の好きな人、あの世から戻って来なくなっちゃった!」

「運命の相手だったのに、縁が切られてしまったんです!」


 二人はそう言って、俺を指差した。


 え……。


 ちょっと待ってくれ。まさか、それって……雷さんの想い人の魂が、俺と兄貴の魂を作る為に使われてしまったって事なのか?


「……そういうことか。でもそれ、誰が悪い訳でもないでしょ」


 楓さんは少しだけ苦い顔をしてうつむいた。


「運命の糸は魂の繋がり。でも、ずっと同じ相手と繋がっていられる訳じゃない。それが自然の流れなんだから。金紅様だって分かってるはずでしょ」


 白井さんは首を振った。


「理解するのと、受け入れるのはまるで別物です。紅姉は事実を受け入れながらも、お二人の仲を見たせいで狂われてしまったんです。なぜなら、紅姉はその男の為に神様になったんですから」


「そーだそーだ! 紅姉を怖がって傷付けたあの人間も、紅姉がここまで人間に尽くしてやったんだから、今度こそ紅姉を受け入れるはずだったんだ! なのに、あいつの魂が使われちゃったから、あいつはもうどこにもいなくなっちゃったんだぞ!」


 言葉が出ない。まさか、そんな理由で恨まれていたなんて。


「紅姉はな、桜花が不憫だったから、危険を冒してまで手を貸そうとしたんだぞ! でも、その繋がった縁の先にいたのが、お前の魂だったんだよ! 好きだった人ともう会えなくなった紅姉の気持ち考えてみろ!」


「あの時の紅姉は、気丈に振舞われていましたが、一時的に妖術が使えなくなるほど傷付いていたんです。私共だって、あんな紅姉を見たくなかった!」


「落ち着いて。気持ちは分かったから。……でも、それは白鳥兄弟が生まれたせいじゃないでしょ」


「生まれ変わりを待つなんて、そもそも無謀な話だ。人間の輪廻転生は、俺達妖怪の為には作られてねぇからな。そもそも種族が違うんだ。こういう可能性だって、あの絡新婦は考えてたはずだろ。転生なんてさせないで、ずっと手元に置いときゃよかったんだ」


「煩いな! 紅姉は、正体がバレたせいでその人間に殺されかけたんだ! だから、今度こそ受け入れて欲しくて、三百年近くも転生を待ったんだよ! 待ったのに……」


 楓さん達は、俺に否はないと言ってくれた。でも、こんな話をされたら、気にしない方が無理だ……。


 あぁ……そうだった。昔からずっと疑問だったよ。


 なんで、俺は双子で生まれたのか。兄貴の方が、勉強も運動も、なんだってできたのに。両親にも愛されなくて、まるで兄貴のおまけで生まれたみたいだって、嫌になるくらい悩んだよ。


 でも、そうか、俺はただの数合わせで生まれたのか……。


 それなのに、雷さんの幸せを奪って、のうのうと生きていたなんて……。


 駄目だ。頭が痛くなる。


 また子供の時みたいに、生まれた事を後悔する日が来るなんて。

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