桜邸は化物屋敷㉖

 バキッ——メキッ——。


 それは、まるで骨を割るような音だった。


 絡新婦は首を下に向けた。

 まるで、何が起こったのか、まだ信じられずにいる様だった。


(なんとか……上手くいったみたいだ)


 絡新婦の胸には、一本の鉈が突き刺さっていた。

 

 自分自身を餌にして、絡新婦の気を引き付けた。奴が脚で俺を転がしたりしている隙に、鉈の柄に枝を絡ませ、刃が刺さっていた木を消した。そして、奴が一番油断するタイミングで、鉈を抱えた枝を伸ばした。

 この機会を逃したら、絶対に勝てないと思って、動けないフリをしていた。奴が勝利を確信した時なら、さすがに油断するんじゃないかって思って、ギリギリまで粘った。

 フィクションでは使い古された手かもしれないけど、鉈は見事命中。こういう時、映画を観といて良かったって、心から思うよ。「アクション映画も教養」だって、今日から声を大にして言い張れる。


(でも、君の助けが無ければ、俺は死んでいたんだろうな……)

 立ち上がると、シャツの上からその下にある物を撫でた。

(ありがとう、花さん)

 幾重にも重なった桜の葉。火野さんの火すらも耐える守りの力が、鎖帷子のように俺を糸の鞭から護ってくれた。これが無ければ、今頃俺は真っ二つにされていただろう。


 鉈が胸に刺さったというのに、絡新婦はまだ動いていた。鉈を抱いた枝を切り放し、光の粒に変わりつつある姿で、俺に向かって来る。

 振り回す鞭はもうボロボロだ。でも、直撃すれば無事では済まないだろう。しかも、がむしゃらに振り回される所為で、鞭の軌道がまるで読めない。手負いの獣ほど怖いものは無いというけど、まさにその通りだ。


 枝を出し、盾にしながら避け続ける。

 このまま逃げ切れば、いずれ絡新婦は消滅する。


 遂に二本の脚が崩れ落ち、奴は倒れ込んだ。

 

 (やったのか?)


 だがしかし、糸は崩れた脚や、切り落とされた腕を補うように姿を変え——人の姿を作り出した。商人風の男が、手に鞭を持って振り回している。


 最後の変化が、恐ろしい姿の化物じゃない理由は……もしかして……。

(もしかしてあれが、雷さんの想い人なのか?)


 頭の中に、桜の神様の言葉が蘇る。

『夢から覚まさせてやるのが、想い人の半分を貰った雪二殿の役目だ』


 俺が雷さんにしてあげられる事は、きっと一つだけ……。

 今も彼女を苦しめるこの男の幻影を、ここで消し去る事だけだ。


 雷さんの想い人、その魂を分けて作られたのが、俺だった。

 失望されてばかりで、生まれた事を後悔する事ばかりだった。


 だけど、出来の悪い双子の弟として生まれなければ、花さんには会えなかった。

 

(花さん。どうか最後まで、俺を支えてくれ。君が傍にいてくれるから、俺は駄目な自分を許す事ができたんだ。君が、俺を特別にしてくれたからだよ)


 あの子が愛してくれた俺自身を否定する事は、もうしない。


 枝の防御を解いた。

 男に向かって左手を翳し、右手で支える。

 振り回される鞭が、俺の脚を、肩を掠り、その度に血が流れた。 


 失敗すれば、死ぬかもしれない。

 だけど、逃げて終わりにする事はしたくない。

 逃げてしまえば、俺と雷さんを縛り付ける三百年の因縁に決着を付ける事なんて、とてもできない。そう思ったから。


 絡新婦が動きを止め、俺に狙いを定めた。


 俺は全神経を左手に、薬指の指輪に集中させる。

 鞭から守ってくれた桜の葉が、俺の想いに応えたように、左腕へと動いていく。まるで、花さんが俺の手を支えてくれているようだった。


 ふと、隣で君が微笑んだ気がした。


 鞭が頭上に振り下ろされるその瞬間——それは発動した。

 俺が知っている中で、一番恐ろしい花さんの技。

 花を咲かせた大量の枝が、男の体を突き破って現れ、巻き付くようにして鞭を止めた。


 よろめく男。その胸に突き刺さったままの鉈の背に、拳を打ち込んだ。


 パキンッ——。


 亀裂が入った傷口から白い光が漏れ、広場全体を包み込んだ。



 ————――



 気が付けば、蝉の声がうるさい夏の日にいた。

 照りつける太陽。陽炎が立ち上る中、お世辞にも立派とは言えない家を、木陰からぼんやりと眺めていた。


(ここは?)

 辺りの様子を窺うも、まるで見覚えが無い風景。

 どこか知らない場所に、一人放り出されてしまっていた。


 ふと、どこからともなく声が聞こえた。


 ”人間なんて、くだらない。でも、あの人は特別だった”


(雷さん?)


 ここにいない筈の彼女の声が、頭の中に響いた。

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