桜邸は化物屋敷㉑

 怪鳥・以津真天の稲妻と、鈴木君の放つ火が障害を取り除き、いくつもの扉を抜け、迷宮の最奥が目と鼻の先に迫る。

「見えた! あれが最後の扉だ!」

 それは、一際大きな広間の最奥に堂々と陣取っていた。


 安堵の溜息を吐いたその時、怪鳥が急ブレーキを掛けたように突然止まった。空中に投げ出された俺達は、落下の衝撃に備えようとしたけど、どうも様子がおかしい。

 よく見れば、体が空中に浮かんだままになっている。いや、違う。これは……。


「金紅さんの巣!?」


 逸早く気付いた鈴木君が、俺と自分の周りを焼いて、なんとか糸から脱出する。捕まった場所が、地面からそんなに離れていなくてよかった。


 状況を確認しようと見上げれば、本性を現した姿の雷さんが、俺達をここまで運んでくれた怪鳥を糸で巻いて球にしたところだった。


「あ……え?」

 雷さんを見上げた鈴木君が、驚きの表情で固まっている。そうか、彼女の本当の姿、鈴木君は知らなかったのか。


「鈴木君」

 声をかけると、彼は我に返ったように下を向いた。まるで、できるだけ雷さんを視界に入れないようにしているようだった。


「白鳥さん、何でそんなに落ち着いてられるんスか」

「気持ちは分からないでもないけど、冷静になるんだ」

「そんなの無理っス!」


 酷く狼狽している。無理もないか。だって、普段上品な人間に化けているんだ。妖怪の姿なんて、想像できるはずも——。


「だって、金紅さん、服着て無いんスよ!」


 顔を上げた鈴木君は、真っ赤だった。そういえば、正体表したとき、スーツビリビリに破けてた気がする。でもあれ、もうほとんど蜘蛛だよ? 人間の要素もう全然残ってないよ!?


「鈴木君、君が紳士なら、あの錯乱した女性を宥めて早く服を着せてやるべきじゃないか? この上着あげるから、彼女に掛けてあげなよ」


 俺、何言ってるんだろう。最後の扉は蜘蛛の糸でガチガチに固められてしまっているし、こっちの戦力は心許ないし、怪鳥は捕われてピンチだっていうのに。

 でも、上着は脱いで鈴木君にあげた。


 その直後、雷さんは俺達目掛けて毒液を飛ばしてきた。咄嗟に鈴木君を引っ張って避けたけど、さっきまで立っていた場所には大きな穴があいている。


「来ると思っていました。だからこうして巣を張って、待っていたのよ」


 雷さんの八つの目はギラギラと金色に光っている。


「金紅さん! もう止めましょうよ! らしくないっスよ!」


「らしくない? 面白い事をおっしゃるのね。私は、ずっと昔から、こういう女。神と崇められたところで、誰の幸せも願えない。性悪な妖怪なのよ!」


 いつの間にか、蜘蛛の巣には巨大な蜘蛛がワラワラ沸いていた。あれが一度に降りてきたら、かなりマズイ。


「白鳥さん、まだ枝は出したら駄目っス。今出しても、切られて終わりっス」

「でも」

「でもじゃないっス。あんたがあの人を傷付けるのは、なんか違うでしょ」


 ふんわりした理由だけど、なんとなく分かるよ。雷さんの想い人の魂を分けて作られた俺が、彼女を傷付けるのは、昔の事を繰り返すみたいで嫌なんだよな?


「分かった、攻撃はしない。それで、作戦は?」

「俺が隙を作るんで、白鳥さんは以津真天を脱出させるっス!」


 鈴木君は雷さんを狙わず、あえて周りの糸に火を放った。轟々燃える糸を、蜘蛛が糸を切り離す事で鎮火しようとしている。

 彼は下に降りてきた一匹に鋏を向け、雷さんとの縁を切り離し、自分との縁を括り付けた。すると蜘蛛は動きを止め、巣を壊すように暴れ始めた。コントロールを奪って式神にしたのか。


「小賢しいですね!」


 雷さんが蜘蛛に括りつけた縁を切った。蜘蛛はまた敵側になってしまったけど、十分な仕事をしてくれた。雷さんの意識を逸らして、怪鳥を助けてやる事ができたんだから。

 枝で怪鳥を床に下ろすと、太い枝を掴んでへし折った。それを使って糸を切り、怪鳥を自由にしてやる。


「以津真天、鈴木君をサポートしてやってくれ」

「いつまで!」

 怪鳥は不満とも気合とも取れるような返事をして、口から稲妻を吐いて蜘蛛を撃った。けど、雷さんには当たらない。縁を操って逸らされている。


 大蜘蛛はどんどん降りてきて俺達に牙を向ける。俺は枝に火を貰い、それを振り回して大蜘蛛達を追い払い、遠くを狙っている鈴木君と怪鳥から遠ざける。


(枝を呼べるのはあと一回。どのタイミングで使ったらいいんだ……)


 巣を焼きながら撹乱する鈴木君、沸いて出る大蜘蛛を撃つ怪鳥に、雷さんはイライラしているようだった。

 鈴木君、君こんなに強かったんだな。夏に、無傷で邪鬼がいる廃ビルから戻ってきたのは、楓さん達に護られていたからじゃない。君のセンスが、君を生かしたんだ。おかげで、倒す事はできないけど、逃げ続けてはいられる。


 でも、このままじゃいつかは押し切られる。現に鈴木君の限界は近く、息を切らしている。

 回復を待ってくれるほど、雷さんは優しくない。鈴木君は毒液を火で相殺しようとして、指を構えた。だけど、火は形にならず、不発。咄嗟に避けようとした毒液が足に直撃してしまった。

 痛みで藻掻いている彼に駆け寄ろうとするも、彼は歯を食いしばって「来るな」とサインを送ってきた。溶けたブーツを脱ぎ捨てると、皮膚が焼けてしまった足が見えた。


「痛いでしょ? あなたがそこにいる男を引き渡すというなら、助けてあげてもいいですよ」


 冷笑する雷さん。でも鈴木君は怯まず、痛む足を庇うように立ち上がった。


「俺は、いい加減で碌でなしな男っス! でも、金紅さんにとっての、人でなしにだけは、絶対になりたくないんスよ」

 

 彼は真っすぐに、彼女を見上げた。


「店に通い続けて、知ったっス。金紅さんは、ちゃんと誰かの幸せを願える神様だって。そうじゃなきゃ、指輪を買う客に縁結びの力を分けたりなんかしないでしょ。大事な人が消えた事、頭では分かっていても、受け入れられないから、八つ当たりするしかなかったんスよね?」


「何を……何をそんな、分かった様な口を——」


「さすがに全部は分からないっスよ。でも一つだけ確かな事があるっス——金紅さんは、白鳥さんと花ちゃんが結ばれる事を、心の底では願ってたんス。だから視力を奪って見えなくしても、んスよ」


 雷さんの八つの目、その全てが鈴木君に向けられた。怒り狂った彼女は四本の手を掲げ、そこには徒ならぬ妖気が集まり始めた。


「マズイ!」


 足を怪我した鈴木君は、すぐには逃げられない。枝を呼んで、彼を守らないと!

 だけど……指輪を構えようとして、俺はその手を下ろした。

 鈴木君が、妙に冷静だったからだ。


 彼は痛んだ耐火手袋を外し、ライターを直接手で握った。


「安心していいっスよ。白鳥さんを殺して、花ちゃんを悪霊に戻すなんて、冷静になった時に死ぬほど後悔するような事、俺が金紅さんにさせないっスから!」


 彼は言い終わるや否や、指を構えた。話ながら時間を稼いで、息を整えていたのか。だけど、撃ててもあと一発だ。それに、雷さんは容赦ない。彼に向かって、四本の腕から大量の毒液を放った。火を放ったところで、とても防ぎきれる量じゃない!


「逃げろ!」


 でも、鈴木君は逃げなかった。今まさに降りかかろうとする毒の雨には目もくれず、ただ一点に狙いを定めていた。


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