桜邸は化物屋敷⑫
「雪二さん」
花さんの声に我に返った。横を見れば、ぼんやりと彼女の輪郭が見える。その彼女が、俺を案じるように背中を撫でていた。
「少し、外の空気を吸いに行きませんか?」
「でも」
「お酒の香りで、私が酔ってしまったんです」
花さんはそう言ったけど、たぶん、俺に気を遣ってくれたんだよな。
冷静にならないと。
店の外に出て、冷たい空気で深呼吸する。
「金紅さんとお会いしたのは一度だけです。あんなに親身に聞いてくださったのに、どうしてあの後会ってくださらなかったのか、どうしても不思議でした」
雷さんは、花さんの恋愛相談に乗った時に、自分の想い人が消えた事を知ったらしい。雷さんにとって、俺は想い人の仇で、花さんはその恋人なんだろうか。だから、こんな嫌がらせをしたのかな。
「金紅さんの話を聞いて、凄く悲しかったです。私達の事を憎らしく思う理由、無理もない気がします」
花さんも悲しいよね。だって、あの時代に花さんの味方をしてくれたのは、雷さんだけだったんだから……。
想い人を永遠に失った雷さんは、俺達の仲が引き裂かれれば、満足するのかな……。
「……それでも」
花さんの手が、俺の手を取った。
「私は、雪二さんに会えて嬉しかったんです。怖い悪霊の私を、そのまま受け入れてくれた雪二さん。それがどれだけ特別な事なのか、どれだけ幸せな事だったのか、ずっと考えていました。もし雪二さんが私を見て逃げてしまわれていたら、私はあの時より、いえ、今よりずっと怖い何かになっていたかもしれません……」
花さんの声は、涙が滲んでいるようだった。
「私の手、冷たいですよね? 悪霊から神様の化身になっても、私は死人だから、あなたに温もりすらお返しできないんです。だから私が雪二さんの為にできるのは、精々身の回りのお世話と、危険からお護りする事だけ。……でもどうか、お傍にいる事を許してください」
花さんが泣いている。でもその涙すら、今の俺じゃ拭ってやる事すらできない。
せめてもの想いで、彼女の手を固く握り返した。
そうだ俺は、花さんを幸せにする為に、命懸けでプロポーズしたんじゃないか! それを花さんが受け入れてくれたのに、この幸せを手放す事なんてありえないだろ。
「俺だって、君と会えてよかった。こんな俺を選んでくれた君を怖がって逃げるなんて、これから先も絶対しない。幽霊だってなんだって構うもんか! 君と生きる為に、俺は霊媒師になったんだ! だから、あんな話を聞いた後だって、俺は花さんを手放したくないんだよ!」
両手で花さんの手を握り込み、彼女の輪郭を見つめる。
「強くなるよ。いくら花さんが護ってくれるって言っても、花さんが俺の為に傷つくのは、もう嫌だ。戦いが必要な時は、俺も花さんと一緒に戦えるようになりたいんだ。……許してくれる?」
花さんの右手が、俺の両手に添えられたように感じた。
君は温もりを返せないって言ったけど、ちゃんと返してもらってるよ。君と一緒にいれば、俺の心はこんなにも温かい。
その時だった。居酒屋の戸が開いて、鈴木君が外に出てきた。つかつかと俺達の隣まで来て、道路沿いの柵に両手を掛け、上半身を投げ出すようにして下を向いている。彼はこちらも見ずに一言。
「金紅さんがさ、何でいつも目細めてるのか知ってるっスか?」
どう答えようか迷ったけど、なんとなくこのまま答えないのも良くない気がした。
「作り笑いのせいじゃないの?」
鈴木君は俺を嘲るように笑った。
「あの作り笑いは鎧っスよ。人間の前で神様っぽく振舞うのも、わざと自分を大きく見せる威嚇っス。金紅さん、本当は人間が物凄く怖いんっスよ」
そう言うと、鈴木君は体の向きを変えて柵に背中を預けるようにして、俺を真っすぐ見た。
「雷さん、目が悪いんスよ。でも、コンタクトは怖いし、眼鏡は似合わないから外で掛けたくないってさ。路地裏じゃあんなにかっこよかったのに、これ聞いてからもう可愛く見えてしょうがないんス」
鈴木君はケラケラ笑った。これ、たぶん相当酔っぱらってるな。そういえば、さっきビールをがぶがぶ飲んでたけど、あの話を聞いて更にヤケ酒したのかもしれない。だって、焦点が合わないし。俺の事ちゃんと見えてる?
「鈴木君、大丈夫?」
「この際言っとくっス! 金紅さんの事、俺の方が愛してるんで! 正体が蜘蛛の妖怪だろうがなんだろうが、俺の方が金紅さん幸せにできるっス!」
「す、鈴木君落ち着いて」
「白鳥さんは黙っててくださいよ! 俺は、金紅さんほったらかしにして消えちまった甲斐性無しに話してるんっスから!」
これはまさか……俺を通して、雷さんの想い人に話しかけようとしてるのか?
「金紅さんが何かをずっと悩んでた事は知ってたっスけど、まさかあんたの事とは思わなかったっス! 赤い糸が繋がってたのに、金紅さん振ってどこの誰だか知らない女と所帯作りやがって! あんな良い女を! 妖怪だからって理由だけで振りやがって! このクソ野郎!」
いつもの口調まで崩れてきてる。道行く人の視線が痛い。
「雪二さん、ど、どうしましょう!」
花さんが指さした先の人が、こっちを見ながらどこかに電話しようとしている。まさか、警察!?
「す、鈴木君!」
俺は焦点の合わない彼の両肩をガシっと掴んだ。とにかく静かにさせないと!
「よく聞いてくれ。鈴木君の覚悟はわかった。雷さんを幸せにできるのは、きっと君だけだ」
「なっ……でもあんたに言われても全然嬉しくないっスけど!」
口調が戻った。押し切れるか?
「鈴木君は、雷さんが人間嫌いな妖怪でも、怖気づかずに店に通い続けた。ありのままの彼女を受け入れようとしているんだ。これはきっと、凄い事なんだ!」
花さんの受け売りだけどね。
鈴木君は、少しだけ照れたように顔を背けた。酔ったせいか素直だな。じゃあ、ついでに付け加えておこうか。
「ただ一つ、約束してくれ。それさえ守れば、きっと君の想いは雷さんにも届くと思う」
咄嗟とはいっても、適当な事は言ってない。鈴木君には霊媒の才能がある。真剣に取り組めば、きっと霊媒師として成功するだろう。引くほど銭ゲバになってた理由も分かった。雷さんと付き合えれば、ピアスを買い漁る必要も無くなる。残る一つの懸念は……。
「競馬を止めるんだ」
「へ?」
鈴木君は目を丸くした。そんなにショックだったのか……。
「いや、全くやるなとまでは言わない。流石に可愛そうだし。でも、ほどほどにするんだ。全財溶かす程賭けちゃいけない。あと、競馬以外の賭け事は禁止。雷さん、たぶんヒモとか絶対許せないタイプだから!」
「け、競馬……でもほら、取り返せば」
「取り返せないから、借金取りに追われるんだろ!」
鈴木君は相当なショックを受けたらしく、その場に蹲ってしまった。
「ぐぬぅ。でも、や、止める。止めてやるっスよ! 金輪際賭け事なんか止めてやるっス!」
そう叫ぶと共に、鈴木君は気絶するように寝てしまった。飲み過ぎたのか、それとも、そんなに賭け事できない事がショックだったのか……。
仕方なく、俺は鈴木君を背負って店の中に戻った。
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