桜の下で春を待つ君⑦
「いや、急だな!? 確かに一目惚れだったけど、いきなり告白しろだなんて……」
俺の叫びを聞いた蔦美さんが笑った。
「心配せずとも良い。悪霊を愛するなど、霊媒師でもないただの人間にできるはずがないのだ。儂は六十年かけ、遂に桜花を除霊できる式神を作り上げた。調整の為、昨夜はあの式神の真の姿を披露する事はできなかったが、今夜にでも除霊を行おう」
蔦美さんは高笑いしながら部屋を出て行ってしまった。
「この外道! いくら元が犯罪者でも、化け物みたいな姿にしていい訳無いでしょ! 秋葉の霊媒師として恥ずかしくないの? お爺ちゃんが教えてくれた矜持は何だったのよ! この、クソジジイ! バカー!」
楓さんが吠えているが、蔦美さんの反応は正しい気もする。そりゃそうだろう。自分の六十年にも渡る長い戦いに、孫が連れて来た素性の知れない元サラリーマンが決着を付けるなんて、おかしな話だ。
そう考えていると、楓さんが苦い顔をして俺を見た。
「ねえ、どうしても駄目? あの子に告白したくない?」
前から思っていたけど、この人デリカシーの欠片も無いんだろうか。
「逆に、楓さんはいいの? 俺みたいな、どこの馬の骨だかわからない男を、よくそんな重大な作戦に組み込めたな」
「だってさぁ、可能性があるなら賭けてみたいじゃん。最後にちょっとくらいは報われて欲しいんだよ……」
楓さんが視線を窓の外にある、あの桜の木へと向けた。その眼には、哀れみの色が浮かんでいる。
「だってあの子——誰にも愛してもらえなかったんだから」
呟かれた言葉に、ふと自分自身の子供時代の記憶が蘇った。
俺の事など見向きもしない両親が、俺と姿だけはよく似た出来の良い子供を愛でている光景。
息が、止まりそうになった。
「……花さんのご両親は、花さんの事が嫌いだったのか?」
「どうだったのかな。私も、断片的にしか知らないんだ。でも前に師匠に頼まれて除霊しに来た時さ、あの子が口を滑らせたんだ。お兄ちゃんばかり甘やかされて、自分は政略結婚の道具にしか思われてなかったって。小さい時から将来の旦那に尽くすように言われて、厳しく育てられたんだって」
自然と、視線を窓の方へ向けていた。ガラス越しに見る桜の木は、花が落ちているせいか随分と寂しそうに見えた。
「きっと。自分の感情も意見も全部呑み込んで生きていたんだよ。運命の人だけは自分を、人として愛してくれるって、そう信じ続けていたのに……それすら叶わず殺されちゃったんだ」
「……それが、花さんが運命の人にこだわる理由なのか……でも、その為に人を傷付けるなんて……」
「まあ、許される事じゃないよね。でも、どうしたって同情しちゃうんだ。あの子は確かに悪霊だけど、その正体は愛が欲しいだけの女の子だったんだから」
楓さんは、少し遠い目をして桜の木を眺めていたが、やがてゆっくりと目を閉じた。
「ねえ、怖い本性とかを聞いて、あの子の事、嫌いになった? 本当はさ、ちょっとずつあの子の事を知ってもらって、いつか白鳥君があの子を受け入れてくれる事に、賭けてたんだけど」
「……幽霊との恋愛か。でもこの状況じゃ、さすがに恋愛映画みたいにロマンティックな恋は無理だろ。花さんは悪霊で、下手したら俺も呪われてたかもしれないんだぜ?」
「恋愛映画か……そうね。でも、そうなって欲しかった。あの子が成仏した後、白鳥君が綺麗な恋の思い出を胸に、前へ進んで行ける様な、そんな素敵な関係になればいいって。都合のいい事考えてた。……人間と怪異じゃ、住む世界が違うのにね」
吐き出された言葉に、俺は少しだけ首を傾げてしまった。『恋愛映画みたいな恋をして欲しかった』なんて、失礼かもしれないけど、命のやり取りさえ何とも思わないような、この物凄くガサツな女性から、そんな可愛い妄想が飛び出してくるとは、思いもしなかったからだ。
なぜか、ふと火野さんの顔が頭に浮かんで消えた。
(命懸けの仕事してるから別れたって言ってたけど、楓さん達が別れた理由って……いや、まさかな)
「でも、何をするにも時間が無さ過ぎた。まさか師匠が、あんな式神を完成させてたなんて」
俺がくだらない想像をしている間にも、楓さんは考えを巡らせていたようだった。再び開けられた目には、決意の色が見て取れた。その目が、真っすぐ俺に向けられる。
「巻き込んじゃって、本当にごめんね。花ちゃんと白鳥君を引き合わせたのは、あたしの我儘。あたし馬鹿だからさ、たまにこうやって、とんでもない事やらかすんだよ。……でも、責任は取るから」
確かに、楓さんの独り善がりと言えばその通りだ。いくら花さんの為とはいえ、その正体を俺に隠していたんだから。一歩間違えば、どんな惨劇が起きていたかもわからないのに。
「まずは、白鳥君をあの子の呪いが届かない、安全な場所に避難させるね。住む所だって手配して、何なら再就職先が決まるまで、家賃はあたしが払うよ。あと、昨日師匠の式神が暴れたせいで壊れちゃった家具も弁償する。その他にも、あたしに出来る事があれば何でもするよ。だから、えっと…………許してくれたりする?」
「それはまた……これ以上ないって程、贅沢な提案だな……」
「そう言ってもらえてよかった」
「だけど……」
真っすぐ楓さんの目を見ると、彼女は少しだけ驚いたような顔をした。だって、俺は今物凄く怒ってる。
「いい加減、勝手に決めるなよ。俺が、いつ花さんを嫌いになったなんて、言ったんだよ!」
出会いが仕組まれていたとはいえ、俺が花さんに一目惚れしたのは事実なんだ。それに、花さんの過去を知ったら、楓さんの提案を呑む事なんて絶対したくないと思った。このまま、彼女から逃げて全部忘れる事なんてできない。
「好きな人が悲しい思いをしていて、今も罪を重ねようとしてるんだぞ。確かに悪い事はしたかもしれないけど……酷い殺され方するって知って、逃げる男がどこにいるんだよ!」
花さんが悪霊と知って、彼女に殺されるかもしれないなんて言われて、凄く怖かったのは事実だ。でも、そんなのは最初だけだ。途中からは花さんと観る映画を楽しんでいた。彼女が普通の女の子と変わらないって、そう考え始めていたんだ。彼女にとって、あれがどんな時間だったかは、わからないけど。俺はあの時間がとても楽しかった。花さんと、もっと色んな映画が見たいと思ったほど、あれは心地のいい時間だったんだ。
それなのに、あの後俺が間抜けに眠てる間、彼女はまた地獄の様な苦しみを味わった。掛け布団に血が付いていたのは、もしかしたら、彼女が俺に助けを求めていたからなんじゃないかと、罪悪感を感じたほどだ。
「俺が、もう人を傷付けないように花さんを説得する。だから、式神をけしかけるのを辞めさせてくれ」
「師可哀そうだけど、師匠は石頭で説得は無理だよ。それにどうしたって、あたしとあき君は師匠にだけは勝てない。力ずくで辞めさせる事もできないんだ……」
「じゃあ、俺があの子を連れて逃げる。無人島とか、絶対人が来ない所に」
「それも難しいかな。逃げられたとしても、きっとどこまでも追手が来るよ。花ちゃんの除霊はずっと前から、霊媒師協会のお偉いさん達に決められちゃっててさ、今更あたし一人が吠えたところで、覆せるものじゃないんだよ……」
ガックリと力が抜けてしまった。彼女を護ると決意したのに、何もできない無力な自分が憎い。
「現状、師匠に花ちゃんが除霊されるのは時間の問題。だから、その前に白鳥君が花ちゃんに告白して、あの子の未練を晴らして成仏させてあげるのが、あの子に用意してあげられる最高の結末なのかも……」
「どうしたって、最後はさよならじゃないか。……なんで、そんなに寂しい終わり方しか許されないんだよ……」
恋が叶ったらさよならなんて、あんまりじゃないか。
ため息が漏れた。気持ちに整理が付かないのに、選択を迫られるのは辛いものがある。
少しでも気持ちを落ち着かせたくて、俺は思ったことをそのまま声に出した。
「楓さんはさ、映画とかよく観るタイプ?」
「たまに借りて観るくらいかな」
「俺は好きで、よく観るんだよ。理由は本当にくだらなくて、それ観てる間だけは現実逃避できるから、なんだけど。でも、スプラッター映画だけは苦手なんだよ。自分が刺された訳じゃないのに、痛いって思っちゃって、現実を思い出しちゃうから」
自分で言っていて、あまりにもくだらない内容に笑いが込み上げてきた。
「だって、痛いのは誰だって嫌だろ? 俺は紙の端で指を切った時の痛みにも耐えられない。それなのに、花さんはあんなに沢山の深い切り傷を負わされて……。それも、一度だけじゃなくて、二度もなんて……」
「二度どころじゃないよ。それに、師匠はあらゆる除霊を試みたって濁したけど、実際はありとあらゆる方法で彼女を拷問してたんだ。除霊の仕事を頼まれた時、記録を見たんだけど、ゾッとした……」
「……他に、方法はなかったのか?」
「最初の案は、悪くなかったんだけどね。許婚ともう一度引き合わせてあげて、形だけでも結ばれるように、手を回してあげるっていうやつ。『思い人との再会が、彼女の魂をあの世へと旅立たせる』っていう筋書きでさ。私の作戦の元になった、師匠の出した最初の案。でも、失敗したんだよ。二人の間に愛が無かったから」
「結婚を控えていたのに?」
「生前、花ちゃんは許嫁と会ったことすら無かったんだよ。親が決めた結婚で、男の事は顔すら知らなかったみたい。恋をする暇もないまま、結婚式を迎えようとしていたんだ」
「じゃあその、花さんの願いを叶えるには、やっぱり……」
「……うん。あの子の最後がどうなるかは全て、白鳥君が告白するかどうかなんだよ」
(俺があの子に告白すれば、あの子はもう痛い思いをせずに、あの世へ旅立てるのか……)
覚悟を決めて、口を開いた——が、肝心の言葉が出てこない。心臓が痛いくらい跳ねまわり、体中が熱い。汗がダラダラ流れ始めた。緊張しすぎて声が出ないんだ。花さんは今ここにいないのに……。
こんな無様な姿を晒してしまったのに、楓さんは、期待を込めた目で俺を見ている。
「大丈夫。夜まで時間はあるよ。決意を固めるためにも、この人と話してみて」
渡されたのは、一枚のメモだった。
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