桜邸は化物屋敷③

「花さんを呼び戻す? そんな事が、できるんですか?」


 雷さんが俺に敵意を向けている理由も、彼女がそう提案する理由も、まだ分からない。でも、花さんを呼び戻せると言われて、俺は咄嗟にそう声に出してしまっていた。


「ええ。私、縁結びの神ですから。悪霊になってまで六十年も待ち続けた花さんと、ただの人間の癖して悪霊を愛した白鳥さん、あなた達の為になら、何か行動を起こしてあげても良いかな~と思いまして。所謂、神のきまぐれというやつですが」


 雷さんが、そう妖しく笑った時だった。


「てめぇ! どういう了見だ!」


 そう荒声を上げながら、突然火野さんが何もない所から現れた。きっと、煙を纏って隠れていたんだろう。その傍らには楓さんもいて、難しい顔をしてこっちを見ていた。病衣のままだったので、着替える暇もなく飛んで来たんだろう。


「おや、火野君と楓ちゃん、じゃないですか」


 雷さんは、二人の非難にも似た視線を物ともせず、何でもないといった風に、そう声を掛けた。しかし、火野さんは鋭い目を雷さんに向けたまま、決してその態度を軟化させる事は無かった。


「話は聞かせてもらったぞ。桜花を呼び戻すって、どういうことだ!」


「おかしいですね? あなた達が蔦美から依頼されたのは、悪霊の除霊、または監視でしょう? 花さんは成仏したのだから、その後に何があっても関係ないじゃないですか?」


「大有りだ馬鹿野郎! 成仏したはずの悪霊が蘇ったら、事務所うちの評判が落ちるだろ! それに、お前の神としての座も、怪しくなるんじゃねえのか?」


「金紅様、考え直してください! 花ちゃんがこれ以上悪霊としてここにいたら、今度は白鳥君の事も分からないような、化物になっちゃうかもしれないんですよ? 縁結びの神であるあなたが、そんな事するはずないですよね?」


 火野さんとは違い、楓さんの説得は懇願に近いものだった。しかし、二人から非難の目を向けられても、雷さんは作り笑いを崩さなかった。


「もちろん、害ある悪霊を呼び戻すつもりは無いですよ。私が呼ぶのは、古い神の化身です」


「古い神?」


 俺がそう呟くと、雷さんは頷いた。


「はい。人から忘れ去られた、この物言わぬ桜の神の化身として、花さんの霊体を呼び戻すんです。ほら、この桜、桜邸の守り神ですから、ここの住人である白鳥さんが信仰してあげれば、うまくいく話だと思うんですよ」


 俺は何が何だか分からず、ただ困惑していた。でも、それは俺だけじゃなくて、楓さん達も困惑しているようだった。それにもかかわらず、雷さんは続ける。


「花さんは守り神の化身として、白鳥さんを支える。白鳥さんは、ただ一人の信者として神を崇める。まさに、夫婦二人三脚の新婚生活だと思いません? ただし、桜にはもう何の力も残されていませんから、白鳥君一人の信仰では、花さんの力は以前よりずっと弱いものになります。無事呼び戻せたとしても、姿かもしれません」


「……えっと」

 戸惑いながらも、情報を頭の中で整理しようとした。

「つまり、俺が桜を桜邸ここの守り神として祀れば、花さんは俺の元に帰って来てくれるって事ですか?」


「はい。どうですか? なかなか良い提案だと思うのですが」


「待って! よく考えて白鳥君」


 迷わず口を開こうとした俺を、楓さんは必死な顔で引き留めた。


「一歩間違えば、花ちゃんは祟り神になっちゃうんだよ」


 人の念が、妖怪や霊を変化させる。人の恐怖で、タールと煤に変容した祟り神の事が頭を過り、息が詰まるような感覚に陥った。


(でも、楓さん。俺は……花さんに会いたい)


 俺は花さんを愛してる。花さんを傷付ける事なんて絶対しない。祟り神には絶対させないよ。


 ギュッと手に力が入った。ふと、花さんからの贈り物を握りしめたままだった事に気付いた。これを最初に見た時、困惑もあったけれど、俺を思ってくれる花さんの優しい心遣いが、贈り物と一緒に届けられたようにも感じられた。


 もし俺が間違えれば、俺が知るあの子は、誰も望まないような化物になってしまうかもしれない。

 気付いていた。でも、認めたくなかった。心のどこかで、その万が一を酷く怖がっているなんて……。


 でも、ようやくその都合の悪い恐怖心と向き合えた。花さんの贈り物が、俺の理性を縫い留めてくれたおかげだ。


(そうだよ。俺の我儘で、花さんを危険に晒す訳にはいかない。俺のせいで、あの子が祟り神になってしまうなんて嫌だ)


 気持ちを押し殺して、口を開こうとしたその時――。


「何迷ってんだよ」


 急に声を掛けられ、そっちを見れば、火野さんが面倒くさそうな顔で俺を見ていた。


「迷う事ねぇだろ。愛した女を取り戻せる絶好の機会じゃねぇか」


 彼のその言葉に驚いたのは、俺だけじゃなかった。


「あき君!?」


 楓さんが、酷く驚いた顔で火野さんを見上げていた。確かに、普段の彼ならこういうとき、絶対に反対するかもしれない。

 だけど何となく、俺には理由が分かった気がする。楓さんが花さんを見逃した時と、同じなんじゃないかって……。たぶん火野さんは今、自分自身を俺に重ねて見ている。


(火野さんならきっと、迷わず楓さんを呼び戻すんだろうな……)


 俺の目に何かを感じ取ったのか、火野さんは舌打ちしながら視線を逸らし、煙草を深く吸った。


「勘違いするなよ。これは事務所の宣伝になるってだけだ。うちの手引きで、『あの悪名高い桜花が、真の愛を得たことで改心して桜の神の化身となった』ってな。いかにも人間様が好きそうな美談じゃねえか」


「でも、もし花ちゃんが化物になっちゃったら、真っ先に狙われるのは白鳥君なんだよ!?」


 楓さんが必死にそう訴えると、火野さんは視線をようやく楓さんへと向けた。


「そこの馬鹿が、桜花にそんなおぞましい念を向けられるとは、到底思えん。相手が悪霊と知りながら、命懸けでプロポーズするような男だぞ?」


 ぶっきらぼうに言葉を吐き出した火野さんの顔を見て、楓さんは何かを悟ったように俯いた。でも、火野さんは楓さんへ視線を向けたまま言葉を続けた。


「お前の心配する万が一が起きたら、次は桜邸ごと火に包んで終わりだ。桜花も白鳥も仲良く灰に還してやる」


「……ううん。その時は、あたしが責任を持って花ちゃんと白鳥君の縁を断つよ。花ちゃんを殺してでも、白鳥君の事は助けるから」


 楓さんはそう呟きながら、俺の方を見た。


「白鳥君、後悔しない選択をして」


(後悔しない選択か) 


 相変わらず、難しい事を言う。でも、俺の心はもう決まっていた。


 贈り物のケースを開け、花さんが選んでくれたネクタイピンを眺めた。赤い小さな宝石が埋め込まれた、シンプルなデザイン。なかなか、俺好みだ。付けて見せたら、花さんは似合うって言ってくれるかな?


 花さんの反応を想像して、思わず微笑んでしまった。


(ありがとう火野さん。楓さんも)


 雷さんに向き直り、俺が後悔しない選択を告げる。


「花さんに会わせてください」


 金紅さんの顔から、一瞬作り笑いが消えたように見えた。でも、彼女はすぐにまた新しい作り笑いを顔に刻んだ。耳の端まで口角が吊り上がらせ、不気味さを隠そうともしない、品のない笑顔だった。


「わかりました。縁結びの神の力、お見せしましょう」

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