桜の下で春を待つ君⑯
「白鳥さん逃げるっス! あの式神、相手が人間だろうと、何だろうと殺す凶暴な奴っスよ!」
蔦美を監視していた鈴木君が、トランシーバー越しに叫んでいる。
やっぱり、さっきの咆哮の主は式神なのか。花さんを傷付けるあの式神が、こっちに向かって来ているらしい。
「逃げよう!」
花さんの手を引っ張って、桜の木から引き剝がそうとした。だけど、体のほとんどが木に飲み込まれてしまっているせいで、上手くいかない。
「何とかならない!?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! 一度変身すると、しばらくは戻れないんです! だから、私に構わず逃げてください!」
「置いて行ける訳無いだろ! 逃げられないなら、一緒にここで死ぬよ!」
泣き腫らした花さんの目を真っすぐ見つめ、そう言い放った。本心だった。だって、花さんの手が震えていたから……。花さんが怖くない様に、最後の時まで手を握ってあげようと思ったんだ。
「雪二さん……」
花さんの目は元々赤いけど、散々泣き腫らしたせいか、今は更に赤く腫れていた。
「一緒に死んでくれるって、心の底からそう言ってくださるんですね。私は私の為だけに、あなたを殺したいだなんて……あんな酷い我儘を言ったのに」
その綺麗な目から、またポロポロと涙が零れた。
君の笑顔が好きなのに、俺は君を泣かせてばかりだな。
「私、雪二さんが好きです。私を見つけてくれた、雪二さんの優しい目も好きです。あなたの事をもっと知りたい。雪二さんに映画を見せてもらった時、そう思いました。あんなに暖かくて楽しい時間があるなんて、生きている間は知りませんでしたから……」
「花さん……」
トランシーバーに新しい通信が入った。
「白……君! しきが……抑えきれな……逃げ……」
ノイズのせいで途切れてしまっていたけど、楓さんが必死に叫んでいた。すぐそこまで、式神が来ているらしい。
(楓さん、火野さん、鈴木君、ありがとう。でも、最後の時は二人きりで過ごしたいんだ)
トランシーバーを外して、投げ捨てた。
「嬉しいな。でも、なんだか照れるね」
花さんは、ようやく微笑んでくれた。
「我儘を言ってたくさん酷い事したのに、私を嫌いにならないでくれた雪二さん。命懸けで会いに来てくれた所も、大好きです。……だからもっと、あなたの事を沢山知って、もっと沢山好きになりたかった」
「俺もだよ。もっと、君の事を知りたかった」
「雪二さん……私、もう充分幸せです。最後に、あなたの言葉をいただけて、とても嬉しかったです。雪二さん、私、あなたが大好きです」
花さんの目から、また一筋の涙が零れた。
「だから……こんな所で、死なないでください……」
花さんの手は震えていた。怖くてしょうがないはずなのに、俺の事を案じてくれていた。
だったら、俺は君の運命の人として、その思いに応えないとだな。
花さんの手を放して、立ち上がった。
「……ありがとうございます」
花さんは俺を見上げて、今にも崩れそうな笑みを見せた。
そんな彼女に、不敵な笑みを返す。
「あの式神を倒そう」
「え?」
「このまま黙ってやられるのは、なんか癪に障るしさ」
恰好を付けたものの、策はない。武器を探したけど、当然そんな都合のいいものは落ちていなかった。
「じゃあ、これか」
ズボンのベルトを外し、鞭のようにしならせてみる。何かの映画で見たけど、それなりに使えるかもしれない。
「何してるんですか! そんなので勝てる訳ないですよ! 逃げてください!」
「花さん、知ってる? 恋をすると男は無敵になるんだぜ。俺も、君に会うまで知らなかったけど!」
屋敷の裏口のドアが、音を立てて一人でに開いた。いや、花さんを殺しておいて、今も式神として彼女を苦しめる犯人が開けたんだ。
「来るなら来い! ぶっ飛ばしてやるからな!」
ドアの影から奴が姿を現した。
バレーボールのように巨大な眼球、背中から無数に生えた腕には、それぞれ違う大きさの刃物が握られていた。見上げるような大きさの体は、どういう訳か洋館より大きい。
強化された化け物とは聞いていたけど、それはもう人間の姿をしていなかった。あんな化け物が、どうやって洋館の中から、しかもあんな小さな裏口から這い出したのかはわからないけど……こんなの聞いてないぞ!
「そんなんありかよ!」
真上から振り下ろされた刃物。
なんとか避けたけど、衝撃波で飛ばされて顔面から落ちてしまった。たったの一撃、それだけで地面を粉砕して空から土の雨を降らせている。大きな爆発でも起こったのかっていうくらい凄まじい威力だ。
「雪二さん! 大丈夫ですか!?」
桜の枝が俺を拾い上げてくれたので、怪物の追撃を辛うじて躱すことができた。そのまま枝に引っ張られ、花さんの前に着地した。すぐ後ろでは枝の壁が現れて、式神を押しとどめようとしている。けど、あまり長くは持たないだろう。本当は怖くて抵抗すらできない筈なのに、俺を護ろうと頑張ってくれてるんだ。
「大丈夫ですか? ああっ……お鼻から血が」
俺は自分を情けなく思いながら、手の甲で血を拭った。
あの化け物を倒そうとか、ヒーローみたいなこと言っておいて、結局何もできないなんて……。情けなくて涙が出そうだ。
「本当格好悪いな……」
「そんなことないです!」
「こんなに情けない男でも、最後まで君の傍にいさせてくれる?」
そう懇願すると、花さんは寂しそうに頷いた。
「……もう本当に、死ぬまで放してあげませんよ」
突然木の枝に引っ張られ、バランスを崩してよろけてしまった。転んだ先にいるのは花さんだ。潰さない様に、咄嗟に両手足を広げて自分の体を支えようとした。
「あ……ごめん」
何とかぶつかりはしなかったけど、互いの吐息が触れ合うような距離まで、顔を近づけてしまっていた。
「大丈夫?」
体を起こそうとすると、花さんが背中に手を回してきた。
「いいえ。もっと近くに来てください……このまま、傍にいてください」
彼女の赤い目は、俺だけを映していた。愛おしくて、彼女を抱きしめようと木の幹に手を這わせた。互いの体が触れ合ったその時……。ふと、ポケットにしまっていた何かが、俺の皮膚を押したのに気付いた。
(なんだっけ、この固い、小さな箱みたいな……あっ)
「あっああああ! そうだよ! まだ渡せてないじゃん!」
突然跳ね起き、奇声を上げながらポケットを漁り出す俺に、花さんが驚いている。
(本っ当、格好悪くてごめん! でも、どうか受け取ってくれ!)
背後には式神が迫っている。壊した壁の先に俺達を見つけた怪物が、歓喜の咆哮を響かせる中、俺は
「花さん」
「は、はい!」
呼びかけに何か特別な気配を感じたのか、彼女は緊張したような返事をした。それに気を良くした俺は、今日一番のキリッとした顔を作り、ケースを開け、中の指輪を彼女に見せた。
「結婚してくれないか?」
花さんは相当驚いたのか、ビックリした顔を貼り付けて固まってしまった。でもやがて意味を理解したのか、その顔が、みるみる赤くなっていく。
でも花さんは、震える手をそっと俺に伸ばしてくれた。それを了承と受け取って、彼女の片手、左手の薬指に指輪をそっとはめた。
「わぁ……」
花さんは指輪を眺め、うっとりしている。
俺はといえば、花さんが喜んでくれた事が嬉しくてしょうがない。それに、こういう買い物は初めてだったから、彼女の好みに沿った指輪が用意できて本当に良かったとも思う。親身に相談に乗ってくれたジュエリーショップの店員さんには、本当に感謝しないと。
「プロポーズ、成功させてくださいね」
店員のお姉さんは、そう言って結婚指輪のカタログをくれたけど……。
現実は非情だ。
式神は遂に枝の壁をぶち壊したらしい。無数の刃物を振りかぶったのか、金属同士がぶつかり、煩く耳に響く音を立てている。
だからこそ振り返らず、最後は花さんだけを見つめていることにした。
婚約指輪をはめた花さんの手を握りしめ、せめて痛みが一瞬である事を祈る。
「好きだよ、花さん」
嬉し涙を浮かべた花さんは、花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
(……そうだよ、俺はこの笑顔が見たかったんだ)
これで、思い残すことはない。彼女の笑顔を目に焼き付けて死のう。
そう思ったのに……。
すぐ後ろで丸太が折れるような音が聞こえ、同時に低く太い悲鳴が轟いた。声の主のあまりの苦しみ様に、驚きのあまり思わず振り返ってしまった。
「え? 何?」
あの化け物みたいな式神が、無数の枝で八つ裂きにされていた。なるほど、折れたのは丸太じゃなくて、こいつの骨だったのか……って、え?
気が付けば、花さんから何かとんでもない気配が立ち込めていた。
花さん以外の幽霊を知らない俺でも、感覚的に分かるよ。これが、何かわからないけど物凄く強い力の圧だって。
「雪二さん雪二さん雪二さん雪二さん雪二さん雪二さん……大好き」
「は、花さん?」
「雪二さんは、『恋をすると男は無敵になる』って教えてくれたけど、恋をすると、女の子も無敵になれるみたいです! 雪二さんが私に教えてくれたんですよ! だからこの溢れるような愛の力で、雪二さんを傷つける人はみんな、私がやっつけてあげます!」
花さんは恍惚とした表情を浮かべながら、怪物を枝に捩じらせていた。怪物は凄まじい悲鳴を上げながら、ジタバタともがいているけど、逃げられない。この光景はまさに、スプラッター!
どうしたんだ!? まるで悪霊みたいな事するじゃないか! そういえば、俺が失念していただけで、花さんは悪霊って呼ばれてたんだっけ?
「どうでしょう雪二さん? 凄いでしょう? こんな怪物だって、一捻りです」
「うん、うん、わかった。花さんの気持ちは伝わったよ、ありがとう! だからそろそろ、そいつを離してやってくれないか? 俺はそいつが嫌いだけど、君が誰かを傷つける所なんて、悲しくなるから見たくないよ……」
花さんは頷いて式神を放り投げた。ホームランボールの如く空をカッ飛んだそいつは、どうやら近所の空き家にぶつかったらしい。大きな衝撃音に混ざり、悲痛な呻き声が聞こえた。
「ようやく二人きりですね」
俺に向けられる、花さんの溢れんばかりの笑顔。それに合わせ、裏庭の空を覆っていた桜の枝が、一斉に開花した。桜吹雪は夜空を駆け、月光が射す裏庭には花弁の雨が降り注ぐ。よくみれば、さっき細切れにされた怪物の血肉も混ざっている気がするんだけど……。
いや、それは無視だ。全部、桜の花弁ということにしておこう。その方がエンディングにふさわしいロマンティックな演出だ。だって、冬に取り残された女の子の元に、ようやく春が訪れたんだから。
「好きです。雪二さん、大好きです! もう絶対離してあげません! 私だけを見て、私だけに愛をください。私の愛は、あなただけの物ですから」
「うん。俺も君を愛してるよ。俺だけを見てくれる君が、何より愛おしいよ」
彼女の手を引くと、今度はすんなりと木の根元から離れ、彼女は起き上がった。でも勢いよく引っ張りすぎたのか、よろけてしまったので咄嗟に抱きとめた。
花さんは、俺が思っていたよりずっと華奢だ。それなのに、あれだけの力が出せるなんて、しかも、その力で俺を護ってくれたなんて、とても信じられない。だって俺にとって、ここにいるのは恐ろしい悪霊なんかじゃなくて、ただの可愛い恋人なんだから。
その彼女の体が、柔らかな光に包まれている。光の粒が天に向かって昇るのに合わせ、花さんの体が少しづつ消えていく。
「……もういっちゃうの?」
そう聞くと、花さんは離れたくないとばかりに俺にしがみついた。自然と俺も彼女を強く抱きしめていた。
「一目惚れしたけど、俺はまだ君の事全然知らない。花さんの事もっと知りたかった。君と観たい映画だって、沢山あるんだ。……いかないで花さん」
駄々っ子のように、言葉を吐き出してしまった。彼女を成仏させるために、ここに来たはずなのに……。
小さな手が、屈み込んだ俺の頭を撫でた。
「雪二さん、どうか私の事を忘れないでいてください。私は雪二さんの事、これから先もずっと見ていますから」
そう笑顔と優しい言葉を残して、彼女は夜空に消えていった。
空を彩っていた桜の雨さえ、幻の様に跡形もなく消えてしまった。
全身の力が抜け、気付けば膝から崩れ落ちていた。
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