桜邸は化物屋敷⑯
命日に向けて、俺と鈴木君は毎日修行をした。
出力の調整で死にかけたり、火野さんに二人がかりで挑んで殺されかけたりしたけど、仕上がりはどんなものか正直よくわからない。
それでも、命日は明日に迫っていた。
「やれる事はやった。二人とも、よく俺に殺されずに生き延びた。最後の方は、割といい線行ってたんじゃねぇか?」
火野さんは珍しく素直に笑って俺達の頭をガシガシ撫でた。過酷な修行を通して、完全に師匠と弟子の関係が出来上がっていた。まるで免許皆伝みたいな雰囲気だった。雰囲気に負けて、俺と鈴木君は二人して嬉し泣きしてしまった。
「本番はこれからでしょ」
目の下にクマを作った楓さんには、呆れられてしまったようだ。
修行を始めてすぐの事、楓さんは何か気になる事ができたらしく、資料を取り寄せて読み漁っていた。真新しい書類から、変色した紙に墨汁で書かれた古文まで、昼夜問わず調べ物をしていた。
様子を伺うと楓さんは、
「杞憂に終わればいいんだけどね」
そう力なく笑った。大分疲れているらしい。
「金紅様の糸が、桜の木の中にあるみたい。でも、糸の位置が分からないから切れなくて……」
夏頃から、楓さん達が桜邸に頻繁に遊びに来ていた理由の一つはそれらしい。飲み明かしたいのもあったらしいけど、屋敷内に雷さんの僅かな妖気が漂っているのが気になって、様子を見に来てくれていたようだった。
「金紅様、屋敷の至る所に糸を隠してたんだよ。ほら、壊れた壁や庭を手下の蜘蛛達が直したらしいじゃん。たぶん、その時に小細工したと思うんだ」
屋敷に張られた糸は、見つけ次第払ってくれていたらしい。でも、残り香のような最後の一本は、桜の木の、幹の奥深くに隠されていた。半年以上かけて、花さんが化身として安定してから、木の違和感に気付いて楓さんに相談したそうだ。どうやらその糸が悪さをしているらしく、命日が近付くにつれて、桜の木の妖力が増しているらしい。
「糸の先は、あの世に繋がっているんだって。花ちゃんを呼び戻した時、わざと糸を切ったように印象付けて、本命の糸は別に隠してあったみたいなの。あたし達が桜邸に到着するよりずっと前から、金紅様は巣を張り巡らせていたんだよ」
どうにか糸を切れないか、資料を取り寄せて片っ端から調べてくれたみたいだった。それでも切れなかったと、楓さんは悔しそうにしていた。
「でも、まだ諦めないから!」
楓さんが糸の事を俺と花さんに言わなかったのは、『俺達を不安にさせて、桜の神を刺激する作戦なんじゃないか』と勘繰っていたからだった。
「すんません……。俺がちゃんと見張っとけば……」
鈴木君、競馬で敗けた時以外にも落ち込む事あるんだな。でも、もし屋敷にいたとしても、鈴木君が雷さんの小細工を防げたとは思えない。
「鈴木君のせいじゃないよ」
そもそも、不法侵入する雷さんが悪い。
「あいつが何を企んでいようと、桜花や桜を刺激しなければ、何事もなく終わる話だ」
火野さんが言う通り、花さんの死亡時刻、明日の午前二時四分を通り過ぎるまでが勝負だ。
午前零時からの二時間四分、それさえ過ぎれば桜の神も落ち着きを取り戻す。たったそれだけ、やり過ごせば雷さんに勝てるはずなんだ。
今朝から桜邸の半径一キロは避難区域になった。万が一の場合を考え、屋敷の周りには、監視カメラとバリケードを設置してある。敵が来たら全員で迎え撃って、桜邸内には侵入させない作戦だ。
「結界が張れれば楽なんだけど、桜の神様にはできないみたい。だから防御で異界を作っちゃうんだろうね」
楓さんの結界は、神様の協力が無ければ張れない。
「……午後四時か。お前ら、今のうちに寝とけ。俺が見張る」
火野さんに促され、俺達は部屋に戻った。でも、正直全然眠れない。ギリギリまで、何かできる事がないか考えてしまう。
「雪二さん、体調はいかがですか?」
ソファーに腰掛けると、花さんも隣に座った。二人で暮らすようになってから、このソファーの揺れ方にもすっかり慣れた。
「俺は平気だけど、花さんは? 桜の神様の様子、ずっと見ててくれたんでしょ?」
「糸を通して、桜の神様にあの世の瘴気が伝わってくるんです。それに当てられて、妖気が大きくなっているみたいで……。私まで、心がざわざわしてしまって」
不安そうな声。なんとか、気を紛らわせられないか。
「映画でも観ようか?」
「それなら、最初に雪二さんと観た映画がいいです」
冬の桜邸は、暖房をつけていても寒い。ソファーの上で、俺と花さんは一枚の毛布をシェアしながら映画を観た。
「あの時の事、覚えてますか? 雪二さんは途中まで観た映画を、私の為にまた最初から一緒に観てくださったんです」
「好きな映画だから、最初から観て楽しんで欲しかったんだよ。でも、今はあの時一緒に映画を観て本当に良かったと思ってる。花さんと見る映画が、想像以上に楽しかったんだ」
あの時はまだ花さんが怖かった。でも、部屋に来た花さんが可愛過ぎて、無意識に席を作っちゃったんだよな。今となれば、あの時逃げなかった俺を褒めてやりたい。
そういえばあの時、逃げたのは花さんだったよね。
映画の場面は、ちょうどあの時の続きだ。主人公とヒロインのセクシーなシーンが流れ始めた。
「あ……あ、わぁ……」
このシーンをすっかり忘れていたのか、花さんが慌て始めた。
「つ、次の、次の映画にしましょう!」
花さんは恋バナが好きだ。でも、こういう明け透けな事は恥ずかしいから駄目らしい。前に楓さんと花さんが話してるのを、通りがかりに聞いてしまった。そういうのは、俺達にはまだ早いってさ。
でも、俺達はもう婚約してから半年以上。俺としてはこの映画の恋人達みたいに、そういうのをしてもいい頃なんじゃないかと思うんだけど……。
「やっぱり、まだ駄目?」
煩悩が声に乗ってしまったのか、花さんは更に慌てた。
「だって私達、まだ、キ、キ、キスもした事ないんですよ?」
そうだ! そうだった。そういうのは、俺達にはあまりにも早かった。
婚約して、成仏した花さんを呼び戻して、霊媒師になって、今日を迎えた。こうして映画を観たり、一緒に買い物をしたり、仕事に追われながらも穏やかで充実した日々だった。だけど……俺達婚約したのに、まだキスすらしていない。いや、雷さんのせいで、できないんだけどさ!
花さんの笑顔がまた見たい。今日はお洒落してるのかな? 抱きしめたいな。最近はそんな事ばかり考えていた。手を握れるだけで嬉しかった、肩の重みがないと寂しいとか、俺達は健全過ぎたんだ!
(でも、花さんが嫌なら呪いが解けても、暫くは手を繋ぐだけに……。)
俺が煩悩と葛藤していると、花さんの手がシュンっとなってしまった。明らかに落ち込んでいる。
「ごめんなさい。子供染みた我儘を言ってしまって……」
「いや、全然! そんな事、無いよ!」
下心の所為で余計な不安を抱かせてしまった。俺の馬鹿野郎!
「自分でも分かってるんです。私、大人にはなれませんもの」
どうやら花さんは、俺とは別の事で悩んでいるみたいだった。
「本当なら私は、恋が叶ったら成仏する悪霊でした。神様の力で戻って来れたけど、私は死人。雪二さんと一緒の時間には生きられないんです。雪二さんがお爺さんになっても、私はずっと、この姿のままなんです……」
花さんは、十七歳で死んでしまった。俺の方が見た目は年上だし、見た目の差が開いていく事を気にしているのか。
そういえば、考えた事もなかった。
花さんは、三途の川で俺を待っていた。お爺さんになった俺の手を引いて川を渡るつもりで……。その気持ちに甘えていたけど、俺はどうだろう。皺だらけのお爺さんになっても、花さんの気持ちを繋ぎ止めておけるだろうか。
「ねえ、花さん」
花さんの手を取って、唇を寄せた。突然の事に花さんは驚いたみたいで、手がビクッと跳ねた。でも、逃がさないように指を絡める。
「じゃあ俺は、若々しくて美人な奥さんを取られない様に、最高にカッコよくてイケてるお爺さんにならないとだな」
気障な主人公を真似してみたぞ。手の甲にキスとか、正直滅茶苦茶恥ずかしいんだけどね! でも歳とってもイケてる映画俳優はこういう事、素でしそうじゃない? 俺の偏見なんだけどさ!
やっておいてなんだけど、我ながら恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
でも花さんは固まってしまった。何も言ってくれないし、反応が無い。困惑させてしまったんだろうか?
やらかした事を後悔し始めた時、花さんが恥ずかしそうに口を開いた。
「……目を、閉じていただけますか?」
言われた通りに目を閉じると、ネクタイが解かれた感じがした。
(え? え? そんな、大胆な!)
一瞬そんな事を考えてしまったけど、すぐにまたネクタイが締め直された。
「もういいですよ」
目を開けると、ネクタイの柄が変わっていた。あれ? こんな良いネクタイ、持ってたっけ?
「少し早いですが、カッコよくてイケてる雪二さんに、誕生日プレゼントです」
花さんがいたずらっ子みたいに笑った。
花さんの命日が俺の誕生日だと知った時、俺は誕生日の日を伏せておく事にした。だって、なんとなく悪い気がして……。でも、花さんにはお見通しだったらしい。
「絶対に教えてくださらなかったから、事務所に置いてけぼりにされた時、楓さんに履歴書を見せてもらったんです」
楓さんや、迂闊過ぎないか? いや、花さんを宥める為か。迂闊だったのは、俺か~……。
「ネクタイ、どうでしょう?」
花さんはどこかソワソワしていた。こんなに期待されたら、「気を遣わせてごめんね」って、言えないじゃないか。
「ありがとう。最高にカッコいいネクタイだよ。似合う?」
「はい! カッコいいですよ、雪二さん!」
恋人に貰ったネクタイとタイピンをした、最高にカッコよくてイケてる霊媒師がここに誕生した。しかも、ネクタイを恋人に巻いてもらってるからさ~、無敵だよね!
明日が刻々と迫っているのに、甘い雰囲気に酔ってしまいそうだ。
「……プロポーズの日を覚えてますか?」
「あれは、一生忘れられない日だよ」
色々な意味でね。
「雪二さんは、『傍に居てくれれば、こんなにも満たされる』って、そう言ってくださいました。私も、同じ気持ちです」
少し照れた様な、穏やかな声で、花さんは教えてくれた。
「雪二さん、あなたの傍にいる事が、私の幸せです。なので、私も雪二さんを幸せにしてあげたいんです」
「ありがとう。これからも一緒に、幸せに生きよう」
そしていつか、手を繋いで三途の川を渡ろう。花さんに心配掛けないように、足腰を鍛えておかないと。でもそれまでは、寂しい思いをさせた分の穴埋めをしないとね。その為にも、明日の二時間四分を乗り切ろうか。
遠くで、低い鐘の音がした。
リビングの柱時計が、午後七時を告げたようだ。
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