桜邸は化物屋敷②

 桜邸に突然現れた女性は、俺が婚約指輪を買った夏雲宝石店の店長、雷金紅さんだった。それもなぜか、店で対応してくれた時より不気味なくらいフレンドリーな態度。おまけに、自分の事を縁結びの神様だとか、紅姉ちゃんとか言い始める始末だ。


「えっと、雷さんがどうしてここに?」


 紅姉ちゃんと呼ぶのは何か嫌だったので、雷さんと呼ぶ事にした。雷さんは、少し不満そうにしていたけど、やがて本題を切り出した。


「花さんより、白鳥さんにと、こちらをお預かりしていたもので」


「花さんが?」


 差し出されたのは、指輪ケースと同じくらいの大きさのケースだった。


「どういうことですか? 花さんは成仏したんじゃ?」


 受け取ろうとすると、雷さんはそのケースを引っ込めた。思わず怪訝な目で彼女を見ると、雷さんは口元に、ベッタリと貼り付けたような笑みを浮かべていた。さっきは社交辞令の営業スマイルだと思ったけど、今はなんだか不気味に感じる。


「ここでお話しするのもなんです。あの桜の木の下へ行きましょう」


 そう促され、俺は雷さんを裏庭の方へ案内した。

 裏口のドアを開けると、あの夜の戦いの跡がまだ、くっきりと残っていた。抉れた地面に気を付けながら、俺達は桜の木の下へ移動する。雷さんは桜の木に触れながら、少しだけ口の端に弧を描いた。


「桜家がこの大樹を囲うまで、この木はこの地域で信仰の対象だったんです。儚く美しい桜の中に、人は永遠を探し、神秘を感じた。村の守り神が宿ると信じられ、愛されていたんです」


「この桜が神様?」


「でもまあ、桜家がこの木を囲ってからは、桜家の守り神となった訳ですが」


 思わず桜の木に目を向けた。風に揺られ、ざわざわと音を立てて揺れる木は、今は若葉を茂らせていた。陽の光を浴びて、きらきらと緑が輝いて見える。その様子がまるで、自分の過去の美談を語られ、嬉しそうにしているように見えた。


「とはいえ、今はもう誰からも忘れ去られた神です。それでも、長年蓄えた力は凄まじく、数日前に花さんが大暴れした時までは、大妖として顕在していました。人の念を集めるほど、怪異は力を高めていくのですが、この木は余程愛されていたのでしょうね。この木の根が張るところは神域でした。だから、霊媒師は桜邸に結界が張れなかったんです」


「雷さんは、この木が神様だって、楓さんに教えてあげなかったんですか?」


「楓ちゃん? 蔦美からの引継ぎで知っていたはずですよ。でも、協会ではもうこの木を神として扱っていませんでしたので、私とあの子の認識にズレがあったのでしょう。あの子は強いけれど、まだまだ経験不足。経験は体験しなければ覚えないというのが、私の持論です。だから、敢えてこの木がまだ神達の間で、現役の神様として敬われていたというのは、教えてあげませんでした」


(鬼か? いや、神様か)


「霊媒師のお呪いは、私ら神が力を貸さなければ使えません。神として祀られる妖怪の間には暗黙の了解がありまして、その一つに、他の神の神域に自分の神域を被せてはいけないというものがあるんです。霊媒師の結界は、簡易的な神域ですから、楓ちゃんには悪いけど、頼まれてもはぐらかして断りました」


「なんで、はぐらかしたんです?」


「だって、嫌だって言ったら、無理やりにでもやらされそうでしょ?」


「……そうかもしれない」


「とはいえ、元は美しいだけの桜ですから。この木ができる事と言えば、見た人に活力を与える程度。美しい桜に、人は恐れを抱かないですから、恐ろしい怪異に変じる事も無かったのでしょうけど」


 人が怖れを抱いたせいで、恐ろしい物に変わってしまった妖怪を、俺は知っていた。火野さんは、人が煙に恐れを抱くようになったから、祟り神になってしまったらしい。


「人から愛されれば、妖怪は神にまでなれるけど、恐れられると、どこまでも怖い祟り神に変えられてしまうんですね……」


「その様子、火野君の事を聞いたんですね。でも、まあ、それが妖怪の宿命ですから」


 雷さんは、やれやれと肩をすくめた。


「火野君は人間に肩入れし過ぎたんですよ。煙は人間にとって害でしかないのに、火は人間にとって欠かせないものだからって張り切って、自滅したんです。それも、あんな小さな村の為に……。時が経てば人間は、より便利な物を作り上げる事に気付けなかった。でも、私は好きですよIHとか電気ポッドとか、手軽ですもの。今時、かまどで飯炊きする人の方が珍しい」


 火野さんの事を考えると、罪悪感のような、逃げ出したいような感情にかられた。でも、昔の人達が頑張って作り上げてくれた今の文明を否定するのも嫌だった。


「じゃあ、あなたはどうして人に力を貸しているんですか?」


 気付けば、怒りの矛先を雷さんに向けていた。俺の心境を見透かしたように、雷さんはまた顔に笑みを貼り付けた。相変わらず、不気味な作り笑いだ。


「簡単な事ですよ」


 彼女は伸びをしながら、退屈そうに言葉を吐き出した。


から、それだけです。ある程度力を貸してあげれば、人は何でもありがたがって神として祀るでしょう? 思っていたより、簡単な事でした。でも力を貸すのは、ほんの少しだけ。肩入れしすぎて変質させられるのは嫌ですから、私自らは動きません。だから腕の立つ楓は、私の現人神と呼ばれて、ありがたがられているんでしょうね」


(人間は自分勝手だけど、神は神できまぐれって事か。楓さんが捻くれる理由も分かる気がする)


 だけど、この神様と話してみて、感じた事が一つある。どういう訳か、この神様は俺に敵意の様なものを向けている。

 神としての体裁なのか、何なのかは分からないけど、作り笑いを浮かべたり、紅姉ちゃんとか言ってみたり、フレンドリーな態度を取っているように見せかけて、あの笑顔の下に本心を隠しているような気がする。

 でも現に、一向に本題を話さず、代わりにチクチク棘を刺してきていた。まるで仮面の下から、抑えきれない敵意が溢れ出しているようだった。


 でもいい加減、教えて欲しい。本題を話さないつもりなら、こちらから切り出さないと。


「そろそろ教えてくれませんか? どうして雷さんが、花さんからの贈り物を持っているんです?」


「楓ちゃんから【縁結び作戦】を聞いた時、ある事を思い付いたんです。指輪の件もそうですよ。もし花ちゃんにプロポーズする人がいて、その人が指輪を望んだなら、私の店で買い物するように、楓ちゃんにお願いしておいたんです。そうじゃなきゃ、今後一切力を貸してあげないぞって」


「脅しじゃん……」


「冗談なのに、楓ちゃんったら真に受けちゃって、可愛いところありますよね? 私、一応は秋葉家が信仰する神ですから、滅多なことじゃ罰しないのに。蔦美みたいに肝が据わってないと……。いえ、あれは駄目ですね。私、霊媒師が使う悪霊祓いの方法、気持ち悪いから嫌いなんです。何です? あの品性の欠片も無い式神。秋葉の霊媒師はそれをやらない約束だったのに、あの男は裏切った。でも、長年私に尽くしてくれましたから、見逃してあげたんです。私、これでも慈悲深いんですよ? 神なので」


 雷さんは、細い目を少しだけ開いて、虚空を睨んでいた。その目が金色に妖しく光っていたせいで、思わず身震いしてしまった。目の前にいるのが、人間ではないと分かってはいたけど、それを改めて実感させられた。


「ああ、ごめんなさい。また脱線しましたね」

 雷さんはまた作り笑いを浮かべ、飄々とした態度に戻った。


「秋葉家は桜家から、花さんを除霊する為の軍資金を頂いていたようです。その一部を、婚約指輪のお返しに充てさせていただきました。中身はネクタイピンですよ。もし運命の人に贈り物をするなら何がいいか、花さんに選んでおいてもらったんです」


「でも、いくら花さんが選んでくれたものだといっても、複雑ですよ。花さんの家族が、花さんを除霊する為の軍資金を出していて、それから差し引いたって……」


「まあ、でも、悪霊になった彼女にとっては、持参金の様なものでしょう」


「持参金って……」


「じゃあ、これは要らないと言うんですか? 悪霊からの贈り物は、受け取りたくないと?」


「そうは言ってないだろ」


 思わず声が粗くなり、差し出されたケースを奪うように掴んだ。きっと、いい加減彼女の捉えどころのない物言いに、うんざりしていたせいだ。


「楓さんを脅したり、火野さんを悪く言ったり、何なんですか? というか、人間に関わりたくないとか言ってる癖に、宝石店なんて開いたりして、どういうつもりです? ……指輪を用意できたのは、ありがたかったけど……」


 怒りを覚えたけど、一応は借りがあるので、あまり強く出られなかった。でも、本当どういうつもりなんだ? 人間を嫌ってそうなのに神になりたかったとか、訳が分からない。


「そうそう、ちゃんと指輪を渡せたそうで何よりです」


「火野さんが、あなたの店は即日で指輪を渡せないとか言ってましたけど」


「ええ、一応はこだわりもありますし。なので、今回は事前にすぐ渡せるよう、準備をしておきました。指輪はいくつか用意しておきましたが、無事にその中から選んでもらえてよかったです。というか白鳥さん、大分迷っていたようでしたので、誘導するのは簡単でした」


「アドバイスはありがたかったけど、そんな理由!? なんでそんな事を? というか、他の指輪無駄にしたって事? もったいない!」


「流石に趣味で店を傾けるのはどうかと思うので、個人的に買い取りました。でも、どうしても白鳥さんが命懸けで告白するところ、見たかったんです。特に、あの変質した花さんを見たあなたが、怖気づかずに指輪を渡せるかどうか」


 薄く開いたまぶたの隙間から、金色の瞳が俺をジッとみていた。その目には、やっぱり隠しきれない程の棘がある。


「でも、流石に婚約指輪の件は悪い事をしたと思いまして。なので、結婚指輪の購入をご検討いただけるなら、大きく値引きさせていただきます。それと、新生活をお祝いして、桜邸の掃除は手配させていただきました。ご希望であれば、お庭も手入れさせましょう」


 雷さんが手を叩くと、彼女の影がうぞうぞと独りでに動き出した。影は大きく膨らみ姿を変えて、中から俺の身の丈くらいある大きな蜘蛛が何匹も現れた。みんな、脚にシャベルやバケツを持っていた。


「言い忘れましたが、私は絡新婦じょろうぐもです。蜘蛛は糸を操りますが、私には縁の糸を操れる才能がありまして、このように縁結びの神として信仰を集められたのです。それが変化して、縁切りなんかもできるようになりましたが」


 そう笑う彼女の影が、一瞬大きな蜘蛛の姿を映し出した後、元の人間の形に戻った。


「……大蜘蛛を呼んだのに、あまり驚かれないですね。人間は大体、悲鳴を上げて逃げ出すものですが」


「花さんと喧嘩して殺されかけた後だし、驚かされるのは火野さんで慣れたというか……」


 雷さんは「ふーん」とつまらなそうな相槌を打ちながら、蜘蛛達に庭を整えるよう指示を出していた。


 それにしても、まだ花さんとの別れから立ち直れない俺に、この神様は残酷な事を言う。


「……結婚指輪や新生活って言っても、今は新しい恋の話なんて……とても無理です」


 楓さんの縁結び作戦は、俺が花さんの未練を晴らし、成仏させる作戦だった。その後は、俺がその恋を胸にしまって新しい道を歩き出すとか、そんな幻想みたいな筋書きだ。たぶん、楓さんは自分自身を花さんに重ねていたから、きっと火野さんと俺の事も重ねて見ていたんだろう。だから、そうなって欲しいという願いみたいな物も込められていたはずだ。

 でも、俺の様子を見て痛い程わかったはずだよな? そんな幻想的な恋なんて、俺には無理なんだよ。きっと、火野さんも同じだ。好きな人を亡くして、そう簡単に吹っ切れる事なんて、できないんだよ。


 俺が俯いていると、雷さんは溜息を吐いた。


「何を言っているんです? 花さんとご婚約されたすぐ後なのに、もう縁切りの相談ですか?」


「縁切りなんて、そんな!?」


 思わず顔を上げて叫ぶと、雷さんの金色の目と視線がぶつかった。


「そうでしょう? だから、ご提案に来たんです」


 真正面から視線を受け止めて、確信した。この神は、やっぱり笑顔の仮面で敵意を隠し、俺に近づいて来たんだ。


 そして、冷や汗を流す俺の心境などお構いなしに、目の前の神は、驚くような提案をした。


「白鳥さん、花さんをあなたの元に、呼び戻したいと思いませんか?」

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