桜邸は化物屋敷㉒
勝負は、思いもよらない結末を迎えた。
毒液が鈴木君に命中するよりも早く、天井が落ちて大量の瓦礫が巣を巻き込みながら落ちてきたのだ。
「何!?」
糸が切られて空中に投げ出された雷さんは、自分目掛けて落ちて来るものを見るなり、悲鳴を上げた。
天井を壊した巨大な手が、雷さんを叩き潰そうとしていたのだ。
狼狽した雷さんは避けられず、せめて衝撃を耐えようと身を丸めた。だがいくら彼女でも、あの勢いで振り下ろされた、がしゃどくろの拳に直撃すれば無事では済まないはずだ。
ふと、楓さんが鈴木君に掛けた言葉を思い出した。
『鈴木君! できるだけ急ぐから、それまで頑張って!』
まさか鈴木君、この為に時間稼ぎをしていたのか!? 彼が持っているライターは、火野さんから貰った神器。縁を通じて、がしゃどくろを連れた彼らが近付いている事に、気付いていたのか!
だけど、実際の決着は俺の想像していたものとは違った。結論から言うと、雷さんはがしゃどくろには潰されなかった。真っ黒な球体が彼女を弾き飛ばして、巨大な拳から彼女を逃がしたのだ。
しかし、球体は彼女を庇う為だけに放たれたのではなかった。球体は破裂して、勢いよく噴き出した黒色の液体が、彼女を壁に貼り付けてしまった。それも粘着力がかなり強いらしく、彼女は指一本動かせないようだ。
鈴木君が放った最後の一撃は、タールだったのだ!
そうか。鈴木君は、雷さんを傷付ける為に来た訳じゃなかった。彼女を止める為だけに、ここに来たんだ。だから自分がどんなに痛めつけられようと、雷さんに火の球をぶつけようとはしなかったんだな。
「白鳥さん、今っスよ!」
その声に弾かれたように、俺は指輪で枝を呼んだ。糸で固められた扉を壊しても、勢いを無くさずに伸び続ける枝、その内一本に掴まり、扉の先へ。
振り返れば、いつの間にか以津真天がその翼で毒液や瓦礫から鈴木君を護っている。その翼の隙間から、鈴木君はグッと親指を立てていた。両手で枝に掴まっていなければ、同じサインを返していただろう。
広間を抜けた直後、落ちてきた大きな瓦礫が扉を塞いでしまった。枝がへし折られ、勢いよく宙へと投げ出されが、なんとか受け身を取った。
危なかった。あと一歩遅かったら、広間に閉じ込められるどころか、あの瓦礫の下敷きになっていたかもしれない。
花さんを探して辺りを見回す。どうやら、ここは桜邸の裏庭らしい。でも、空は巨大化した桜の枝で覆われていて、月は見えない。
「花さーん!」
名前を呼びながら、桜の木の方へと走った。だけど、彼女の返事はない。
「花さん! どこにいるの!」
いつもより巨大な桜の周りを、花さんを探して走る。でも、姿が見えない。
「雪二さん」
ふと、彼女の声が聞こえた気がして、足を止めた。
「花さん!」
注意深く木の根元を見ると、彼女の左手が僅かに見えた。体のほとんどはもう吞み込まれてしまったらしく、泥と血に塗れた左手だけが残されていた。芝の上には、引っ搔かいて抉れた跡があった。俺達の為に迷宮に道を作りながら、花さんは吞み込まれないように、地面に爪を立ててまで、時間を稼いでいてくれたんだ。
「ごめんね花さん。痛かったよね」
傷だらけの手を取り、指輪をはめた。
「待たせてごめんね。これで、悪夢は終わりだよ」
だけど——桜の木は花さんを放さなかった。
掴んだ彼女の手が、みるみる木に呑まれようとしている。引っ張り上げようと足に力を入れても、ビクともしない。それどころか、桜の木は俺から彼女を引き剥がすように、彼女を呑みこむ勢いを強めた。
「嘘だこんなの!」
立つことも侭ならず、遂には地面に這い蹲って、彼女の手を引っ張り続けた。右手で彼女の手を掴み、左手で芝を掴んで耐える。でも、引きずられる度、芝はブチブチと音を立てた。それでも地面に爪を立てて、彼女がしたように俺も足掻く。
「桜の神様お願いします、花さんを返してください! 俺が、この子を護るから! この子がもう二度と、誰も傷付けなくていいように、俺が護るから……」
しかし、桜の木は花さんの全てを呑みこんで、次は俺すらも呑みこもうと引き摺り始めた。どうにか耐えようと、他に掴まれる場所がないか探すが、見つからない。
桜の神は、花さんを絶対に放さないつもりらしい。
俺が引っ張り続ける事で、花さんは痛い思いをしているかもしれない。
ふと、そんな考えが頭を過って、木に呑まれつつある右手に目をやった。
「ごめんね、花さん」
俺の右手は、間違いなく彼女を掴んでいる。だけど、呑まれるばかりで引き上げる事ができない。もう一度、視線を左手に戻した。引きずられる度、芝は指の形に抉れていく。
雷さんの意表を突く為だったとはいえ、広間ではまだ、がしゃどくろが暴れているはずだ。助けは期待できない。
ずるずる……ずるずる……木は俺を呑みこんでいく。痛みはない。だけど、完全に呑みこまれたら、もう戻って来られないという焦りが、俺に足掻けと命じていた。
遂には胸まで呑み込まれた。左手だけでなく、顎まで地面に擦り付けて抵抗したけど、勢いは止められない。
『逃げたいなら、彼女を離せ』
頭の中に、そんな言葉が降って湧いた。
くだらない妄言だ。
「花さん、プロポーズの時に伝えたっけ? ……最後の時まで、俺は君の傍にいたいんだ」
この言葉が本心だ。
この選択に、後悔はない。
心残りがあるとするなら、もう一度花さんの笑顔が見たかった。
手を繋いで、ケーキや線香を買いに出掛けたかった。
アルバムを見て、思い出を語り合ったりしていたかった。
一緒に映画を観ていたかった。
新しい君を見つける日々が、ただ、ただ眩しくて、温かくて。
もう一度、いや、何度だって、桜邸で君と過ごす毎日を繰り返したかった。
「愛してるよ、花さん」
芝を引っ掻く指は引きずられ、遂に俺達は呑み込まれてしまった。
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