桜邸は化物屋敷⑬
座敷席に戻ると、酔いつぶれた蜘蛛妖怪達は畳の上で眠ってしまっていた。その隣に鈴木君も寝かせる。死屍累々って感じだな。
「お帰り。あの後色々分かったよ」
一度は退治の対象だったとしても、その怪異の能力が人にとって有益な場合、霊媒師はその怪異と取引して、神として祀ることがある。そして、何故その怪異が人間に力を貸すのか、もっともらしい綺麗な理由を作り上げて表社会にも信仰を広める。強い信仰を得た怪異は、神としての力を増幅させていくため、人間にとっても妖怪にとっても、悪い話ではないそうだ。
神様の化身になった花さんが除霊対象から外してもらえたのも、理由を後付けして霊媒師に力を貸しているからだ。
雷さんの場合は……。
『金紅様は、慈悲の心で人に手を差し伸べた。人もまた、金紅様の加護を望み、金紅様を受け入れた』秋葉家には代々そう伝わっていたけど、実際の理由は大分違うようだった。
まだお侍がいた時代、雷さんはとあるお屋敷の女中をしていたらしい。でも、ある時正体がバレてお屋敷の旦那さんが霊媒師を呼んだそうだ。その霊媒師に退治される直前、雷さんは取引を持ち掛けた。
『加護を授ける代わりに、霊媒師は自分を神として祀り害さない事』
縁を操る妖術は強力で、扱える怪異は滅多にいない。だから霊媒師はそれを条件に、雷さんを縁結びの神として祀った。それが秋葉家の始まりだった。
「命乞いする立場に追い込まれても、ただでは起きない所が金紅様らしいっちゃらしいよね……」
楓さんは苦笑いした。
「どうだかな。あいつにとっては屈辱的な結末だったんじゃないか? 何せ、この話を隠したくてしょうがないようだったからな」
「金紅様プライド高いからねぇ。窮地に追い込まれて命乞いさせられたなんて、きっとバレたくなかったんだよ。……でも、どんなに惨めで屈辱的でもさ、生き延びたい理由があった」
蜘蛛妖怪達が言っていた。雷さんは、自分を振った想い人の為に神になったって。人間に尽くせば、今度こそ受け入れてくれるはずだと思っていた、とも。
いくら赤い糸で結ばれた運命の相手でも、相手を否定すれば結ばれない。俺は花さんにプロポーズしたけれど、俺の魂の元になった男は雷さんから逃げ出した。
意図しなかったとはいえ、想い人の魂が使われた俺が、花さんに告白して結ばれた所を見て、雷さんは何を思ったんだろう。
……でも、あの時の俺だって、楓さん達の助けがなければ、無事花さんに告白できていたかどうかわからない。下手したら、花さんに殺されて魂を抜かれてしまっていた訳だし。
「雷さんの想い人って?」
ふと、そんな事を口走っていた。
「屋敷の旦那さん。金紅様が屋敷で奉公を始めてからしばらくした後、人間の妻を迎えたんだって。結ばれなかったのは、身分の違いもあるだろうけどね……。妻を殺して成り済ます事もできたはずだけど、金紅様はそれをしなかった」
楓さんの話を聞いて、花さんが口を開いた。
「成り済まして愛を得ても、好きな人が愛しているのは自分ではない別の女性ですもの……とても耐えられません。もし雪二さんが私以外の女性と結ばれていたら、私はきっと寂しくて、雪二さんを殺して取り込んでしまっていたかもしれません……」
(わーお流石花さん! 協会公認の最恐No.1は伊達じゃないぜ!)
ふと、楓さんと火野さんが真顔で俺の方を見ているのに気付いた。
「何? これが花さんの
「
「
「なんで謝るの?」
「あ~、何というかさ、人間と怪異との恋愛って、色々障害が多かったりするじゃん? それを実感しただけ」
楓さんがそう言うと、突然火野さんが咳払いした。
「それで、その過去がどう奴の弱点になるんだ?」
火野さん、今無理やり話を終わらせたな。ようやく楓さんが婚約してくれたのに、また種族違いって理由で悩まれたら困るから?
楓さんも火野さんの意図に気付いたらしい。姿勢を直すフリをして、さりげなく火野さんの手に自分の手を重ねたようだ。
「うわっ冷てぇ手だな」
残念ながら、火野さんには上手く楓さんの意図が伝わらなかったようだ。折角テーブルの下という死角でスキンシップを図ったのに、わざわざテーブルの上に添えた手を引きずり出されてしまっていた。そのせいで、さり気ないスキンシップが俺と花さんにバレてしまったんだけど、火野さんは気付いてない。
火野さんは火の粉で暖めた煙を、人間が吐息で温めるような仕草で吐き出して楓さんの手を温めた。楓さんは楓さんで、火野さんの気遣いが嬉しくなってしまったのか、それとも恥ずかしいのか、顔を赤くして俯いてしまった。
そういえば二人とも秘密主義だから、結局どうやって婚約に行きついたのか知らないんだよな。
手が解放されると、仕切り直しとばかりに楓さんは咳払いをした。
「弱点っていうかさ、子分の蜘蛛以外、誰も知らない秘密だよ? 自分のプライドを守るためには、なんとしても隠したかったんだよ」
「つまり?」
「振られて、殺されかけて、命乞いして神様になったけど、結局結ばれなかったなんて、縁結びの神様としてこれ以上無いくらい惨めで可哀想な話。金紅様自身、自分自身が許せないんだと思う」
楓さんは難しい顔をして、片手で顔を覆った。
「つまり師匠が言いたかったのは、この話を使って金紅様を脅すって事じゃない? 金紅様が神様として振舞っていた理由は、想い人の魂が消えたのと一緒に無くなってしまった訳だし。さっき、あき君が言った通り、金紅様が秋葉家を裏切るのも時間の問題。そうなる前に、金紅様を従わせる新しい枷が必要って事」
思わず文句を言い掛けたけど、楓さんが溜息を吐いたので様子を見守る。
「師匠、いざというときの切り札に、この話を隠してたのかな。霊媒師は、時に汚い手を使ってでも勝たなきゃいけない。きっとお爺ちゃんなら、白鳥君と花ちゃんの為にも、金紅様のプライドを砕いて呪いを解かせようとしただろうね。……あたしにも、同じ働きを期待してるって事かな」
「楓さん、まさかそれを……」
あの使命感が強い男は、敵を倒す為に、きっと自分の心を幾度も踏み躙ったんだろう。今回楓さんに指示したのは、雷さんの過去が、雷さんにとっての弱点だからだ。秋葉家にとって絶対的な神に勝つには、人と同じ土俵に引きずり降ろさないと勝てない。そう言いたかったんだろう。
……だけど、いくら勝ち目の無い勝負だとしても、こんな勝ち方でいいのか? 嫌がらせをしてきた相手でも、触れられたくない過去を持ち出して脅すなんて、あんまりじゃないか。
鈴木君の言う通りなら、雷さんの刺々しい物言いも、作り笑いも、全部自分を護る防御だ。雷さんは、自分を傷付けた人間を恐れてる。
花さんとの幸せの為とはいえ、こんな勝ち方をしたら、しこりが残る……。
「何も迷う事はねぇだろ。あの絡新婦は神としてやっちゃいけねえ事やってんだ。逆恨みで人間を弄ぶなんて、最悪だろ。ましてや、自分が護ってやらなきゃいけねぇ霊媒師に攻撃しやがった。本当ならとっくの昔に神の座から引きずり降ろされいてもおかしくない問題行動の数々、不祥事の天丼で食当たり起こすレベルだ。……それに、その方法なら誰の血も流さずに勝てる」
火野さんの言う通りなのかもしれない。そもそも秋葉家にとって今回の事は、予期せぬ事故だ。神様の機嫌を損ねる事は、秋葉家の存亡に関わる。体裁を守る事も考えたら、他の流派にも頼れない。だから、雷さんと直接戦うという選択肢は選べなかった。
俺と花さんを切り離せば、全て丸く収まったかもしれないのに、楓さんと火野さんの善意のおかげで、まだ生かされている。これ以上、二人に迷惑をかける訳にもいかない。
説得も無理なら、この方法しかないのか……。
そんな考えが過った時だった——楓さんが、テーブルを勢いよく叩いた。
「でもさ、その汚いやり方を一番嫌ってたのは、お爺ちゃんだった。最近やっと知ったんだよ。色々一人で抱え込んで、自分に嘘吐いてまで仕事してたんだよ! あの、クソ爺! 孫がそんなに頼りない? ふざけんなでしょ!」
「楓さん……」
「あたしは、お爺ちゃんが嫌った戦い方は絶対しない。真正面から勝負してやろうじゃん!」
「……いいのか?」
きっと俺を気遣っている訳じゃないだろうけど、楓さんにとってリスクが大きいんじゃないかと、不安だった。でも、楓さんは不敵に笑った。
「お爺ちゃんだって、こんな可愛い~孫にまで汚れ仕事させたくないでしょーよ。だから、敢えて秘密を知ってても教えてくれなかったんだと思う。『どうするかお前が選択しろ』って、きっとそういう事」
ふと、夏に蔦美と話した時の事を思い出した。霊媒師という使命から解放された彼は、ようやく楓さんとも、腹を割って話ができるようになったみたいだった。肉親であれ、師弟という関係上、蔦美は実の孫に対しても、どこか壁のある振舞をしていたに違いない。でもどことなく険悪に見えた関係も、今は少しづつ改善に向かっているようだ。
つい先日、霊ッターに楓さんと蔦美のツーショットが流れてきた。画像加工アプリで猫耳が生やされた仏頂面の蔦美を見て、俺は思わず飲んでいたココアを携帯をぶちまけてしまった。
「安心して、絶対白鳥君達を勝たせるからさ!」
楓さんは、俺と花さんの方を向いてニッと笑った。
「楓さん。ありがとうございます」
花さんも内心複雑に思っていたんだろう。楓さんを呼ぶ声に、期待の色が混ざっている。
「そういう訳だから任せといてよ。最強の霊媒師の最高の孫、この秋葉楓にね!」
普段の楓さんはガサツでズボラで、どうしようもない人だ。この間だって、大事な式典に血まみれのスーツで出席しようとしていたんだから。でも、こういう時は本当に頼もしい。
「楓さん、ありがとう。いままでの事も含めて、本当に……」
心の底から感謝を伝えると、自然と目頭が熱くなった。それを楓さんに見られたせいで、照れた楓さんは素直に俺の感謝を受け取ってくれなかった。
「もー、止めてよね! そういうのは勝ってから、美味しい物でも奢ってくれればいいからさ。それより、金紅様の昔話は飲んで忘れよ。考えてみたら隠し事暴くのって、超趣味悪いじゃん。それも知られたくなかった過去なら尚更ね」
楓さんはそう言って俺の分もビールのお代わりを注文した。
「なあ楓」
火野さんが、何か思案するような顔で口を開いた。でも何かを言いかけて、その口を閉じてしまった。
「何? あき君」
「……あの絡新婦が春を指定した件だが」
火野さん? なんだろうな。今の不自然な間。楓さんも不思議に思ったのか、火野さんの顔を覗き込んでいる。でも、火野さんは楓さんから視線を逸らした。
「何かあった?」
「その事について、説明してやれ」
「……そうね」
話す気が無いと知った楓さんは、諦めて俺の方に向き直った。
「金紅様は勝算があって春を指定した。あくまで推測だけど、心当たりがあるの」
「俺が花さんと離縁するなんて、絶対ないよ」
「私だって、雪二さんと離れたくないです!」
「分かってる。だから決戦前に、できるだけの戦力は増やしておきたい。白鳥君、ちょっと針に糸を通してみてよ」
決戦? まさか、雷さんと戦うのか?
いや、たぶん決戦は例えだろう。楓さんは、俺が戦力として使い物になるかならないかで、どこまで説明するか悩んでいるような気がする。
「下手糞なのを飲み会の余興にするつもりだったら、がっかりするかもな!」
糸通しはそれなりに出来るようになった。糸を縁にするなんて、最初は全くできなかったけど、今はかなり自信ある。
俺は上着のポケットから裁縫セットを取り出し、ささっと糸を通して見せた。流石の楓さんも「おお~」なんて感心した声を上げている。花さんも拍手してくれた。練習の甲斐があったってもんだ。
「いいね、糸もちゃんと縁になってる。おじいちゃんのアルバムが効いたのもあるだろうけど、春から頑張ってたもんね。いくら糸通しを練習しても、縁を掴めずに辞めていく人もいるんだから」
うんうん、と頷いている楓さんの横で、火野さんも少しだけ笑った。
「見込んだ通り、お前には才能がある。楓が強化した赤い糸を辿って、お前は桜花の左手を掴んだ。金紅の呪いさえ掻い潜ってな。ただやろうと思ってできる事じゃねえ」
才能あるなんて、初めて言われた!
凄く嬉しいけど、でも今はちょっとだけ複雑だ……。
「あれ、愛の奇跡じゃなかったんだ……」
「いいえ、愛の力です! 愛の力で、雪二さんが私の手を取ってくれたんです!」
花さんにそう言われると、なんだかこそばゆくなってしまう。右手を口にやってニヤけるのを押さえていると、楓さんが咳払いした。
「じゃあ、そろそろ次のステージに行こうか」
そう言って、楓さんは俺の指輪を指差した。
「糸に宿る縁の力を感じられるようになったら、物に宿る縁も感じられるはずなんだ」
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