桜の下で春を待つ君⑧

「酷い事されたね……」

 花さんの前まで来ると、俺は改めて彼女の死に向かい合った。


「放っておいても傷は治るってきいたけど。それなら、早く塞がればいいのに」


 そう願っても、今俺が花さんにしてやれることは、何もない。わかっていても、辛いものがある。呆然と立ち尽くしていると、風が吹いて木の枝が音を立てて揺れた。ふと見上げれば、桜の木はもう花が落ち切って、すっかり葉桜になっているのが見えた。もう何十年も、この木の下が彼女の眠る場所。でもここで眠り続けるのは、なんだか寂しい気がした。だって、もう花は散ってしまっているし。


「やっぱり、部屋の中に連れて行ってあげたいよな。……ちょっとごめんね」

 

 そう声をかけて、俺は花さんを抱き上げた。幽霊の彼女は冷たくて、俺のパーカーをかけたくらいじゃこの熱はもう取り戻せないというのを再認識した。


(もし彼女と結ばれれば、この熱を取り戻せたりしないかな)


 そう考えたけど、すぐに首を振って願いを掻き消した。両思いになれば、彼女を永遠に失う事になる。彼女はもう亡くなっているんだから。

 でも、そうだとしても俺は彼女と結ばれることを願う。それは愛を知らなかった彼女への同情だけじゃない。確かに、これ以上痛くて怖い思いをしないよう、彼女には安らかに眠ってもらいたいと思うけど。でも、俺の気持ちを受け入れて欲しいという願いが、俺の胸に確かにあるからだ。


(……でも、告白ってどうしたらいいんだろう)

 

 告白のシチュエーションを頭の中でイメージするも、俺に女の子の胸をときめかせるような舞台が用意できるとは思えない。思い返せば、異性とは碌に話したことすらなかった。それに、アクション映画だと、ヒロインはかっこいい主人公にときめいて、二人は自然とそういう仲になっていくじゃないか。とても、俺には誰かをときめかせる要素なんて無い。

 

 部屋に戻ると、血だらけの掛け布団をどかして、彼女をベッドに寝かせた。掛け布団代わりにパーカーはかけたままにして、自分はソファーに腰掛けた。

 

 さっき楓さんに渡されたメモをもう一度確認する。

『花ちゃんの許嫁』 

 人の名前と住所にその一言が添えられていた。


「許嫁の名前は、佐々木一郎か……同じ市内に住んでるんだな」


 後ろで小さな呻き声が聞こえたので、俺は咄嗟にその手紙をソファーの間に隠した。


 「痛いよぉ……」


 花さんが目を覚ました。ベッドに駆け寄って、彼女の様子を伺う。彼女は、薄っすらと目を開けた。


「よかった……生きてた」


 花さんはそう言って、力なく笑みを浮かべた。


「昨日、凄く怖い人が来たんです。雪二さんがお休みになられた後、玄関を破って、あの男がこの部屋に入って来たんです。雪二さんが殺されるんじゃないかって、追い払おうとしたんですが……あれ? でも、おかしいな。私、木の下にいたような気がするのに……」


 彼女の言動がおかしいのには、心当たりがあった。さっきメモを渡された後、楓さんから幽霊の特徴をいくつか教えてもらった。除霊に死因が使われるのは、死因を目にした幽霊は、生前殺される直前の精神状態に戻るから、らしい。だから、殺人犯への復讐を成した悪霊には、式神として強化した殺人犯の幽霊をぶつけるのが霊媒師業界では定石になっているとか。幽霊は自分の死に勝てない。だから花さんは、あの男を見た時、殺される直前のただの女の子に戻ってしまったはずだ。

 

 それなのに、なぜか君は俺を覚えていて、しかも、自分ではなくて俺を護ろうとしたのか。


「あ……そうだった……。あの人、また私を殺しに来たんですね……」

 彼女は安心したように、ただ「よかった」と繰り返す。


「雪二さんが殺されなくて、本当によかった」


「良くないよ。……花さんが酷い目にあってたのに、何もしてあげられなかった」


「お休みになられた後、酷くお疲れのようだったので、朝まで良く眠れるように、おまじないをかけてみたんです」


 君のはお呪いっていうか、のろいじゃないか? 本当に、無邪気に残酷な事をする人だ。しかも、良かれと思ってやったそれが、大体自分にとっても周りにとっても、裏目に出てしまうから恐ろしい。


「……今度からは、やる前に一言教えて欲しいな」


 彼女は頷くと、何かに気が付いたのか、不思議そうに部屋の中を見回した。なんで自分がここにいるのか、わからないという感じだった。


「ごめん、びっくりした? なんとなく、あの場所に花さんを残してくるのが嫌だったから……」


 そういうと、花さんは少し笑ったように見えた。


「雪二さんが、私を運んでくださったんですね。寒かったですよね? だって、まだ雪が降っていますもの」


 言葉に詰まった俺を見て、花さんは困ったような顔をした。


「……今本当は、何月なんですか?」


「やっぱり、最初に会った時も、君に桜は見えていなかったのか」


 普通、幽霊は自分の死を受け入れていないらしい。でも、悪霊となった霊は別だそうだ。悪霊は自分の死んだ場所で、自分の死体を見つけるから、らしい。抱えている恨みを、悲しみを忘れない様に、未練が晴れるまで自分の死を見続ける。最初に会った時、花さんが沈んだ表情をしていたのは、自分の死を見つめてしまったせいだろう。


 言葉を詰まらせていると、花さんは横たわったまま視線を下に向けた。何かと思えば、俺がかけたパーカーを不思議そうに見ている。


「ごめん。寒そうだったから、咄嗟に着てたやつをかけちゃったんだけど、迷惑だったかな?」


「雪二さんが……私の為に?」


 花さんは急に顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。それに、両手で俺のパーカーをギュッと握っている。


「ごめん、何か気に障った?」


「そうじゃないです! その……嬉しくて」

 花さんは焦ったように俺の顔を見た。でも、目が合うとまたそっぽを向いてしまう。


「本当に、とても嬉しいんです。私なんかを気にかけてくれるなんて……。でも、あまり見ちゃ嫌です。顔が赤くなってしまって……その……恥ずかしいんです……」


「えっあ、ごめん!」


 咄嗟に謝って、視線を床に向けた。自分の顔まで熱くなったのはきっと、気のせいだと思いたい。もっと堂々と格好良く振舞いたいのに、なんだか情けない。こんなとき、もっと気の利いた事言えればいいのに。もう一回、昨日の映画を観て勉強しようかな。


 しばらくして、回復したのか花さんが起き上がった。


「もう平気なの?」


「はい。折角雪二さんが近くに来てくださったのに、寝ているなんてもったいないです」


 その言葉通り、あれだけあった花さんの傷は、もう跡形も無く消えていた。


「おお、凄い」

 思わずそんな感想を口にすると、花さんは嬉しそうに笑った。


「こんなに早く治る事、いままでなかったんです。でも、雪二さんが迎えに来てくださったからでしょうか。雪二さんのお役に立ちたいと思う程、力が湧いて来るんです。これはきっと…………恋の力です!」


 花さんは少し照れながら、そんな可愛い冗談を言った。


(恋の力!? 楓さんの言う通り、花さんは俺を運命の相手に選んでくれたんだ……)


 嬉しくて、思わずフリーズしていた。喜びをしみじみと受け止めていると、花さんが、少し言いにくそうな顔をして俺を見た。


「……私の事、楓さんから聞きました?」


「……うん。君の最後の事も、どうして幽霊になってしまったのかも」


 少し迷ったけど、正直に話すことにした。嘘を吐くのは、あまり得意じゃないし。


「最初に私を見つけてくださったとき、とても嬉しかったんです。……でも、私の正体を知ったら、雪二さんは私を置いて逃げてしまうと思っていました。それなのに、雪二さんは昨日の夜、私なんかを隣に座らせてくれて、今日もここまで運んでくれて……」


 花さんの目が、俺のパーカーに向けられた。その目はなんだか寂しい色をしている。


「上着まで貸していただいて……。私、まるで幸せな夢を見ているようで。……でも、とても怖いんです。きっと、私は雪二さんに嫌われてしまうから」


「どうして?」


「だって、浅ましくて、醜いでしょう? 愛して欲しいと、幽霊になってまで縋り続ける女なんて。それでも、六十年も待ってしまったんです。きっといつか会えると信じて……私を見つけてくれる人を、探していました」


 花さんは、ポロポロ涙を零した。


「雪二さん、私を見つけてくれた運命の人。とても優しくて、暖かで、春のお日様みたいに素敵な人。どうか、私を拒まないでください。雪二さんの為なら、何でもできます。だからどうか、私を傍にいさせてください」


「どこにも行かないよ。だから、何でもするなんて言わないで」


「え?」


「俺の為に、誰かを呪ったりしなくていい。自分を犠牲にしたりなんて、しなくていい。俺はただ、君が傍にいてくれるだけで嬉しいんだよ」


 生前、彼女が愛されず、将来の旦那に尽くすよう道具のように育てられたと聞いたとき、俺は激しい怒りを覚えた。望んだ形の愛をくれなかった彼女の両親は、俺の親に少し似ている。だから、そんな奴らのいう事なんて忘れて欲しいというつもりで、そう言ったんだ。だけど、それをどう解釈したのか、彼女は突然消えてしまった。白昼夢でも見ているかのように、一瞬で消えたんだ。


「花さん!?」


「ごめんなさい! 胸の中がぐるぐるしてしまって……」


「あ、よかっ……いや、わかった。また後で話そう」

 

 彼女を成仏させるために告白を決意した。そのはずなのに。

 彼女が、まだここにいてくれたというのが、なんだか嬉しくなってしまった。なんだか、矛盾している気がする。やっぱり、気持ちの整理が追いついてないせいだ。

 頭を抱えながらソファーに腰かけた。すると、ソファーの隙間から白い紙の端が飛び出しているのが見えた。


(そういえば、さっき咄嗟に押し込んじゃったんだよな)


 メモを広げて、もう一度目を通した。

 花さんが亡くなったのは六十年も昔の話だ。二人の間に愛は無かったそうだけど、でも……仮初の結婚式をしたって言っていたし。


「告白の前に、話をするのが筋ってもんじゃないか?」


 そう思って、俺はソファーから立ち上がった。

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