終
「……さん」
誰かが俺を呼んでいるような気がした。
「雪二さん」
目を開けると、澄み切った青い空に、ひらひらと淡い紅色の花弁が舞っているのが見えた。
(桜の花弁?)
でも、春にしてはなんだか肌寒い。身震いすると、優しい手が背中を撫でてくれた。
(ん?)
目の前に見えるのは、見慣れた
ビックリして飛び起きて、膝枕をしてくれていた人を見て、またビックリして尻餅をついてしまった。
「おかえりなさい。雪二さん」
赤い瞳の大和撫子が、俺に向かって優しく微笑んでいた。濡羽色の長い髪には、桃色の花飾り。身に纏った桜色の着物も、とても、良く似合っている。
「ただいま。花さん」
思わず強く抱きしめると、彼女は恥ずかしそうに笑った。
ずっと傍にいてくれたのに、俺はどうしようもなく君に恋焦がれた。
また君の笑顔が見たくて、また君を抱きしめたくて……。
君と生きる為に、俺は霊媒師になった。
でも、折角また抱きしめる事ができたのに、花さんの顔がまた見たくなって、名残惜しいけど離れた。覗き込んだ彼女の目は、少し潤んでいる。まっすぐに俺の目を見つめる、その綺麗な目に吸い寄せられたように、俺はまた彼女に近づいて……唇に触れた。
触れるだけの、拙いキス。
それでも花さんは耳まで真っ赤になって、キスをしてしまった事に、今更ながら気付いた俺も、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
その時、一陣の風が吹いて、屋敷の方の空間が歪んだ。
「あっちょっ! 風強っ! あき君が飛ばされちゃう!」
突風が煙を吹き飛ばして、楓さん、鈴木君、雷さん達が現れた。そのまま遠くまで飛ばされそうになって、慌てて煙から人型になった火野さんもいた。
覗き見していた事がバレた皆は、特に悪びれる事も無く、楓さんに至っては「ヒューヒュー」と煽ってくる。
「何してるんですか!?」
恥ずかしさのあまり抗議すると、雷さんが笑った。
心の底から、おかしくて笑っているようだった。
雷さんは、サイズの合わない服を着ていた。スーツを破いてしまったから、誰かから服を借りたんだろう。服の柄も、彼女の趣味じゃなさそうな柄だ。
(でも、見覚えのある服だな……)
彼女が羽織っている上着は、俺が鈴木君にあげたやつだ。チラッと鈴木君の方を見ると、どこか照れた顔をして、他の皆にバレない様にピースしてきた。
「金紅様が糸で白鳥君を引き戻してくれたんだよ。桜の神様、自力じゃ白鳥君をこっちに戻せなかったみたいでさ……」
楓さんは苦笑いしていた。
「金紅様、また神様として力を貸してくれるんだって。これで秋葉家は、神様を鞍替えしなくて済みそう」
そう小声で教えてくれたけど、雷さんには聞こえていたらしい。
雷さんは困った顔をして、
「とはいえ、さすがに好き勝手やり過ぎた自覚はあります。謝ったところで、許してもらえるでしょうか……」
そう呟いた。
「大丈夫。だいじょーぶ。ウチの当主チキンだから。生贄取るような神様より、金紅様に戻って貰った方がマシだって絶対思ってますよ。ね、あき君?」
「簡単な報告は既に済ませた。『異界は桜邸の敷居からはみ出す事なく消滅。桜花は悪霊に戻らず、守り神の化身の状態を維持。絡新婦は神として秋葉家に戻る意思を見せた』って伝えた途端、
「あはは……安心して泣き崩れてたよね……」
「本っ当にギリギリまで決断できなかったくらいだからな。今一番安堵してるのは、当主だろ」
楓さんと火野さんは苦笑いしていた。
「だが、どういうつもりだ? 神として祀られるメリット、お前にはもう無いんじゃねぇのか?」
火野さんが雷さんを睨むと、雷さんはフッと笑みを浮かべた。
「少し前なら、そうだったんですが……」
チラッと鈴木君の方に視線をやって、また直ぐに火野さんへと戻した。
「蜘蛛好きの人間なら、助けてあげてもいいかなって、思っただけです」
(蜘蛛好きの人間?)
ハッとして鈴木君の方を見たけど、彼はそれどころじゃないようだった。自分の服を着こなしている雷さんに見惚れていて、肝心の雷さんの気持ちに気付いていない。
同じく視線を鈴木君に向けた花さんは、溜息を吐いた。
「……暫く時間が掛かりそうですね」
「まあね。鈴木君は初対面で俺の事を馬鹿にした癖に、恋愛は滅茶苦茶初心っぽいんだよなぁ……」
(でも秋葉家と雷さん、本当に元通りになれたらいいけど……。大丈夫なのかな? だって、今回は下手すると世界が終わっていたのかもしれないし。……半分くらいは、桜の神様の所為だけど)
花さんと目配せして、その辺りを楓さんに相談する。
とんでもない大事件を起こした雷さんと桜の神様は、もしかしたら、協会から処罰されるんじゃないかと心配だった。でも、楓さんはこんなの大した事ないという風に笑った。
「その辺はね、本当に大丈夫だと思う。世界滅亡の危機って、よくある事だし」
「よくあっちゃ駄目だろ!」
冗談なのかと思ったけど、楓さんの顔は真剣そのものだった。
「真面目な話、怪異は簡単にこの世界を根元からひっくり返しちゃうの。だから、霊媒師は人間の世界を護る為に、力を貸してくれる神様の機嫌を取る為なら、何だってするよ。他の流派は、力を貸してもらう代わりに、自分の一部を捧げたり、もっと酷い所は生贄を捧げてたり……あ、ここは潰れたから安心して」
「あぁ、あれか。新当主が、『いい加減人間を喰わせるのは終わりにしたいから、自分の流派を潰したい』って相談してきたあれだろ」
いつの間にか楓さんの隣に立っていた火野さんが、思い出したように言うと、楓さんは相槌を打った。
「そうそう、あの縁切りの依頼。協会のトップからもお願いされて、さすがにビビったよね。いや~、もし秋葉が本当に生贄取るタイプの妖怪を祀り始めたら、流派ごと潰すつもりでいたんだけど……。そうならなくて良かった」
「お? という事はまさか、その時は協会も潰すつもりだったのか?」
「そりゃあね。いい加減権力争いとか、ウンザリだし。一回ゼロから始めた方がいいんじゃないかな~って、魔も差す訳よ。混乱に乗じて悪さする奴も一掃できるし、一石二鳥ってね」
「まぁ、俺達にかかれば楽な仕事だったろうさ」
悪い顔をして笑う二人を見ていると、正義とは何なのか分からなくなる。
「あそこの妖怪も、生贄取る割に、大した事無かったな。そもそも、差し出された物に対する働きも粗末だったぜ。あんな奴を神として祀り上げた初代の気が知れねぇ」
「それは、あき君が神様として真面目で優しかったから、そう言えるんだよ。こんないい子が、なんで祟り神にされちゃったのかねぇ」
楓さんが「よしよし」と伸ばした手を、火野さんは煙になって躱した。もしかして、照れ臭いとか?
「ま、そんな感じだからさ、霊媒師と神様は衝突しない方がおかしいんだよ。そんな非常識な流派が集まってできた協会だから、表社会の平和を護ってさえいれば、普段何していても無関心なんだよね。神様と喧嘩したって、内輪で解決できれば、協会は何もしてこないよ」
「……もしかして、霊媒師って滅茶苦茶ブラックだったのか?」
「裏稼業だって言ったじゃん? そういう訳だから、秋葉家と金紅様の事も大丈夫。当主が鞍替えする予定だった妖怪より、金紅様の方がよっぽど妖術の質がいいし。それに、生贄も取らないしさ。ただ……滅茶苦茶な気分屋だから、鈴木君には頑張って手綱握っといてもらわないとね……」
チラッと鈴木君の方を見ると、彼は恥ずかしそうにしながら、雷さんと何か話し込んでいた。そして雷さんは——どういう訳か、また変化を解いて本性を現していた。
(待って! どういう状況!?)
俺の視線に気づいたのか、鈴木君は駆け寄ってきて耳打ちした。
「聞いてくださいよ白鳥さん! 金紅さんの変化解いた姿って、別に服着てない訳じゃないらしいんスよ! 体の縞模様が、着物の代わりらしいっス!」
「あ、うん」
「何スかその反応! なんか俺だけ意識してたみたいで、恥ずいんスけど!」
俺は正しい反応が分からなくて困惑したけど、楓さんは思う所があったのか、しみじみと頷いていた。
「うんうん。そういう事に悩んだ時期、あたしにもあったなー。人間に化ける時だけ、妖怪達は人間の文化に合わせてくれるんだよね」
(え、文化の違いとか、そういう話?)
「あき君も変化する時、わざわざ服まで作り込むからさぁ。『もしかしてあき君の服は、あき君にとって皮膚の一部なのかな?』とか、『じゃあ、全裸じゃん』とか、真剣に悩んだ事あったよ。でも付き合い始めてから、皮膚じゃなくて服のつもりだったんだなーって納得したけど。……あき君ね、脱いでも凄いんだよ」
「ちょっと! いきなり何の話!?」
「俺は楓の相棒だからな。これくらいの変化、何てことないぜ」
火野さんは得意げ笑ったけど、楓さんはたぶん、そういう事を言った訳じゃないよ。
「わ、私はちゃんと着てますからね!」
ほら、楓さんが変な事言うから、花さんが真っ赤な顔して変なカミングアウトしちゃったじゃないか!
「大丈夫。ちゃんと分かってるよ。それ、前に写真で見せてくれたあの着物だよね。着ているところが見たいって言ったの、覚えててくれたんだね。よく似合ってるよ! すごく可愛い!」
精一杯フォローしたつもりなのに、花さんの顔は更に赤くなっていく。
「うわー……白鳥君、素でそういう事言っちゃうんだ……」
何で楓さんに呆れられなきゃいけないんだよ! こうなったの、楓さんの所為だからな!
「そ、そ、それより、雪二さん。いかがですか?」
赤い顔をした花さんは、桜の花を指差した。
「まだ春はまだ遠いですが、神様が咲かせてくださったんです」
見上げれば、冬の日差しを受けて舞う桜の花弁が見えた。美しく、凛と咲き誇る桜の花を見ていると、あの調子の良い神様が、かんらかんら笑っている様な気がした。
「……悔しいけど、凄く綺麗だね」
「折角だし、お花見しよ! おじいちゃんに以津真天借りて来る」
「おい。買い出しなら、車使え。あいつは目立ち過ぎるだろ。いや、それよりまずは、当主の所に顔を出してだな……おいっコラ! 聞けよ!」
楓さんを追いかけて、火野さんが玄関の方へ走って行った。
二人が向かった玄関の方から、別の影が現れた。
蜘蛛妖怪達を引き連れた蔦美が、こっちに歩いて来ている。妖怪達は頭にたんこぶを作ってべそを掻いているのに、蔦美は無傷でピンピンしていた。
蔦美は楓さんの要求に呆れた顔をしたけど、懐から以津真天の羽根を取り出して楓さんに渡した。
(蔦美、最初に会った時と比べると、まるで別人だな……。でも、今の方が何か楽しそうなんだよな)
火野さんが呆れ顔で「ジジイ甘やかすんじゃねぇよ」って嫌味を言って、蔦美が「黙れ毒煙」って言い返したのが、風に乗って微かに聞こえてきた。
楓さんが以津真天に飛び乗ったのを見て、火野さんと蔦美も口論しながらその背中に乗った。以津真天が飛び立つと同時に、口論の延長戦でそれぞれ術を使ったのか、空を飛ぶ怪鳥とその背に乗った三人の姿は青空の中に消えていった。
「え~ん……蔦美に勝てませんでした~」
「紅姉~ごめんね~」
泣きついてきた蜘蛛妖怪達の頭を撫でながら、雷さんは困ったように笑った。
「あら、大きな瘤ですね。こんなになるまで、私の我儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい……」
「これくらい平気です~」
「いいよ~。紅姉の為だもん」
蜘蛛達の頭を撫でながら、雷さんは鈴木君に視線をやった。
「私は、これから当主の元に参ります」
「なら俺も一緒に……あ、居ても大して役に立てないっスよね……」
無力さを感じてか、苦い顔をして俯いた鈴木君。
すると雷さんは、どこか遠慮がちに、
「あの……もし傍に居てくださるなら、とても心強いのですが」
そう零した。
鈴木君がビックリしたよう顔を上げると、雷さんは照れたように、控えめに頷いた。金色の目は、見たこと無いくらい優しい光を帯びている。
「当主の小言なら、受け流す方法伝授できるっスよ!」
(たぶんそれ、受け流しちゃ駄目だろ!)
そう思ったけど、口に出さずに呑み込む事にした。
鈴木君が手を伸ばすと、雷さんはその手を取って、蜘蛛妖怪達を引き連れた二人は瞬く間に消えた。
「二人きりになっちゃいましたね」
花さんが、隣で嬉しそうに笑った。
その目は赤く、妖しく光っている。
「金紅さんが雪二さんを選ばなくて、本当に良かったです。もし、私から雪二さんを奪うつもりでいたなら、今頃秋葉家は潰えていました」
いつの間にか伸びてきた枝が、俺の体に巻き付いて、『絶対に逃がさない』という強い意志を感じた。俺の肩に、背中に、回された手は冷たくて、彼女が幽霊なんだと全身が訴えている。
(そういえば、神様の化身になったけど、悪霊だった頃から花さんの性格は、何も変わってないんだよなぁ……)
もし他の人が見れば、俺は事故物件の悪霊に取り憑かれた哀れな男なのかもしれない。それか、引っ越した先で人生を破綻させたホラー映画の登場人物か。
(でもこの歪な関係は、俺にとっては恋人との甘い同棲生活だよ)
彼女の背中に手を回して、強く抱きしめた。
この先何年経っても……いつか魂だけになっても、きっと、
「君に会えて、本当によかった」
って、俺はずっと言い続けるんだろうな。
(うん。ずっと君と一緒に居られるなら、この
霊媒師として、恋人と歩む俺の第二の人生は、まだ始まったばかりだ。
季節外れの桜吹雪の中、俺達は抱きしめ合ったまま笑い合った。
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