桜邸は化物屋敷⑲

 桜邸の中に入って、思わず呆然としてしまった。

 玄関は体育館並みに広くなっていて、天井には数体の邪鬼がくっ付いている。


 桜の神が作り出した異界。ここでは元の世界の理が通じない。桜の木が願うがままに怪奇現象が起こり、侵入者を拒む。しかも異界ここでは、火野さん得意の瞬間移動は使えないらしい。でも反対に、雷さんに瞬間移動で邪魔される事も無いようだ。


 でも、邪鬼がいるのはおかしい。こいつは、負の念から生まれるはずだろ?


「花さんは悪霊になってないはずなのに、あの邪鬼は何!?」

「あれの所為っスよ」


 指差された先には、虚ろな目をした見知らぬ幽霊がいた。それも、一人や二人じゃなくて、テーマパークの行列みたいな団体が廊下の角という角から這い出してきている。


「金紅さんが糸をあの世に繋げて、悪霊を呼び出してるんス。邪鬼を生み出してるのは、あいつらっスよ」


「ったく、面倒な障害物競争だな!」


 火野さんが口から火を吐くと、進行方向に沸いた邪鬼は灰になって崩れ落ちた。


「楓さんは大丈夫?」


「ジジイが楓に渡した式神は、あいつのとっておきだ。その内一体は【送り犬】。追いかける事に関しては、右に出るものは無ぇよ!」

「取り憑いた人を、無事に送り届ける事に関してもね!」


 襲い掛かってきた悪霊と邪鬼が、送り犬の影から現れた分身に噛みつかれて転がっていくのが見えた。いつの間にか、楓さんを乗せた送り犬は、火野さんと並走している。


(足、速っ!)


 送り犬(送り狼)。

 今回は親切を装って女性に乱暴する不埒者って意味じゃないらしい。

 この妖怪は、夜道を歩く人間の後について歩き、他の妖怪から護ってくれる。ただ、妖怪の送り犬も人間の送り狼も、気を許すと危険なのはどちらも同じだ……。もし人間がうっかり転んだりしたら、送り犬はその人をとって食ってしまうそうだ。


「白鳥君、花ちゃんとの縁は辿れてる?」

「はい! あっその角、右に曲がって!」

「急に言うなよ!」

 文句を言いながらも、火野さんと送り犬はほぼ直角に角を曲がった。


「なんだあれ」


 遥か前方。廊下の真ん中に、何かブヨブヨした肉の塊のようなものがいた。巨体で通路を埋めているそれは、大きな目をこちらに向け、刃物を持った無数の腕を伸ばしてきた。


「こいつ、花さんを襲った男の悪霊じゃないか!」


 こいつの所為で、桜邸は化物屋敷になってしまった。何度も、何度も花さんを苦しめるこの男、今日ここで、この悪縁に決着を付けてやる!


 指輪を構え、全力で枝を呼ぶ。

 現れた枝は折り重なって巨木となり、廊下を塞ぐ肉の塊に襲い掛かる。耳障りな断末魔は枝の軋みに搔き消され、やがて役目を終えた枝と共に肉片は屋敷の床に呑まれていった。

 俺達がそいつのいた場所を通る頃には、廊下はすっかり見通しが良くなっていて、火野さんと送り犬は無事快走する事ができた。


 軽い眩暈がして、片手で頭を押さえる。枝を呼んだ所為だ。でも、大丈夫、やれる。やりきれる。


「……お前、前に桜花にはあいつを見逃すように言わなかったか?」


「花さんには、誰も傷付けさせない。誰かを傷付けて怖がられる度、あの子は孤立して、恐ろしい怪異になってしまうから。でも、花さんを傷付ける奴は俺が許さない! その相手が、反省しない悪霊なら、尚更だ!」


 だから俺の意志で枝を呼んだ。跡形も残さず、奴を地獄に送り返す為に。


「白鳥、お前キレてるな」

「俺は冷静だよ!」


 言い争っている間にも、邪鬼が天井から降ってきた。咄嗟に枝を呼ぼうとしたけど、後ろから伸びた手が俺の邪魔をして火の球で邪鬼を退けた。


「キレてる奴にキレてるって言ったら、火に油注ぐだけっス」

 耐火手袋をした鈴木君は、前方を塞ぐ有象無象にも火を放ち、道をこじ開けた。


「白鳥さん、全力のぶっ放しはやらない約束だったじゃないっスか。楓さんに言われたの、忘れたんスか? 今の一撃の所為で、全力じゃなくても枝を呼べるのは、あと二回だけになったっス。それ以上は意識飛んで、全部終わりっスよ」


「でも」

「白鳥さんの意識が飛んだら最後、花ちゃんは悪霊に逆戻りっス」

 言い返せない。まさか、鈴木君に正論を言われる日が来るとは。


 修行をして、全力に耐えられるようにはなった。でも、全力が出せるのは一回だけ。それを、俺はあいつに使ってしまった。あいつを前にして、頭に血が上ってしまったんだ……。


「ごめん」


 指輪を撫でて、深呼吸した。

 奥へと続く道は、いくつもの扉で固く閉ざされている。それが開くのは、俺が花さんとの縁を辿れているからだ。花さんが、俺の気配を感じて道を作ってくれているんだ。意識を失ったら、花さんは悪霊になってしまうどころか、幹に呑まれて、永久に会う事もできなくなってしまう。


「でも、白鳥さんがをもう使えないなら、俺は安心っス。いくら金紅さんでも、あれが直撃したら無事じゃ済まないっスから」

 どこまで本気なのか、鈴木君はケラケラ笑った。


「白鳥、縁を辿る以外は俺達に任せろ。必ず桜花の所に——何だ!?」


 屋敷が大きく揺れて、床が歪み始めた。

 火野さんは咄嗟に大きく跳躍して、邪鬼の頭の上に避難した。周りを見れば、邪鬼や悪霊が悲鳴を上げながら床の中に沈んでいくのが見えた。


「これ、もし沈んだらどうなるんスか!?」

「沈まなきゃ問題ねぇよ」


 火野さんは跳躍を繰り返し、床に沈みかけた邪鬼や悪霊を踏み台に前へ進む。振り返れば、踏まれた魑魅魍魎が、短い呻き声を上げながら次々完全に沈んでいくのが見えた。


「あき君はしくじらないけど、万が一が起こったら、桜の神様の養分にされちゃうのかもね。もしそうなったら、養分として完全に吸収される前に、縁を手繰り寄せて呼び戻さないと。でも、あたしの腕もまだまだだから、それが出来るのは金紅様しかいないんだよ!」


(つまり、詰みって事か……)


 送り犬は、軽々しく壁を駆けて追いかけて来る。どうやら何かを追いかけ続ける限りは、どんな道でも走るし、止まる事がないらしい。

 一方、火野さんは跳躍を繰り返す無茶な走りと、足場が少なくなった所為で、かなり無理をしているように見える。


「火野さん、あと少しで通路を抜けるよ!」

「こっちの心配はいい。それより、道案内をしくじるなよ!」


 最後の跳躍を終えて通路を抜けると、そこには——床が無かった。


 落下による浮遊感の中、俺と鈴木君は悲鳴を上げる。でも火野さんがすぐに鳥へと姿を変えたので、今度は急上昇による負荷で思わず「ぐぇっ」と潰れた声が漏れた。


「楓!」


 加速に耐えながら楓さんを探せば、少し遠くに、落下しながらも蔦美から貰った羽根を掲げる彼女の姿が見えた。それは瞬く間に巨大な鳥へと変わり、彼女を背に乗せて飛翔した。


(あの鳥、見覚えがある)


 蔦美が移動手段として乗っているのと、同じ鳥だ。

 よく見れば、それは鳥とは言い難い見た目をしていた。鬼の頭に、蛇の鱗が付いた長いしっぽの怪鳥は、「いつまでーいつまでー」と人間の叫び声に似た声で大きく鳴いた。


「俺だって、早く花さんに会いたいよ!」


 ムキになって叫ぶと、楓さんが爪に戻った送り犬をスーツの内ポケットにしまいながら、苦笑いしているのが見えた。あともう少しだって、その鳥せっかちな鳥に、よく言い聞かせてくれないかな?

 ふと、すぐ下からも呆れたような火野さんの笑い声が聞こえた。


「気にするな。あれは、お前に言ってる訳じゃない。大方、悪霊だらけの場所に来て驚いただけだろ。【以津真天】は、死者に味方する妖怪だからな」


 楓さんが頭を撫でて宥めると、怪鳥・以津真天は首をぶるぶると振って落ち着きを取り戻したようだった。


 以津真天。

 報われない死者に呼ばれるこの怪鳥は、ほったらかしにされた死体の傍に止まり、「いつまでー」と鳴くらしい。つまり、「いつまでこいつをこのまま放っておくつもりだ。早く供養してやれよ!」と生きている人間に訴えかける妖怪だ。


「桜邸に悪霊がいた頃、あいつらはよく屋敷の屋根に止まって鳴いたらしい。「いつまでこの悪霊を、この屋敷に閉じ込めるつもりだ。早く除霊なり成仏させるなりしろ」ってな。それをジジイが捕まえて、式神にしたらしい」


 ふと、蔦美から渡されたアルバムの事を思い出した。写真に写っていた、犬と鳥の怪異は、今ここにいる式神達だったのか。長年あの男を支えた彼等は、まさしく彼のとっておき。そんな彼等を楓さんに託したのは、可愛い孫を護る為。そして……。


「分かってる。絶対あの子を悪霊にはさせない。だからあんたも、蜘蛛の餌にはなるなよ」


 小さく呟いて、奥への道を探った。

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