桜の下で春を待つ君⑥

 今から約六十年前、桜邸にはこの地域で名の知れた事業家が住んでいた。花さんはその事業家の娘だったらしい。彼女には許嫁がおり、結婚式を間近に控えていた。だけど、そんな彼女の幸せは一夜にして奪われた。ある晩、刃物を持った泥棒が桜邸に忍び込んだのだ。


「運悪く泥棒を目撃した桜花は、外に逃げたものの、あの桜の下で犯人に襲われて亡くなった。雪の下から掘り出された遺体は、体中切り刻まれていたそうだ」


 俺にこの話を聞かせた老人の名前は、秋葉あきば蔦美つたみ。楓さんのお爺さんにして、霊媒の師匠。

 霊媒師というのは、簡単に言うと、妖怪とか、幽霊とか、そういう超自然的な存在と交渉したり、倒したりして、人間社会を護る裏の仕事らしい。

 蔦美さんは霊媒師としてこの六十年、花さんを監視してきたそうだ。


「花さんが悪霊になったのは……まさか、自分を殺した男に復讐するためですか?」


「中らずと雖も遠からず。桜花は確かに復讐の為、犯人を殺した。それが桜花の行った最初で最後の殺人だ」


「なら、なんで彼女はまだ人を襲うんです?」


「それが、殺されたが為の復讐ではなかったからだ。男が死んだのは、桜花の目的を邪魔したからだ」


「目的……?」


「桜花が悪霊となってまで、叶えようとしている願いはただ一つ、【愛を得る事】。結婚式はその手段の一つだったのだろう。それを邪魔された怒りが、女を復讐に駆り立てたのだ」


「じゃあ、花さんが俺に取り憑こうとしたのって、まさか……」


「勘違いするなよ。あの女は、桜邸に足を踏み入れた人間全員に取り憑つくのだ。自分の姿を見たものだけが、自分に愛を与えてくれると妄信しているからな。だが、いままで桜花を見た人間は、霊媒師を除いて他にいない。奴は霊媒師を敵視しているため、我々は対象にならないらしい」


(でも俺、花さんの事見えてるんだけど……)

 俺の視線をどう受け取ったのか、蔦美さんはやれやれと、ため息を吐いて説明を続けた。


「もし一般人に取り憑いたのをそのまま放置していれば、桜花は自分を見ない相手に逆上して憑り殺していただろう。さらに厄介なのは、呪いの対象が、自分の邪魔をする人間や、自分の事を見向きもしない人間だけではないという事だ。自分が取り憑いた者に言い寄る人間や、その者が不快だと感じた物全て、桜花の呪いの対象になった」


「不快だと感じただけで!? 呪いの範囲広くないですか!?」

 

思わず叫ぶと、楓さんが真面目な顔で話しかけてきた。


「怖い話だけど、それがその人を喜ばせると本気で思ってるの。心当たりない? 意地悪な元職場の人達や、イラっとする冗談を言った同居人がどうなったか」


「鈴木君が倒れたのはびっくりしたけど……え? 元職場って?」

(そういえば、昨日花さんが部屋に入って来た時、何か言っていたような)


「…………白鳥君、前の職場で相当いじめられったぽいね。もしかして、入社当時から?」


「え、まあ、はい。俺の他にも人間関係で辞めた人結構いたけど。というか、俺の元職場で何があったんですか?」


「やっぱりそうかー。大変だったね……よく頑張ったよ。花ちゃん白鳥君の為に超張り切ったみたいでさ。流石のあたしも、花ちゃんを見逃した事、若干後悔したレベルだったもん。まさか、呪いであんな事になるなんて」


「楓さん、俺の元職場どうなったんですか?」


「一応解呪したよ。その後、労働環境が悪いのが原因で起きた集団ヒステリーって事にして、然るべき所にチクっといたから」


「あ、はい」

(一体どんな呪いにかかったんだろう……)


 蔦美さんが咳払いした。


「とにかく、悪霊が人を殺すことは、霊媒師として見過ごせなかった。だからこの六十年、儂はあらゆる方法で、時には他の流派の助けさえ借りて、桜花を除霊しようとした。だが、それは叶わなかった。君が見たあの姿は、人でいう気絶のようなものだ。どんな致命傷を与えようと、桜花をこの世から抹消することはできなかったのだ。除霊できないのなら、せめて被害を減らす為、儂は桜花を監視してきた」


「花ちゃんの監視は、花ちゃんが人を呪わないよう見張る事。もし呪いの被害が出たら、速やかにそれを解呪する。……でもそこに、花ちゃんへの折檻が加わるなんて、聞いてないよ。猛獣に鞭を打って従わせようとするみたいでさ、本当胸糞悪いんだけど」

 

楓さんは、不貞腐れたような顔をしていた。


「昨日の夜、師匠が式神を使って花ちゃんに罰を与えたの。花ちゃんを襲った師匠の式神は、花ちゃんを殺した犯人の霊だよ。師匠が式神として地獄から呼び戻したんだって。式神として使役されれば、地獄での罰が軽くなるんだってね?」


「何か問題か? 除霊に一番の効果を発揮するのは、その霊自身の死因だ。桜花はあの男を殺しはしたが、それはあの男が無力な人間だった頃の話。今の奴は桜花を殺す為にあらゆる強化が施された怪異だ。……だがそれでも、桜花を気絶に追い込む事しかできなかった。それほどまでに、桜花は強力な悪霊なのだ」


「だったら、いい加減この件から手を引いてよ。あたしに引き継がせた癖に、どうして今更しゃしゃり出てくる訳?」


「あの式神は、折檻としては些か十分過ぎる働きをするが、呪いを解かせるのには効果的だ。……楓、いくら現人神の二つ名を冠したお前でも、万が一に備え、あの式神を使えるように学ぶべきだったのだ。桜花に敗北を喫して、少しは考えを改めたと思ったのだが……」


「あ゛? 誰がいつ師匠以外に負けたって? …………ああ、はいはい。そうでした、そうでした。負けましたよ、負けました。でもさ、あんな式神使わなくても、解呪くらいできるし。今回だって師匠が出張らなくたってよかったんだよ」


「協会への体裁というものがある。祓えないなら、檻の中に閉じ込めている事を知らしめねばならない。お前は折檻を嫌うからな。だから、儂が代わりにと思ったのだが、昨夜のお前達ときたら……」


 蔦美さんは深いため息を吐いた。


「まあいい。今回の騒動は、幸い大事にはならなかったのだ。お前の対応は適切だったと判断し、大目に見よう。だが昨日、桜花が人を襲ったのは、揺るがぬ事実なのだ。悪霊に心を許し、油断したのではないか? そんな事だからいつまで経っても、お前は自分よりものはずの儂に勝てんのだ」


 蔦美さんが楓さんを睨んだが、楓さんは無視して続けた。


「花ちゃんはさ、あいつのせいで悪霊になっちゃったんだよ。桜邸の使用人だった人に聞いたよ、『生前のあの子は、内気で夢見がちな普通の女の子だった』って。……悪霊になって復讐はしたかもしれないけど、心の底では自分を殺した男を怖がってるんじゃないの?」


 楓さんが、鋭い目で蔦美さんを睨み返した。


「師匠が使ってるその男、生前は殺人や強盗を繰り返してた凶悪犯でしょ。今だって、花ちゃんを殺す事を愉しんでるじゃない!」


「快楽の殺人、それをやれる男だからこそ、式神として扱いやすいのだ。儂が強化を施した奴は、自分を殺した桜花を恐れてはいない。ただ欲を満たす獲物としてみている。だからより都合が良いのだ」


「本当最悪。昔から、お爺ちゃんのそういうところ、大っ嫌い! 折檻だか何だか知らないけど、協会にびびって、あんな悪趣味な式神使って、ただ痛めつけるってあんまりじゃないの?」


 二人に聞いた話を頭の中で整理してみたけど、なんだか、物騒な話ばかりで滅入ってしまう。花さんが置かれている状況は、俺の想像なんかよりずっと過酷なものだったみたいだ。


「じゃあ、花さんは成仏できない限り、これからもあんな痛い思いをするかもしれないっていうんですか? 体中に刺し傷だなんて……あんなに血を流して……いくらなんでも、やりすぎじゃないですか」


「怪異を調教して式神にするのと同じこと。悪霊の制御には、必要な事なのだよ」


「でも、俺まだ花さんがそんなに悪い幽霊だなんて、とても信じられませんよ! だって、花さんがそんなに危険な幽霊なら、俺がここに入居できたのはおかしいじゃないですか! 桜邸ここに誰も入れない様にするのが、正しい対応の仕方なんじゃないですか?」


「儂の現役時代はそうしていたのだがな……。除霊できないと知って、真っ先にここを閉鎖した。だが、桜花による霊障は止まらなかった。君は不動産で写真を見たそうだな?」


 そういえば、資料には桜邸の古い写真が貼られていた。でも、なんでその事を知ってるんだろう。


「あの写真は、ここが閉鎖された直後に桜花がばら撒いたものだ。ただ見るだけなら無害だが、惹かれたのなら、その者は決まってここを訪れる。呼ばれてしまうからだ。どんなに厳重に道を塞いだところで、人の目が無ければ侵入するのは容易い。だから、儂はこの近所に居を構えた。可能な限り、写真に呼ばれた人間を桜邸に近づけさせない為に」


「でも、師匠はもう歳だからね。去年からあたしが監視の担当になったんだよ。同時にある作戦も開始したんだけど、そうなると流石に一人じゃ荷が重いからさ、あき君達に手伝ってもらってたって訳。あき君、超強いんだよ~。鈴木君は、私の事務所のバイトで霊媒師見習いってところ。いい経験になると思って」


 なるほど、蔦美さんと違って、楓さん達は住み込みで花さんを監視していたのか。でも、さっきから本題と全く関係無いところが気になって仕方がない。


「楓さん、あき君って誰ですか?」

 昨日俺が会った人達の中に、そんな可愛いあだ名が似合う人はいなかった筈だ。でも、楓さんは不思議そうに首を傾げた。


「うん? 昨日会わなかったっけ? ほら、煙草の……」


 ふと、脳裏に胡散臭い笑顔を貼り付けた強面の男の顔が浮かんだ。


「え……火野さん?」

「そうそう。火野秋成だから、あき君。可愛いでしょ?」


 いやいや、その呼び方しても可愛くは無えよ!? 


「あの……随分と仲がいいんですね」

「まあね。あたし、あいつの彼女だったし」

「は?」


 今、なんて言った?『あたし、あいつの彼女だったし』って、つまり元カノの事か? 


「でも、命懸けの仕事してるから、いつ死ぬかわからないでしょ? 後腐れ無い様に籍入れたくないって言ったら、滅っ茶苦茶揉めちゃってさ。でも、切り離せない関係ってやつ?」


 なるほど、難しい関係だ。でも、そういうの映画なら嫌いじゃない。だけど……。


「楓さんさぁ、恋愛成就したくて悪霊になっちゃった女の子の家に、しかもそれを阻止するための監視なのに、自分は男連れ込むとか……気は確かか!? 俺が花さんの立場なら真っ先に殺しにかかるレベルの煽りだぞ!」


「あ~……だから最初来た時、花ちゃん滅茶苦茶怒ってたのか。いや~うっかりしてたな~。よく肋折るくらいで許してくれたな~」


「ちゃんと報復はされてるのかよ!」


 なんだか、蔦美さんも渋い顔で楓さんを見ている気がする。


 さて、話を逸らしてしまったけど、肝心な事を聞かないといけない。さっきから楓さんへの敬語が剥がれてしまっている気がするけど、今更いいか。たぶん、そういうの気にしない人っぽいし。


「それで、俺がここに引っ越して来れた理由は何だよ? 人を寄せ付けない為なら、不動産屋さんがあの写真持ってるのはマズイし、内見させるのも断るべきだろ。それとも、これもうっかりか?」


「まさか。写真を不動産屋のおじさんに渡したのは、現在進行中の作戦の為だよ。あたしは超平和的な方法で、花ちゃんの未練を晴らしてあげようとしてるんだから。いい? あの子が求めるのは【愛】。それを与えられるのはただ一人、【運命の人】だけ。なら、だけの話でしょ」


 楓さんはこれが一番の解決策とでも言いたげに、大きく胸を張った。


「白鳥君が見た写真には、花ちゃんの呪いに加えて、あたしの縁結びのまじないを掛けたの。だからあれは最早、と言っても過言じゃない代物にパワーアップしたんだよ。その弊害で、運命の人以外が写真を見たら、恐怖と悪寒でページを勢いよく閉じるレベルになっちゃったんだけどね」


「よく営業妨害にならなかったな。というか、俺はそれ見たけど何も起こらなかったぞ」

(寧ろ綺麗な風景だと思って見入っちゃったし)


「でしょ~? それこそ、っていう証拠だよ。花ちゃんを見つけた瞬間から、この子しかいないんだって気持ちにならなかった? ううん、そうなって当然なんだから!」


「え?」

 楓さん、今さらっと物凄い事言わなかったか?


「花さんの運命の人って、……俺!?」


「他にいないでしょ」

 楓さんは、なんでそんな事聞くのかわからない、とでも言いたげに不思議そうな顔をしていた。


「でも、まさか白鳥君が最初から花ちゃんを見つけられたのは、予想外の収穫だったな~。せいぜい、『なんとなく桜が気になる』くらいの感覚から始まって、半年くらいでようやく『なんとなく花ちゃんの気配を感じる』ってレベルだと思ってたから」


「そんなに気長な話なのか?」


「一般人が幽霊を見るのって、凄く大変なんだよ。だからあの子を見つけられた人、六十年間一人もいなかったんだ。それを、いくら運命の人とはいえ、白鳥君は初対面でやってのけちゃったんだから、花ちゃんが白鳥君に一目惚れしちゃったのも納得だよね」


 蔦美さんが鼻で笑った。


「恋愛成就で成仏させるだと? おとぎ話もいいところだ、馬鹿馬鹿しい。その方法は六十年前に試したが何の成果も得なかった。許嫁に協力を仰ぎ、結婚式を挙げさせてやったんだぞ。儂は、霊媒師として実に様々な依頼をこなしてきたが、唯一失敗したのが桜花の除霊だ。お前の浅はかな計略で、今更桜花をどうにかできるはずがない!」


「何言ってんの。師匠がやったのは結婚詐欺でしょ。あの子が欲しいのは仮初の恋人でも、嘘の結婚式でもないよ。今度こそ、本当の愛を手に入れてあの子は成仏するの。それに、どうにかするのは、あたしじゃない。この白鳥君が、あの子に愛を届けるんだから!」


二人が、揃って俺を見た。


「え、俺!?」


 さっきからの展開に今一ついていけない俺だが、どうやら、花さんが成仏できるかどうかは、俺が花さんに告白するかどうかにかかっているらしい。


 知らぬ間に、超重大な作戦の中心に組み込まれてしまったようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る