桜邸は化物屋敷⑰

 午後九時。食堂に集まると、そこには髪の毛をバッサリと切り落とした楓さんがいた。下ろしていれば背中の半分が隠れるくらいあった髪が、今は肩に届くか届かないかくらいのショートカットになっている。

 イメチェン……な、訳ないよな。


 髪型の事を聞くよりも早く、楓さんは俺達の前にビニール袋を広げて突き付けてきた。


「金紅様の店で買った指輪、この中に入れて。鈴木君も、ピアス全部外して」


「でも、この指輪……」


 花さんの指輪は、俺が贈った婚約指輪だ。だから、戸惑っているんだろう。


「大丈夫。ちゃんと後で返すから」


「ごめんね花さん。でも、きっと安全の為だから」

 促すと、花さんは恐る恐る指輪を外して、袋の中に入れた。


 雷さんの罠がどこにあるか分からない。だからあらゆる可能性を考慮した結果、縁を辿られない様に、彼女の店で買ったアクセサリーを封印する事にしたらしい。


「縁を断つ事も考えたんだけど、万が一、傷付けちゃいけない縁を切ったら嫌だからさ。少しの間、ごめんね」


 楓さんは袋の口を固く縛り、それをジッパー付きの袋に入れて、更にそれをスクリュー式タッパーの中に入れて、最後にもう一度ジッパー付きの袋に入れた。


「じゃ、あき君。やっちゃって」


 火野さんは左手で袋を掴むと、右手で自分の脇腹の辺りをガッシリ掴んだ。そして、冷蔵庫みたいに自分の腹を開くと、ドロドロのタールの中に袋を押し込んで腹を閉めた。


「流石の金紅様も、元祟り神あき君のお腹の中まで縁は追えないでしょ」


 何らかの方法で縁を断つか、妖術を妨害しない限り、雷さんが屋敷内に瞬間移動してくる可能性があったそうだ。


 でも、二人は完全には納得出来ないようだった。

「指輪が~……」

「ピアスが~……」

 大事な物がタールに沈められたんだもんな……気持ちは分かる。でも、あれだけ防水加工してあるから、大丈夫だよ。たぶん……。


「それで楓さん、髪型どうしたんですか?」


「ああ、これ? 妖怪との取引で持ってかれた。でも、おかげで金紅様の糸、切って貰えたよ」


「へ?」


「桜の神様に仕掛けられた金紅様の糸、切って貰ったから。あたしじゃどうにもできないっぽいから、切る専門の妖怪に助けて貰ったんだ。資料集めて、居場所突き止めて、連絡とって、交渉して、本っ当ギリギリだったけどね」


 差し出された資料には、剃刀のような牙を剝き出しにした、巨大なカミキリムシが載っていた。妖怪・髪切り。神出鬼没で髪をバッサリ切り落とす迷惑な妖怪。ただ、切る事だけは一流らしい。

 他流派の神には頼れないけど、野良妖怪には頼れるって事か。でも、確かカミキリムシって、木を食べちゃうんじゃなかったっけ?


「大丈夫、齧らせなかったから。でも木の様子から、どこに糸があるのかすぐに分かったらしいよ。グルメだね!」


 グルメで済む話なのか?


「そういうのさ~、相談しない?」


「花ちゃんには許可取ったよ。ようやく白鳥君を寝かしつけた所だって聞いて、起こしちゃ悪いと思って」


 映画が終わった後、花さんと話している内になんだか眠くなって、少しだけ寝かせてもらった。でも、まさか眠らされていたとは思わなかった。本来、桜の神様は人に活力を与える守り神らしい。質の良い眠りは、その延長なのか?


「楓が髪を切ってまで対処したんだ。何か問題あるか? 自慢の髪を、虫にくれてやったんだぞ。あの虫野郎、『赤い髪は珍しいからそれと引き換え』? 何様のつもりだ!」


 火野さん、俺に八つ当たりしてんの? そんなに睨まなくても良くない?


「じゃ、ウチらは見張りに行くから」

「十二時を過ぎたら、二時四分を過ぎるまで、絶っっ対に手を放すなよ!」


 二人が出ていくのを鈴木君も追いかけていく、でもドアを閉める時、こっちに振り返った。


「何かあったら、トランシーバーで連絡するっスよ」


「わかった。俺達はここから監視カメラで見張るよ」


 ——————


 もうすぐ十二時。


 連絡は無し、カメラにも異常なし。このまま何事も無く、終わってくれればいいんだけど……。


「桜の神様も、糸が切れたおかげか、夕方より穏やかにされています」

 緊張した花さんの声に、できるだけ穏やかな笑みを向ける。

「安心したよ。このまま、何も起こらなければいいね」


 針が、十二時を指した。

 柱時計の鐘の音が、今日はやけに煩く聞こえる。ボーンボーンと低い音が、静寂に包まれた桜邸内に響き渡った。


 花さんの手を握りしめ、監視カメラの映像を注視する。この手を放してしまったら、花さんは悪霊に戻ってしまうと楓さんに脅された。

 花さんは元悪霊。神様の化身になっても、現世にいる限り命日は彼女にとってのトラウマだ。意図せず増幅した負の念が、彼女を悪霊に変えてしまうらしい。でも、彼女の未練を晴らした俺が、死亡時刻を過ぎるまでこうして手を握っていれば、その危険も無くなるそうだ。


 責任重大。それに雷さんの事だ。きっと、何か仕掛けてくるに違いない。


「大丈夫。何も起こらない。あと、たった二時間四分なんだ。皆もついていてくれる。きっと大丈夫」


 震える花さんにも、自分にも言い聞かせ、ドクドクと脈打つ心臓を宥めた。俺の緊張で、花さんを不安にさせちゃいけない。


 (集中しよう。何も見落としちゃいけない)

 

 それからは言葉少なく、カメラに齧りついて監視していた。時計の針の、一秒一秒が、酷くゆっくりに感じた。時間が止まったんじゃないかと思う程、一分が長く感じた。


 ふと、通信が入った事に気付いて、我に返る。


「二時ちょうど。皆、異常はない?」


「火野だ。異常なし」


「えっと、こちら白鳥。カメラに異常なし」


 あと五分。何事も無い事を祈っていた。それが叶うなら、何も言う事はないはずなのに。……この胸騒ぎはなんだ? 


「こちら鈴木、こっちにも異常は……あれ」

 鈴木君が、通信の途中で何かに気付いた。

「金紅さ——」


 大きな衝撃音と共に、通信が切れた。


「鈴木君!」


 応答が無い。


「雪二さん!」


 花さんの悲鳴。画面を見れば、監視カメラの映像が次々と砂嵐に変わっていく。


「霊障で映像が乱れてる! 怪異が——」


 叫ぶより早く、後ろからトランシーバーが外された。


「私をお探しですか?」


 耳元で囁かれる声に、冷や汗が噴出した。素早く振り向いたつもりが、随分ゆっくりした動作になってしまった。


「あと少しだったのに、惜しかったですねぇ」

 ベッタリと作り笑いを貼り付けた雷さんが、俺達の真後ろに立っていた。


 花さんが枝を出すも、それは彼女に届くことなく、空中で切断された。楓さんが見せた縁切り、当然雷さんも使えるのか!


 手を繋いだまま距離を取り、できるだけ花さんを雷さんから隠すように、前へ出た。


「もう、止めにしませんか? 桜の神様は、雷さんを脅威とは捉えてない。ずっと、味方だと思っているんです。あなたが、花さんを呼び戻した神様だから……。屋敷に変化が起こらないのが、その証拠です。桜邸ここはあなたの思うような、化物屋敷にはなりませんよ」


「そもそも、蜘蛛が巣を作っただけで、木が腹を立てるとは毛頭思っていません。……ですが、ええ。あなた方があと三分逃げ切れれば、負けを認めましょう」


 笑う雷さんの口が、耳の端まで裂けた。


「本当なら、もうここに来るつもりなんて、無かったのに。私の糸をあんな方法で切るなんて、あの子、敵に回すと本当に厄介で目障りなんだから。後で大蜘蛛達の餌にしないと、とても気が済まないわ」


 は? 


「そうしたら火葬なんて、出来ないでしょ。あぁ、でも火野君なら、大蜘蛛達の腹を裂いてでも、楓ちゃんを搔き集めるんでしょうね。あはははははハハハ!」


「何を、言ってるんだ? いくらなんでも、言っていい事と、悪い事があるだろ! 悪態にしても笑えないぞ!」


 イラつきと失意が入り混じった、長い溜息が聞こえた。


「何やっても、どうせ上手くいかないんですよ。……もう神の座だって、どうだって良くなっちゃいました!」


 開かれた目は、燃えるような金色の光を放っていた。彼女は激しい怒りを持って、俺達を睨み付けている。


「真綿で首を絞める様な恐怖にも屈せず、怪異の手を放さない男。不安を煽ったのに、悪霊に変じない女。……それが何です? 赤い糸が何だっていうの!? 人間と妖怪が結ばれるなんて、御伽噺でしょ!?」


「いい加減にしろよ! 俺達に嫌がらせするだけじゃ飽き足りず、今度は楓さんまで傷付けるっていうのか! 逆恨みも大概にしろよ!」


「逆恨みの何が悪いの!? だって、だって、だって、どんなに尽くして幸せを願っても、傍にいる事さえ叶わなかったのよ! 裏切られて捨てられて、それでも信じて待ち続けてしまったの! それなのに、勝手に消えていなくなるって、文句の一つも言わせてくれないなんて、あなたは一体どこまで私を嫌えば気が済むのよ!」


 雷さんの体がひび割れ、変化が解けていく。顔には八つの金色の目。鬼の様な角。大きく膨張した体は天井まで伸びあがり、もはやスーツが敗れた事なんか気にしていない。下半身には巨大な蜘蛛の腹が現れ、四本の蜘蛛の脚で立っている。上半身には、背中の二本を合わせて四本の腕。前回とはまるで違う姿。これが絡新婦、雷金紅の正体なのか!?


「あああ憎い! 憎い憎い憎い! あの人を分けて作られたお前が、憎くて憎くてしょうがない! あの人は愛をくれなかったのに、どうしてお前が怪異を愛せるの?」


「絡新婦てめぇ!」

 部屋に現れた火野さんが火の球を飛ばすも、雷さんはそれすら切断してみせた。


(火野さん、俺達を気にして本気を出せないんだ!)


 雷さんの注意が逸れた隙に、花さんの手を引いて火野さんの方へ走る。同時に、指輪を構えた。


「秋葉当主が決断を下した。絡新婦、お前を討伐する!」


「あっはははは! 式神如きが私を討伐?」


 雷さんの脚が床を叩くと、床が波打ち始めた。


「この身には、まだ神の力が残ってる。その気になれば、どんな縁だって、手繰り寄せられるのよ!」


 俺が枝を呼ぶのと火野さんが火を放ったのは、同時だった。でも、波打つ床から奴が現れるのを防げなかった。バレーボールのように巨大な眼球、背中から無数に生えた腕には、それぞれ違う大きさの刃物、蔦美が強化した式神の姿のまま、奴は姿を現した。


 花さんを殺した男が、悪霊となって戻って来た!


 奴が現れた途端、桜邸全体が大きく軋み、歪みだした。


「花さん!」

「雪二さん!」


 今まで以上に手を強く握る。だけど、屋敷の奥から伸びた枝が、花さんを物凄い力で引っ張り始めたせいで、繋いだ手が引き離されそうだ!


「化身になっても、所詮は悪霊。弱点は死因でしょ? あなたのトラウマは、桜の神のトラウマ。幹に喰われてしまいなさい!」


 歪む屋敷が、俺を足元から呑み込もうとしている。


 痛い! 床に飲み込まれた所から、捩じ切られそうだ!


「雪二さん!」


「待ってて、今なんとか脱出するから! 一緒に逃げよう!」


「……いいえ」


 花さんが——俺の手を放した。


「雪二さんだけでも、逃げてください!」


 叫び声が聞こえた途端、屋敷の景色が一転した。

 体が空中に投げ出され、気が付けば、俺は桜邸の門の前に倒れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る