桜邸は化物屋敷

桜邸は化物屋敷①

「ここ数日、様子を見させてもらったけど、呪いの影響は無さそうですね。予定通り、明日の昼過ぎに退院できそうですよ」


 霊媒師の診察に慣れている先生は、大事をとって俺を入院させた。いくつか精密検査をしてくれたけど、どうやら軽傷で済んだみたいだ。楓さんと火野さん、それから花さんが俺を護ってくれたおかげだ。


 退院当日、予定の時間まで暇を持て余した俺は、病院の庭を散歩していた。そのときふと、ベンチに座って煙草を燻らせるガラの悪い男を見つけ、声を掛けた。


「あれ、楓さんは?」


「検査中だ」


 楓さんはどうやら相当無茶をしたらしく、しばらくは入院生活が続くらしい。早く退院したいと駄々を捏ねていたけど、その度火野さんに説教を食らっていた。


 「ちょっと羨ましいな」


 喧嘩できる相手がいるっていうのは、いい事だ。花さんとの痴話喧嘩は命懸けだったけど、それでも、花さんと分かり合う為には必要な事だった。

 俺が花さんの事を思い出していると、何かを察したらしい火野さんは、気まずそうに煙草を深く吸った。


「でも、いいんです。ちゃんと気持ちを伝えて、指輪も渡せたし。しかもあれ、花さんと俺のイニシャル入りなんですよ。花さんは遠くに行っちゃったけど、あの指輪を持っていてくれると思うと、なんだか繋がっていられる気がするんです」


 そう言って笑うと、火野さんは何故か不思議そうな顔をした。


「婚約指輪? しかもイニシャル入り? を渡した訳じゃなかったのか?」


「プロポーズリング?」


「なんだ。知らないのか?」


 火野さんは説明してくれなさそうだったので、仕方なく携帯で調べた。プロポーズリングというのは、その名の通りプロポーズ専用の指輪らしい。「彼女の指のサイズや好みが分からない、でもプロポーズで指輪を渡したい」というあの時の俺の様な、悩める男の心強い味方らしい。


 俺が婚約指輪を渡したと聞いた火野さんは、感心したようにニヤリと笑った。


「全く。指のサイズも、好みもいつの間に調べたんだか。女慣れしてないとか猫かぶりしやがって、やるじゃないか、この色男。一体いつから用意してたんだ?」


「え? プロポーズ当日ですけど……」


「ん? あの日は受け取りに行ったんだろ?」


「というか、指のサイズって、俺が把握しておかないといけなかったんですか?」


「そりゃお前……そうだろ」


 そう言って、火野さんは首を傾げた。どうも会話が噛み合わず、俺も首を傾げた。


「夏雲宝石店でしたっけ? 潜伏中にあの店を紹介してくれたの、楓さんじゃないですか。指輪を注文したのも、受け取ったのも、あの時ですよ。指輪のサイズは、店員さんが何とかしてくれました」


 桜邸に乗り込む前、俺はどうしてもジュエリーショップに行きたいって我が儘を言った。そしたら偶然、事務所が入っているビルの一階が、楓さんの知り合いがやっている店だったらしく、何とか連れて行ってもらえたんだけど……。

 俺が店員のお姉さんに、指輪について相談する間、楓さんは店の前で神経を研ぎ澄ませて、花さんが来ないか見張りをしてくれていた。


「そうなのか? 俺は誰かさんにタキシードと花束を買いに走らされたせいで、その一部始終は知らなかったが……」


「それは、ありがとうございました!」


「じゃあ、何だお前? あの店に行ったの初めてだったのか」

 

 火野さんは訝し気な顔で俺を見ている。


「あの店の事は、よく知っている。他の店はどうか知らんが、あそこの店頭に並んでるのは、全部見本用のフェイクだ。最低でも、プロポーズの一カ月前には注文しないと間に合わない。しかも、イニシャル入りの指輪を即日受け取るなんて、絶対できるはずがない」


「ちょ、ちょっと待って」


(なんでそんなに詳しいんです?)


 そう聞こうとして、思い出した。火野さん、前に楓さんに指輪を渡そうとした事があったらしい。もしかして、その指輪ってあの店で買ったとか? だからこんなに詳しいのか?


 でもこうやって話を聞くと、指輪を用意するって、大変な事だったんだなってわかる……。俺が見た映画の主人公達は、見えないところで恋人の指のサイズを測るのに、随分苦労をしていたのかもしれない。


「俺、全然そういうの知らなくて、店員さんに任せきりでした。でも、指輪のサイズピッタリだったし、花さんと俺のイニシャルまで彫ってくれてあったし……。指輪買うのって、こういう感じなんだって思っちゃって……」


 火野さんは難しい顔をしていた。何かマズイ事言ってるだろうか? 流石に、店員さんの好意に甘えすぎたんだろうか?


「すみません。凄く親身になって聞いてくれたから、我儘言い過ぎたかもしれないです」


「いや、あいつにしては仕事が早すぎると思ってな。……まさかあの絡新婦じょろうぐも、指輪をあらかじめ用意してたのか?」


 火野さんは、しばらく何かを思案していたみたいだけど、やがてドロンと姿を消した。随分俗っぽくて忘れていたけど、そういえば火野さんって妖怪だったな。しかも、一度は火の神様だった事もあるとか。

 でも、初めて聞いた時から、神様と妖怪って俺の中では結び付かなかった。だから、昨日楓さんの様子を見に行った時に聞いてみたんだ。


「神様がいてくれれば、助けを求めて縋る事ができるでしょ。人は救いを求めて、神秘を感じるものを何でも神様として祀ってしまうの」


 火野さんを神様として祀っていた村の人達は、煙から火を連想して、煙羅煙羅を火の神様として崇めていたらしい。

 きっとひとりでに形を変える煙の中に、神秘を感じたんだろうって楓さんは言っていた。


「だから、この国には神様が大勢いらっしゃるんだろうね。……でも、人間は短命な上に忘れっぽいから、その分忘れられた神様もたくさんいるんだよ」


 楓さんはそう言って、自虐的に笑った。


「そう聞くと、人間って随分身勝手に聞こえるな……」


「でも、ウチら人間は弱いからさ、何かに縋らないと生きていけないんだよ。縋る相手が、例え神様じゃなくたってね。あたしだって、いつも誰かに助けられて生きてる。だから、あたしが護っている知らない誰かは、いつか私を助けてくれる誰か。いつも恩を押し売りして、借りを回収しながら生きてるんだよ」


「だから、嫌でも霊媒師を続けてきたのか?」


「あき君がいなければ、そうやって前向きになれないまま、死んでたけどね」


 楓さんは、そう格好付けていたけど、注射を持った看護師さんが部屋に入って来ると、化けの皮が剥がれた。


「看護師さん! 今から、あなたを注射の神様に認定します! なので、あなた様の加護で痛くない様にしてください!」


 楓さんは、名案みたいな顔をしていたけど、様子を見に来た火野さんには苦い顔をされていた。


「注射如きにビビってんじゃねぇよ。少しは縁結びの神の気持ちにもなってみろ? 仮にもお前、現人神なんて呼ばれてんだから!」 


 そういえば、現人神って人の姿で現れた神様の事なんだっけ。楓さんは、縁結びのお呪いの力がとても強いので、霊媒師としての腕が賞賛されて、そう呼ばれているらしいけど……。


 楓さんが信仰する縁結びの神様って、一体どんな神様なんだろう。


 ――――――


 中庭で火野さんと話をした後すぐ、俺は病院を退院した。

 楓さんに挨拶しようと思ったけど、まだ検査が終わっていなかったみたいなので、後日また改めて来ることにした。火野さんの事も探してみたけど、結局見つける事はできなかった。


 退院した俺が向かう所と言えば――もちろん桜邸だ。


(元々、ここに住むつもりで荷物を全部置いたままだったし)


 不思議と、あれだけ暴れた後なのに、室内は随分と綺麗に片付けられていた。入院中、鈴木君が桜邸の管理をしてくれるとは言っていたけど、一人でここまで掃除したんだろうか。そこまで真面目な奴とは知らなかったな。

 でも、流石に俺の部屋までは手が回らないだろう。式神が花さんを狙って暴れた後のままになってるはずだ。


「まずは、瓦礫をどかして、壊れた家具をなんとかしないと」


 そう独り言を呟きながら、部屋のドアを開けた。


「あれ?」


 部屋の中は、恐ろしいくらい綺麗に片付けられていた。切り刻まれたはずの壁も、壁紙も、嘘のように元通り。瓦礫も見当たらない。壊れた家具だけは、流石に元通りとはいかず、部屋の隅にまとめられていたけど。


 流石に、鈴木君がここまでやってくれるとは思えない。そうなると、楓さんが業者を呼んだとか? でも、花さんがいなくなったから、もう桜邸に用は無い筈だ。それなのに、わざわざ直すとは思えない。


 ふと、見慣れた映画のパッケージが、ソファーの上に置かれているのが目に入った。それは、あの夜花さんと観た映画だった。ラストシーンで気まずくなった花さんが逃げてしまったやつだ。


 なんとなく、テレビを付けて、プレイヤーの中に入ったままのそれを初めから再生した。


 ソファーに腰かける。一人に戻ってしまったので、クッションを抱いて寝そべりながら映画を観た。……でも、あまり快適ともいえないし、楽しくもない。


(やっぱりさ、無理だよ楓さん。俺はまだ、立ち直れない。あの素敵な恋を胸に抱いたまま、前には進めない。花さん以外の女性と恋に落ちる未来なんて、想像できない)


 だけど、どんなに悲しくても、一度映画を見始めれば見入ってしまう。映画の中盤になって、これからが面白いという時、廊下の方から足音が聞こえてきた。


(誰か来た?)


 でも、そのはずはない。楓さんは入院中だし、火野さんが俺を探しに来たなら、もっと煩く呼びかけてくるような気がする。鈴木君は、今日は大事な勝負があるから競馬場に行くって言っていたし。


(……じゃあ、誰だ?)


 考えを巡らせていた時、なぜか俺は、数日前の事を思い出していた。

 桜邸に引っ越してきた初日、歓迎会の後の事。悪霊が来るって言われて、最初は凄く怖かったけど……。


(嘘だ……でも、本当にそうなら)


 足音は、どんどんこちらへ近づいて来ている。やがてそれは、この部屋の前で止まった。


 相手がドアノブを回すよりも早く、俺はドアを引き開けた。


「花さん、戻っ——」


「戻ってきてくれたの?」そう言いかけて、我に返った。


 ドアの前に立っていた人物は、突然開いたドアに少し驚いたような顔をした後、また、にこやかな笑顔を作った。

 背が高いスーツ姿の女性。金色のメッシュが入った黒髪は後ろでまとめられている。両手には黒いネイル。ニコニコと笑っているせいか、目は細められていて線のようにも見える。

 

「あら、御在宅でしたか白鳥さん。この度は退院、おめでとうございます」


「あなたは確か……」


「はい、いつもお世話になっております。夏雲宝石店、店長のかみなり金紅かなべにでございます。またの名を、。どうぞ紅姉べにねえちゃんとお呼びください」


 ドアの前にいたのは、俺が指輪を買うときお世話になった、あのお姉さんだった。


 でも、どうしてここにいるんだとか、不法侵入じゃないかとか、神様とか言い出すとは何事だとか、考えが色々頭を過ったけど、

「紅姉ちゃん? 店長さんだったんですね……」

 出てきた言葉はそれだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る