桜邸は化物屋敷⑭
この指輪は、花さんがくれたペアリングだ。離れていても、繋がりを感じられるようにくれたもの。今思えばあの時花さんが指した距離は、死者と生者の隔たりの事だったのかもしれない。
霊媒師になった理由。最初は花さんの笑顔をまた見たいと思ったから。でも、幸せにしたいという願いもあった。今は花さんの傍にいるために、彼女を護れるくらい強くなる為に、霊媒師を続けようと思っている。
「前に話したかもしれないけど、霊媒師は神様の力を借りてお呪いをするの。今の白鳥君なら、神様の化身である花ちゃんの力を使えるかも」
ふと、脳裏に体から枝が飛び出した邪鬼の姿が浮かんだ。
「まさかあの、花弁とか枝を体から出させるやつ」
「う~ん……それはまだかな。場所もね、桜邸内に限られちゃうけど、白鳥君はその強さ知ってるんじゃない?」
桜邸内で花さんが見せた力……って、まさか。
「あの、枝の群れ……」
「そう。その枝!」
花さんの手がビクッと跳ねた。
「あ……あの枝。その……その節は本当に、ご迷惑をお掛けしました。楓さんと雪二さんを、病院送りにしてしまって……」
花さんが申し訳なさそうに、……頭を下げてしまったのか?
「大丈夫! 俺は、ほぼ無傷だったから! (楓さん達のおかげだったけど)」
「あたしも花ちゃんを除霊しようとしちゃったし、お互い様って事にしない?」
「……俺は別に何ともないが、お前に火傷が残らなくて助かった。そうでなきゃ、今頃お前の旦那には散々恨まれてただろうからな」
「火傷? 聞いてないけど」
火野さんの顔を見ると、スッと目を逸らされた。
「それより、話の続きだ」
話逸らしたな。後で絶対問い質すから覚悟しろよ! この煙野郎。
「あの絡新婦が指定した春。その前に、絶対避けられないものがやって来る。あれは最悪の霊障だった。俺と楓ですら、その日は桜邸から一時撤退を余儀なくされた」
「幸い、あの霊障は屋敷の外までは波及しないみたい。だけど最悪な事に、これから私達はその日を桜邸内でやり過ごさなきゃいけなくなる」
あの楓さんと火野さんが、屋敷の外まで逃げざるを得ない状況だったっていうのか?
「その日って、一何? 一体何が起こるっていうんだよ」
「桜邸が変貌する。プロポーズする時に見た屋敷が可愛く見えるくらいの化け物屋敷にね。だってその日は、生前の花ちゃんが、春を迎えられなかった理由そのもの——命日だから」
花さんの手が、微かに震えた。
「命日の悪霊程、厄介な怪異はない。あの日、桜花の増幅した負の念は、
「今思えば迷宮を作ったのは、花ちゃんの意思じゃなかったのかも。桜邸は桜の神の神域なんだし、花ちゃんを幹に取り込んだことで、あの日は桜に何か変化が生じたんじゃないかな」
「その日は、屋敷に入らないっていうのは……無理なんだな」
「その日、花ちゃんは桜邸から出られなくなる。神様の化身になっても、死因という因縁には縛られるからね。白鳥君は花ちゃんの手を放さないよう、化け物屋敷で死亡時刻を過ぎるまでやり過ごさなきゃいけない。手を離したら最後、花ちゃんはまた悪霊に堕ちる」
「悪霊になったら、俺と楓は桜花を除霊しなくちゃいけなくなる。神の化身になっても、悪霊に戻っちまったんじゃ、流石に庇いきれないからな。……白鳥、もしお前が桜花を庇うようなら、俺はお前諸共、桜花を灰に還す」
刃物の切っ先の様に鋭い視線が、俺達を真っすぐに見据えた。
花さんの命日……花さんがあの男に殺された日。あの男は、生前から強盗殺人を繰り返して、式神になってからも花さんを傷付ける事を楽しんだ。最悪な犯罪者だ。あいつが桜邸に忍び込んだ日が、雷さんの勝算だっていうのか。俺に花さんの手を放させるその為だけに、花さんにとっての
腸が煮えくり返るようだ。
あの神は一体どこまで俺達を苦しめれば気が済むんだ。
「よろしいでしょうか?」
花さんが皆の視線を集めた。
「楓さんなら、退治する怪異がどこにいるかさえ分かれば、どんなに離れたところからでも、相手が何者だとしても、退治できますよね?」
「……金紅様の加護を道具にもらったおかげだけどね。鋏の切れ味が落ちない内は、どんな悪縁だって切れるよ。強力な信仰を得た邪神なら、信仰を断って無力化する。妖怪なら、それにとっての
「それを聞いて、安心しました。……万が一、もし私がまた恐ろしい物になってしまったら、私が雪二さんを殺す前に、楓さんが私を除霊してください」
「何言ってるんだよ!」
思わず花さんに向かって叫んでしまった。でも、花さんの決意は揺るがなかった。
「ずっと思っていました。雪二さんが私の手を取ってくれたから、私はそれだけで成仏する程嬉しかったんです。だから、私が我儘で雪二さんを殺すなんて、絶対したくないんです。あなたを憑り殺すくらいなら、私は喜んで除霊されます。それが、悪霊じゃない桜花の願いです」
「嫌だよ。君が君じゃなくなっても、俺は諦めない。絶対に君を取り戻す」
そう宣言して、俺は楓さんに向き直った。
「楓さん、俺を鍛えてくれ! 死にかけるような特訓だって構わない。強くならなきゃいけないんだ! 俺は花さんの手を、絶対に放したくない!」
花さんを悪霊にした時点で、俺達は雷さんに負ける。
命日の危険は未知数だ。さっき火野さんが言い淀んだのは、きっとこれが勝ち目の薄い勝負だと知っていたから。
でも、俺達が本当の幸せを掴む為には、雷さんと真っ向勝負して勝たなきゃいけない。そうじゃなきゃ、きっとこれから先も雷さんは、あの手この手で俺達の仲を裂こうとするに違いない。
「あの時、花さんが式神から俺を護ってくれたように、今度はきっと俺が花さんを護るよ」
花さんは俺の諦めの悪さに呆れたらしい。
「そうでした。雪二さん、あの時も私と一緒に死ぬなんて、そんな無茶を通そうとしたんですよね」
溜息と共に、可愛い笑い声が聞こえた。
「本当に、しょうがない人ですね」
「誉め言葉かな?」
俺はそう笑って返した。
きっと大丈夫。この手を離したりなんかしない。春になったら、また二人で一緒に桜を見よう。桜の雨の中、今度は君の隣で。
そう、俺達が決意を固めた時だった。
「白鳥君達の覚悟は分かった。でもごめん。さっきのは、最悪のケースの話なんだ」
楓さんが苦笑いした。
「脅しといて何だけど、このままよっぽどの事がなければ、命日には何も起こらないと思うんだ。二人の仲が上手くいってるおかげで、今の花ちゃんは化身として安定してる。このままいけば、命日に邪鬼が溢れる事は無いと思うの」
「桜の神も、自分の化身が傷付きでもしない限り、防御の迷宮を作る事は無い筈だ。だが、最悪に備えるのは悪い事じゃないだろ?」
思わず唖然として楓さんと火野さんを見た。二人ともどこかバツが悪そうにしている。
「別に責めてる訳じゃなくて、ちょっと安心しただけだよ。でも、修行の手は抜かないでくれ」
「わかってるって。早速、明日からビシバシ鍛えてあげる。容赦しないから覚悟しといてよ!」
「俺も付き合ってやる。決戦前に死んでくれるなよ?」
俺達の覚悟は、楓さん達に伝わったらしい。火野さんはいつになく不敵に笑って、楓さんも不敵に笑い返し、ビールに口を付けた。
「それ、当然俺も頭数に入ってるっスよね?」
いつから起きていたのか、鈴木君は起き上がって、俺にジトッとした目を向けていた。
「金紅さん脅すって言ったら、チクってやろうかと思ったけど、そういう事なら協力するっス。金紅さん、八つ当たりで大惨事なんか起こしたら、冷静なった時に自分が許せなくて憤死しそうっスから」
鈴木君は人差し指を俺に突き付け、
「俺の方が、車の中で彼女によしよしされてた白鳥さんより、絶対戦力になるっスよ!」
そう宣言してニヤニヤ笑った。
くっ……いつまでも邪鬼が降って来た日の事でからかいやがって! 確かにあの時は全然戦力になれなかったけど、今はあの時より成長してるんだからな!
「よし、望むところだ! 命日までの一カ月ちょっと、死ぬ気で特訓して目にもの見せてやる!」
俺がそう意気込んだ時だった。
「生ビール二つお持ちしました~」
店員さんが、ビールを二つ置いて行った。あれ、さっき楓さんのジョッキは空だったはず。楓さんが今飲んだのって……まさか!
気付いた時には手遅れだった。
「あっ楓! おまっそれ——!」
火野さんの仰天した声が店内に響き渡った。
蜘蛛妖怪を酔いつぶれさせた神便鬼毒の劣化版、相手が何者であろうと酔い潰すビール。それを一口飲んだ楓さんが、目を回して畳に崩れ落ちていった。
「か、楓~!」
隣に座っていた火野さんは、楓さんが倒れた拍子にビールを顔面にぶっかけられてしまっていた。それにも関わらず、楓さんを本気で心配している。事務所の為とか、依頼人の為とか言いつつ、火野さんの行動理由はいつも楓さんを護る為だ。
見た目の割に健気なんだよなぁ……。
「あ、駄目です! いくら火野さんでも、お呪いが掛かったビールなんて被ったら……」
「楓が二人に増えた!? 何が起こった? 幽体離脱なのか? 死ぬな~!」
ああ……酔っ払っちゃうのか。
でも、これマズくないか? 火野さんの体、どんどん溶けてる! 擬態できてないぞ! あ、そうだビールで煙草が消えちゃったから!
咄嗟にコートを投げて二人を隠し、定員さんに向かって一言。
「すいませーん!! お会計お願いしまーす!」
こんなぐだぐだな感じで、本当に命日を乗り切れるのか?
いや、乗り越える!
春を迎えて、絶対に花さんと桜を見るんだ!
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